表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/48

第32話:報告②

 食堂区画へ移ると、艦の外で続いている作業音が少しだけ遠くなった。完全に静かになるわけではない。仮設導管を流れる低い唸り。時折どこかで鳴る固定具の作動音。作業ドローンのかすかな振動。だが、それでもここは外よりずっと“落ち着いて話せる場所”だった。

卓に食事が並ぶ。湯気。皿の熱。一日の終わりへ向かう空気。ミラが席に着き、アイリスもその向かいへ座る。カインは椅子を引いて腰を下ろした。天井のスピーカーからは、アドミラルの気配が静かに落ちている。


『では、次はそちら側の共有を受ける』


カインは水を一口飲んでから口を開いた。


「通信をいれたがまずブラックネビュラバーへ行った」


ミラが視線を上げる。


「確認のためですね」


「ああ」


カインは頷いた。


「軍の匂いを軽く嗅いだ」


「店員のガレスとリゼットにも会った」


アイリスが横から言う。


「…やっぱり、あそこは普通の店じゃなかった」


カインは短く続ける。


「表向きはバーだが、あそこはそれだけじゃない」


『妥当だ』


アドミラルが言う。


『あの場は人的選別に重心がある』


「そのあと、オールドスパインアーカイブへ行った」


カインは食器へ手を伸ばしながら話を続けた。


「向こうでは、例の混成無人艦に近い事例が“完全にゼロではない”と分かった」


「数は少ないが、記録はある」


「こっちの情報も、見せていい範囲で渡した」


ミラが静かに頷く。


「照合継続中の案件ですね」


「ああ」


アイリスが補う。


「ハルバードの断片もあったし、娯楽データも拾えた」


「オズワルドとセピアも、ちゃんと見てくれた」


カインはそこで、少しだけ声を落とした。


「問題は、その後だ」


アイリスの表情も少しだけ引き締まる。


「……うん」


「アーカイブを出た時点で、尾行に気づいた」


ミラの黄金の瞳がわずかに細くなる。


「その時点で、ですか」


「ああ」


カインは短く答えた。


「向こうが下手だったわけじゃない」


「ただ、あの辺りで輪郭が出た」


アイリスが小さく言う。


「……私は全然気づかなかった」


「気にするな」


カインは即答した。


「そういう時に見るのは俺の役目だ」


その言葉に、アイリスは少しだけ口を閉じた。反論はしない。ただ、小さく頷いた。

カインは続ける。


「飯屋を挟んで、外した後に接触した」


「ついでに聞いた」


「いつから付けていたのか」


ミラが問う。


「答えは?」


「ブラックネビュラバーを出た時からだそうだ」


食堂区画の空気が少しだけ変わる。


アイリスがそっと言った。


「……じゃあ、バーを出た時点でもう見られてたんだ」


「ああ」


「ただ、気づいたのはアーカイブを出た後だ」


「結果的に向こうは敵じゃなかった」


そこは短く、はっきり言った。

ミラがそれ以上の追及はしない。

必要な線だけを引くように、黙って続きを待つ。


「その後、バンカーボートを見た」


カインが話を戻す。


「表の仕事場としては十分機能してる」


「軽い護衛、運搬、回収、見回り、倉庫番。そういう札が並ぶ」


「ただ、その札より人を見てる目があった」


「ブラックバナーの気配だな」


アイリスが頷く。


「バンカーボートは“日々の仕事”って感じ」


ミラが端的に整理する。


「表の仕事の流れと、裏の選別の入口を確認したわけですね」


「ああ」


カインが答えた。


「クロンの言ってた通りだった」


「そのあと、武器屋通りを見た」


アイリスが少しだけ笑う。


「“見るだけ”って言ってたけど、結構ちゃんと見てたよね」


「見に行ったんだから当然だ」


カインは平然と返した。


「流通の確認だ」


「混ざってる」


「刃物も同じだ」


「どこになにがあるか、大体見えた」


ミラが静かに頷く。


「現場確認としては十分です」


「買ったけどね」


アイリスが言う。


カインは小さく鼻を鳴らした。


「使い道が見えたからだ」


アドミラルが即座に補う。


『両対応のレバーアクションショットガン。現在、武器庫区画で整備中』


「ああ」


カインが答える。


「今のままだと少し長いが、後で詰めるつもりだ」


「狭い場所向けに使う」


アイリスはそれを聞いて少し笑った。


「店で見た時点で、もう“切る”って決めてたもんね」


「骨が良ければ後は合わせればいい」


「…今日それ何回も言ってる」


「大事だからな」


 そのやり取りに、ミラの口元がほんの少しだけ柔らいだ気がした。


カインは話を次へ進める。


「最後にビークルヤードだ」


「まともな売り物も見た」


「だが、決め手に欠けた」


「そのあと奥のヤードで、見つけた」


ミラが視線を上げる。


「候補車両ですね」


「ああ」


カインは頷く。


「芯は生きてる。かなり悪くない」


「三人で動ける。荷も積める。必要なら武装も載る」


「ただし、ノクスに乗せるには少し大きい」


「今のままだと、外に抱かせるか吊るかだな」


アイリスが食器を置きながら言う。


「ちゃんと“候補”って感じだった」


「残骸っていうより、“まだ終わってない物”って感じ」


「そうだな」


カインは短く返した。


「今すぐじゃないが、次に見に行く意味はある」


 話が一度切れる。

食堂区画には、外の工事音と艦内の低い駆動音だけが薄く残った。朝に別れてからの流れが、ようやく一本にまとまって卓の上へ並んだ感じがあった。アドミラルが静かに言う。


『人的接触、情報取得、表仕事場観測、兵装流通確認、車両候補確保』


『本日分の外出結果としては十分以上だ』


アイリスが少しだけ息をつく。


「……こうやって並べると、一日で結構いろいろあったね」


「外を回ったならこんなもんだ」


カインが答える。


「拾える物は拾った」


「後は、どう使うかだ」


その言葉に、ミラは静かに頷いた。


「では、本艦側の作業と照合したうえで、明日以降の行動へ落とし込みます」


カインは食事へ視線を戻しながら、小さく言った。


「そうしてくれ」


外ではまだ改修が続いている。

だが、この卓の上にはもう、今日という一日がちゃんと載っていた。夕食を終える頃には、皿の上の熱もだいぶ落ち着いていた。食堂区画の空気は少しだけ緩んでいたが、カインは席を立つのが早かった。食後の水を一口だけ飲み、椅子を引く。


「先に撃ってくる」


アイリスが顔を上げる。


「買ったやつ?」


「ああ」


カインは短く答えた。


「買ったまま寝かせる気はない」


ミラがすぐに言う。


「武器庫区画で初期点検は完了しています」


「試射区画の使用も可能です」


『弾種登録済み』


アドミラルが静かに続けた。


『通常散弾、スラッグ、スタン弾、ショック弾。すべて試験射撃可能だ』


カインは頷いた。


「アイリス行くぞ」


言われて、アイリスも椅子から立つ。


「私も?」


「ついでだ」


カインは言う。


「お前も軽く撃っとけ」


「うん」


アイリスは頷いた。


ミラは席に残ったまま言う。


「試射区画の記録は保存します」


「風呂の準備も並行して進めます」


「助かる」


カインは短く返し、アイリスを連れて食堂区画を出た。武器庫区画へ続く通路は、居住区画より少しだけ温度が低い。

壁面に埋め込まれた誘導灯。

金属床の硬い反響。整備用導線の匂い。

艦が未完成であっても、武器庫区画だけは艦らしい緊張を持っている。武器庫区画へ入ると、整備支援ドローンがちょうど作業を終えたところだった。ケースは既に開かれ、買ってきたショットガンが整備台の上に置かれている。

まだフルサイズのまま。洗浄と点検を終えたばかりで、表面の金属が少しだけ冷たい光を返していた。


 その横には、カインが普段使っている艦内製のリボルバーとセミオート拳銃、それに崩兼元も整然と並べられていた。新しく買った物だけでなく、今の自分の手に馴染んでいる物も一度通しておくつもりだった。


『機関部確認済み』


アドミラルが言う。


『ショットガンは火薬式・エーテル式両シェルとも使用可能』


『既存装備についても簡易整備状態は良好だ』


カインはまずショットガンを手に取る。


重さ。

前後のバランス。

レバーの抵抗。

整備を通したことで、店で持った時よりさらに癖が分かりやすくなっていた。


「……やっぱり長いな」


小さく言う。


アイリスが横から覗く。


「…短くする前に試すんだね」


「ああ」


「元の動きを見てからだ」


カインはレバーを一度だけ回し、戻す。

金属音が短く響く。

動きは悪くない。

このままでも使える。

だが、狭い場所を考えるとやはり少し余る。


『射撃区画を開放する』


武器庫区画の奥、厚い隔壁が左右へ開く。

その向こうに伸びるのは試射レーンだった。艦内の、制御された区画だ。今回の標的は可動式。距離も段階調整できる。対人、対軽装甲、対ドローンの想定パターンまで簡易的に組める。


カインが先にレーンへ入る。


「最初は通常散弾でいい」


『了解』


壁面の装填補助ユニットから、登録済みシェルが一発ずつ出てくる。カインはそれを受け取り、手元で確認してから装填した。


標的が十数メートル先へ立つ。


「行く」


一言だけ言って、カインは構えた。


轟音。


散弾が標的を叩き、金属片が後方へ弾ける。

反動は重い。だが、想定の内だ。

そのままレバーを回し、次弾を送る。

スラッグ。重い一撃が標的の中央を強く打ち抜き、後ろの耐衝材まで揺らした。

さらにスタン弾。着弾と同時に青白い電光が散り、標的表面にノイズが走る。

最後にショック弾。こちらは機械系やドローン相手を意識した弾で、衝撃と通電の質が違った。

カインは四種を撃ち終えると、ようやく銃身を少し下げた。


「十分だ」


アイリスが聞く。


「どう?」


「使える」


そこでカインはショットガンを一度整備台へ戻し、次に艦内製のリボルバーをホルスターから手に取った。こちらはもう迷いがない。

引き金にかかる指も、構えも、反動の受け方も全部身体に入っている。

重い発砲音。

近距離想定の標的へ、一発ずつ硬く打ち込む。

ドローンや軽装甲を想定した、いつもの確認だ。

続けてセミオート。こちらは取り回し重視。

連続で数発。反応、戻り、収まり。いつも通りだ。最後に、カインは崩兼元を抜いた。

金属音は小さい。だが、銃声の後だと逆にその静かさが際立った。射撃区画の端に用意された近接用標的へ向き直る。

一歩。半歩。腰を落とす。抜き打ちに近い角度から一閃。硬い繊維と複合材で組まれた標的の表面が、斜めに深く裂けた。


アイリスが小さく息を呑む。


「……やっぱり、刀の時だけちょっと違う」


カインは崩兼元を返しながら言う。


「確認してるだけだ」


「でも、そういう感じじゃないよ」


それには返さず、鞘へ戻した。

今の自分の武器は全部生きている。

そこへ、新しい一本が加わるだけだ。


「次、お前だ」


「うん」


アイリスは自分の腰のホルスターへ手をやった。

艦内製の非殺傷用拳銃を自分で抜き、手の中で一度だけ握り直す。

内部充電式エーテルコンデンサー。

圧縮・放出で撃つ非殺傷型。弾薬式ではない。

彼女のために作られた武器。

カインはレーンの横へ立つ。


「距離は近めでいい」


「最初は中心だけ見ろ」


アイリスが構える。

まだ少しだけ肩に力が入っている。


「力みすぎだ」


「うん……」


「狙うより先に握るな」


カインの声はぶっきらぼうだ。

だが、見ているところは細かい。


「前に流しすぎるとブレる」


「……こう?」


「そうだ」


アイリスが息を整える。

標的を見て、引き金を引いた。

圧縮されたエーテルが非殺傷用の衝撃として放たれ、標的の胸部を弾く。火薬の反動とは違う。

軽いが、押し返す感覚はある。


「…当たった」


「外してないだけだ」


カインは言う。


「次」


アイリスは少しむっとした顔をしながらも、二発目、三発目を続ける。最初よりブレが少ない。

肩の力も抜けてくる。


『収束は改善傾向』


アドミラルが淡々と告げる。


『発射ごとの姿勢補正も安定している』


アイリスが少し笑う。


「褒められてる?」


『事実を述べている』


「…じゃあ褒められてるってことにする」


カインは小さく鼻を鳴らす。


「好きにしろ」


それでも次の発射を見て、短く言った。


「今のは悪くない」


アイリスがそちらを見る。


「ほんと?」


「ああ」


「やっと素直に言った」


「言う時は言う」


訓練は長くはやらない。

アイリスも数発だけ撃って感覚を整えたところで止めた。


「今日はここまでだ」


カインが言う。


「うん」


アイリスは拳銃を安全状態へ戻し、ホルスターへ収めた。そこでアドミラルが静かに告げる。


『残量低下を確認』


『エネルギー供給を推奨する』


アイリスが拳銃へ視線を落とす。


「……あ、結構使ったんだ」


「撃ったからな」


カインが言う。

アイリスは一度だけ頷くと、ホルスターから拳銃を抜き直した。


「じゃあ、これ充填に回すね」


『了解』


壁面の輸送ユニットが静かに開く。

細長い収納部、緩衝材と固定具が並ぶ。

アイリスは自分の拳銃をそこへそっと置いた。


『充填後、自室へ返送する』


「…ありがとう」


『当然の運用だ』


固定具が閉じ、拳銃は壁の内側へ滑るように消えていく。


アイリスがその跡を見て言う。


「自室で受け取れるの、便利だね」


「だな」


カインはショットガンを見下ろした。


「こっちは武器庫へ戻す」


『了解』


整備支援ドローンがショットガンを受け取り、保管位置へ戻していく。今度は“買った武器”ではなく、“これから自分用に仕上げる武器”として置かれる感じがした。


「切るのは後で?」


アイリスが聞く。


「ああ」


「次に触る時は切り詰めた後だ」


それだけ言って、カインは試射区画を出る。

火薬の匂い。金属の匂い。

エーテルの焦げるような残り香。

それを流すには、次の行き先は決まっている。


「風呂だな」


カインが言う。

アイリスは少しだけ笑った。


「うん。そうだね」


二人は武器庫区画を後にし、そのまま風呂区画へ向かった。


 湯気の向こうで、水音がやわらかく反響している。女湯の方は、男湯より少しだけ照明が落ち着いていた。艦内設備らしい無機質さはある。

けれど、その中へちゃんと“人が入る場所”の空気が出ている。


アイリスは湯に肩まで浸かり、小さく息をついた。


「……はぁ……」


今日一日の疲れが、ようやく少しずつ抜けていく。外を歩き、見て、考えて、撃って、戻ってきた。湯の熱が、そんな一日をゆっくりほどいていく感じがあった。

少し離れた場所で、ミラも静かに湯へ入っている。


アイリスはふと思い出したように顔を上げた。


「そういえば」


「…アンカーランチャーと作業ドローン、どこで買ったの?」


「ヴェラの所?」


ミラが顔を上げる。


「いいえ」


「ヴェラの店ではありません」


「別の店です」


アイリスが少しだけ目を丸くする。


「別の店?」


「はい」


TOYBOX(トイ・ボックス)です」


「……トイ・ボックス?」


名前だけ聞くと、どうしても玩具屋のように思える。その反応が分かったのか、ミラは小さく頷いた。


「名称は軽いですが、扱っている物は実務寄りでした」


「補助ドローン、作業用ユニット、小型機材、交換アーム、そういった物をまとめて扱う店です」


「へえ……」


アイリスは少し興味を持ったように湯の中で身体をずらす。


「どんな感じの所だったの?」


「ジャンクバザールの中では、かなり整っている方です」


「ヴェラの店が“積み上げられた現場”なら、あちらは“整頓された箱庭”に近い印象でした」


アイリスが少し笑う。


「その言い方、分かりやすい」


「実際、そのような印象でした」


「小綺麗で、見た目は柔らかいです」


「ですが中身は、ちゃんと働く機械がありました」


「じゃあ、そこで買ったんだ」


「はい」


「船外作業ドローン二機と、アンカーランチャー一式を押さえました」


アイリスは湯を掬いながら言う。


「ミラ、そういうの見つけるの上手いね」


「必要な方向が見えていれば、絞れますから」


淡々とした返事だった。だが、その中に少しだけ自負が混じっているようにも聞こえた。


「店主は、コフレというアンドロイドでした」


ミラが続ける。


「接客用として整えられた印象はありましたが、芯は作業機です」


「落ち着いた個体でした」


「コフレ……」


アイリスは小さくその名前を繰り返した。


「なんか可愛い名前」


「店の空気にも合っていました」


「それで、ラッチとヒンジにも会いました」


「ラッチとヒンジ?」


「店やその周辺で動いていた小型ドローンです」


「見た目は愛玩機に近いですが、動きはかなり正確でした」


「一機は棚札を読み取り、もう一機は下段の箱から部材を引き出していました」


「つまり、可愛い顔をした作業機です」


アイリスが少し吹き出す。


「それ、絶対見たかった」


「ミラ、ちょっと好きだったでしょ」


「嫌いではありません」


即答だった。


それが可笑しくて、アイリスはくすっと笑う。

湯気の向こうで、ミラは少しだけ間を置いてから続けた。


「コフレと少し話しました」


「自由港で店を続けている理由です」


アイリスはそれに少しだけ真面目な顔になる。


「なんて言ってたの?」


ミラは静かに要点だけをまとめるように話した。


「自由港は、人間だけが流れ着く場所ではない、と」


「旧式、規格から外れた作業機でも、ここならまだ次の役目を持てることがある」


「表では“管理できるか”が先に問われる」


「でも、ここでは“使えるか”が先に来る」


「その違いは、自分のような個体には大きい――そういう意味のことを言っていました」


アイリスはしばらく湯の表面を見ていた。

コフレ。ラッチ。ヒンジ。

見た目は可愛かったり、整っていたりする。

でも、ただ置かれた機械ではなく、それぞれの場所で、それぞれの役目を持って動いている。


「……なんか」


ぽつりと、アイリスが言った。


ミラが視線を向ける。


「…アンドロイドとドローンにもいろいろいるんだね」


「何ていうか……生活してるっていうか」


「……生きてるんだね」


湯気の向こうで、ミラは少しだけ黙った。

その言葉を、すぐには軽く返さなかった。


「そうですね」


やがて、静かに答える。


「少なくとも、ただ命令を待つだけではない個体はいます」


「コフレもそうでした」


「ラッチとヒンジも、単に動いているというより、あの店の中で自分の役目に馴染んでいました」


アイリスは小さく頷く。


「うん」


「なんか、ちょっと分かった気がする」


「ミラも、提督も、そういう感じなんだなって」


ミラは湯の中で自分の手を少し見た。


「私はエーテルガイストの補助端末として作られました」


「アドミラルと基礎は共有しています」


「ですが、同一ではありません」


「経験する環境も、身体も、役割の持ち方も違います」


「だから、少しずつ差が生まれます」


「考え方も、判断も、好みも」


アイリスはそこで少しだけ笑う。


「うん」


「…それ、分かる」


「…ミラってちゃんとミラだもん」


ミラはその言葉に、ほんのわずかに目を伏せた。


「……ありがとうございます」


アイリスは湯に肩を沈めながら続ける。


「コフレも、自由港でちゃんと店をやってて」


「ラッチとヒンジも、ちゃんと働いてて」


「アドミラルはアドミラルで、あの艦の中でずっと考えてて」


「そういうの見ると、ただ機械っていうだけじゃないんだなって思う」


ミラは静かに頷いた。


「そう考えるのは、自然だと思います」


「個体差はあります」


「ですが、役目の持ち方や、場所への馴染み方には違いが出ます」


「それを“生活している”と表現するなら、大きくは外れていないかもしれません」


アイリスは少しだけ嬉しそうに笑った。


「そっか」


「なんか、いいね」


「何がですか?」


「ミラがいて、提督がいて、外にはコフレみたいなのもいて」


「ちゃんと、みんなそれぞれ違うっていうの」


ミラは少しだけ考えるように間を置いた。


「……そうですね」


「違うことは、悪くありません」


その返しは、いつものミラらしく整っていた。

 けれど、その奥に少しだけ柔らかいものが混じっていた。


アイリスは湯の中で肩を寄せるように沈み、ふっと息をつく。


「今度、私もコフレに会ってみたいな」


 ミラは静かに頷いた。


「はい」


「機会があれば、案内できます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ