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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第51話:オールベッド

翌朝。エーテルガイストの食堂区画には、いつもより少しだけ静かな朝の光が落ちていた。

外では自由港がすでに動いている。ドライドック六番の外側では搬送浮遊車両が行き交い、工房街からは金属音が微かに響いてくる。けれど艦内の朝は、外の喧騒とは別のリズムで始まっていた。

卓の上には朝食が並んでいる。焼き目のついたパン。薄切り肉と卵。温かいスープ。保存野菜。カインはその中で、まずコーヒーを取った。

湯気の立つ黒い液体を一口飲む。


「……で、進みは」


問いは短い。

だが、アドミラルは待っていたように答えた。


『報告する』


壁面モニターに、艦内工廠区画とドライドック六番の簡易進行図が立ち上がる。


『ノクス。損傷部の修理、推進系再調整、アンカーランチャー左右二基の再固定準備中。今回の戦闘記録を反映し、強行偵察および作業支援船としての改修中』


『重武装砲船アンブラ。軽武装運搬船ヴェスパー』


『部材が揃い次第建造開始』


『カラス。専用格納庫およびカタパルトを設計中。及び近代化改修中』


『コガラス。小型無人戦闘翼機。初期配備予定数二機。製造待機。うち一機はヴェスパー搭載を想定』


淡々とした報告だった。


だが、内容は朝食のついでに聞くにはかなり物騒だった。


 アイリスがパンを持ったまま、少しだけ目を丸くする。


「……朝から、すごい話してるね」


「昨日の続きだ」


カインはコーヒーを飲みながら答えた。


「大きい部材はどうする」


『必要大型部材はこちら側で手配する』


アドミラルは即答した。


『クロンワークス、ギアハンド、オークション経由で手配可能な範囲を抽出済みだ。艦長が動く必要はない』


「細かい物は?」


『今日の外出で調達できる』


ミラがそこで、食後の茶を置きながら言った。


「日用品、細かな消耗品、補助部材、建造用部品などです。大型部材の流れとは別に、現地で見た方が早い物があります」


カインは短く頷いた。


「なら、今日は買い物だな」


アイリスが少し顔を上げる。


「ランタンで?」


「ああ」


昨日落札したホバーバイク。

アイリスが名付けた、ランタン。


その名前を聞いて、アイリスの顔が少しだけ明るくなった。


「……うん」


『クロンワークスにて整備完了報告を受領している』


アドミラルが続けた。


『サイドカーも装着済み。すぐ出せる状態だ』


カインはコーヒーを飲み干し、椅子を引いた。


「行くか」


その一言で、朝の行動は決まった。


クロンワークスに着いた時、ランタンはすでに工房の前に出されていた。

低重心のホバーバイク。派手さはない。だが、昨日見た時よりも外装が締まって見える。擦れや小さな傷は消え、推進器周りの音も安定していた。

そして車体右側には、脱着式のサイドカーが接続されている。小型だが、しっかりした作りだった。人一人が座れる座席と、背後に小さな積載スペース。外装はランタン本体と同じく地味で、自由港の中に置いても浮かない。


クロンは車体の横で工具義肢を鳴らした。


「ほらよ」


カインが言う。


「さすがだな」


「擦り傷も補修したぞ」


クロンは鼻を鳴らした。


「外装を磨きすぎると逆に浮くから、使い込まれた感じは残してある」


「ちょうどいい」


 アイリスはサイドカーを覗き込み、少しだけ楽しそうに目を輝かせた。


「……私、ここ?」


「そこだ」


カインが答える。


アイリスはサイドカーへ乗り込む。座席の収まりを確かめ、足元を見て、小さく笑った。


「……なんか、いいね」


「遊具じゃねえぞ」


クロンが言う。


「分かってるけど、ちょっと楽しい」


「ならいい」


ミラはランタン本体の後部座席へ移動した。

カインが前に跨がる。ミラはその後ろへ、いつもの落ち着いた動きで乗った。


 そして、ほとんど迷いなくカインの背に身体を寄せた。柔らかい感触が、背中に当たる。

カインの動きがほんの一瞬止まった。


「……ミラ」


「はい」


「近い」


「後部座席の安定保持として妥当です」


「そうか」


「はい」


 ミラはまったく気にしていない。むしろ、カインの反応を確認するように、ごく自然に続けた。


「英雄色を好む、と言いますし」


「お好きですか?」


工房の空気が一拍だけ止まった。

次の瞬間、クロンが腹を抱えるように笑った。


「はっはっは!」


「朝っぱらからやるじゃねえか、ミラ!」


「違う」


カインは低く言う。


「何が違うんだよ」


 クロンが悪乗りする。


「男なら好きだろ?」


「黙れ」


「いい店知ってるぞ。連れて行ってやろうか?」


「まだ朝だぞ」


カインが即答した。

 しかし、その会話を聞いていたクロンワークスの若い従業員たちが、一斉に顔を上げた。


「お願いします!」


「社会勉強の一環です!」


「親方、俺たちもまだ若いんで!」


カインは額に手を当てた。


「お前らな……」


 クロンがさらに笑う。


「ほら、英雄様。後進の育成だぞ」


「育成の方向を間違えてるぞ」


カインは深く息を吐いた。


 それから、懐から小さな支払いチップを取り出し、クロンの方に放った。


「世話になってるしな」


「女遊びの金くらい出してやる」


若い従業員たちの顔が輝いた。


「ありがとうございます!」


「さすがカインの兄貴!」


「兄貴はやめろ」


カインが低く言う。

クロンはまだ笑っていた。


「気前いいじゃねえか、兄貴」


「お前もやめろ」


 アイリスはサイドカーの中で、知ってか知らずか肩を震わせながら笑っていた。ミラは相変わらずカインの後ろに密着したまま、平然としている。


「発進してよろしいですよ」


「お前が言うのか」


「はい」


カインは諦めたようにランタンの制御を起こした。低い浮上音。

ランタンは床から数センチ浮き、サイドカーも綺麗に追従した。


「行くぞ」


「うん」


「了解しました」


 ランタンはクロンワークスを離れ、自由港の通りへ滑り出した。


午前の自由港は、すでに騒がしかった。

クロンワークス、ギアハンド、オークション経由で大型部材はある程度流れができている。エーテルガイストの改修に必要な大物は、アドミラルとミラが管理する帳簿の上で着実に押さえられている。今日探すのは、もっと細かい物だった。

日用品。工具の消耗品。ドローンの交換部材。小型センサー。小物の導管。整備用の手持ち機材。ついでに艦内で使う食器や布類まで。

自由港では、そういう物ほど歩いて見た方が早い。ジャンクバザールに入ると、空気が一気に濃くなった。油。焼けた樹脂。古い配線。金属粉。市場の匂い。ランタンを停泊帯へ入れ、三人はまずスクラップフィストへ寄った。

ヴェラはカウンターの向こうで、相変わらず倉庫の主のような顔をしていた。


「今日は三人かい」


「細かい物を買いに来た」


カインが言う。


「だろうね」


ヴェラはちらりとランタンの方を見る。


「いい足を拾ったじゃないか」


「落とした」


「同じようなもんさ」


ミラは端末を開き、必要部材を淡々と並べる。ヴェラはそれを見ながら、棚の奥へいくつか指示を飛ばした。細導管。焼けにくい導体。小型センサー。補助アーム部品。ドローン用の関節軸。

そこから、三人はトイ・ボックスへ向かった。


 店は相変わらず整っていた。ジャンクバザールの中にあるとは思えないほど、棚も床もきれいに保たれている。


店主のコフレが一礼した。


「いらっしゃいませ」


「また来ました」


 ミラが言う。


「本日はドローン用の交換パーツと、小型機材を見に来ました」


「承知しました」


ラッチが、ぴこと鳴いた。

ヒンジが、きゅいと続く。


 二機は棚の間を滑るように動き、必要そうな小型パーツを次々と運び出してくる。


 アイリスはそれを見て、少し嬉しそうに笑った。


「……可愛い……」


「実務機としても優秀です」


ミラが真面目に言う。


「うん。そこも含めて可愛い」


コフレは穏やかに言った。


「ありがとうございます。ラッチ、ヒンジも喜んでいると思います」


 ぴこ。きゅい。


そんな買い回りの途中だった。

トイ・ボックスを出て、別の細工部品屋へ向かう通りで、カインの耳に通行人の会話が引っかかった。


「――あそこ、また妙な部材を景品に出してるらしいぞ」


「どこだよ」


「オールベッドだよ。賭博場の」


「ああ、あそこか。前も高出力収束器の基部だか冷却整流器だか出してただろ」


「使う奴いんのか、あんなもん」


「いるところにはいるんだろ。工房連中が時々持ってくって話だ」


カインの足が止まる。


アイリスが顔を上げた。


「……今の」


「聞いたか」


カインは短く答えた。

ミラの端末にも、アドミラルから短い通信が入る。


『高出力収束器基部、冷却整流器、旧式大型電力制御部材』


『トライデント全門復旧に転用可能な候補だ』


アイリスが小声で言う。


「トライデントに使えるの?」


「可能性はある」


カインは通りの先を見た。


「オールベッド、か」


ミラが検索するように端末を操作した。


「自由港内の総合賭博施設です」


「ドローンレース、確率球、回転盤、カード、スロット、闘技場、技能競技場を併設」


「景品交換制度あり」


「……賭博場」


アイリスが少しだけ目を瞬かせた。

カインは短く言った。


「行くか」


「いいの?」


「部材を見に行くだけだ」


『賭けるのも兵站の一部と判断する』


アドミラルが通信越しに言った。


「それは違うだろ」


『資金増加の可能性がある』


「負ける可能性もあるが」


『計算する』


カインは小さく鼻を鳴らした。


「なら、見るだけでは終わらなそうだな」


オールベッドは、自由港らしい場所だった。

 派手な看板はない。だが、近づくほどに人と機械の流れが濃くなる。入口には人間の客だけでなく、アンドロイド、作業ドローン、半自律の機械知性端末までいた。中へ入ると、音が押し寄せてきた。回転盤の乾いた音。スロットの電子音。カード卓の低いざわめき。ドローンレース場から響く歓声。空中に浮かぶオッズ表示。景品掲示板。交換端末。アイリスは思わず周囲を見回した。


「……機械も賭けてる」


 すぐ近くで、四脚作業ドローンが自分の小型端末を器用に操作していた。隣では接客用アンドロイドが淡々とカードを切っている。さらに奥では、主人の手から端末型機械知性が、無人ドローンレースに小口で賭けていた。


「……まさに自由港だな」


カインが言う。

最初にやったのは、ドローンレースだった。

透明な管路の中を、手のひらほどの小型ドローンが高速で飛ぶ。曲がり角、分岐、障害物、重力反転区画。客は勝ち機体だけでなく、途中順位、衝突回数、通過タイムにも賭ける。


アイリスは迷って、見た目の丸い機体に賭けた。


「この子、可愛いから」


「理由が弱いな」


カインが言う。

だが、その丸い機体は最終コーナーで他の機体が接触する中、ひょいと下を潜って一位になった。


アイリスが目を丸くする。


「勝った……」


『ビギナーズラックと推定』


アドミラルが言う。


「提督も賭けたの?」


『賭けた』


「何に?」


『二番人気の機体だ』


「勝った?」


『勝った』


ミラも端末を見ながら静かに言う。


「私も勝ちました」


「何で?」


「風向きと機体の補正反応を見ました」


カインは無言で自分の払い戻し端末を見た。

勝っていた。


アイリスが少し笑う。


「カインも勝ったんだ」


「少額だがな」


次は回転盤。次はスロット。次はカード。

妙なことに、全員が小さく勝った。大勝ではない。だが負けない。

アドミラルに至っては、オンライン参加で低リスクの賭けだけを拾い、淡々と資金を増やしていた。


『確率上、引き際だ』


「まだ始めたばかりだろ」


『だからこそだ』


 その時、景品掲示板に目的の部材が表示された。


《旧式高出力収束器基部》 《大型冷却整流器》 《高負荷導体リング》 《景品交換可 / 闘技場勝利報酬枠あり》


カインの目が細くなる。


「あれか」


ミラも頷く。


「トライデント系統へ転用できる可能性があります」


「闘技場勝利報酬枠……」


アイリスが読み上げる。


「闘技場もあるの?」


カインは奥へ視線を向けた。

歓声が聞こえた。

低く、荒く、熱のある声。


「あるらしいな」


オールベッドの奥には、賭け闘技場があった。

リングは透明な防護壁で囲まれている。観客席は三層。出場者は全員マスクを付ける。顔は見えない。名前も本名ではない。試合形式は相手次第だった。素手同士なら素手。武器ありなら、貸し出し用の武器。防護服は薄いが、完全ではない。怪我は出る。だが死なせる気はない。自由港らしく、危険と娯楽の間に線が引かれていた。


登録端末の前で、係員が聞く。


「リングネームは」


カインは少しだけ考えた。


「ラーベ」


アイリスが首を傾げる。


「意味は?」


「カラスの意味だったか」


「だったかって……」


『古い地球圏言語において、鴉、烏を意味する』


アドミラルが補足した。


「提督、詳しいね」


『言語データを参照しただけだ』


カインはマスクを受け取り、顔を隠した。


相手もマスクをしている。最初の相手は素手だった。大柄な男。筋肉の塊のような体格で、観客からの人気も高いらしい。


アイリスが端末を見て、小声で言う。


「……これ、カイ…ラーベに賭けた方がいいよね?」


「好きにしろ」


「艦長に賭けます」


ミラは即座に賭けた。


『私も賭ける』


アドミラルもオンラインで賭けた。

試合開始の合図が鳴る。

相手は距離を詰めるのが速かった。

大振りではない。見た目ほど雑ではない。体重を乗せた拳を短く刻み、カインの逃げ道を潰しに来る。だが、カインは半歩しか動かなかった。

肩をずらし、拳を外す。相手の足が入る。

カインの左義手が相手の手首を押さえ、右肘が脇へ入る。次の瞬間、大柄な身体がリング床へ落ちた。歓声が一瞬止まる。カインは追撃しない。

相手が起き上がる。今度は低く構えた。

カインは正面から受けない。横へずれる。膝。肩。首の後ろ。急所ではなく、動きを止める場所だけを打つ。三度目の接触で、相手は片膝をついた。カインはその首元に拳を置いた。


審判が止める。


《勝者:ラーベ》


歓声が爆発した。

アイリスの端末に払い戻しが走る。


「……増えた」


ミラも静かに言う。


「かなり増えました」


『効率が良い』


アドミラルが言う。

二戦目は武器ありだった。

貸し出し用の短棍と模擬刃。

相手は二刀の男だった。速い。観客に見せる戦い方も知っている。派手に回り込み、斜めから入ってくる。カインは貸し出し用の片刃を一本だけ選んだ。リングに入る前、アイリスが聞く。


「刀じゃないんだね」


「借り物で十分だ」


試合開始。

二刀の相手が先に動く。

上から一本。下から一本。片方は誘い、片方が本命。カインは刃を合わせない。鍔で上を流し、足で間合いを潰す。打撃。

相手の胸部防護板が鈍く鳴る。

相手は下がる。すぐに回り込む。今度は視界の外から狙う。カインは振り向く前に、半歩だけ位置を変えていた。刃が空を切る。カインの模擬刃が、相手の手首を叩く。一本落ちる。

観客席がどよめく。相手は残った一刀で踏み込んだ。速い。悪くない。だが、カインはすでにその癖を見ていた。肩の入り。踏み込みの深さ。次に来る角度。模擬刃が交差する。カインの刃が相手の首元で止まった。


《勝者:ラーベ》


二勝。

その時点で、オッズ表示が急激に変わった。

カインはマスクを外さずに言った。


「ここまでだな」


アイリスが少し残念そうにする。


「もう?」


「次から下がる」


ミラが端末を見る。


「確かに、次戦以降は配当効率が悪化します」


『撤退が合理的だ』


アドミラルも同意した。


景品交換所で、カインは目的の部材を指定した。

旧式高出力収束器基部。

大型冷却整流器。

高負荷導体リング。

どれも大きい。手で持ち帰る物ではなかった。

係員が確認する。


「配送先は」


「アウターリング・ドライドック六番」


カインが答える。


「登録名義は?」


ミラがすぐに偽装名義を提示した。

配送処理が通る。

これで、トライデント全門を起こすための候補部材が一つ増えた。

だが、オールベッドはそれだけでは終わらなかった。帰ろうとしたところで、アイリスが別の区画に目を止めた。


射撃スコア競技。


距離、速さ、命中、誤射なし、標的識別。制限時間内にどれだけ正確に撃てるかを競うものだった。


「……私、やってみたいな」


カインがそちらを見る。


「お前が?」


「うん」


アイリスは少しだけ真剣な顔をしていた。


「訓練したし」


「実戦もね」


カインが言う。


「訓練通りやればいい」


アイリスは頷いた。

貸し出されたのは、低出力の訓練用レーザー拳銃だった。反動は少ない。だが、標的識別が厄介だった。撃っていい標的と、撃ってはいけない標的が混じる。

開始音。

アイリスは最初だけ肩に力が入った。

だがすぐに息を整える。

カインの声が横から飛ぶ。


「急ぐな」


「見てから撃て」


「外さない方が速い」


アイリスは頷かない。


頷く余裕はない。

ただ、視線を動かし、標的を選び、撃つ。


 一発。


 二発。


 三発。


途中で一体、撃ってはいけない標的が前に出た。

アイリスは撃たなかった。

次の標的へ切り替える。

終わった時、表示には高得点が出ていた。


《上位記録》 《景品獲得》


アイリスは一瞬、ぽかんとした。


「……取れた」


「悪くない」


カインが言った。


「かなり良いです」


ミラが言う。


『事実として優秀だ』


アドミラルも言った。

景品は、小型レーザー拳銃だった。

出力調整式。低出力なら作業用レーザートーチとしても使える。護身用としては軽く、整備用としては便利な品だった。アイリスはそれを受け取ると、少し考えてからミラへ差し出した。


「これ、ミラに」


ミラが瞬く。


「私に、ですか」


「うん」


「ノクスの時、護ってくれたから」


「お礼も兼ねて」


ミラは少しだけ黙った。

それから、両手で丁寧に受け取った。


「……ありがとうございます」


「作業にも使えるみたいだから」


「はい」


「大事に使います」


 次は剣撃ドローン競技だった。

高速で動く剣撃ドローンを相手に、一定時間内で有効打を取る競技。相手は人間ではないが、剣筋は意外に鋭い。


「これは俺だな」


カインが言う。

アイリスは苦笑した。


「うん。そうだと思った」


貸し出し用の模擬刀を受け取り、カインはフィールドへ入る。剣撃ドローンは三機。時間差で動く。正面、側面、背後。速度も軌道も変わる。

開始。一機目が低く滑る。カインは斬らない。かわしながら鍔で弾く。二機目が上から来る。

半歩下がって、刃を返す。三機目が背後へ回る。

カインは振り向かず、足を軸にして身体だけを回し、模擬刀の峰で打ち落とした。

その後は、ほとんど一方的だった。

ドローンの軌道を読み、誘導し、衝突寸前でずらす。切るというより、制御する。最後は三機を同一線上へ集め、一閃で全機の有効部位を叩いた。

《完全制圧》

《景品獲得》


景品カウンターで出されたのは、脇差だった。

カインの目が、そこで少しだけ変わる。


係員が言う。


「こちらで鑑定した真贋証明書付きです」


「前の持ち主が賭け金代わりに置いていった物でしてね」


「価値はあります」


「ただ、私個人としては刀や剣は、飾られるより使われた方がいいと思っています」


カインは証明書を見た。

作刀者。マゴ・ロック。

銘。星守兼元(ホシモリカネモト)


「……マゴ・ロックか」


カインが低く呟いた。

アイリスがそっと覗き込む。


「知ってる人?」


「刀匠だ。刀を作った人」


「崩兼元を打ったのも、その系統だな」


カインは脇差を手に取った。

長さは扱いやすい。軽すぎない。重すぎない。刃の線もいい。装飾は控えめだが、芯がある。

彼は少しだけ見て、それをアイリスへ差し出した。


「お前にやる」


アイリスが驚いた。


「えっ、私に?」


「ああ」


「いいものだぞ」


「でも、カインが取ったのに」


「俺には崩兼元(コイツ)がある」


カインは短く言った。


「使い方は教えてやる」


「拵は後で好きに作れ」


「鍔も鞘も、お前の好きな見た目でいい」


アイリスは脇差を両手で受け取った。

少し重そうに、それでも大事そうに。


「……星守兼元」


「側に置いてやれ」


カインが言う。


「刀は、持つ奴を選ぶところがある」


アイリスは小さく頷いた。


「うん」


「大事にする」


 オールベッドを出る頃には、三人は明らかに来た時より荷物と資金を増やしていた。

配送された大型部材はドライドック六番へ。

レーザー拳銃はミラへ。

星守兼元はアイリスへ。

賭けの配当も、想定よりずっと多い。

カインは外へ出て、軽く息を吐いた。


「……もう十分だな」


「かなり十分です」


ミラが答える。

アイリスは脇差の入ったケースを抱えたまま、少し浮ついた顔をしていた。


「……今日は、すごかったね」


「予定外が多い日だった」


カインが言う。

その時だった。

通路の人混みの中から、ひとりの女がこちらへ歩いてきた。

黒髪。

肩より少し長く、邪魔にならないよう後ろで軽くまとめている。服装は自由港の流れ者に合わせているが、立ち方が違う。無駄がない。視線の置き方が軍人に近い。

そして、カインを見る目だけが、少しだけ柔らかかった。


「お久しぶりです」


女は軽く笑った。


「カイン先輩」


カインの目が細くなる。


「……ティルザ」


アイリスが小さく反応する。


「知り合い?」


「元アトラス隊だ」


カインは女を見たまま答えた。


「何でお前がここにいる」


黒髪の女――ティルザは、何食わぬ顔で言った。


「休暇中です」


「自由港までか」


「少し長めの休暇です」


「誰の命令だ」


ティルザの表情から、軽さが少しだけ消えた。


声も低くなる。


「ライナ副官の命令です」


「正確には、閣下から」


カインは黙った。

ティルザは周囲を一度だけ見た。


「ここでは長く話せません」


「ですが、一つだけ先に」


彼女の声が、さらに低くなる。


「今、自由港にヴォルフの手が伸びています」


アイリスの顔がこわばる。

ミラの黄金の瞳が、わずかに明るさを変える。

カインは短く言った。


「場所を変えるぞ」


「はい」


ティルザは頷いた。


「詳しい話は、安全なところで」


自由港の通路では、まだ人と物と金が流れていた。誰かが勝ち、誰かが負け、誰かが何かを拾い、誰かが何かを失う。その流れの中で、カインは新しい荷物を得た。部材。武器。金。

そして、アトリー側から送り込まれた後輩。

 だが同時に、自由港の奥へ伸びる影もまた、少しだけ姿を見せ始めていた。

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