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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第56話:ネスト攻略③

おまたせしました。


ネストの奥で、巣が暴れ始めていた。

崩壊の音ではない。壁が低く唸る。

床が、骨の内側から軋むように震える。

通路のずっと奥で、巨大な何かが眠りの底から息を吸い込んだような音がした。

カインは崩兼元を構えたまま、暗い通路の先を見た。


「引き上げる」


その判断に迷いはなかった。

奥にまだ何かがある。

大型反応。アイリスが嫌な感覚を覚えた何か。

そして、いま抜いたハティ由来の執行命令ログ。

見たいものはある。

だが、証拠は生きて持ち帰ってこそ意味を持つ。


「ここは欲を出す場面じゃない」


「…承知しました」


ティルザが返す。

声には焦りがあった。

だが、それは訓練された焦りだった。足を乱さず、呼吸を崩さず、必要な恐怖だけを残して動く。


自由港の潜入要員二人も、抜き取ったデータを携行端末へ退避しながら後方へ下がる。


「取得分は固めた」


「送信は」


「ペイルワイヤへ断片だけ。完全版は手持ちで運ぶ」


「足を止めるなよ」


カインは短く命じた。

背後で、無人兵器の起動音が重なる。


執行部隊。


施設の人員を処分し、証拠を焼き、残るものを黙らせるための機械。

その動きは、もう警備ではなかった。侵入者か職員かを問わない。指定外の生体反応を処理するだけの、冷たい仕組みになっていた。

角を曲がる直前、横合いから小型ドローンが飛び出した。


カインは崩兼元を振る。

胴ではない。

光学部と姿勢制御軸だけを断つ。


ドローンは火花を散らし、壁に叩きつけられて落ちた。


「右です!」


ティルザの声。


カインは振り向かない。

ショットガンを抜き、片手で撃つ。


ショック弾が通路奥の無人兵器に叩き込まれ、青白い電弧が装甲の隙間を走った。

ティルザが続けて二発撃つ。センサーが砕け、機体が壁へ倒れる。


「外縁保守口まで、この通路で戻れます」


ティルザが言う。


『通路三十メートル先、隔壁閉鎖開始』


アドミラルの声が割り込んだ。


『遅れた場合、代替経路へ切り替える』


「その前に抜けるさ」


カインが答えた直後、施設全体が大きく揺れた。


外からの砲撃ではない。

内側からだ。


 壁の黒い遺構材が、脈打つように淡く光る。人類製のケーブルが、その光に引きずられるように震える。床面の搬送レールが歪み、通路の継ぎ目から白い霧のようなものが吹き出した。


「……これは」


ティルザが息を呑む。


『ネスト内部に異常』


アドミラルの声が低くなる。


『中枢搬出路付近で、執行処理とは別系統の信号を検出』


「別口か」


『断定不能。ただし標準命令系統からは外れている』


カインの目が細くなる。


「誰かいるな」


通路の奥で、短い爆発音が響いた。

執行部隊の砲声ではない。人間が扉を吹き飛ばすための爆薬だ。


ティルザが耳を澄ませる。


「ヴォルフ元帥側の投入戦力でしょうか?」


カインは一瞬だけ考える。


保守口へ戻るのが最短。

だが、中枢搬出路の異常信号。

ハティの執行命令。

そして、ネストが何かを起こそうとしている気配。


「寄るぞ」


「先輩、またですか」


「見るだけだ」


「先輩の“見るだけ”は、信用できません」


「なら今回で慣れろ」


カインは進路を変えた。


中枢搬出路では、別の逃走が始まっていた。

そこにいた者たちは、軍服を着ていなかった。

研究員でもない。だが、ネストの構造をよく知っている。

どの搬出路がまだ生きているか。

どの端末を焼けば記録が消えるか。

どの施設員が炉制御を扱えるか。

どの封印貨物に本当の価値があるか。

彼らは、偶然そこにいたわけではない。

カイン達が三箱と呼んだ部材。

その同類を、表に出ない航路へ流していた者たち。闇市場や反連合組織へ研究成果物を流すため、ネストと外部を繋いでいた協力一派。

彼らは今日、最後の荷受けに来ていた。

 

ネストが長くないことは、空気で分かっていた。

ビーコン確認任務に偽装した小型船が外縁を探った後、防衛網は組み替えられた。搬出指示は前倒しになり、いくつかの研究区画は閉鎖され、重要データだけが先に抜かれ始めた。


 ヴォルフ元帥の軍へ、中央本部から協力要請が飛んだことまでは知らない。だが、十分だった。施設は、もう捨てられる。彼らはそれを察していた。


 黒い装甲外套を着た男が、倒れた執行ドローンの残骸を踏み越えた。

片手には短銃。もう片方の手には、施設員から奪った認証タグが握られている。


「次の扉だ」


 命じられた施設員は、青ざめた顔で端末へ手を伸ばした。


「わ、私は搬送担当です。中枢権限までは――」


「なら、搬送担当として最後の仕事をしろ」


男の声には熱がなかった。

だが、背後の通路から悲鳴が上がった。

若い技術員が二人、執行兵器に追われていた。

一人は脚を引きずり、もう一人が肩を貸している。背後の人型無人兵器が銃口を上げた。

黒外套の男は、ためらわず撃った。

弾丸は無人兵器の胴ではなく、膝関節へ入る。

機体が崩れた。すかさず護衛の一人が、頭部センサーを撃ち抜く。赤い単眼が砕け、無人兵器は床へ沈んだ。

助けられた技術員たちは、何が起きたのか分からない顔で男を見た。


「な、なぜ……」


「炉の制御班だな」


「……はい」


「良い。まだ使える」


若い技術員が息を呑む。


「我々は、退避対象では……」


「ヴォルフの帳簿では違うらしい」


男は冷たく笑った。


「だが、私の帳簿では価値がある」


彼は倒れた技術員の脚を一瞥し、部下へ顎をしゃくった。


「止血を。歩けるようにしろ」


「了解」


部下が即座に応急パッチを貼る。

先ほどまで死を待つしかなかった技術員が、震える声で言った。


「あなた方は……何をするつもりですか」


「回収だ」


男は答えた。


「データ、部材、技術者。燃やすには惜しいものを拾う」


彼は通路の奥を見た。

そこでは、別の施設員が認証扉の前でうずくまっていた。つい先ほど、カインが執行兵器から逃がした施設員だった。

肩を押さえ、壁際に身を寄せ、息を殺している。

逃げたつもりだった。助かったつもりだった。だが、ネスト内に安全な場所などもうない。

執行ドローンが、その施設員へ近づいていた。

黒外套の男が軽く手を上げる。

護衛が撃った。

ドローンの光学部が砕け、床へ落ちる。

施設員は顔を上げた。


「…また……助かった……?」


「コイツの担当は?」


男が短く問う。

部下が端末で照合する。


「中枢変換補助。データキー同期班の下位担当です」


「連れて行く」


「負傷しています」


「口が利ける。手も残っている。十分だ」


施設員が唇を震わせる。


「なぜ、私を……」


「お前の知っていることに価値がある」


 男は膝をつき、施設員のヘルメットの前に顔を寄せた。


「行く当てがないなら、私と来い。ここで焼かれるよりは、ましな結末を用意してやる」


施設員は言葉を失った。

その横で、別の研究員が震える声で問いかけた。


「……貴方達も、執行対象なのでは?」


黒外套の男は、わずかに肩を揺らした。


「たぶんな」


あまりにも軽い返答だった。

研究員は言葉を失う。

男は倒れた執行ドローンを一瞥し、それから天井のスピーカーへ視線を上げた。


【非指定人員、処理】


【搬出対象外人員、排除】


【執行部隊、第二系統起動】


冷たい機械音声が、白い通路に落ちる。


「元帥閣下は、我々との繋がりもこの巣ごと消すつもりらしい」


「なら、なぜ……」


 研究員は、応急処置を受けている技術員と、黒外套の一派に引き起こされる施設員たちを見た。


「…なぜ、我々を助ける?」


「助けるだと?」


男は短く笑った。


「言葉を選べ。これは救助じゃない」


彼は黒い封印フレームへ視線を向ける。


「文字通り、火事場泥棒だよ」


研究員の顔が引きつった。


「我々は、元帥の計画に協力していた。貴方達も、同じだったはず……」


「同じか」


男は口元だけで笑う。


「我々は取引相手だっただけだ」


その声は冷たかった。

だが、怒りはなかった。


「金を受け取り、荷を流し、運ぶ。契約はそれだけだ。忠誠など誓った覚えはない」


通路の奥から、執行兵器の足音が近づいてくる。

男はその音を聞きながら、静かに続けた。


「こちらとの繋がりを消すつもりなら、こちらも最後の荷受けをする」


「最後の……荷受け……」


「そうだ」


男は封印資材、逃げ遅れた施設員たちを順に見た。


「元帥にとっては替えが利く物らしいが、これだけの設備と人員は貴重だ。」


彼は負傷した施設員を顎で示す。


「たとえ末端の人間でも、何かを見ている。何かを扱っている。何かを覚えている」


誰も口を挟めなかった。


「燃やせば灰。殺せば骸。だが、拾えば商品に。技術に。取引材料になる」


それは救済の言葉ではなかった。

だが、死刑宣告でもなかった。


「お前達も、私達も、まとめて消すつもりらしい。だが、私はここで死ぬつもりはない」


男は淡々と言った。


「顧客が待っているのでね」


彼は施設員たちへ視線を戻す。


「どうだ?」


静かな声だった。


「我々と来るなら、働いてもらう」


研究員の喉が鳴る。


「だが、ここでは終わらない」


それは優しさではない。

所有権の宣言に近かった。


それでも、施設員たちの何人かは顔を上げた。

焼かれるよりはまし。

処分対象として死ぬよりはまし。

研究の続きを、どんな形であれ見られるなら。

男は、その沈黙を了承と見なした。


「取引成立だ」


そして、奥の搬送フレームへ歩いた。


そこには、黒い封印フレームに固定された板状の部材があった。

棺のように長く、表面には人類の文字ではない細い光の筋が幾重にも走っている。


特殊資材。

 

エーテリアン遺構の物質変換機構に対し、何を素材と見なし、何へ変えるかを示すための制御キー。人類製の制御端末は、その異質な命令を翻訳し、ネスト中枢へ送り込むために無理やり接続されていた。


助けられた技術員が、その部材を見て顔を強張らせた。


「それは……無人艦生成用の予備制御キーです」


「使えるか?」


黒外套の男は、封印フレームに手を置いたまま問う。


「扱えます。ですが、これはまだ定義が未定です」


「未定?」


「はい。キーそのものは無人艦を作るための予備ですが、どの型を生成するか、どの範囲を素材にするか、どこまでを完成形とするかが書き込まれていない」


技術員は端末を覗き込みながら続けた。


「いわば空の器です。通常なら、無人艇か小型無人艦の定義を入れて、施設側の変換履歴を同期させる」


黒外套の男が目を細める。


「この遺構も素材に?」


技術員は一瞬、黙った。

通路の奥では執行兵器の足音が近づいている。

天井のスピーカーからは、非指定人員の処理命令が繰り返されている。

ネストは、もう焼かれる側に入っていた。


「……使えます」


技術員の声が変わった。


「ここは、無人艦を生成していた。無人艇、無人艦、混成炉、外殻フレーム、誘導系……それらの履歴は残っているはずです」


「なら」


「書き換えれば、理論上は巨大艦にもできます」


隣の施設員が青ざめた。


「何を言っている。それは無人艦用だぞ」


「だからです」


技術員は端末から目を離さない。


「無人艦の生成履歴を基礎に、艦体構造を大型化する。素材境界を広げれば、施設構造材、未完成の無人艦素体、防衛装置、外部デブリまで材料として認識させられる」


「施設ごと巻き込む気か!」


「巻き込まなければ、巨大艦級の材料が足りません」


黒外套の男が低く笑った。


「我々の脱出の煙幕として使えるか」


技術員は端末を操作しながら、口元を歪めた。


「煙幕どころでは済まないでしょうね」


「それでいい」


「制御はできませんよ」


「制御する必要はない。追っ手がこちらを見失えば十分だ」


技術員は喉の奥で笑った。


「なら、このまま使えます。多分暴れますが」


黒外套の男は、白い通路の奥で響く執行部隊の足音を聞きながら言った。


「せっかくなら、実験といこうか」


技術員の目が変わった。

切り捨てられた者の目ではない。

自分の研究が、最後の最後で本物の遺構を動かす瞬間を見てしまった者の目だった。


「観測ログは取ります」


「好きにしろ」


「変換初期反応、素材境界の拡張速度、艦体構造への収束率、外部デブリの取り込み条件。全部です」


「遠慮はいらん」


技術員は端末に新しい定義を流し込む。


《予備制御キー:無人艦生成系》


《生成定義:未設定》


《参照履歴:無人艦生成群》


《定義入力:大型艦体構造》


《素材境界:施設構造材/無人艦素体/防衛設備/外部デブリ》


《安全制限:未設定》


《中枢同期:強制》


《観測ログ:外部媒体へ複製》


《実行非推奨》


《実行非推奨》


《実行非推奨》


隣の施設員が震えながら叫んだ。


「やめろ! そんな定義を入れたら、何を材料にするか分からなくなるぞ!」


「分かる必要がありますか?」


技術員は振り返らずに言った。


「この施設はもう終わりです。なら、終わる前に……」


「お前……!」


「黙って見ていろ」


黒外套の男が短く制した。

技術員の指が承認キーの上で止まる。


「実行非推奨、か」


彼は小さく息を吐いた。そして、承認を押した。


通路の反対側に、顔を隠した傭兵風の男が現れた。左腰に刀。右腰に切り詰めたショットガン。

その後ろには、同じく顔を隠した女性傭兵と、自由港の潜入要員。


カインだった。

彼は一瞬で状況を見た。

倒れた執行兵器。

拾われていく施設員。

黒外套の一派。

無人艦生成用の予備制御キー。

端末に走る警告文。


アドミラルの声が通信に割り込む。


『艦長』


「見えてる」


『詳細は不明だが、あの部材が異常信号の中心だ』


「止める」


カインは床を蹴った。


黒外套の男まで、距離は十数メートル。

間にいる護衛は二人。

撃たれるより早く詰めれば届く。


だが、その瞬間、天井が裂けた。


黒い執行ドローンが三機、落ちてくる。

さらに壁面の格納口が開き、人型の執行兵器が一体、白い通路へ踏み出した。


赤い単眼が、カイン達と黒外套の一派を同時に捉える。


【非指定人員、処理】


【侵入者、処理】


【未承認搬出対象、処理】


「邪魔だ」


黒外套の男が低く吐き捨てた。

次の瞬間、通路は銃火に包まれた。

黒外套の護衛が執行ドローンを撃つ。

ティルザも同じ機体へ銃口を向ける。

自由港の潜入要員が壁際へ転がり込みながら端末を抱え直す。


カインは崩兼元を振るい、目の前へ飛び込んできたドローンの切断アームを斬り飛ばした。

同時に、黒外套側の護衛がそのドローンの制御核を撃ち抜く。


一瞬だけ、同じ敵を撃っていた。


味方ではない。

協力でもない。

ただ、生き残るために射線が重なっただけだ。


「来ます!」


ティルザの声。

人型執行兵器の短砲身がカインを追う。

カインは横へ跳び、床を滑るように伏せた。

エーテル弾が通路の壁を抉る。黒い遺構材が火花ではなく、白い光を散らした。


カインは立ち上がりざま、崩兼元を逆手に持ち替え、執行兵器の膝関節へ叩き込む。

刃が装甲の隙間を噛み、火花が散る。


止まらない。


「…硬いな」


カインが低く言う。


その横から、黒外套の護衛が粘着式の小型炸薬を投げつけた。

執行兵器の肩に貼り付き、鈍い爆発。

砲身が逸れる。


「今!」


ティルザが三発撃った。

赤い単眼が砕ける。


カインが懐へ入り、左義手で装甲縁を掴む。

右手の崩兼元が、首元のケーブル束へ突き入る。


斬るのではない。

抉る。

執行兵器が大きく震え、片膝をついた。


その混戦の向こうで、黒外套の男がすでに動いていた。


「撤収」


短い命令。


部下たちが即座に技術者を引きずるように連れていく。予備制御キーの観測ログを抱えた技術員も、白い光を何度も振り返りながら歩き出した。


「待ちなさい!」


ティルザが銃を向ける。

だが、その射線にまた執行ドローンが割り込む。


「くっ……!」


彼女は撃つ。ドローンが弾ける。

その間に、黒外套の一派は搬出路へ滑り込んだ。

カインが追おうとした瞬間、床が波打った。

白い光が通路を走り、黒い遺構材が生き物のように隆起する。

倒れていた執行ドローンが床へ沈み、破壊された搬送フレームがほどけて壁へ吸い込まれていく。

搬出路の入口も、黒い材質に覆われ始めた。

閉じているのではない。

道そのものが、別の形へ変わっていく。


向こう側で、黒外套の男が一度だけ振り返った。

ヘルメット越しに目は見えない。

だが、笑っているように見えた。


「自由港の雇われ傭兵かな」


カインは崩兼元を握り直す。


「ヴォルフ元帥の命令か」


黒外套の男は、少しだけ肩をすくめた。


「いや」


その声には、もう従属の色がなかった。


「もう違う」


ティルザが銃口を向けたまま眉を寄せる。


「どういう意味です?」


「我々も巻き込まれた口だよ」


黒外套の男は、歪み始めた搬出路の奥へ一歩下がった。


「元帥殿は、この施設ごと我々も消すつもりらしい」


「なら、施設員を連れて行く理由は」


カインの声が低くなる。


「火事場泥棒だよ」


男は淡々と答えた。


「人も、データも、部材も、研究成果も。燃える前に運べるなら、全部荷だ」


「輸送業者ってわけか」


「そうだとも」


黒外套の男は、そこで初めてはっきり笑ったように見えた。


「少しばかり鉄火場に強いのが売りでね」


次の瞬間、搬出路が黒い遺構材に覆われていく。

閉じたのではない。

道そのものが、別の形へ変わり始めた。

黒外套の男の姿が、白い光の向こうへ沈む。


「また縁があれば会おう、顔の見えない傭兵」


通路が歪み、視界が遮られた。

追えない。

ティルザが歯を噛む。


「…逃げられましたね」


「今は追わん」


 カインは短く返した。

足元の床に、白い光が血管のように走っている。


『艦長、今すぐ退避しろ』


アドミラルの声が割り込んだ。


『物質変換が制御を逸脱している。周辺構造材、無人艦素体、防衛設備、外部デブリまで素材として認識し始めた』


「原因は」


『制御キーと呼ばれる、先ほどの部材だ』


カインは、歪んだ搬出路を一度だけ睨んだ。


「……面倒な連中を逃がしたな」


「どうします?」


ティルザが問う。


「証拠を持ち帰るのが先だ」


カインは背を向けた。


「それに、今追えば俺達も巣に食われる」


 遠くで、巨大な鼓動のような音が響いた。


アイリスの声が通信に入る。


『カイン……』


「どうした」


彼女の声は震えていた。


『何かが、起きる…』


カインは周囲を見た。

黒い壁。

白い光。

取り込まれていく執行兵器。

形を変える床。

そして、奥で脈打つ巨大な何か。

ネストは壊れているのではない。

壊れながら、何かを作っている。


「行くぞ」


カインは言った。

通路は、来た時とはもう違っていた。

壁が膨らみ、床がうねり、白い光が血管のように走っている。人類製の配管が黒い遺構材に呑み込まれ、搬送レールがほどけ、別の骨格へ変わっていく。カイン達は走った。


「道が変わっています!」


ティルザが叫ぶ。


『構造変化を確認』


アドミラルが答える。


『保守口までの最短経路、再計算』


「急げ」


『急いでいる』


機械知性らしく声は冷静だった。

だが、その冷静さの奥に、わずかな硬さがあった。カインはそれを聞き逃さない。


「アドミラル」


『何だ』


「珍しく焦ってるか」


『否定しない』


ティルザが少しだけ驚いたようにカインを見る。


アドミラルが続ける。


『この施設の変換反応は、私の予測演算より早い』


『巻き込まれれば、生存確率は低いぞ』


「分かっている」


前方の通路を、執行ドローンが塞いでいる。

数は三。その奥に、保守口へ続く細い通路が見えた。


「間を抜けるぞ」


ティルザが頷く。


「合わせます」


カインは走った。


一機目。

膝下を斬る。倒れた機体の上を踏み越える。


二機目。

ティルザが撃つ。センサーが砕ける。

カインが胴体側面の接続部を斬り抜く。


三機目。

撃たれる前に、左義手で銃身を掴む。

熱い。構わない。銃口を逸らし、そのまま刀で首元を割る。火花が散る。通路が開いた。


「先に行け!」


カインが叫ぶ。

潜入要員が抜ける。ティルザが続く。

背後で、通路が潰れるような音を立てた。

振り返る必要はなかった。

さっきまで走っていた床が、黒い光を帯びて沈み、壁と天井が内側へ折れ込んでいく。

搬送レールがほどけ、配管が裂け、白い光の筋がそれらを縫い合わせるように走った。

壊れているのではない。組み替わっている。

カインは速度を落とさない。

前方の壁にも黒い筋が走り始めていた。

保守口へ続く通路そのものが、少しずつ別の形へ変わろうとしている。


「急げよ!」


「言われなくても!」


ティルザが珍しく声を荒げた。

その瞬間、ブラッドハウンドにカラスのログが飛び込んだ。


[Karasu_AI] カイン、機体が飲み込まれそうです。


言葉は淡々としていた。

だが、わずかに速い。


[Karasu_AI] 周辺残骸の吸引が増加。


[Karasu_AI] 固定位置を維持できません。


[Karasu_AI] 自律機動へ移行します。


「カラス!」


カインは走りながら歯を食いしばる。

外部映像がブラッドハウンドに割り込む。

カラスは保守口近くの残骸陰に固定されていた。

だが、ネスト外殻が周囲の残骸を吸い寄せ始め、カラスの周囲にも黒い変換光が走っていた。

機体表面に、異物のような黒い糸が伸びている。


[Karasu_AI] 機体外装、接触されました。


[Karasu_AI] 分解ではありません。同化を試行されています。


[Karasu_AI] 拒否します。


カラスのスラスターが低く噴いた。

機体が横へ滑る。

次の瞬間、さっきまでいた場所に、巨大な外装片が吸い込まれ、黒い壁へ貼り付いた。


[Karasu_AI] 回避成功。


[Karasu_AI] ただし、吸引域が拡大中。


[Karasu_AI] 早めの搭乗を推奨します。


「今行く!」


カインは崩れかける通路を駆け抜けた。

背後では、壁と床が噛み合うように閉じていく。

前方では、保守口の輪郭が歪み始めている。

逃げ道が、逃げ道でなくなる前に抜けるしかない。


「先輩、こちらです!」


ティルザが保守口の脇で腕を振る。

カインは最後の数メートルを一気に詰めた。

足元のレールが白く光り、形を失い始める。

だが、沈むより早く踏み越える。

次の瞬間、彼は保守口の外へ飛び出した。

外の光。いや、光ではない。

戦闘の閃光と、施設が歪みながら放つ不気味な白い輝きだった。


カインが外へ出ると、視界が一気に開けた。

ネストは、もう施設ではなくなりつつあった。

エーテリアン遺構の外殻が膨らんでいる。

人類製のドックフレームが引き裂かれ、無人艦の残骸が吸い寄せられ、破壊された防衛砲台が黒い外殻へ沈んでいく。外部アームがねじ曲がり、まるで肋骨のように広がる。

搬出ベイのレールは、巨大な背骨めいた構造へ変わり始めていた。

それは、何かを作っている。

いや、何かになろうとしている。


『施設中枢部、臨界反応確認』


アドミラルの声が響く。


『ネストから離れろ』


《リレイ》の軍人も同時に叫ぶ。


『全艦、施設周辺から退避!』


『繰り返す、全艦退避!』


だが、ネストは待たなかった。

内部から光が溢れた。


爆発。


ただの爆炎ではない。

白い光と黒い破片が同時に広がり、施設外殻を押し広げる。周囲のデブリが吹き飛ばされ、同時に一部は逆に中心へ吸い込まれていく。

ネストは砕けながら、組み上がっていた。

カインはカラスへ飛び込むように乗り込んだ。


[Karasu_AI] 搭乗確認。


[Karasu_AI] 自律離脱継続。


「操縦を渡せ」


[Karasu_AI] 拒否します。


「おい」


[Karasu_AI] 現在、手動操縦より自律回避の方が生存率が高いです。


[Karasu_AI] あなたは固定具を締めてください。


淡々としている。

だが、間違いなく急いでいた。

カラスは自律機動で、吸い込まれる残骸の間を抜けた。右へ滑る。下へ落ちる。

機体を半回転させ、飛んできた無人艇の残骸を避ける。黒い変換光が追ってくる。触れれば、機体ごと取り込まれる。


カインは固定具を締めながら、外を見た。

爆発の中心から、巨大な影が姿を現していた。


艦。


そう呼ぶしかなかった。


だが人類の艦ではない。

戦艦でも、輸送艦でも、無人艦でもない。


エーテリアン遺構の曲線。

人類製のドック材。

無人艦の外装。

砕けた防衛砲台。

搬出レール。

混成炉の残光。


それら全部を無理やり食い合わせた、巨大艦めいた何か。

艦首に見える部分は、まだ形成途中だった。

船体中央は脈打ち、外装は不完全に開閉し、砲門のような穴がいくつも勝手に生まれては塞がっていく。生き物ではない。だが、ただの機械でもない。


アイリスの声が、震えながら通信に入った。


『……起きた』


誰もすぐには返せなかった。

ノクスの中で、アイリスは顔を青ざめさせていた。胸元に置いた手が震えている。


『あれは……目覚めた…』


ミラがすぐに操艦を切り替える。


「ノクス、後退します」


『距離を取れ』


アドミラルが告げる。


『対象は、識別不明な大型構造体へ変質』


『無人艦でも、建造施設でもない』


自由港の船団が散り始める。


『何だよ、あれ!』


『聞いてねえぞ、船になったぞ!』


『ギアハンド隊、下がれ下がれ! 拾うもんじゃねえ!』


『ブラックバナー、前に出すぎるな! あれは普通じゃない!』


ハティのスパロー隊も距離を取る。


だが、巨大艦めいた構造体の表面から、未完成の砲口のようなものが開いた。

光が集まる。


『回避!』


《リレイ》の声。


次の瞬間、歪んだエーテル光が放たれた。


 一直線ではない。

ねじれながら空間を舐めるような、制御を欠いた光。それが近くのデブリ群を薙ぎ払い、傭兵船の一隻の外装を掠めた。


『うおおおっ!?』


『外装持ってかれた! まだ飛べる!』


『あれに当たるな! 装甲じゃなくて形ごと削られる!』


 カインはカラスを立て直しながら、巨大な影を睨んだ。


「……最悪だな……」


『同意する』


アドミラルの声が静かに返る。


『ネスト破壊作戦は、対象変質により新段階へ移行』


「つまり?」


『あれを止める必要がある』


カインは短く笑った。

笑うしかなかった。


「巣を焼くつもりが」


巨大艦めいた何かが、未完成の船体を軋ませながら動き始める。


「化け物を起こしたか」


ノクターン・デブリ帯の闇の中で、崩れた巣は艦の形を取り始めていた。

そしてその艦は、まだ自分が何であるかも分からないまま、周囲のものすべてを敵として見ていた。

作者のモチベになりますので、

★評価よろしくお願いします。

_| ̄|○何卒。

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