第61話:忘れられた保険
おまたせしました。
《リレイ》向けの報告書は、すでに送信を終えていた。ノクターン・デブリ帯に存在した不法な無人艦製造施設。巨大構造体化したネストの撃破。危険なエーテリアン由来部材の消滅。
残骸回収時の識別基準。封鎖区域の設定。
自由港側へ許可する通常残骸の回収範囲。
現場で必要とされる情報だけを抜き出し、整え、中央本部経由で《リレイ》へ渡した。
そこに、エーテル・ガイストの名はない。
カイン・ウォーカーの名もない。
未確認支援火力については、中央本部預かり。
発射元不明。所属不明。解析詳細は限定閲覧。
現場の《リレイ》には、それで十分だった。
彼らはノクターンの跡地を封鎖し、残骸を分類し、生存者と船を帰す。それ以上の情報を渡せば、現場報告書は軍内部の火薬庫へ変わる。
ライナ・ヴェルグは、送信済みの報告記録を閉じた。中央本部の夜は、明るい。
軍港の窓外には、管制灯が細かく並び、眠らない軍事中枢の光が静かに流れている。
だが、彼女の執務室の照明は低く抑えられていた。扉の外には、アトリー元帥直属の通信保全班。室内には、三重封鎖された解析卓。
ライナの前には、公開できない資料だけが残っている。ティルザ・レーヴェンがネストから抜き取った内部データ。カイン・ウォーカーから届いた今回の作戦報告。
カインによる、クレイドルの報告。そして、ライナとアトリーが別口で探っていた古い軍秘匿資料。
ライナは、それらを一つずつ並べ直した。
まず、クレイドル。
カインの報告書では、アイリス以外にも被験体の存在が確認されている。少なくとも、アイリス一人だけの実験ではなかった。次に、ネスト。表向きは無人艦製造施設。だが、内部データには、人類の夜明け計画と接続する痕跡があった。無人艦生成ラインに混ざる、旧軍規格では説明できない制御階層。
混成炉の出力補正に使われた、適合率という語。
旧軍AIによる自律操艦試験。
そして、物質変換系と無人艦生産系を一つの制御体系にまとめようとした痕跡。
人間を改造する計画と、艦を作る施設。
本来なら別の系統に見える二つが、同じ場所で交差している。ライナは小さく息を吐き、通信を開いた。
「元帥。リレイ向け、本部向け表の報告は完了しました」
返答はすぐに来た。映像はない。音声だけだ。
『エーテル・ガイストの名は』
「出していません」
『カインは』
「同様です」
『よし』
エドワード・アトリー元帥の声には、疲労よりも思考の硬さがあった。
『では、表に出せない方を聞こう』
「はい」
ライナは解析卓の表示を切り替えた。
「今回のネスト内部データから、無人艦製造施設そのものが、人類の夜明け計画の外郭に含まれていた可能性が」
『人間だけではなく、艦までか』
「はい。無人艦群、混成炉、物質変換系、旧軍AI。これらを単体ではなく、将来的に一つの運用体系へ接続する構想があったように見えます」
『ヴォルフらしい』
アトリーは低く言った。
『人を作り変えるだけではなく、艦も、兵器も、工場も、全部同じ思想へ組み込む気か』
「ネストでの無人艦の操艦はAIに依存していました」
『これは前段階だな』
「私もそう見ています」
ライナは表示を一枚進める。
通信越しに、アトリーが資料をめくる音がした。
『確かセラフィックコアと言ったか』
「はい」
ライナは別の資料を開く。
《SERAPHIC HEART》(セラフィックハート)
《▓▓用補助器官》
《循環維持/心肺代替/神経安定/エーテル拒絶反応緩和》
《後期改造記述あり》
《SERAPHIC CORE》(セラフィックコア)
《共鳴増幅/適合率固定/▓▓接続/▓▓▓維持》
「こちらの名称は、ネストの主記録からではありません。カインのクレイドル報告、軍内部に残っていた医療系、兵装系の断片、そして閣下が引き出された旧試験記録を照合して出てきたものです」
『ネストは線を補強しただけか』
「はい。セラフィックハートとセラフィックコアの名そのものは、断片と軍の古い保管庫からです」
『カイン達は知っているのか』
「いいえ」
ライナは断言した。
「カイン達は、アイリスの胸部に不可解な構造があることまでは把握しています。外見上は心臓に相当するもの。しかし通常人体とも既存人工臓器とも一致しない。そこまでです」
『アイリス本人は』
「おそらく知りません」
『だろうな。被験体へ正式名称を教える必要などない、という扱いか』
アトリーの声が冷えた。
ライナは言葉を選ばず、事実だけを続けた。
「カインの報告には、アイリスの共鳴反応について記載がありました。巨大艦の中枢、変異型エーテルクリスタルを感覚的に捉え、破壊すべき箇所を示した、と」
『センサーではなく、少女の反応が決め手になった』
「はい」
『つまり、あの擬似心臓は、人類の夜明け計画の成果の一つとして機能している』
「その可能性が極めて高いです」
ライナは、さらに二つの項目を表示した。
《LUMINOUS POD》(ルミナスポッド)
《生体ログ取得槽》
《循環反応/神経反応/共鳴波形/適合率連続記録》
《スティレット誘導補正用個体ログ作成》
《STILETTO》(スティレット)
《試作共鳴誘導兵装》
《適合個体の共鳴波形を入力基準とし、小型飛翔兵装群を誘導》
《通常火器管制を介さず、意思反応・視線反応・恐怖応答・反射信号を統合》
《▓▓▓との接続試験記録あり》
「ルミナスポッドとスティレットについては、元帥が調べられた兵装試験記録からの断片が中心です」
『中身は削られていた』
「はい」
『だが、項目名と接続記録だけは残っていた。削った者が、完全に消す必要を感じなかったのか、あるいは消せなかったのか』
「どちらにせよ、意味はあります」
『ルミナスポッドは読む装置。スティレットは動かす兵装。セラフィックコアは、その間に置かれた核』
アトリーは一つずつ言葉を置いた。
『救命補助器官を、兵器と艦隊の入力装置へ変える。ヴォルフの計画は、そこまで来ていたわけだ』
「少なくとも、そこを目指していた」
『ネストの無人艦は、AIで操艦していた』
「はい」
『だが、本命はAIではない。AIは代用品。セラフィックコア適合者を使った共鳴操艦の前段階」
「推測ですが、筋は通ります」
『通ってほしくない筋だ』
アトリーは短く息を吐いた。
『それと流れたものは』
「詳細は不明です」
ライナは別資料を開いた。
「ネスト内部から一部の人員、データ、部材が搬出されています。カインとティルザの報告から黒外套の一派が関与」
『カインの報告では火事場泥棒と』
「その範疇を超えている可能性があります」
『反連合にでも流れたか』
「直接的な証拠はありません。ですが技術、部材、人員、どれかが裏市場へ流れた可能性は否定できません」
『ヴォルフの尻尾を掴む前に、別の火種が増えたと』
「はい」
『黒外套はヴォルフの忠臣ではないな』
「報告でも、彼らは自分達も巻き込まれた側として語っています。ヴォルフ元帥がネストごと繋がりを消すと見て、持ち出せるものを持ち出した、と」
『そういう連中ほど厄介だな』
アトリーの声に、わずかな嫌悪が混じった。
『商売で動く敵は、買い手の数だけ顔を変える』
「追跡を続けます」
『頼む』
ライナは、一度だけ資料を閉じた。
次に開いたのは、ハティに関する観測記録だった。ノクターン作戦中の交信。ハティの射撃記録。スパロー隊の展開。巨大艦への攻撃。
表向きは、協力艦として申し分ない動きだった。
だが、ネスト内部ログには、表に出せない痕跡がある。外部からの執行命令。
選別退避。非指定人員の処理。
完全な署名はない。だが、ハティを経由した可能性。
「ハティについてです」
『ヴォルフの英雄ゼルギウスの艦か』
「はい。表向きは共同作戦に協力しています。ですが、内部ログと照合すると、ネストへの指示系統にハティ由来と思われる痕跡があります」
『ヴォルフ本人には届かない』
「はい」
『だが、ハティは動いていた』
『ゼルギウスは、今回何を持ち帰ったと思う』
ライナは即答しなかった。
予測資料を開き、項目を並べる。
「カラスの機影」
『当然だ』
「カインの機動特性」
『顔を見ていなくても、あいつの飛び方は隠しにくい』
「アイリスのセラフィック系共鳴波形」
『それも持って帰る』
「九門砲撃の反応」
『エーテル・ガイストの輪郭だな』
アトリーの声が重くなる。
「はい」
『ヴォルフは感づく』
「すでに感づいている可能性があります」
『まずいな』
「はい。カイン達はし自由港へ潜伏しています。ハティが今回の記録を持ち帰れば、自由港周辺への監視をさらに厚くするはずです」
『それだけではない』
アトリーが言った。
『ヴォルフは、前から自由港へ目を入れている』
「ええ」
『その目の一部が消えているなら、答えは早い』
ライナは頷いた。
「自由港内で、ヴォルフ側と思われる監視線のいくつかをこちら側の処理で沈黙。」
アトリーは淡々と並べた。
『ヴォルフなら結論を出す。カイン達は自由港にいる、と』
「はい」
『なら、いつまでも自由港には置けないな』
その言葉で、会話の重心が変わった。
ライナはすでに別の資料を用意していた。
「移動先の候補があります」
『聞こう』
「表向きには忘れられた、移動宇宙基地です」
アトリーが少し黙った。
『……それを出すか』
「他に、条件を満たす場所が少なすぎます」
『今の場所は』
「自由港からは離れています。しかし、ヴォルフ元帥の直接管轄宙域からも外れています。航路上の価値は低く、軍用補給線からも外れています」
『古い基地だったな』
「はい」
ライナは資料を開く。
《旧時代移動基地》
《建造時期:人類初期宇宙進出期》
《エーテル技術未使用》
《核融合補助炉/旧式姿勢制御/低反射外殻》
《現在位置:漂流軌道上》
《秘匿通信ビーコン:一定間隔で微弱発信中》
《公式登録:廃棄済み》
《実所有:アトリー元帥権限下にて接収済み》
人類が宇宙へ上がったばかりの時代に作られた、古い移動基地。エーテル技術は使われていない。
エーテリアン由来部材も勿論ない。
そのため、現代のエーテル反応探査には引っかからない。装甲も古い。設備も旧式。
だが、居住区、補給区画、簡易ドック、通信遮断室、予備動力は残っている。
何より、誰も価値があると思っていない。
一定間隔で今も秘匿ビーコンを発しながら、暗い宙域を漂っている。
『まさか、使う日が来るとはな』
「今なら使えます」
『名前は表に出すな』
「当然です」
『状態は』
「最低限。長期滞在には恐らく補修が必要です。ただ、エーテル・ガイストなら自力で再整備可能と推定します」
『あの艦のAIなら、古い基地を倉庫扱いするかもしれん』
「むしろ、拠点としては合理的ですね」
『カインに渡すか』
アトリーは、低く呟くように言った。
ライナは少しだけ間を置いた。
「渡すというより、避難先として提示する形が良いかと」
『こちらが直接誘導した痕跡は薄くしろ』
「ブラック・ネビュラ経由の断片通信にします」
『合図は』
「いつもの連絡線とは別の枝を使います」
『それでいい』
アトリーはそこで、わずかに笑った。
『カインに言っておけ。手配した。スイートルームだ。宿へ移れとな』
「そのまま送りますか」
『やめろ。あいつが文句を言う』
「では、翻訳して送ります」
『頼む』
軽口は短く終わった。
アトリーの声が再び硬くなる。
『ただし、移動は急がせるな。焦って動けば追われる』
「自由港での修理と補給、休息を終えてから」
『そうだ。逃げるのではなく、移る。あのAIなら喜びそうな表現だ』
「アドミラルですね」
『あれなら、移行と言うだろう』
「確かに」
自由港、ドライドック六番。
エーテル・ガイストは、古い大型貨物船の顔をしたまま沈黙していた。
外では、ネスト帰りの船がまだ列を作っている。
損傷した傭兵船。残骸を積んだ曳航船。
修理順を巡って怒鳴る船主。
タグ照合に追われるペイルワイヤ。
火花を散らすギアハンドの作業場。
自由港は、ネストの後始末で膨れ上がっていた。
その奥で、カインは隔離解析区画にいた。
アイリスは眠っている。
ミラが副艦長室で監視している。
ノクスとアンブラはクロンワークスで点検中及び修理中。ヴェスパーはエーテルガイスト内部で、格納区画の再調整に入っている。
『ライナ・ヴェルグより秘匿通信』
アドミラルが告げる。
「開け」
カインは短く言った。
表示される文面は、いつもより長かった。
《リレイ向け、中央本部向け報告処理完了》
《エーテル・ガイスト、カイン・ウォーカー、アイリスの名称は記載せず》
《ハティ及びヴォルフ元帥が、自由港潜伏を推測する可能性が高い》
《自由港長期滞在は非推奨》
《移動先候補あり》
カインは眉を寄せた。
「根回しが早いな」
『アトリー側も同様の危機評価に達したと推定』
「続きは」
表示が切り替わる。
《旧時代秘匿移動基地》
《エーテル技術未使用》
《公式登録上は廃棄済み》
《現在も一定間隔で秘匿ビーコンを発信》
《自由港から距離あり》
《ヴォルフ元帥直接管轄宙域外》
《避難・活動拠点として使用可能》
カインはしばらく黙って読んだ。
「基地を寄越す気か」
『正確には、避難先として提示している』
「閣下の隠し財産か」
『表現は不正確だが、意味は近い』
「やっぱり持ってたか、あの人」
『もしもの時の保険、と記載がある』
カインは苦く笑った。
「保険を使う時が来たわけだ」
『自由港の秘匿性は低下している』
「分かってる」
『ハティがカラスを見た。砲撃も観測された。アイリスの共鳴反応も拾われた可能性がある』
「全部、向こうに輪郭を渡した」
『肯定』
「ヴォルフはここへ当たりをつける」
『同一結論』
カインは表示の中の基地情報を見つめた。
古い移動基地。エーテル技術未使用。
漂流軌道。秘匿ビーコン。
ヴォルフの管轄外。完全な安全地帯ではない。
だが、自由港よりは息を潜められる。
「アドミラル」
『何だ』
「使えるか」
『旧式設備のため、現地確認が必要』
「予想は」
『補給拠点、仮整備拠点、通信遮断拠点として有用。長期居住には改修が必要』
「エーテル技術を使っていないのは」
『利点だ。エーテル反応探査にかかりにくい』
「古すぎるのは」
『欠点だ。故障箇所は多いと推定』
「修理できるか」
『本艦の工廠機能で対応可能な範囲と推定』
「なら候補だな」
カインは通信の続きを開いた。
そこには、もう一つの依頼があった。
《アイリス胸部器官に関する照合資料あり》
《セラフィックハート/セラフィックコアの断片情報を取得》
《ルミナスポッド/スティレットの断片情報あり》
《詳細データ提供を依頼》
《本人同意必須》
《非侵襲》
《医療安全優先》
《強制なし》
カインの目が細くなる。
「……来たか」
『予測範囲内だ』
「確たる証拠が欲しいんだろ」
『肯定。ただし、文面上は医療確認を主目的としている』
「ライナの文か」
『高確率でそうだ』
「アトリー閣下の条件も混じってるな」
『本人同意、安全優先。この条件は意図的に強調されている』
カインは黙った。
セラフィックハートにセラフィックコア。
知らない言葉が、また増えた。
だが、どれもアイリスに関わる。
そして、ヴォルフを追うためにも必要になる。
「アイリスには」
『まだ伝えていない』
「起きてからだ」
『了解』
「検査するかどうかは、本人が決める」
『承認』
「嫌だと言ったらやらない」
『同意する』
「他の被験体の話は」
『ライナ副官側で捜索中。カインのクレイドル報告を基に、調査をしている。』
「見つかればいいがな」
『今は不確定だ』
「分かってる」
カインは表示を閉じた。
「返信は二つだ」
『内容を』
「一つ。移動基地の情報は受け取る。現地確認後に使用判断」
『記録した』
「二つ。アイリスの件は、本人が起きてから話す。」
『記録した』
「最後に一文足せ」
『何と』
「証拠より、本人の命が先だ」
『送信文としては強い表現だ』
「だから送れ」
『了解』
ドライドック六番の奥で、カインは副艦長室の前に立った。扉は開けない。中では、アイリスが眠っている。彼女はまだ知らない。
自分の胸にあるものが、誰かの記録で何と呼ばれていたのか。それらの名が、どれほど冷たい文書の中に残されていたのか。
そして、自由港に長くはいられないことも。
『艦長』
アドミラルが静かに呼ぶ。
『返信文、送信完了』
「ライナは何と?」
『短文返信』
「読め」
『了解。――“承知しました。命を先に”』
カインは少しだけ目を伏せた。
「らしいな」
『次行動予定を更新するか』
「朝になってからだ」
『移動基地については』
「アイリスに話す。ミラには先に共有。クロンワークスの修理予定も確認しろ。三姉妹が動けないなら出られない」
『承認』
カインは扉から離れた。
眠れる時に眠る。話すべき時に話す。
動くべき時に動く。ネストは焼けた。
危険な卵は砕けた。だが、灰の中から出てきたものは、次の行き先の地図だった。
ローゼン。無人艦。共鳴操艦。
そして、忘れられた移動基地。
自由港の喧騒は、まだ亡霊の艦を隠している。
だが、その喧騒の外側で、別の目が、失われた連絡線の数を数え始めていた。
作者のモチベになりますので、
★評価よろしくお願いします。
_| ̄|○何卒。




