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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第39話:会場後

 受付区画を離れると、クロンはすぐに歩きながら端末を開いた。


「うちの連中に回しとく」


「B-17は今日のうちに手を入れる。三箱は別封印、貨物区画二の部材は優先で抜く」

指が端末の上を滑る。

短い文。区画番号。搬出タグ。作業人数。

余計な説明はない。それで十分通るらしかった。

カインは横を歩きながら言う。


「人は足りるか」


「足りるように回す」


クロンが答える。


「こういう時に手ぇ止めると、後で余計な金が掛かるからな」


アイリスは少しだけ息を吐いた。


「急にやることが増えたね……」


「市場ってのはそういう場所だ」


クロンが端末を閉じる。


「拾う時は一気に拾う」


「で、回す時はもっと一気に回す」


そのまま三人は会場の中央へ戻った。

実物部材の列。ホログラム掲示。小競り。

値を探る声。さっきまで見えていなかったものが、今は少しだけ違って見える。

使う物。売る物。残す物。切る物。


市場は、買いに来る前と後で顔が変わる。


クロンがふと足を止めた。


「で」


カインが視線だけ向ける。


「まだ帰るには少し早いな」


「何かあるのか」


「お前ら、足も欲しいんだろ?」


クロンが顎をしゃくった先には、会場の一角から伸びる別通路があった。頭上の簡易表示には、軽車両・地上機動・小型搬送と出ている。


アイリスがそちらを見た。


「車両区画?」


「ああ」


クロンが言う。


「船と艦だけが競られるわけじゃねえ」


「車両なんかも普通に流れる」


「今すぐ決めるほどじゃなくても、移動手段として割り切るなら見といて損はねえ」


カインは少し考えた。

三箱は押さえた。

解体の段取りもクロンが回し始めている。

ここで車両を見ても、本筋が止まるわけではない。


「見るだけか?」


カインが言うと、クロンは少しだけ笑った。


「入札だけ入れて帰る手はある」


「受取先はうちにしとけばいい」


「落ちたかどうかは、戻ってから分かる」


アイリスが目を瞬かせる。


「そんなことできるんだ」


「できるようにしてある」


クロンが平然と返す。


「全部その場で抱えてたら、この街の流れに追いつけねえ」


カインは短く頷いた。


「行くか」


「よし」


クロンが先に立って歩き出す。

 車両区画は、さっきまでの資材や船体の区画よりも少しだけ音が軽かった。

油と金属の匂いは同じだ。だが、ここに並んでいるのは“まだ形のある物”が多い。

小型ホバーバイク。低重心の工業車。二輪型の搬送機。作業用の多脚牽引機。

そして、横にはそれぞれの整備記録や簡易ホログラム表示が浮いている。アイリスが辺りを見回して、少しだけ楽しそうに言った。


「こっちは、ちょっと分かりやすいね」


「見た目はな」


クロンが言う。


「だが足回りと出力系は見ろよ」


「外装より、そっちの方が後で泣く」


カインの視線もすでに車列を流れていた。


派手な塗装の物は飛ばす。

無駄に武装架台が多い物も飛ばす。

必要なのは見栄えじゃない。

街の中を素早く動けて、壊れても直しやすい足だ。


「…これなんかどう?」


アイリスが指したのは、細身のホバーバイクだった。見た目は悪くない。だが出力表示がやや不安定で、整備履歴に空白がある。


クロンは一目で首を振った。


「駄目だ」


「前の持ち主が何回か無理に回してるな。安くてもそういうのは後で金を食う」


「分かるんだ……」


「分かるようになったから、ここで生きてるんだ」


クロンはそう返して、さらに奥へ歩いた。


そこに並んでいた一台で、カインの視線が止まる。


工房街でクロンが貸してくれた物に近い。

低重心。余計な飾りがない。整備済み。

外装に擦れはあるが、主要フレームは真っすぐだ。懸架台は最低限。街中の移動用と割り切るなら十分。そして何より、値が現実的だった。


「……これか」


クロンもその一台を見て、鼻を鳴らした。


「悪くねえな」


「整備記録も綺麗だ。前の持ち主が手放した理由も普通だな」


「普通?」


アイリスが聞く。


「買い替えたんだとよ」


クロンが表示を指す。


「街の足としては十分使える」


アイリスは車体をぐるりと見た。


「二人なら、これでちょうどいい感じだね」


「移動手段として割り切るならな」


カインが言う。


「三人で動く時は、サイドカーでも付けるか」


アイリスが少しだけ笑った。


「それ、ちょっと楽しそう」


「楽しさで付けるもんじゃない」


カインはそう返しながらも、完全に否定してはいなかった。


クロンが口元を歪める。


「いや、ありだぞ」


「この手のホバーバイクならサイドカー用のマウントがある」


「付けるなら大した手間じゃねえ」


「落ちたら考えるか」


カインが言った。


「落とす前提なんだ」


アイリスが言うと、クロンが横から答えた。


「もしもだろ」


車両の横にある入札端末へ三人が並ぶ。

締切は今日の後半。即決はない。

だが、入札だけ入れて帰るにはちょうどいい。


「どこまで出す?」


クロンが言う。カインは表示を見た。

車体。整備履歴。交換済み部位。

予備部品の有無。値段。今の持ち金。

さっき買った中型輸送船。これから掛かる解体と運搬。全部を頭の中で並べる。


「これ以上は出さん」


カインが数字を言う。


クロンは少しだけ考えてから頷いた。


「競る相手が熱くなったらくれてやれ」


「その時は別の足を買うさ」


カインは端末へ手を伸ばした。

入札額入力。受取先指定。クロンワークス。

通知先登録。保証金認証。短い電子音。


《入札登録完了》


アイリスが画面を見て言う。


「これで終わり?」


「おう」


クロンが答える。


「落ちたかどうかは、後で分かる」


「うちに通知が来る。現物もそっち回しだ」


「落ちなかったら?」


「縁がなかったってだけだな」


カインは端末から手を離した。


「それでいい」


ホバーバイクは、その場ではまだ他人の物だった。だが、もう一度会う可能性はできた。


クロンが背を向ける。


「よし、こっちは終わりだ」


「帰るぞ」


アイリスが最後にもう一度だけ車体を見た。


「……落ちてるといいね」


「あまり期待するな」


カインが言う。


「こういうのは、忘れた頃に来る方がちょうどいい」


クロンが笑った。


「自由港向きの考え方になってきたじゃねえか」


「ここに染まったんだろ」


「そりゃいい」


三人は車両区画を離れた。


船を一隻押さえ、三箱の特殊貨物を抱え、ついでに軽車両の入札まで入れた。来た時より、明らかに手の中の物が増えている。だが自由港では、それが普通なのだろう。会場の出口へ向かいながら、カインは胸側に収めたタバコケースとライターの感触を一度だけ確かめた。

連絡線は繋がった。市場も見た。部材も押さえた。足の種まで蒔いた。次は戻って、回す番だ。

クロンの車は、また工房街へ向けて走り出すことになる。その先で待っているのは、解体と搬出と、特殊貨物の封印。そして、もしかすると一台のホバーバイクだ。三人はそのまま、資材交換市場を後にした。

 

 資材交換市場を出る頃には、昼の自由港はさらに騒がしくなっていた。

クロンの車へ戻る道すがら、アイリスが一度だけ屋台の方を見た。香辛料の匂いがする。

焼いた合成肉と、何かの穀物を薄く伸ばした皮。

立ち止まれば食べられる。

クロンがそれに気づいて、鼻を鳴らす。


「飯は帰りに買ってくか」


「座って食ってる暇はねえが、腹が減ると判断が鈍るぞ」


「…賛成」


アイリスがすぐに答えた。


カインは何も言わなかったが、否定もしなかった。


クロンは車を出す前に、近くの屋台へ雑に注文を飛ばした。数分もしないうちに、包みが三つ投げるように渡される。中身は温かい。

肉と野菜と、濃いソースを巻いた携帯食だった。


「自由港式の屋台飯だ」


クロンは運転席へ戻りながら言った。


「皿が要らない。片手で食える。文句は食ってから言え」


アイリスは包みを両手で受け取り、少しだけ笑った。


「…いい匂い」


「だろ」


車が動き出す。

市場の人混みを抜け、工房街の方へ戻っていく。

カインは助手席で包みを開け、一口だけ食べた。

少し濃い。油も強い。だが、悪くない。

忙しい場所で食う飯としては、むしろ正しい。


 アイリスも後席で小さく噛みながら、窓の外を見ていた。


「……今日だけで、すごく色々増えたね」


「船一隻、変な箱三つ、車両の入札な」


クロンが前を見たまま言う。


「そういう日もある」


「…毎日だったら疲れそう」


「毎日なら慣れるぞ」


「慣れたくはないかも……」


カインは包みを閉じ、上着の内側へ意識を向けた。金属のタバコケース。黒い電子ライター。

そこに入った細い連絡線。

そして、これから動かす三つの箱。

ただの買い物ではない。市場で拾った形になっているが、あれは明らかに別の線に繋がっている。

 クロンワークスへ戻ると、すでにミラが動いていた。工房の一角には、搬入用の仮設タグと運搬フレームが並べられている。クロンの従業員たちも何人か集まっていた。誰も大声を出さない。

ただ、作業前の短い確認だけが飛び交っている。


クロンは車を止めるなり、すぐに降りた。


「B-17を取った」


短い一言で、工房側の空気が変わる。


「区画内解体許可あり。搬出は分割」


「貨物区画二の部材を先に抜く。区画一は次。コンテナ三箱は別だ」


従業員の一人が眉を上げる。


「危険物扱いで?」


「ああ」


クロンは迷わず答えた。


「中身は聞くな。壊すな。揺らすな。触るな」


「タグ通りに運べ」


その言い方に、誰も余計な質問をしなかった。

そういう物を扱うことに慣れているのだろう。

あるいは、余計なことを聞かない方が長く働ける場所なのかもしれない。

ミラがカインの方へ歩いてくる。


「搬出タグと市場側の所有移譲は確認しました」


「三箱は到着次第、ドライドック経由で艦内の隔離解析区画へ回します」


カインは短く頷く。


「最優先で頼む」


「はい」


「通常部材の方は?」


「貨物区画二の補修部材、搬送フレーム、補助電源セルを優先回収します」


「貨物区画一の通常部材は、使用分と再売却分に分けます」


「船体残りは、クロンワークス側で再商品化できる形へ調整予定です」


クロンが横から入った。


「中身を抜いたあと、骨と皮だけ残しても売り方はある」


「足りない外装はジャンクバザールとかで拾う」


「うちに転がってる半端パーツも付けて、“部品取り用のジャンク船”として流す」


アイリスが少し困った顔で言う。


「やっぱり、悪徳商売っぽい」


「だから違うって言ってんだろ」


クロンは真顔で返す。


「部品取り用で売る」


「嘘はつかねえさ」


「…言わないことはあるけど?」


「おう」


即答だった。


アイリスは少しだけ笑った。


クロンはそこで、カインを見る。


「三箱は俺の方じゃ開けねえ」


「あくまで運ぶだけだ」


「ああ」


カインは答えた。


「それでいい」


「俺は船の方をやる」


「使える部材を抜く。残りを売る。そこから先は、お前らの領分だ」


それ以上は踏み込まない。

カインは小さく頷いた。


「助かる」


「貸しにしとく」


「そればかりだな」


「自由港じゃ貸しも資産だ」


クロンは笑い、それからすぐに現場の顔へ戻った。


「おい、二班出せ」


「B-17は警備ドローンが寝てた物件だ。死んだと思っても蹴るな。まず固定しろ」


「三箱は別ラインだ。ミラの指示を優先しろ」


指示が飛ぶ。

人が動く。

工房の奥から運搬機材が引き出される。


ミラも端末を開き、アドミラルと同期して搬入経路を組み始めた。


『ドライドック側受け入れ準備開始』


通信越しにアドミラルの声が響く。


『三箱は到着次第、研究解析区画へ移送』


『外部走査、汚染確認、共鳴遮断、内部解析の順で処理する』


「手順確認しました」


ミラが淡々と答える。


「輸送中は振動抑制フレームを使用します」


『妥当』


アイリスはそのやり取りを見ながら、小さく言った。


「なんか、本当に大事な物だったんだね」


「大事かどうかは、まだ分からん」


カインは言う。


「ただ、放っておく物じゃない」


「うん」


 アイリスは素直に頷いた。


その時だった。

カインの右目の奥で、短い通知音が鳴った。


ピピッ。


《外部チャット受信》


《送信元:Old Spine Archive / Sepia》


ブラッドハウンドの視界端に、簡素なテキストウィンドウが開く。


> 前回受領した無人艦関連データの照合が一段落しました。

記録庫側に複数の一致候補あり。

オズワルドより、時間があるなら来館を推奨。

口頭説明が望ましい内容です。



カインの足が止まる。


アイリスがすぐ気づいた。


「どうしたの?」


「オールドスパインアーカイブからだ」


クロンも一瞬だけこちらを見たが、それ以上聞かずに自分の作業へ戻った。あくまで自由港の人間らしい距離だった。


「前の無人艦データの解析が終わったらしい」


カインは低く言う。


「時間があるなら来い、と」


ミラが顔を上げる。


「タイミングとしては良いようで、悪いですね」


「ああ」


カインは短く返した。


「こっちは三箱がある」


『むしろ関連性を疑うべきだ』


アドミラルが通信越しに言う。


『無人艦、混成部材、今回の特殊貨物』


『別線とは考えにくい』


「俺もそう思う」


カインはブラッドハウンドの表示を閉じずに、視線だけミラへ向けた。


「三箱の初期データが取れたら、オールドスパインへ持って行く」


「現物は?」


「持ち出さない」


即答だった。


「あそこへ持っていくのは、解析結果と画像、反応パターンだけだ」


「妥当です」


ミラが頷いた。


「到着後、一次スキャンを優先します」


「形状、材質、共鳴反応、接続規格、既知データとの照合」


「最低限の比較資料は出せるはずです」


『オールドスパインアーカイブ側の旧記録と照合する価値は高い』


アドミラルが言う。


『ただし、その前にライナ・ヴェルグとの連絡線を起動すべきだ』


カインは上着の胸側に収めた電子ライターの感触を思い出した。

黒いライター。普通に火が点く。そして端子口がある。


「分かってる」


カインは言った。


「先に艦へ戻る」


「ライナ副官との線を繋げる」


「その後で三箱の初期データを確認」


「必要なら、今日のうちにオールドスパインへ行く」


アイリスが静かに聞いていた。


「私も行く?」


「オールドスパインか」


「うん」


カインは少し考えた。


「行くなら一緒だ」


「ただし、先に艦へ戻ってからだ」


「うん」


アイリスは少し安心したように頷いた。


クロンが遠くから声を飛ばす。


「カイン!」


カインが顔を向ける。


「こっちは人を出す」


「例の物は、先にドライドックへ送る。お前らは先に戻って受け取り側を見とけ」


「中型船の方は俺が見る」


「任せる」


カインが返すと、クロンはを工具義肢を挙げただけだった。詳しいことは聞かない。だが、必要な仕事はする。それで十分だった。ミラが端末を閉じる。


「私はここに残って、搬出処理を継続します」


「三箱の移送開始時点で艦側へ通知します」


「分かった」


カインはアイリスへ視線を向けた。


「戻るぞ」


「艦へ?」


「ああ」


「先に連絡線を開く」


市場で手に入れた物。

ブラック・ネビュラ・バーで受け取った通信手段。オールドスパインアーカイブから届いた解析完了の知らせ。全部が同じ日に重なってきた。

偶然か。それとも、今まで見えていなかった線が、ようやく手元へ寄ってきただけか。

カインは胸元のタバコケースとライターを軽く押さえた。

急ぐな。だが、切るな。


その言葉が、また頭の中で短く響いた。

クロンワークスの奥では、もう運搬機材が動き始めている。三箱はドライドックへ。中型輸送船は解体へ。残りは市場へ戻すために。

自由港の流れは止まらない。その流れの中で、カイン達も次の手を打つ。

まずは艦へ戻る。そして、亡霊がまだ生きていることを、内側へ繋ぐ。

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