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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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3.5話:英雄の視察任務

 ――数日前。


 連合軍中央本部。


 軍務区画の中でも限られた者しか立ち入れない一角に、エドワード・アトリー元帥の執務室はあった。


 カインは、その机の前に立っていた。


「で」


 机上へ投影された資料を見る。


「今度は何だ、閣下」


「視察だ」


 アトリーは短く答えた。


「木星衛星カリストへ行ってもらう」


「観光地じゃないな」


「少なくとも、お前向きではない」


「そうか」


 カインは表示へ目を戻した。


《CALLISTO》


《連合軍研究施設》


《施設識別――CRADLE》


 クレイドル。


 名前だけなら聞いたことがある。


 木星圏の研究拠点。


 表向きは、高密度エーテル環境下での人体保護技術や長期宇宙滞在技術を扱う軍研究施設。


 それ以上は。


 ほとんど表へ出ていない。


「何か出たか」


「出ていない」


「なら?」


「出ていないから行かせる」


 アトリーが机上を操作した。


 複数の資料が開く。


《生体適合試験》


《高密度エーテル環境適応》


《人工器官研究》


《長期宇宙環境適応》


《創世級関連技術》


 一つずつなら、軍の研究項目として不自然ではない。


 問題は。


 それらが同じ場所へ集まっていることだった。


「まとまりが悪いな」


「そう見えるか」


「ああ」


 カインは表示を送る。


 医療。


 人体適応。


 エーテル。


 艦艇技術。


 どれも軍が金を出している研究だ。


 だが、同じ施設でまとめて扱う理由は薄い。


「予算の流れは」


「そこだ」


 アトリーが別の資料を開いた。


 研究費。


 資材搬入。


 人員移動。


 どれも正規の手続きを通っている。


 だが途中から、申請元と最終承認者が妙に入り組んでいた。


 軍医療局。


 技術開発局。


 特殊研究部門。


 創世級建造計画。


 そして。


《FINAL AUTHORIZATION》


《WOLFF》


 カインの右眼。


 ブラッド・ハウンドがその名を拾った。


「ヴォルフ元帥」


「ああ」


「本人は」


「分からん」


 カインが顔を上げる。


「分からない?」


「最近の公式予定が妙に細切れだ」


「記録はある」


「外へ出ている記録もある」


「だが、その間が繋がらん」


「居場所を隠してる?」


「断定はしない」


 アトリーは椅子へ背を預けた。


「だから、お前にも探させるつもりはない」


「クレイドルだけ見ろと」


「そうだ」


「元帥本人を嗅ぎ回るな」


「了解」


 返事が早かったせいか。


 アトリーが少しだけ眉を動かした。


「随分素直だな」


「視察なんだろ」


「そう言った」


「なら視察する」


「助かる」


 カインはもう一度、資料へ目を戻した。


 その時。


 机の端に積まれているものが目に入った。


 軍用端末。


 紙資料。


 古い兵器カタログ。


 そこまではいい。


 その下から。


 妙に鮮やかな表紙が半分だけ覗いている。


 水着姿の女性。


 カインの目が止まった。


「閣下」


「何だ」


「それも資料か」


 アトリーの視線が。


 机の端へ動く。


「……何の話だ」


「下」


「何もない」


「見えてる」


「見間違いだ」


「目はいい方でね」


 カインが自分の右眼を指差す。


 ブラッド・ハウンド。


 アトリーは数秒黙り。


 無言で兵器カタログをずらした。


 下の冊子が隠れる。


「機密だ」


「そうか」


「軍務に戻るぞ」


「はいはい」


 アトリーは咳払いした。


「クレイドルには明日入れ」


 表示が切り替わる。


《SPECIAL ACCESS》


《AUTHORIZATION:ATLEE》


「私の権限を一部付ける」


「随分強いな」


「普通の監査官では、見せたい場所しか見せん」


「俺なら?」


「見せたくない場所まで行ける」


 カインの目が細くなる。


「英雄権限まで使うのか」


「ああ」


「俺じゃなくてもいいだろ」


「よくない」


 アトリーは即答した。


 それまでより。


 少しだけ声が低かった。


「英雄だから選んだんじゃない」


 カインが黙る。


「お前を選んだ」


「そのうえで、英雄権限がちょうどいい」


「……買い被りだな」


「知ってる人間を使っているだけだ」


「それを買い被りって言うんだ」


「なら好きに受け取れ」


 アトリーは表示を送った。


《任務区分――施設視察》


《対象――クレイドル》


《調査範囲――研究内容/設備運用/軍規適合性》


《現地指揮系統への質問権限――許可》


《封鎖区画への臨時確認権限――許可》


 カインは一通り読む。


「持ち帰るものは」


「違和感だ」


「曖昧だな」


「証拠があるなら、私が人を出している」


 アトリーの指が机を軽く叩いた。


「何かがおかしい」


「だが、何がおかしいのか分からん」


「だから見てこい」


「俺の目で?」


「ああ」


 カインは少し考え。


「分かった」


「それでいい」


「ただし」


 アトリーが続ける。


「無茶はするな」


「何もないなら帰ってくる」


「何かあったら?」


「見てから決める」


 アトリーが嫌そうな顔をした。


「それをやめろと言っている」


「まだ何もしてない」


「お前は何か見つけてからが早い」


「褒めてる?」


「警告だ」


「了解」


 アトリーは本当に理解したのか疑うようにカインを見たが。


 やがて諦めた。


「移動手段は用意してある」


「輸送船?」


「いや」


 アトリーの口元が。


 ほんの僅かに動く。


「ハンガー七番へ行け」


 カインの眉が動いた。


「七?」


「ああ」


「お前なら、その方が早い」


 中央本部付属軍港。


 ハンガー七番。


 カインが入ると。


 広い格納庫の中央に、一機の戦闘翼機が置かれていた。


 黒に近い濃灰色の機体。


 細長い機首。


 大きく後方へ伸びた主翼。


 現行機のような滑らかさはない。


 姿勢制御スラスターも。


 兵装基部も。


 機体表面へ隠すことなく残されている。


 古い。


 だが。


 見間違えるはずがなかった。


「……閣下」


 背後の端末からアトリーの声がした。


『何だ』


「これか」


『そうだ』


 カインは機体を見上げる。


《CF-92》


《KARASU》


 旧式高機動戦闘翼機。


 カラス。


 かつてアトラス隊で使っていた機体。


 何度も飛んだ。


 何度も撃たれた。


 何度も修理された。


 そして。


 アトラス隊がなくなってからは。


 自分が乗ることもなくなっていた。


「まだあったのか」


『私を何だと思っている』


「物持ちのいい元帥」


『否定はしない』


 カインは機体の下へ歩く。


 昔とは変わっているところもある。


 センサー。


 通信装置。


 航法系。


 一部は現行規格へ更新されていた。


 だが。


 骨格そのものは変わっていない。


 カインが機体側面へ手を触れる。


「よく残したな」


『廃棄する理由がなかった』


「旧式だぞ」


『飛べる』


「それだけ?」


『お前が乗れる』


 カインの手が止まる。


『今回はそれで十分だ』


「……そうか」


 昇降用の足場へ足を掛ける。


 コックピットが開いた。


 中へ身体を滑り込ませる。


 懐かしい。


 シートの硬さ。


 計器配置。


 操縦桿までの距離。


 現行機より狭い。


 癖も強い。


 だが。


 身体が覚えている。


 カインが主電源を入れた。


《CF-92 KARASU》


《SYSTEM BOOT》


《PILOT IDENTIFICATION》


《KAIN WALKER》


《IDENTIFICATION――ACCEPTED》


 計器が順番に起動する。


 右眼。


 ブラッド・ハウンドへ接続要求が入った。


《NEURAL ASSIST LINK》


《BLOOD HOUND――CONNECT》


《YES/NO》


 カインは一瞬だけ表示を見る。


「随分更新したな」


『最低限だ』


「最低限ね」


 接続を許可する。


 視界の端へ、カラス側の航法情報が重なった。


 姿勢。


 推力。


 周辺航路。


 機体状態。


 その直後。


 一行の文字が表示された。


[Karasu_AI] 接続しました。


 カインの目が止まる。


「……お前も残ってたか」


[Karasu_AI] パイロット識別。


[Karasu_AI] KAIN WALKER。


[Karasu_AI] 認証しました。


 短い電子音。


 カインは操縦桿へ右手を置いた。


「久しぶりだな、カラス」


[Karasu_AI] 前回搭乗記録から長期間が経過しています。


「そこは久しぶりでいい」


[Karasu_AI] 該当表現を記録します。


「余計な学習するな」


 通信越しに。


 アトリーが小さく笑った。


『相変わらずだな』


「何が」


『いや』


「言えよ」


『時間だ』


「逃げたな」


『元帥は忙しい』


「便利だな、その階級」


『お前も出世すれば分かる』


「遠慮する」


 カインは各系統を確認する。


 推進。


 姿勢制御。


 生命維持。


 武装系は安全固定。


 長距離航法。


 すべて稼働範囲。


「整備は」


『済んでいる』


「誰が?」


『ライナが手配した』


「副官使いが荒いな」


『本人に言え』


「次に会ったらな」


『怒られるぞ』


「閣下が?」


『私がだ』


「知ってる」


 格納庫前方。


 大型隔壁が開き始める。


 その先。


 中央軍港の発進路。


 さらに向こうには、無数の星。


《FLIGHT PLAN》


《DESTINATION――CALLISTO》


《MISSION――FACILITY INSPECTION》


 カインは表示を見る。


「クレイドル」


『そうだ』


「現地の案内は」


『リーヴェル中尉という士官がつく』


「信用は?」


『不明だ』


「了解」


『カイン』


「何だ、閣下」


 短い沈黙。


『見るだけでいい』


「そのつもりだ」


『本当に見るだけなら、な』


「疑いすぎだ」


『付き合いが長い』


 カインは少しだけ笑った。


「じゃあ行ってくる」


『ああ』


「何もなければ、すぐ戻る」


『そうしてくれ』


「土産は」


『いらん』


「グラビア?」


『通信を切るぞ』


「了解」


 本当に通信が切れた。


 カインは小さく鼻を鳴らす。


「冗談が通じないな」


[Karasu_AI] 通信終了を確認。


「お前は覚えなくていい」


[Karasu_AI] 了解。


 発進管制から許可が入る。


《KARASU》


《LAUNCH CLEAR》


 カインは操縦桿を握り直した。


「行くぞ、カラス」


[Karasu_AI] 了解。


 黒い翼が動き出す。


 格納庫床の誘導灯を追い。


 ゆっくりと発進位置へ入る。


 固定。


 推進器出力上昇。


《LAUNCH》


 カラスが宇宙へ放たれた。


 木星圏への航路は。


 静かだった。


 カインは巡航状態へ入ったカラスの中で、改めてクレイドルの資料を眺めていた。


 研究施設。


 軍関係者。


 正規予算。


 正規承認。


 書類上。


 何もおかしくない。


「カラス」


[Karasu_AI] 応答。


「クレイドル周辺の軍用航路」


[Karasu_AI] 取得済みです。


 表示が切り替わる。


 カリスト周辺。


 通常航路。


 補給船航路。


 研究施設向けの軍用経路。


 そして。


 一部だけ妙に交通量が少ない区画。


「ここは」


[Karasu_AI] 軍管制指定による進入制限区域です。


「理由は」


[Karasu_AI] 地質研究および試験設備保護。


「そうか」


 それ以上は言わなかった。


 理由としては通る。


 だが。


 アトリーが自分を送った理由も。


 なんとなく分かる。


 何もかもが。


 少しずつ、整いすぎている。


 やがて。


 視界の先に木星が現れた。


 巨大な縞模様。


 その傍らを、灰色の衛星が回っている。


 カリスト。


[Karasu_AI] 目的天体を確認。


[Karasu_AI] カリスト管制圏へ進入します。


「クレイドルからは」


[Karasu_AI] 誘導信号を受信。


 カインの右眼へ、新しい表示が重なる。


《CRADLE APPROACH CONTROL》


《IDENTIFICATION REQUEST》


「返せ」


[Karasu_AI] 了解。


《KAIN WALKER》


《SPECIAL INSPECTION AUTHORIZATION》


《AUTHORITY――ATLEE》


 数秒。


《IDENTIFICATION――ACCEPTED》


《LANDING ROUTE――TRANSFER》


 地表へ一本の誘導線が伸びる。


 カインはその先を見る。


 灰色の氷原。


 岩盤。


 遠目には、軍事施設らしいものはほとんど見えない。


「隠す気はあるらしいな」


[Karasu_AI] 地表構造物を確認。


[Karasu_AI] 軍用施設としては露出率が低いと判断します。


「だろうな」


 カラスが高度を落とす。


 灰色の地表が近づいてくる。


 やがて岩肌の一角に、人工的に整えられた着陸区画が見えた。


 埋設された誘導灯。


 その向こうには、岩盤へ食い込むように造られた巨大な搬入ゲート。


《CRADLE》


《LANDING PERMISSION――GRANTED》


[Karasu_AI] 着陸シーケンス開始。


 降着脚が展開する。


 姿勢制御スラスターが短く噴いた。


 氷塵が舞う。


 そして。


 カラスは静かに、カリストの地表へ降りた。


[Karasu_AI] 着陸完了。


「カラス」


[Karasu_AI] 応答。


「ここで待て」


[Karasu_AI] 了解。


「通信は維持」


[Karasu_AI] Blood Houndとの限定接続を維持します。


 カインは固定具を外した。


 キャノピーが開く。


 その先。


 凍てついた地表に、クレイドルの入口がある。


 アトリーから命じられたのは、ただの視察だった。


 ヴォルフの承認が妙に多い。


 何かがおかしい。


 今のところ。


 分かっているのは、それだけだ。


「さて」


 カインはシートから身体を起こす。


「見てくるか」


[Karasu_AI] 帰還を待機します。


「ああ」


 カインはカラスを降りた。

正面には、岩盤へ埋め込まれたクレイドルの搬入ゲートが口を開けていた。

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