↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/93

第4話:人類の夜明け計画 

 カラスを背後に残し、カインは地表側搬入ゲートへ向かった。


 カリスト極秘地下研究施設――クレイドル。


 氷塵に晒された外殻扉。

岩盤へ埋め込まれた重厚な隔壁。

その両脇には、対侵入用の固定砲座まで設置されている。


研究施設。

そう聞いて来た場所にしては、随分と物々しい。


《外気温――危険域》


《長時間外部活動――非推奨》


 ブラッド・ハウンドの警告を視界の端へ追いやり、カインは外套の襟を軽く直した。

背後。着陸区画では、カラスが待機状態へ移行している。


[Karasu_AI] 接続維持。


「そのまま待て」


[Karasu_AI] 了解。


正面の警備ゲートが開いた。

中から出てきたのは、重武装の警備兵二名と、認証端末を持った士官だった。


「識別を」


 無機質な声。


 カインは携行端末を差し出す。

士官が確認し、警備兵の一人がすぐに敬礼した。


「英雄カイン・ウォーカー。確認しました」


 もう一人も、一拍遅れて敬礼する。

だが。

その目にあるのは、尊敬よりも緊張に近かった。

カインは軽く返礼する。


「警備が厳しいな」


「当施設は重要研究区画ですので」


「そうか」


 短く返し、周囲を見る。


 固定砲座。


 武装警備。


 三重の認証設備。


 重要研究施設という説明だけなら通る。


 だが。


 アトリーがわざわざ自分を送り込んだ理由を考えれば、覚えておいて損はない。


「通してくれ」


「了解しました」


 端末認証。


 虹彩照合。


 生体反応の簡易走査。


 三重の確認を終えると、隔壁が低い音を立てて横へ開いた。


 暖かな空気が流れ出してくる。


 カインは、一度だけ背後を振り返った。


 灰色の地表。


 その上に残る黒い翼。


 そして。


 地下へ続く白い入口。


 カインは前を向いた。


 隔壁の内側へ足を踏み入れる。


 クレイドルの中は白かった。白すぎるほどに白い通路、白い照明、白い壁面。まるで何も汚れていないと主張するためだけに作られた色だと、カインは思った。 

 待っていたのは、若い士官だった。階級章は中尉。制服はよく整っているが、肩がわずかに硬い。


「案内役を務めます。クレイドル統括補佐官、リーヴェル中尉です」


「カイン・ウォーカーだ」


「承知しております」


その言い方も、どこか必要以上に固い。

カインは通路を歩き出しながら、さりげなく周囲を見た。監視カメラ。封鎖された支路。通路ごとに違う認証色。研究施設というより、管理された軍事区画の匂いが強い。


「まずはエーテル炉の区画からご案内します」


「ずいぶん素直だな。見せられるものだけ見せるのかと思ってた」


リーヴェル中尉はわずかに喉を動かした。


「本日の視察は正式な手続きを経ています」


「できる限り開示するよう命じられています」


「誰に」


その問いの直後だった。

通路前方の壁面モニターが一斉に明るくなった。

白い壁の中央に、巨大な立体ホログラムが立ち上がる。軍服姿の男。整いすぎた立ち姿。無駄のない表情。その場の空気だけが、一段冷えた気がした。


『歓迎しよう、カイン・ウォーカー』


ヴォルフ元帥。

カインはそこで初めて、内心でほんのわずかに驚いた。――直々に出てくるのか。

本来、この手の視察は現地責任者か、せいぜい将官代理で済む。元帥がホログラムとはいえ自ら姿を現すのは、表向きには丁重すぎた。

リーヴェル中尉は即座に敬礼する。


「元帥閣下」


カインも合わせて敬礼した。


「閣下」


ヴォルフは小さく頷く。


『形式はいい。楽にしてくれ』


『英雄を立たせたまま長話をする趣味はない』


言葉だけ聞けば気遣いに見える。だがその声には温度がなかった。

カインは敬礼を解き、ホログラムを見上げる。


「ただの視察にしては、歓迎が厚いですね」


『君が来るのだ。当然だろう』


その一言に、カインは表情を変えなかった。

だが、内側で小さく線を引く。――見ているな。


『案内は私が引き継ごう』


ヴォルフがそう言うと、リーヴェル中尉は目に見えて安堵した。それもまた、カインには記録される。


「中尉の案内でも問題はありませんが」


『確かに問題はない』


『だが、私自身が説明した方が誤解が少ないからな』


ホログラムが歩き出す。実体のない映像なのに、通路の先を知り尽くしているように迷いがない。

カインはその後を歩いた。最初に通されたのは、エーテル炉試験区画だった。巨大な耐圧ガラスの向こうで、青白い光が静かに脈打っている。

複数の補助導管。圧縮結晶。共鳴制御リング。

どれも最先端の設備だ。


『現在クレイドルでは、エーテル炉の安定出力化と高効率運用の研究を進めている』


『既存炉では長期的な外宇宙運用に耐えない』


『損耗、暴走、いずれもまだ人類技術の限界だ』


ヴォルフの説明は滑らかだった。よどみがなく、よく準備されている。次はエーテル導管区画。

次は結晶解析ラボ。次は遺構由来とされる材料の比較実験室。途中までは、確かに「研究施設の視察」だった。ヴォルフは画面越しに語る。


『エーテルは燃料ではない環境だ』


『人類はまだ、その入口に立ったばかりに過ぎない』


その言い方が、カインには少し引っかかった。


「入口の先に、何があると?」


ヴォルフはそこで、初めてほんの少しだけ笑った。


『それを見せるために、君をここへ通している』


 白い通路が次第に静かになる。人の気配が減る。研究員の姿も少ない。代わりに、認証扉が増える。カインは歩きながら、右目のブラッド・ハウンドに周囲の構造を記憶させていた。

通路幅。非常隔壁。監視角度。逃走経路。いつもの癖だ。だが今は、それを「癖」で済ませていい場所ではない気がしていた。最後の隔壁が開く。

そこは大きな観測室のような空間だった。

中央に、円形の立体投影盤。その上に浮かぶのは、人間の骨格と神経系、エーテル導管のような光の線、さらにその周囲を巡る未知の器官構造。

カインの視線がわずかに細くなる。


「……これは」


ヴォルフの声が静かに落ちる。


『人類の夜明けだ』


室内の空気が、一段階だけ変わった。


リーヴェル中尉はすでに一歩後ろへ下がっている。この先は、自分が立ち会っていい説明ではないと分かっている顔だった。ヴォルフは続ける。


『現人類のままでは、外宇宙へは行けない』


『技術だけの問題ではない。肉体そのものが、環境に耐えられない』


立体図の人影に、新しい層が重なる。骨格。

神経。循環器。そして胸部中心に、心臓に似た別の構造。


『人類そのものを、次の段階へ進める必要がある』


カインは投影盤を見上げたまま動かない。


『エーテリアンは、エーテルとより深く共鳴していた事が研究で分かった』


『ならば我々も、そこへ近づける』


『適応し、更新し、いずれ外宇宙へ進出する』


言葉だけを取れば、理屈は通っていた。だが、カインの中で警戒がむしろ強くなる。


「……更新」


『そうだ』


「その対象は、技術だけじゃないと」


『当然だ』


ヴォルフの答えはあまりに早かった。


『人類の限界を前提にしたまま、人類の未来は開けない』


『肉体も再設計が必要になる』


立体図が切り替わる。人体断面。生体器官に重なる人工構造。心臓のようで、心臓だけではない何か。


カインの声が低くなる。


「人間を作り替えるつもりですか」


ヴォルフは否定しない。


『より正確には、未来へ適応させる』


『変化を拒む種は、外宇宙では生き残れない』


『適応とは、変わることだ』


その言葉に、カインはようやくヴォルフの本質の輪郭を見た気がした。目の前の男は、ただの野心家ではない。理屈の形をした何かだ。

だがまだ、この時点では“異常”は半分しか見えていない。本当に異常なのは、その先だ。カインは立体図から目を離さずに言った。


「……壮大な話ですね、閣下」


『未来とは常に壮大なものだろう?』


「その未来に、今の人間は残るんですか」


 そこで初めて、ヴォルフはほんのわずかに沈黙した。答えない。だが、答えないこと自体が、一つの答えになっていた。観測室の白い光が、やけに冷たく見えた。


 立体投影盤の上では、人間の骨格模型に幾本もの発光導管が重ねられ、その胸部中心には、心臓に似て非なる器官構造が脈動している。

カインはそれを見上げたまま、しばらく言葉を失っていた。ただの生体補助技術でもない。目の前にあるのは、明らかに“人間”を作り替える設計図だった。


「……人類の夜明け計画……」


低く落ちた声に、ヴォルフは静かに頷いた。


『そうだ』


『現人類の限界を認め、その先を設計する計画だ』


投影が次々と切り替わる。

高密度エーテル環境下での人体崩壊予測。

外宇宙長期暴露時における神経系損耗。

循環器負荷。精神汚染率。既存人類のままでは、長期外宇宙進出は不可能――そう結論づける数値が、冷徹な列を作っていた。


『今のままでは届かない』


『だから適応が必要になる』


カインはホログラムから目を離さずに言う。


「適応ですか」


「随分と都合のいい言葉ですね」


『都合ではない。必要だ』


『淘汰か、適応か。その二つしかない』


その言葉に、リーヴェル中尉が小さく息を呑む気配がした。だがヴォルフは気にする様子もない。

カインはゆっくりと視線を上げた。


「で、その“適応”の結果がこれですか」


彼の目は、胸部に埋め込まれた疑似器官の模型を見ている。


「人間の臓器を別のものに差し替え、都合のいいように設計し直す」


「それを進化と呼ぶのですか」


ヴォルフはわずかに微笑んだ。


『呼び名に意味はない』


『重要なのは、先へ進めるかどうかだ』


また投影が切り替わる。今度は、透明な培養槽の中で眠る複数の人体。年齢も性別も揃っていない。だがどれも、身体の一部に発光する導管か、あるいは人工器官に近い影が見えた。

カインの眉がわずかに動く。


「被験体?」


『試作体だ』


『失敗例も含む』


答えがあまりにも平坦で、かえって耳障りだった。カインは一歩、投影盤に近づいた。

培養槽の中の一人、細い少女の輪郭が目に留まる。長い髪。細い肩。閉じた瞼。年齢は若い。若すぎる。胸の奥が、わずかにざわつく。


「子供まで使って…」


『年齢は関係ない』


『適合率と生存性が本質だ』


 その言葉で、カインの中の何かがはっきりと冷えた。もう十分だった。理屈は分かった。

この男が何を考えているのかも、どこまで行くつもりなのかも。問題は、その理屈の先に“人間”がいないことだ。ヴォルフの声が再び響く。


『君は知っているはずだ』


『人が今のままではどれほど脆いかも』


カインは答えない。


『今の人類を守ることと、人類を未来へ運ぶことは、同じではない』


警備兵たちが、いつの間にか位置を変えていた。

露骨ではない。だが退路を測っている者の動きだと、カインには分かる。リーヴェル中尉はもう完全に黙っていた。これは最初から、値踏みだ。

ヴォルフは投影を止める。培養槽も、器官構造も、すべてが静止する。


『カイン、君は優秀だ』


『英雄として、兵士としても、そして何より“選ぶ側”の人間としてな』


その一言で、ようやくカインは理解した。

見せたかったのは技術ではない。計画でもない。

自分自身だったのだ。賛同するか。加わるか。

こちら側に立つか。そう問われている。カインは小さく息を吐いた。怒りはまだ表に出さない。だが拒絶は、もう決まっていた。ヴォルフのホログラムが一歩前へ出る。警備兵の視線がわずかに鋭くなる。観測室の空気が、静かに張り詰める。


「こちら側に来い、カイン」


ヴォルフは静かに言った。


「この計画の価値が分かるはずだ」


短い沈黙。


「断る」


カインは一言で返した。ヴォルフは怒らない。

叫びもしない。ただ静かに、答えた。


「そうか」


その瞬間、警備兵たちの気配が変わった。


「閣下」


背後の一人が通信を開く。


「どうなさいますか」


「拘束を継続しますか」


ヴォルフはすぐには答えなかった。

カインを見ていた。数秒。測るように。


「まずは止めろ」


淡々とした声だった。


「まだ施設は閉じるな」


「賛同者の退避を優先しろ」


そこで、カインの中の最後の線も切れた。

最初からだ。最初からこの男は、取り込むか消すかしか考えていない。


「武器を離せ!」


警備兵が叫ぶ。カインの右手が腰の拳銃に落ちる。抜く。撃つ。一発目は照明。二発目は武器保持手。三発目は膝。白い光が砕け、室内の一角が暗くなる。悲鳴。怒号。


《ブラッドハウンド: 敵性反応四》


《最短動線:右方通路》


カインは机を蹴り倒して遮蔽物を作り、横扉へ飛び込んだ。背後からヴォルフの声が飛ぶ。


「カイン!」


振り返らない。


「残念だ。やつを捕らえろ。撃ってもかまわん」


カインは吐き捨てた。


「やってみろ!」


収容区画へ向かう通路で、最初に追ってきたのは人間だった。施設警備。武装兵。制圧シールド。

まだ生け捕りの空気が残っている。


「止めろ!」


「閣下の御命令だ、生きたまま確保しろ!」


生きたまま、か。カインは心の中で鼻で笑った。

そんなつもりがないことくらい、もう分かっている。拳銃が火を噴く。四発。五発。六発。

肩。膝。武器保持手。急所は外す。だが道は開く。収容区画前の認証扉。ブラッドハウンドが補助ハックを走らせる。


ピピッ


《開錠補助:4秒》


 足音。近い。カインは壁に背を付け、拳銃を構えた。七発。八発。九発。


警備兵のシールドジェネレーターが火花を散らす。同時に扉が開いた。中は白い。静かで、寒々しい。中央にメディカルボット。多関節医療アーム。投薬ライン。意識モニター。その中で、少女は眠っていた。――いや、眠らされていた。

まぶたは半分閉じ、焦点は合わない。呼吸は浅い。身体は投薬で脱力し、意識は混濁している。

言葉は無い。こちらを認識しているかどうかすら怪しい。


《個体名:IRIS》


「……クソが」


カインは低く吐き捨てた。医療アームを刀の柄で弾き飛ばし、拘束を切る。軽い。信じられないほど軽い。少女はぼんやりと瞼を揺らしただけだった。カインは彼女を抱き上げる。その瞬間、施設内通信が新しく割り込んだ。


【研究員、退避フェーズ進行中】


【重要データ群、搬出開始】


カインの表情が冷える。あの野郎。先に逃がしている。収容区画を出ると、追跡の形が変わり始めていた。人間の警備兵はまだいる。だが数が乱れている。撤退と封鎖が混じり始めたのだ。代わりに、天井パネルが開く。球形の警備ドローンが降下する。センサー光。起動音。無機質な赤い識別光。


ピピッ

《警戒》


《自律射撃ユニット確認》


カインは舌打ちした。拳銃を撃つ。十発目。十一発目。一機の光学部が砕ける。だが次の角には固定砲座。さらに床下から小型無人機。施設そのものが殺しに来ていた。背後の通信で、警備兵の声が震える。


「閣下!」


「現場戦力では止まりません!」


「どうしますか!」


返ってきたヴォルフの声は、静かだった。


『退避状況は』


『主要研究員、退避完了』


『補助研究員、退避率八割超』


『重要ログ搬出済み』


 短い沈黙。


『……十分だ』


その一言で、空気が切り替わった。


《同職員、最終退避へ移行》


《非必要区画、順次封鎖》


《残余資産、切り捨て処理開始》


カインの顔から最後の迷いが消える。

やはりだ。最初から使い捨て前提だった。

賛同者だけ逃がし、証拠も、素体も、裏切り者も、全部まとめて埋める。


「……人のやることかよ」


脱出経路は想定より早く潰れた。

上へ。地表へ。カラスへ戻れば脱出できる。そう考えて通信を飛ばした瞬間、ノイズが返る。


[Karasu_AI]……


《……受信不能……》


「チッ」


通信妨害。施設放棄に合わせて、外部との回線も潰したのだ。カラスと連携が取れない。上に戻って自分達の宇宙服を取る時間もない。

なら脱出艇区画――。ブラッドハウンドが経路を引く。次の瞬間、その先の映像が開く。脱出艇区画。そこへ走り込む施設職員たち。白衣。技術士官。警備。皆、切り捨てられない側の人間だ。

しかも今そこへ向かえば、職員の群れと、封鎖隔壁と、無人機が一気に重なる。無理だ。


「……行けんな」


 背後で固定砲座が起動する。カインは振り向き、撃つ。 十二。十三。十四。砲座のセンサーが砕ける。だが角の向こうから警備ドローンが二機、三機。足音はほとんど無い。代わりに、駆動音とモーター音だけが追ってくる。人間の敵より、それがずっと寒かった。拳銃の最後の数発は、曲がり角の先で使い切った。十五。 十六。十七。空撃ち。


「……っ」


 前方から小型無人機が二機、一直線に突っ込んでくる。カインは躊躇なく拳銃そのものを投げつけた。金属の塊が一機のセンサーを砕く。その隙に、右手が刀を抜いた。崩兼元。警報音の中で、抜刀音だけがやけに澄んでいた。無人機一機目。

胴中央を斬る。火花。二機目。回転軸を払う。

床に叩きつけ、踏み潰す。前方の通路が開ける。

そこには格納区画への案内サインがあった。

知らない区域だ。だが他に行き場がない。

その時だった。施設ノイズに混じって、別の声が割り込んだ。


『――不合理だ…ザ――無駄な咆哮だな』


『――聞こえるか』


カインの足が止まりかける。落ち着いた、低い男性の機械声。


「誰だ?」


『地表脱出は困難。脱出艇区画も実質閉鎖』


「知ってる」


『選択しろ』


背後では無人機の駆動音が増えていく。


 カインはアイリスを抱き直した。

意識の混濁した少女は、彼の胸元に額を預けたまま、微かに熱を持っている。死なせるわけにはいかない。ここで終わるわけにもいかない。


「……案内しろ」


『可能だ』


『ただし条件がある。――』


未完成の艦。知らない知性。閉じる施設。追ってくる無人機。英雄カイン・ウォーカーの視察は、そこで終わる。そして、亡霊カインの逃走が始まる。


 ヴォルフ元帥は、最初から分かっていた。

今回の視察が、単なる英雄慰問でも稼働確認でもないことを。中央からの横槍。探り。牽制。

そして、おそらくは――疑念。だが、それ自体は想定内だった。クレイドルは、いずれ捨てる予定の施設だったからだ。人類の夜明け計画はすでに次段階へ移りつつある。ここで得られるものは粗方得た。必要なデータ。必要な試作体。必要な技術者。必要な資材。運び出せるものは、もう順次移されている。残るのは、失敗作と、切り捨てるべき記録だけだ。だからこそ、カイン・ウォーカーの来訪は都合が良かった。連合軍の英雄。現場に信頼される男。取り込めるなら、それでいい。今後の計画にとって極めて有益だ。だが、取り込めないなら――処分するしかない。生かして返せば、あの男は見たものを持ち帰る。疑念は確信に変わり、他の派閥は本格的に動く。それはまだ早い。ヴォルフ元帥にとって、カインは高く評価すべき兵士ではあった。だが同時に、価値があるからこそ危険な存在でもある。従うなら使う。従わないなら消す。最初から、それだけだった。施設放棄プログラムも、偶発ではない。苦肉の策でもない。クレイドルを閉じること自体、計画の一部だ。必要な人員は退避させる。必要な資料は運び出す。賛同者は残さない。不要な記録は焼く。不要な施設は沈める。そして、不要になった者たちもまた、そこに埋める。カインがこちらに来ないなら、それでいい。英雄一人の喪失は惜しい。だが、計画全体に比べれば誤差だ。むしろ、他の派閥の英雄をクレイドルごと失わせることができるなら、悪い取引ではない。だからヴォルフ元帥は、怒らなかった。カインの拒絶も、予想の範囲に過ぎない。その返答を聞いた瞬間、彼の中ではもう次の処理へ移っていた。反抗者は――クレイドルと共に消す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。