第55話:ネスト攻略②
カラスは、ネスト外殻に貼り付いた大型残骸の陰へ滑り込んだ。
火器管制はまだ眠らせている。
エーテルキャノンも、エーテル機銃も、レイヴンハングも起こしていない。今のカラスは戦闘翼機ではなく、闇の中を這う黒い影だった。
[Karasu_AI] 外縁保守口、前方二十七メートル。
[Karasu_AI] 周辺監視ドローン、現在通過中。
[Karasu_AI] 降機可能時間、推定四十秒。
「十分だ」
カインは固定具を外した。
コックピット側面の内装が、左側だけ静かに開く。シート横。左手で自然に届く位置。そこには、黒い鞘に収められた崩兼元が固定されていた。アトラス隊時代に、カインが最初に改造を指定した収納位置だった。
右手で操縦桿を握ったままでも、左義手で取り出せる。降機時、即座に帯刀できる。
ただの収納ではない。カインがカインとして降りるための場所だ。左義手が柄を掴む。
固定具が外れ、崩兼元が軽く手に収まった。
[Karasu_AI] 崩兼元、取り出し確認。
[Karasu_AI] 帰還まで保持を推奨。
「置いていく気はない」
カインは刀を左腰へ固定し、ヘルメットのシールドを下ろした。外から顔は見えない。
自由港で雇われた傭兵。そういう顔で通す。
『艦長、ティルザ班が別経路より接近中』
アドミラルの声が入る。
『合流地点まで三十秒』
「了解」
カインはコックピットを開けた。
外は真空に近い薄い空間。ネスト外殻の黒い遺構材と、人類製の補修足場が混ざった異様な景色が広がっている。カインはカラスの機体表面を蹴るように離れ、低出力の姿勢制御で保守口へ向かった。保守口の前には、すでにティルザがいた。
黒い宇宙服。顔を隠すヘルメット。
腰には短銃と小型ブレード。
その後ろに、自由港で雇われた潜入要員が二人。どちらもペイルワイヤ経由で手配された者で、口数は少ない。
「遅いですよ、先輩」
「お前が早すぎるんだ」
カインはそう返し、保守口の端末へ手を伸ばした。
「中の状況は」
「外部戦闘に合わせて、警備の一部が外へ振られています」
ティルザが答える。
「ただ、妙です」
「何が」
「内部通信が荒れてます。命令系統が二重になっているようで」
カインの右目にブラッドハウンドの表示が走る。
《ロック:旧軍規格改造》
《開錠補助:五秒》
《内部通信ノイズ増加》
五秒後、保守口が開いた。
カイン達入口内部に入りエアロックを作動した。
ネスト内部の空気が、薄くこちらに漂う。
焦げた金属、冷却液、古い遺構材の乾いた匂い。そこへ、かすかに血の匂いのようなものが混ざっていた。カインは眉を動かした。
「……急ぐぞ」
四人は中へ入った。
外縁整備通路は暗い。
壁面の半分は人類製の配管とケーブル。もう半分は、どこまでが壁でどこからが機械なのか分からない黒い遺構材。床には移動用レールが走り、ところどころに無人艦用の搬送タグが落ちている。
カインは崩兼元の柄に手を置いたまま進む。
奥から振動が伝わってきた。
外の戦闘音ではない。
施設そのものが、何かを起こしている音だった。
『こちら宇宙艦隊総軍特務戦艦』
ノクターン・デブリ帯外縁の戦場に、新しい声が入った。
『中央本部発令の危険要因排除任務に基づき、現地協力に入る』
自由港の船団の一部が、露骨に反応した。
『おいおい、軍艦が増えたぞ』
『あれ、宇宙艦隊のだぜ』
『味方ってことでいいんだよな?』
臨時作戦管制艦の管制官が即座に返す。
『全委託戦力へ通達。《ハティ》は本作戦における協力艦として登録済み。誤射を避けよ』
暗いデブリ帯の端に、細長い影が現れた。
特務戦艦ハティ。
スコルの姉妹艦。
通常戦艦よりも細く、速く、そしてどこか獣のように低い艦影を持つ艦だった。外装は黒灰色。艦首は鋭く、側面には格納式の兵装ポートが並んでいる。その腹から、数機の戦闘翼機が射出された。スパロー。
現行連合軍規格の高機動戦闘翼機。
カラスより新しい。量産性と操縦補助に優れた、宇宙艦隊総軍も運用する主力翼機の一つだ。
スパロー編隊は滑るように前へ出ると、自由港の傭兵船と無人艇の間へ割り込んだ。
機銃光が走り、無人艇一隻の推進部が吹き飛ぶ。
別のスパローがミサイルを撃ち、デブリの影に隠れていた小型艇を引きずり出した。
『ハティ所属スパロー隊、交戦開始』
『友軍射線に注意』
《リレイ》の管制官が硬い声で言う。
だが、カインの耳には別の音が届いていた。
アドミラルからの細い通信。
『艦長』
「聞こえる」
『ハティが到着した』
「そうか」
『表向きは協力戦力だ』
「裏は?」
『施設側へ秘匿通信を発しているようだ』
カインの足が止まった。
ティルザも同時に反応する。
「何ですって?」
『ハティからネスト内部へ、暗号通信』
アドミラルの声は淡々としている。
『内容の完全解読は不能。ただし、命令語の一部を拾った』
「読めた分だけだせ」
『選別退避』
『処理部隊起動』
『執行』
カインの表情が、ヘルメットの奥で冷えた。
「……やっぱり来たか」
ネスト内部の通路に、突然警告灯が灯った。
赤ではない。白い光だった。
病院や研究施設で使われるような清潔な白。
だが、その光が点いた瞬間、施設内の空気は最悪の方向へ変わった。
【内部命令系統更新】
【選別退避フェーズ開始】
【指定人員、第二搬出路へ移動】
【非指定人員、待機】
ティルザが声量を落とし言う。
「選別……?」
奥から足音が聞こえた。
研究員らしき男女が数人、慌てて走ってくる。
その背後から、施設職員の怒鳴り声。
「なぜ俺たちは対象外なんだ!」
「待て、まだログが――」
「上位認証が通らないぞ!扉が開かない!」
その直後。
天井パネルが開いた。
最初に落ちてきたのは、黒い小型ドローンだった。球形ではない。鋭角的で、腕部の代わりに短い銃口と切断アームを持つ。
続いて、壁面の格納ボックスから人型に近い無人兵器が起き上がる。細い脚。低い頭部。腕部に内蔵された刃と短銃身。
研究員の一人が叫んだ。
「待て!我々は――」
言葉は最後まで続かなかった。
ドローンの銃口が光った。
白い通路に赤が散る。
アイリスがいれば、きっと息を呑んだだろう。
カインは見た。ティルザも見た。
自由港の潜入要員二人は、声を殺して身を低くした。内部のドローンと無人兵器が、施設人員を殺し始めた。敵を殺しているのではない。
侵入者を排除しているのでもない。
証拠になる人間を、順番に処理している。
『執行部隊だ』
アドミラルの声。
『施設放棄、または証拠隠滅用の内部処理戦力と推定』
「俺の時と同じか」
『傾向は近い』
カインは一歩前へ出た。
ティルザが即座に腕を掴む。
「先輩」
「全員は助けられません」
「分かってる」
声は低かった。
廊下の向こうで、まだ生きている職員が一人、こちらへ逃げようとしていた。背後から無人兵器が追ってくる。カインはショットガンを抜きかけ、すぐに止めた。音が大きすぎる。代わりに崩兼元を抜いた。警報と銃声の中で、抜刀音だけが静かに通る。カインは通路を滑るように走った。
無人兵器がこちらを向く前に、胴ではなく膝関節を斬る。機体が崩れた。
その首元へ、左義手で叩き込むように柄頭を入れる。火花。制御系が沈黙。
職員が震えながらカインを見た。
「た、助け――」
「黙ってそこの影へ入れ」
カインは低く言った。
「生きたいなら、俺達の後ろへ来るな。横にも来るな。這ってでも下がれ」
職員は何度も頷き、壁際へ転がるように逃げた。
ティルザが銃を抜き、別の小型ドローンを二発で落とす。
「これで位置が割れます」
「もう割れてる」
カインは崩兼元を構え直す。
通路の奥で、さらに三機の無人兵器が起動していた。外でも、状況が変わっていた。
『ネスト外部ドック、複数開放』
『追加無人艦、出ます!』
《リレイ》の管制官が声を上げる。
デブリの奥にある黒い施設から、無人艦が飛び出してきた。一隻、二隻。さらに後ろから小型艇群。完成直後のような不安定な機体も混じっている。だが、数が多い。ネストは隠れることをやめた。外部迎撃モードへ移行したのだ。
『敵小型艦、追加三!』
『小型艇、さらに六!』
『中型反応、一つ上がってきます!』
ブラックバナーの傭兵船が怒鳴る。
『おい、聞いてねえぞ! まだ増えるのかよ!』
『増える前に潰せって仕事だろうが!』
アンブラが射線を変える。
重いエーテル砲が、飛び出してきた小型艦の側面を撃ち抜く。だが別の無人艇が、自由港の回収船団へ向かって突っ込んだ。
『ギアハンド回収隊、下がれ!』
『下がってる! こっち来んな、鉄屑!』
ノクスが間に滑り込む。
アイリスが息を詰めた。
「ミラ!」
「迎撃します」
ノクスの強化されたエーテル機銃が火を噴いた。
以前よりも太く、鋭い光弾が無人艇の外装を削る。抜けない。だが、押し返す。
続いてピルムミサイルが一発、旋回式発射装置から放たれた。短い軌道修正。着弾。
無人艇の胴が裂け、進路を失ってデブリへ突っ込んだ。
「当たった……!」
「次が来ます」
ミラはすぐにノクスを傾ける。
アイリスは前方表示を見た。
無人艦の赤い反応が、どんどん増えている。
「カイン、まだ中にいるのに……」
『こちらアドミラル』
通信が入る。
『外部戦闘は拡大中。だが、まだ撤退指示は出さない』
「……うん」
『艦長は内部にいる』
アドミラルの声は静かだった。
『外を持たせろ』
アイリスは唇を結んだ。
「ノクス、持たせます」
ネスト内部
カインとティルザは、処刑場へ変わった通路を抜けていた。自由港の潜入要員二人は後方で端末を漁り、ペイルワイヤへ短いデータを送っている。
カインとティルザは、その前を切り開く役だった。内部ドローンが来る。
カインが斬る。ティルザが撃つ。
潜入要員がドアを開ける。
また別の通路で、施設職員が倒れている。
助けられる者もいる。だが多くは、すでに処理されていた。ティルザの声が硬くなる。
「味方も殺すんですね」
「証拠になるならな」
カインは言った。
「クレイドルでも同じだった」
短い言葉だった。
だが、その重さだけで十分だった。
突き当たりの扉に、上位認証がかかっていた。
ブラッドハウンドが端末を読む。
《内部搬出管理区画》
《権限更新済》
《外部艦認証》
カインの目が細くなる。
「ハティから直接か」
ティルザが息を呑む。
「外の協力艦が、施設に命令を入れている……」
「記録しろ」
カインが言う。
「はい」
潜入要員の一人が即座にデータを抜き始める。
《記録取得中》
《外部艦認証痕:断片保存》
《執行命令ログ:断片保存》
その時、扉の向こうから重い駆動音がした。
普通のドローンではない。ティルザが銃を構える。
「来ます」
扉が内側から叩き破られた。
現れたのは、人型に近い重装無人兵器だった。
肩幅が広く、胸部装甲が厚い。腕部には短砲身のエーテル砲。反対側には高熱ブレード。頭部には赤い単眼センサー。執行部隊の中核機。
カインは崩兼元を構える。
「硬そうだな」
「先輩、正面は危険です」
「分かってる」
重装無人兵器が砲を向ける。
カインは横へ跳んだ。
エーテル弾が通路の壁を抉る。
ティルザが二発撃つ。センサー横に当たるが、装甲に弾かれる。カインは床を蹴り、低く潜り込む。狙うのは胴ではない。
膝。足首。装甲の隙間。動くために、どうしても開いている場所。崩兼元が一閃する。
高熱ブレードを持つ右腕の肘関節が裂けた。
火花。だが機体は止まらない。左腕の砲がカインを追う。
ティルザが叫ぶ。
「伏せて!」
彼女の投げた小型閃光弾が、無人兵器の顔面近くで弾けた。センサーが一瞬だけ白く潰れる。
その一瞬で、カインは懐に入った。
左義手で装甲縁を掴む。
右手で崩兼元を逆手に持ち替え、首元のケーブル束へ突き込む。
斬るのではない。抉る。
機体が震えた。
ティルザが残ったセンサーへ三発撃ち込む。
赤い光が砕ける。
重装無人兵器は、数歩だけ進んでから膝をつき、沈黙した。カインは刀を引き抜き、短く息を吐く。
「進むぞ」
「はい」
その奥に、搬出管理端末があった。
焼却処理は進んでいる。
だが完全には終わっていない。
カインは端末へ手を伸ばす。
「ブラッドハウンド」
ピピッ。
《接続開始》
《ネスト搬出ログ》
《外部艦認証痕》
《執行命令断片》
《無人艦生産記録》
《搬出先:一部破損》
データが右目の奥へ流れ込む。
そして、その中に一つだけ、はっきりした文字列が残っていた。
《外部命令元:ハティ》
《処理分類:執行》
《非指定人員:処分》
カインの声が低く落ちた。
「取ったぞ」
ティルザが、息を呑む。
「これなら……」
「どうかな」
カインは言った。
「だが、繋がった」
その瞬間、施設全体が大きく揺れた。
外からではない。
内側の奥で、何かが起動した揺れだった。
『艦長』
アドミラルの声が入る。
『ネスト外部迎撃形態、第二段階へ移行』
「何が出る」
『中型無人艦反応、二』
『小型群、追加』
『施設中枢部、大型反応増幅』
カインは端末から手を離した。
「撤退路は」
『外縁保守口、まだ使用可能』
ティルザが言う。
「潜入班、データ取得完了。戻れます」
カインは奥の暗い通路を一度見た。
まだ何かがある。大型反応。
アイリスが嫌な感じだと言ったもの。
その正体はまだ見えていない。
だが、今は違う。
「戻るぞ」
カインはそう言った。
「今は証拠を持ち帰る」
ティルザが頷いた。
「了解」
背後で、また執行ドローンの起動音がした。
施設はまだ、人を殺し、証拠を焼き、無人艦を吐き出している。外では自由港と軍がそれを受け止めている。カインは崩兼元を構え直した。




