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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第36話:オークション会場

2000PVありがとう御座います。


 クロンの車は、工房街を抜けると少しだけ速度を落とした。自由港の街路は広いようでいて、広くない。通路は何本も走っているが、そこへ荷車両、歩行者、低空搬送ドローン、露店の張り出し、積み上がったコンテナの影が重なって、実際の流れはかなり複雑だ。しかも工房街を離れるほど、街は“整っていない方へ”馴染んでいく。

窓の外を、継ぎ接ぎの外壁が流れていく。

船体装甲を切って作った壁。古いコロニー材。

規格外の看板。雑に見えて、雑ではない。

ここで暮らす人間にとっては、それが普通なのだと分かる程度には、街はきちんと出来上がっていた。やがて車は少し古びた区画へ入った。

派手さより、使い込まれた実用の匂いが強い通り。その中ほどで、クロンが顎をしゃくる。


「着いたぞ」


車が店横の駐車枠に止まる。


ブラック・ネビュラ・バーは、自由港の中でも落ち着いた店だ。

工房街と居住区の境目。

仕事の合間に一息入れる人間、打ち合わせを済ませる人間、長居するほどではないが足を止めたい人間。そういう連中が自然に出入りしている。

扉の向こうにあるのは沈黙ではなく、頭の回っている会話の熱だった。カインは助手席のドアに手を掛ける。


「俺だけで行く」


後席のアイリスが少し身を乗り出した。


「……私も行かなくて大丈夫?」


「ああ」


カインは短く答えた。


「今回は一人でいい」


クロンも詳しくは聞かない。

ただ運転席に肘を乗せたまま頷く。


「そうか」


「なら、こっちは待ってる」


「すぐ戻る」


カインは車を降りた。

昼の自由港の空気は、夜より少し乾いている。

だがブラック・ネビュラ・バーの扉の前だけは、街の雑音が一段柔らかく聞こえる。

木ではない。金属でもない。何度も直され、塗り直され、使い込まれた扉。

カインはそれを押し開けた。

中へ入ると、酒の匂いより先に、温められた空調と古い鉄の匂いが来た。

照明はやや落としてある。

だが暗いわけではない。厚いカウンター。

壁際に沿った席。奥には半分仕切られた区画。

天井近くのスピーカーからは、控えめな店内BGMが流れていた。音量は低いが、会話の隙間をきれいに埋めている。店の中にはちゃんと人がいた。

近くの席では作業員風の男が二人、部材の話をしている。

少し離れた席では傭兵風の女が端末を見ながら軽く何かを食べている。仕切られた席では船員風の三人組が、次の荷の受け渡し時間について話していた。

声はある。笑いも小さく混じる。

だが、どの卓も自分たちの会話に収まっていて、こちらを必要以上に気にする空気はない。

カウンターの奥にいたリゼットが、カインを見る。

隣でグラスを磨いていたガレスも、手は止めずに視線だけ寄越した。


先に口を開いたのはリゼットだった。


「いらっしゃい」


「今日は一人なのね」


「外で待たせてる」


 カインはそう返して、カウンター席の端へ腰を下ろした。


入口も奥も見える位置。

背中に変な圧迫感のない席だった。

それでいて、店の流れから浮かない。


リゼットが軽く首を傾ける。


「飲む?聞く?それとも別件?」


「今日は何にする?」


カインは店の奥を一度だけ見てから答えた。


「カラスの涙を」


リゼットの目が、ほんのわずかに細くなる。

だが表情は崩れない。


「……分かったわ」


短い返事だった。

ガレスも手を止めない。

ただ、棚の奥へ手を伸ばす動きが少しだけ変わった。


カインは黙って待つ。

カウンターの少し先では、別の客が搬送契約の条件で揉める寸前の声色をしていたが、他の店員が一言挟んだだけで空気はすぐ元へ戻った。

 店内BGMは相変わらず低く流れ、グラスの触れ合う音や椅子のきしみが、その上へ自然に重なる。

やがて、透明な細身のグラスが置かれた。

中身は淡い灰青色。氷は少なめ。

香りは強くない。酒ではなく、柑橘と苦味を抑えた薬草系の匂いがある。


「カラスの涙」


リゼットが言う。


「ノンアルコールよ」


その言葉のあと、ガレスがカウンターの下から、小さな長方形の紙箱をひとつ取り出した。

見慣れた銘柄だ。


ヴォイドアッシュ。


カインが愛煙している紙巻き煙草だった。

その箱の上に、擦れた金属のタバコケースと、黒い電子ライターが並べて置かれる。隣にシンプルな灰皿。


「ついでだ」


ガレスが何でもない声で言う。


「無いと困るだろ」


カインの視線がわずかに落ちる。


ケースは古く見える。

だが古いだけではない。

蝶番の噛み方、角の削れ方、表面の鈍い反射。

安物ではない。そしてライターも一見すれば普通の携帯点火具だが、側面に極小の端子差込口がある。カインはグラスへ手を伸ばす動きのまま、ケースとライターへ指先を滑らせる。

重さを量る。分かる。


ただの煙草入れとライターじゃない。


似たような物を昔、扱ったことがある。

軍の表ではなく、もっと裏に近い連絡用具。

日用品の顔をした秘匿端末だ。


「……丁寧だな」


カインが低く言う。


リゼットは肩をすくめる。


「露骨なのは好かれないでしょ」


カインはヴォイドアッシュの箱を開ける。

中身はちゃんと煙草だ。20本入。一本抜く。次に金属ケースを開く。中には数本分の空きと、底の薄い仕切り。その内側へ、小さなチップが収まっていた。

視線を落とさなければ気づかない。

気づいても、知らない人間ならただの補強材にしか見えない。ケースを閉じる。ライターを持ち上げる。火は普通につく。そして側面の端子口が、小さく冷たく指に触れる。カインは煙草を咥え、火を点けた。白がかった細い煙がゆっくり立つ。

久しぶりだった。少なくともクレイドルを出てからは。だが、こうして吸うと、少しだけ昔を思い出す。任務前。任務後。そういう時間を。


「中身は」


カインが聞く。


「鍵」


ガレスが答える。


「ライターは差して起こせ」


「最初の一回目は向こうから来るようにしてあるとさ」


リゼットが静かに続ける。


「後は貴方次第ね」


「分かってる」


カインは煙を細く吐いた。


「言伝は?」


「あるわ」


リゼットが答える。


「“急ぐな、でも切るな”だって」


短い。

だが、それだけで十分だった。

少なくとも軍の定型文ではない。

現場を知っている人間の言い方だ。

カインは小さく鼻を鳴らした。


「……らしいな」


ガレスが付け足す。


「糸は細い」


「だが、繋がっている」


「お前が切らない限りはな」


「そうか」


 カインはそれだけ返して、グラスを一口飲んだ。カラスの涙は、見た目よりずっと静かな味だった。甘くない。苦すぎもしない。

喉を冷やしすぎず、頭だけを少し澄ませる。

悪くない。


「外、待たせてるんだろ」


ガレスが言う。


「ああ」


「なら長居はするな」


「する気もない」


カインは煙草を灰皿へ置き、ヴォイドアッシュの箱、タバコケース、ライターをまとめて上着の内側へ収めた。位置は自然だ。動いても音は出ない。立ち上がる。椅子が小さく鳴る。

リゼットもガレスも、それ以上は追わない。

用が済んだなら、必要以上に引き留めない。

この店のそういう距離感は嫌いじゃない。

扉の前で、カインは一度だけ振り返った。


「……助かった」


ガレスが片手を軽く上げる。


「次はちゃんと酒を飲みに来い」


「そうする」


それだけ交わして、カインは店を出た。

外へ出ると、昼の自由港の音がまた一気に戻ってきた。クロンの車はそのまま待っていた。

助手席のドアを開けて乗り込む。

後席のアイリスがすぐに顔を向ける。


「大丈夫だった?」


「ああ」


カインは短く答えた。


クロンは前を見たまま、特に詳しく聞かない。


「そうか」


それだけだった。エンジンが低く唸る。


「よし次はオークション会場だな」


「頼む」


 カインは上着の内側に収めたケースとライターの感触を一度だけ確かめた。

連絡線は受け取った。次は会場だ。金と部材と顔が集まる場所。必要な物があるかもしれないし、余計な物も見えるかもしれない。クロンの車はゆっくりと動き出し、ブラック・ネビュラ・バーの前を離れた。自由港は、相変わらず止まらない。

その流れの中へ、今度はカイン達もさらに深く入っていく。その先にある次の手掛かりへ。



 荷を積んだ搬送車両が前を横切る。

露店の上では整備用パーツが吊られ、値札代わりの簡易表示が点滅している。

通路脇では何かの買い取り交渉が始まり、少し離れた場所ではドローンの補修に文句をつける声が上がっていた。どこもかしこも、人と物と金が流れている。

クロンがハンドルを切りながら言った。


「オークションは初めてか?」


「そうだな」


カインが答える。


後席からアイリスが少し身を乗り出す。


「…私も」


「なら、最初に言っとく」


クロンは前を見たまま続けた。


「向こうじゃ“欲しい”って顔をした時点で負けだ」


「へえ……」


アイリスが素直に声を漏らす。


「そんなに分かるものなの?」


「分かる奴には分かる」


クロンが鼻を鳴らす。


「特に売り慣れてる連中は、目の止まり方で値を釣りやがる」


「見過ぎるな。反応し過ぎるな。気に入っても一回は流せ」


カインが短く言う。


「覚えとけ」


「う、うん」


アイリスは頷いた。


「…じゃあ、欲しくても“別にそうでもないですけど?”みたいな顔してればいいの?」


「大体そんなもんだな」


クロンが言う。


「ただし、やり過ぎると今度は他の奴に持ってかれちまう」


「…難しいね……」


「だから俺がいる」


あっさりした言い方だった。

だが、それが一番頼りになる類いの言葉でもあった。車は区画をひとつ抜け、さらに混んだ通りへ入る。

さっきまでの工房街寄りの空気とは少し違う。

人の服装がばらけている。

作業着だけじゃない。武装した護衛。

身なりのいい仲買人。小金を持っていそうな個人買い。そして、明らかに“見るだけではない”顔つきの連中。


「空気が変わったな」


カインが窓の外を見たまま言う。


「会場に近いからな」


クロンが答える。


「金になる前の物と、金になった後の物が混ざるからだ」


アイリスも窓の外を見る。


「なんか……人の種類が増えた感じ」


「そういう見方で合ってるぜ」


クロンが言う。


「行くにつれ、口を動かす奴と帳簿を動かす奴が増える」


「あと、横から持ってく奴もな」


「…最後のは嫌だな……」


「嫌でもいる」


クロンは平然としていた。


その時、助手席側の窓の外を、低空で一台の小型牽引車が抜けていった。後ろに繋がれた荷台には、切り出された外装板と、まだ番号の消えていない旧式隔壁材が雑に積まれている。


カインの視線が一瞬そこへ止まる。


「軍の流れか」


「多分な」


クロンがちらりと見て答える。


「札が付く前はただの板だが、札が付いた瞬間に“希少な旧規格部材”になる」


「…言い方って大事だね……」


アイリスが小さく呟く。


「大事だぞ」


クロンが言う。


「ここじゃ特にな」


提督(アドミラル)


カインが通信器へ向けて低く言う。


『聞いている』


「会場に入る」


『了解した』


『念のため再確認する。優先順位は変わらない』


「分かってる」


『高値を付けられた場合は無理をするな』


「こっちの金と親方の見立て次第だな」


「任せろ」


クロンが即答した。


「どうしても欲しい物が出たら、その時は別だがな」


アイリスが前へ少し身を乗り出す。


「別って?」


「その場で買う価値がある物だ」


クロンが言う。


「ここで二度と出ねえ物もある。逆に、今欲しくても後でいくらでも拾える物もある」


「要は見極めだな」

 

 車はさらに二つ角を曲がり、少し開けた空間へ出る。通路の先で、人の流れがひとつの方向へ集まり始めていた。高い柵。古い倉庫街を無理やり改装したような建物群。そのうち一番大きな棟の上に、簡素な電子看板が浮いている。派手ではない。

 だが、必要な人間にはそれで十分だった。


「……ここ?」


アイリスが言う。


「おう」


クロンが頷く。


「表向きの名は“資材交換市場”」


「だが実際は、名前を変えたギアハンドのオークション会場だ」


建物の周囲には、すでに何台もの車両が停まっていた。工業用。運搬用。個人用。

護衛付きのものまである。出入りしている人間も様々だ。作業着姿の工房人間。端末を抱えた仲買。武装を隠していない護衛屋。

そして、ただの見物人ではない顔つきの連中。

ギアハンドの連中だ。

クロンは空いている脇の駐車枠へ車を滑り込ませた。エンジンが落ちる。

しばし誰もすぐには降りなかった。

それぞれが一瞬ずつ、外の空気を見ていた。


アイリスが小さく言う。


「……なんか、思ってたより普通だね」


「普通に見える方が都合がいいからな」


クロンが答える。


「露骨に怪しい市場は、ここでも長く続かねえ」


カインがドアへ手を掛ける。


「まず中を一周だ」


クロンが続ける。


「欲しい物があっても、すぐには止まるな」


「はい」


アイリスが少しだけ真面目な顔で頷く。


「…“別にそうでもないですけど”の顔、だよね」


クロンが笑った。


「そうだ」


「だいぶ大事だぞ、それ」


三人は車を降りた。


会場の前には簡易検査ゲートと、出入りを見ているだけのようで全部見ている目があった。

武装を完全に外せとは言われない。

だが、抜く気があるかどうかは見られている。

そういう空気だ。カインは左腰の崩兼元と、右腰のショットガンの重さを感じたまま歩く。両腰に一本ずつ。刀と銃。形は違うが、収まりは悪くない。胸側のケースとライターも、違和感なくそこにある。


「行くぞ」


カインが言う。

クロンが先に半歩出る。アイリスがその横へ続く。次は市場だ。金と部材と人の思惑が集まる場所。必要な物を見つけるために。三人はそのまま、資材交換市場――オークション会場の入口へ向かった。

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