第40話:繋がり
エーテルガイストへ戻ると、外の音が一段遠くなった。
自由港の喧騒は、完全に消えるわけではない。
巨大リング都市の内側で響く荷役アームの駆動音。搬送車両の低い唸り。どこかの工房で叩かれる金属音。遠くから混じる人の声。
それらはドライドック六番の構造材を伝い、艦の外殻へ微かに届いている。
だが、艦内に入ると、それはもう別の世界の音だった。
エーテルガイストの内部では、別の騒音が続いている。
修復ドローンが隔壁裏を走り、搬入された部材が艦内搬送レールへ乗せられ、どこかで仮設フレームが固定される音がする。外では自由港が動いている。内では、この艦が少しずつ形を取り戻している。
カインとアイリスは、ドライドック6番側の連絡通路から艦内へ入った。
『帰投を確認』
アドミラルの声が天井スピーカーから落ちる。
『クロンワークス側でB-17の搬出準備が進行中。ミラは現地で処理を継続している』
「三箱は?」
『優先搬送対象として登録済みだ。ドライドック到着後、隔離解析区画へ移送する』
カインは短く頷いた。
「先に通信線を開く」
アイリスが隣で小さく息を飲む。
「ライナさん?」
「ああ」
カインは上着の内側に手を入れた。
取り出したのは、ブラック・ネビュラ・バーで受け取った金属のタバコケースと、黒い電子ライターだった。
見た目はただの日用品だ。
煙草を入れるためのケースと、火を点けるためのライター。だが、側面にある極小の端子口と、ケース底面に収められていた小さな通信チップが、それだけではないことを示している。
カインは通信区画に近い小部屋へ入った。
アドミラルが照明を少し落とし、壁面端末だけを起こす。
『外部接続を隔離する』
『本艦主要系統との直結は行わない』
「当然だ」
カインはタバコケースを開け、底の薄い仕切りをずらした。
中に収まっていた小さなチップを摘まみ出し、電子ライターの側面端子へ差し込む。
ライターの点火部が一度だけ淡く光った。
火ではない。通信起動の合図だった。
『秘匿通信端末として起動を確認』
『通信経路は細い。音声通信を行う場合、長時間の接続は推奨しない』
「どれくらいだ」
『安全域は三分未満』
「十分だ」
その直後、電子ライター型端末の側面がふっと淡く光った。
『受信を確認』
アドミラルが言う。
『外部からの極小符号。暗号鍵と一致』
壁面端末に、短い文字列が浮かんだ。
> 《鴉線、接続確認》
《亡霊の声を待つ》
アイリスが息を呑む。
「向こうから……」
「ライナ副官だろうな」
カインは答えた。
『音声通信要求が含まれている』
アドミラルの声が続く。
『外部音声線を隔離状態で開くことは可能』
「開け」
『了解』
短いノイズが入った。
砂を噛むような音。
それから、聞き慣れた声が届く。
『……カイン』
ライナ・ヴェルグの声だった。
副官らしく抑えられている。
だが、その一音だけは、明らかに仕事の声ではなかった。
カインは少しだけ間を置いて答えた。
「ライナ副官」
『本当に、あなたなのですね』
「ああ」
「死に損なった」
通信の向こうで、ごく短い沈黙が落ちる。
『冗談を言えるなら、少しは本物らしいですね』
「本人確認には足りんか」
『足ります』
その声は、すぐに副官のものへ戻った。
『連絡員から符号は受け取っています。あなたが自由港にいることも、生存していることも、こちらでは把握しています』
「なら話が早い」
『ええ。ただし、長くは話せません』
「こっちも同じだ」
カインは壁面端末の前に立ったまま、声を低くした。
「クレイドルで、ヴォルフ元帥はあれを“人類の夜明け計画”と言っていた」
通信の向こうが、一瞬だけ静かになる。
「実際にやっていたのは人体実験だ」
「被験体。強化兵。生体部品。適合率」
「人を、人として扱っていなかった」
『……閣下は、何かが行われている可能性を疑っていました』
『だからあなたを向かわせました』
「ああ」
カインは短く答える。
「閣下の疑いは当たっていた」
「だが、まさかあそこまでとは思わなかった」
その言葉は静かだった。
怒りも悔恨も、表面には出していない。
だからこそ重かった。
「俺も、最初は何かの違法研究か、軍事転用か、その程度だと思っていた」
「だが違った」
「クレイドルは、人間を別の何かに作り替える場所だった」
アイリスは部屋の端で、何も言わずに聞いていた。カインはそちらを見ない。
『保護した被験体を連れていますね?』
「いる」
『詳細は』
「今は出せない」
『分かりました。保護対象の情報は伏せたままで』
「助かる」
『あなたが伏せるなら、伏せるだけの理由があるはずです』
カインはわずかに目を伏せた。
「もう一つある」
『何でしょうか』
「人類の夜明け計画について調べてくれ」
「元は、アーデルハイド・ローゼンという人物が関わっていた可能性がある」
『アーデルハイド・ローゼン……』
ライナがその名を繰り返す。
『聞き覚えはあります。古い研究系の記録で見た名前かもしれません。ただ、今の軍内で表に出る人物ではないはず』
「そっちも調べてくれ」
「生きているのか、死亡扱いなのか、消息不明なのか」
「軍と研究機関の記録上、どう扱われているのか」
『了解しました』
「それと、元の計画が何だったのかもだ」
「俺が見たヴォルフ元帥の計画は、救うための技術じゃない」
「だが、最初からそうだったとは限らない」
『ヴォルフ元帥が、途中から計画を歪めた可能性がある、ということですね』
「そう見ている」
『分かりました。ローゼンの関与、初期計画の目的、ヴォルフ元帥がどの段階で関わったのか。優先して洗います』
「頼む」
アドミラルの声が静かに挟まる。
『残り安全通信時間、一分二十秒』
ライナがすぐに言った。
『カイン』
「何だ」
『カラスはどうしました?』
カインの表情が、ほんの少しだけ止まった。
旧式高機動戦闘翼機カラス。
アトリーが手配してくれた機体。
自分が扱い慣れた翼。
クレイドルへ向かう時に乗ってきた、あの機体。
カインは短く息を吐いた。
「……クレイドル崩落に巻き込まれたんだろうな」
『確認はできていないのですね』
「ああ」
声が少しだけ低くなる。
「悪いことをした」
『あなたが悪いわけではありません。』
「それでもだ」
カインは言った。
「あいつは、最後まで俺を待ってたんだろう」
通信の向こうで、ライナは何も言わなかった。
否定も、慰めもない。
その沈黙が、かえってライナらしかった。
「いい機体だった」
「俺の声を、最後まで待っていたはずだ」
『……閣下には、どう伝えますか?』
「カラスは喪失扱いでいい」
カインは答えた。
「俺もそう判断してる」
『分かりました』
ライナの声は静かだった。
『ただし、記録上は慎重に扱います。機体の喪失と、あなたの生存は繋げない』
「任せる」
『ええ』
アドミラルが告げる。
『残り安全通信時間、三十秒』
『アトリー閣下には?』
ライナが問う。
「まだ直接繋ぐな」
カインは即答した。
「今は早い」
『理由は』
「ヴォルフ側が、先に俺を見つける可能性がある」
「俺が生きていると明確に出れば、そちらにも手が伸びる」
『……了解しました』
短い沈黙。
『必要最低限だけ伝えます』
「そうしてくれ」
『カイン』
「何だ」
『線は切らないで下さい』
その言葉は、ブラック・ネビュラ・バーで受け取った言伝と同じだった。
急ぐな。
だが、切るな。
カインは低く答える。
「切らん」
「だが、俺はまだ戻らない」
『ええ』
ライナの声は静かだった。
『あなたなら、そう言うと思っていました』
ノイズが少し強くなる。
『次は文書で。こちらも調査に入ります』
「ああ」
『生きていてよかった』
最後の一言だけ、仕事の声ではなかった。
カインは少しだけ目を伏せる。
「……まだ終わってない」
『ええ。だから、また』
通信が切れた。
部屋に静寂が戻る。
電子ライター型端末の光がゆっくりと落ちていった。アイリスはしばらく黙っていた。
それから、小さく言う。
「……カラスって、カインの船?ノクスみたいな…」
「船じゃない」
カインは短く答えた。
「戦闘機だ」
「俺の昔の翼みたいなもんだ」
「……そっか」
アイリスはそれ以上聞かなかった。
カインも、それ以上は話さない。
クレイドルに残したもの。
戻れなかった場所。
最後まで自分を待っていたかもしれない機体。
その名を口にしたことで、ほんの少しだけ胸の奥が重くなった。けれど、立ち止まるには早すぎる。カインは壁面端末へ向き直った。
「続ける」
「今の要点を文書で送る」
『了解』
端末上に文書窓が開く。
カインは短く、しかし必要な情報だけを選んで打ち込んでいく。
> ヴェルグ副官へ。
音声で伝えた内容を要点化する。
一、クレイドルでヴォルフ元帥は当該計画を「人類の夜明け計画」と呼称していた。
二、現地で確認した内容は人体実験、被験体運用、強化兵、生体部品化に該当する可能性が高い。
三、アーデルハイド・ローゼンという人物が、初期の人類の夜明け計画に関わっていた可能性がある。本人の消息、軍および研究機関上の扱い、計画への関与を確認してほしい。
四、現在ヴォルフ元帥が進めている計画は、元の計画を途中から歪めたものではないかと見ている。初期計画の目的、ヴォルフ元帥の関与時期を調べてほしい。
こちらは当面、表には出ない。
軍へ戻るつもりも今はない。
理由は、こちらの生存が明確化した場合、ヴォルフ側が先に動き、そちら側にも危険が及ぶ可能性があるため。
線は切らない。
C.
カインは最後まで確認し、送信を命じた。
『送信する』
電子ライター型端末の光が一度だけ細く瞬く。
『送信完了』
『返答は即時ではない可能性が高い』
「構わん」
カインは端末を待機状態へ移し、タバコケースとライターを元のように収めた。
声は繋がった。線は切れていない。
だが、これで終わりではない。
むしろ、ここからようやく始まる。
その時、別窓に新しい表示が立ち上がった。
『三箱、ドライドック資材搬入口に到着』
『搬入開始』
アドミラルの声が少しだけ硬くなる。
『隔離解析区画へ移送する』
カインは顔を上げた。
「行くぞ」
アイリスも頷く。
「うん」
アーデルハイド・ローゼン。人類の夜明け計画。
無人艦。そして、オールドスパインアーカイブからの呼び出し。線は増えている。だが、まだ一本には結べていない。カインは通信区画を出ながら、低く言った。
「三箱の初期データが取れたら、オールドスパインへ行く」
『推奨する』
アドミラルが答える。
『あの記録庫なら、こちらの断片と照合できる可能性がある』
「先に中身を見てからだ」
カインは廊下の先を見る。
艦内の奥。
研究解析区画へ続く通路。
そこへ、自由港の市場から拾った三つの箱が運び込まれようとしている。
自由港で拾ったものが、クレイドルと繋がるのか。無人艦と繋がるのか。あるいは、もっと古いエーテリアンの影へ繋がるのか。まだ分からない。だが少なくとも、もう見なかったことにはできない。カインとアイリスは、アドミラルの案内灯に従って、隔離解析区画へ向かった。




