第59話:ネスト攻略⑥
九つの槍が、亡霊の命令を待っていた。
巨大艦の裂け目では、黒い外殻が変異型エーテルクリスタルを覆い隠そうとしている。
残された時間は、わずかだった。
アドミラルが告げる。
『全トライデント、発射準備完了』
カインは砲線から離脱するカラスの操縦席で、青白く脈打つ結晶を見据えた。
あれが、巨大艦という形を維持している。
あれが残る限り、ネストは何度でも周囲の物を食い、別の艦を作ろうとする。
自由港へ持ち帰らせるわけにはいかない。
軍へ渡したところで、誰が何に使うかも分からない。
「撃て、アドミラル」
『了解』
無人のエーテル・ガイスト艦橋で、黄金色の主表示が一斉に切り替わった。
《エーテル・トライデント》
《前部第一砲塔、発射》
《前部第二砲塔、発射》
《後部砲塔、発射》
砲弾型カートリッジの外殻が、九つの薬室内で同時に開いた。
封入されていた高密度エーテルが解放される。
ただ放出されたのではない。
収束材によって絞られ、位相制御層を通り、砲身の内部を走りながら一本の巨大な槍へ変わっていく。
前部第一砲塔の三門が先に光った。
続いて、前部第二砲塔。
最後に後部砲塔。
発砲時刻には、ごくわずかな差がある。
砲塔の位置も、目標までの軸線も異なる。
それでも、着弾時刻は一つ。
アドミラルは九門すべての弾道を演算し、九本の槍が同じ瞬間、同じ一点へ到達するよう調整していた。
エーテル・ガイストの船体を、これまでにない振動が貫いた。
偽装外装の一部が軋み、艦内各所の固定具へ瞬間的な負荷が走る。主機出力が大きく沈み、直後に補助系統が不足分を埋めた。
『九門発射完了』
『艦体構造、正常』
『砲身冷却開始』
デブリ帯の闇に、九本の青白い光が生まれた。
細い光ではない。
宇宙そのものへ打ち込まれた巨大な杭のような輝きだった。
「外縁方向に超高出力反応!」
《リレイ》の艦橋で、観測担当が叫んだ。
「数は――九!」
「全艦へ再警告! 砲線へ入るな!」
戦術表示を、九つの反応が高速で横切っていく。
発射艦の正確な艦影は映らない。
デブリ帯外縁から伸びた強烈なエーテル反応が、一直線に巨大艦へ向かっているだけだ。
「これが、不明艦の主砲か……」
《リレイ》の指揮官は、思わず呟いた。
九門。三本ずつ、わずかに異なる発射位置。
だが、弾道は最終的に一つの目標へ集束している。
「全観測機器を保護しろ! 直視系センサーの感度を落とせ!」
ハティもまた、砲撃反応を捉えていた。
《高密度エーテル射撃反応》
《発射数、九》
《三門一組の発射軸を三基確認》
《創世級試作兵装構成との近似値――算出中》
艦橋中央で、ゼルギウスは表示から目を離さなかった。
「三基の三連装砲塔……」
その構成を持つ艦を、彼は一隻しか知らない。
正確には、実在する艦として見たことはない。
建造計画の断片と、凍結された試作資料の中でしか知らない艦だった。
「砲撃波形をすべて保存しろ」
「発射地点を逆算しますか」
「当然だ」
ゼルギウスの視線が、デブリ帯の遠い闇へ向く。
「姿を見せなくても、撃てば痕跡は残る」
彼は巨大艦へ接近する九つの光を見た。
「エーテル・ガイストか」
声は小さかった。
だが、その名には確信が混じり始めていた。
巨大艦が九本の槍を認識した。
船体表面へ無数の砲口が生まれる。
まだ形成途中のものまで強引に開き、迎撃光を放った。
最初の光条がトライデントの一本へ触れる。
押し返せない。
高密度に収束された槍の表面がわずかに揺れただけで、迎撃光は左右へ引き裂かれた。
二本目。三本目。
巨大艦は砲撃を重ねる。
だが、九本の槍は止まらない。
変異型エーテルクリスタルが激しく明滅した。
裂けた外殻を閉じる動きが速まる。
周囲を漂う装甲板や無人艦の残骸が、一斉に中央へ引き寄せられた。
新しい壁を作るつもりだった。
『中枢遮蔽率、上昇』
アドミラルの声がカラスへ届く。
『予測着弾時、遮蔽率四二パーセント』
「抜けるか」
『問題ない』
短い返答だった。
カインのブラッドハウンドへ、九本のトライデントが描く射線が映る。
最初の三本は、閉じかけた黒い外殻へ。
次の三本は、その内側にある変換層へ。
最後の三本は、変異型エーテルクリスタルそのものへ。
九門は、同じ仕事をするために撃たれたのではない。九本で、一つの砲撃を完成させる。
「欲張りな撃ち方だな」
『必要な破壊を分担した』
カラスは残骸の陰へ機体を滑り込ませ、衝撃へ備えた。
最初の三本が着弾した。
巨大艦中央を覆いかけていた黒い外殻が、まとめて吹き飛ぶ。爆発ではなかった。貫通。
三つの穴が一瞬で穿たれ、そこから青白い光が内部へ突き抜けた。閉じようとしていた装甲が、内側から押し広げられる。
続く三本が、外殻の奥へ飛び込んだ。
変異型エーテルクリスタルを守っていた変換層が激しく波打つ。
巨大艦は、そこへ周囲の物質を流し込もうとした。だが間に合わない。
トライデントの位相を揃えた光が、変換反応そのものへ食い込んでいく。
白い膜に亀裂が走った。
亀裂は結晶を中心に広がり、巨大艦全体を走るエーテル流へ逆流する。
最後の三本が到達した。
発射された場所は異なる。弾道もわずかに違う。
それでも、三本は同時に変異型エーテルクリスタルの中心へ突き刺さった。
音のない宇宙で、巨大な結晶が内側から震えた。
表面に細い亀裂が生まれる。
一本。二本。無数。
青白い結晶内部を走っていた黒い筋が、亀裂に沿って千切れていく。人類製の配線が焼け落ちる。
書き込まれた巨大艦の定義が、意味を失う。
艦を作れ。外敵を排除しろ。素材を取り込め。
修復しろ。
混ざり合っていた命令が、九本の槍によってまとめて貫かれた。変異型エーテルクリスタルが砕けた。最初に消えたのは、巨大艦の光だった。
外殻を走っていた白い筋が、艦首側から順番に途切れていく。
新しく生まれかけていた砲口が閉じた。
形成途中の推進器が形を保てず、黒い泥のように崩れる。
周囲の残骸を引き寄せていた力も消えた。
巨大艦の巨体が、ほんの一瞬だけ静止する。
「止まった……」
ノクスの中で、アイリスが呟いた。
その直後だった。
砕けた変異型エーテルクリスタルから、青白い光が溢れた。
結晶の破片は外へ飛び散らない。
崩れた断面から光の粒へ変わり、順番に消えていく。その反応は結晶だけに留まらなかった。
巨大艦内部へ張り巡らされていた変換導体。
混成炉の補助結晶。
エーテリアン遺構から切り出された黒い構造材。
物質変換系へ接続されていた未知の制御部品。
中枢と位相を共有していた部材すべてに、同じ青白い亀裂が走った。
「連鎖反応を確認」
ミラが平坦な声で告げる。
「変換中枢と接続されていた結晶構造が、順次崩壊しています」
『エーテリアン由来の位相格子が維持不能となった』
アドミラルが解析を引き継ぐ。
『接続された遺構材および混成部材は、物質構造を保持できない』
「…爆発する?」
アイリスが尋ねる。
『しない』
アドミラルの答えは即座だった。
『崩壊する』
巨大艦の内部で、青白い光が網の目のように広がる。黒い遺構材が透けた。
その奥にある人工構造も見えた。
だが次の瞬間には、遺構材だけが細かな光へ変わって消えていく。混成炉が崩れる。
エーテル結晶が砕ける。
物質変換キーの残骸も、周囲の制御基板ごと青白い粒子へ変わった。
軍が封鎖対象としていたもの。
自由港側への譲渡を禁止するはずだったもの。
エーテリアン由来の技術へ直接繋がる部材は、中枢崩壊へ巻き込まれ、一つ残らず形を失っていった。回収できる大きさの破片さえ残らない。
残ったのは、人類が作ったものだけだった。
無人艦の通常装甲。旧軍規格のフレーム。
推進器。砲身。配管やケーブル。生産設備の一部。変換機構との接続を断たれたそれらは、支えを失って巨大艦から剥がれ始めた。
巨大な艦体が、内側から空洞になっていく。
『全艦、崩壊域から退避!』
《リレイ》の指揮官が叫んだ。
『大型残骸が分離する! 回収は後だ!』
巨大艦の艦首が折れた。
人類製のフレームと装甲だけになった構造が、ゆっくりと本体から離れていく。
続いて左舷。
生成途中だった砲塔が、根元から崩れた。
背部のネスト施設跡も複数に割れ、それぞれ別の方向へ流れ始める。
自由港の船が一斉に距離を取った。
『でかいのが来るぞ!』
『回避しろ! 拾うのは止まってからだ!』
『ギアハンド、曳航船を下げろ!』
『もう下げてる!』
ブラックバナーの傭兵船が、退避の遅れた作業船の前へ出る。
小さな残骸を機銃で砕きながら、航路を開いた。
スパロー隊も編隊を組み直し、ハティの周囲へ接近する大型破片を迎撃する。
アンブラは損傷した船体を傾け、ノクスの前へ移動した。
「アンブラ、まだ動ける?」
アイリスが聞く。
『航行能力は維持されている』
アドミラルが答えた。
『盾としての使用にも問題はない』
「それ、問題あるって言うんじゃ……」
『搭乗者はいない』
ミラが二人の通信へ割り込む。
「大型残骸、方位右上。ノクスを下降させます」
操縦桿が動く。
ノクスがアンブラの陰へ滑り、大型装甲片の軌道から離れる。直後、アンブラの砲が発射された。
装甲片は中央から砕け、二隻の左右へ分かれて流れていった。
カラスは崩壊する巨大艦のすぐ外側を飛んでいた。目の前で、黒い外殻が光へ変わって消えていく。ネストだったもの。無人艦の生産工場だったもの。巨大な艦になろうとしたもの。
その中心にあった異質な部材は、もうどこにも見えない。
[Karasu_AI] エーテリアン由来反応、急速低下。
[Karasu_AI] 回収可能な高密度結晶反応、確認できません。
「…全部消えたか」
[Karasu_AI] 物質変換中枢との位相接続が確認された部材は、九八・七パーセント以上消失。
[Karasu_AI] 残留反応も急速に減衰中。
「自由港に渡すなって線引きは必要なくなったな」
『訂正』
アドミラルが通信へ入る。
『禁止対象が消失しただけだ』
「結果は同じだ」
『管理上は異なる』
「分かった、分かった」
カインはカラスを旋回させた。
ブラッドハウンドには、巨大艦の残骸が多数表示されている。
そのほとんどは、人類製。
自由港の船乗りたちが解体し、修理し、売り払い、損失を埋められる物だ。危険な中身だけが消えた。都合が良すぎる結果にも見える。
だが、トライデントが中枢を貫いた結果として、そこへ繋がる変換系がまとめて崩れたにすぎない。
「アドミラル」
『何だ』
「トライデントは」
『全九門、発射後点検へ移行』
「壊れてないだろうな」
『全砲身正常』
『冷却系も規定値内』
『砲弾型カートリッジは全数消費』
少し間を置き、アドミラルは続けた。
『実射試験は成功だ』
カインは短く笑った。
「贅沢な試し撃ちだ」
『標的としては適切だった』
「二度目は、もう少し小さい奴にしろ」
『標的の大きさは選択できない場合が多い』
「冗談だ」
『認識している』
「なら流せ」
巨大艦だったものは、もう艦の形を保っていなかった。青白い光も消えている。物質を食らう力もない。残された残骸が、ノクターン・デブリ帯の流れへゆっくりと加わっていく。
《リレイ》の観測担当が報告した。
「巨大構造体からの反応、消失」
「混成炉反応もありません」
「物質変換反応、完全停止」
指揮官はしばらく戦術表示を見た。
「巨大艦の撃破を確認」
その言葉が、共同戦術網へ流れる。
一瞬の沈黙。
次いで、自由港側の通信が爆発した。
『やったのか!?』
『消えたぞ、黒い部分が全部!』
『残った船体はどうなる!』
『お前ら、もう拾う話かよ!』
『こっちは船を二隻潰されてんだぞ! 拾わなきゃ赤字だ!』
《リレイ》の指揮官は額へ手を当てた。
だが、声にはわずかな安堵が混じっていた。
『全艦へ通達』
『現時点での残骸回収を禁止する』
自由港側から、一斉に不満の声が上がる。
『待て待て待て!』
『話が違うぞ!』
『最後まで聞け!』
《リレイ》の怒声が戦域を貫いた。
『先に生存者と航行不能艦を回収する!』
『安全確認後、作戦前協定に基づきサルベージ区域を開放する!』
通信の向こうが少し静かになった。
『……残骸はもらえるんだな?』
『危険指定物を除く通常部材は、契約どおりだ』
『危険指定物ってのは?』
観測担当が指揮官へ小声で報告する。
「該当反応は、ほぼ残っていません」
指揮官は巨大艦の消えた中心を見た。
『お前達が触るなと言われていた物は、どうやら全部消えたらしい』
今度の沈黙は、先ほどより長かった。
『……じゃあ、残った物は?』
『救助が終われば好きなだけタグを打て』
自由港側から歓声が上がった。
完全な勝利ではない。船は傷ついた。
負傷者もいる。持ち帰れなかったものも多い。
それでも、危険な巣は消えた。
無人艦を生み続ける中枢も、物質を食らう巨大艦も、もう存在しない。
自由港の者たちが持ち帰るのは、未知の力ではない。装甲と、砲身と、推進器。
人間の手で扱える、ただの鉄だった。
巣は焼けた。異質な卵は光となって消えた。
そして焼け跡には、生き残った者たちが明日へ持ち帰るための残骸だけが、静かに漂っていた。
作者のモチベになりますので、
★評価よろしくお願いします。
_| ̄|○何卒。




