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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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3/6

第三話アイリスの記憶①

***

 カインは走っていた。腕の中に、軽すぎるほどの体重。少女を抱いて

 アイリスは、完全には意識が戻っていない。

だが、音だけが――

言葉だけが、断片的に染み込んでくる。


ザザッ。

『――不合理だ…ザ――無駄な咆哮だな』

低く、金属の擦れるような声。


『カイン、残存生命活動可能時間は残り180秒だ。

その少女を捨てれば、生存率は80%まで回復する。

次の通路を左だ』


「……チッ……誰だ、てめぇ……!」


息を切らしながら、カインが吐き捨てる。


「施設のAIか?それともヴォルフの犬か!」


ザザッ。

一瞬、ノイズが走る。


『否定する』


『私は、この施設の管理AIではない』


『また、ヴォルフ元帥の指揮系統にも属していない』

崩落音。金属が歪む轟音。


アイリスの意識が、わずかに浮上する。

――だれ……?


『私は艦載知性だ』


声は、冷たい。

だが、妙に落ち着いている。


宇宙戦艦エーテル・ガイスト搭載』


『呼称は――アドミラル』


「……提督(アドミラル)……艦の、AI……?」



カインは走りながら、鼻で笑った。


「冗談だろ。こんな氷の牢獄に、艦があるってのかよ」


『事実だ』


『そして現在、貴様の生存確率を最も高く維持できる存在でもある』


爆炎。

熱風。

カインは歯を食いしばる。


「……だったら、今すぐ出しやがれ。その艦を!」


ザザッ。


『可能だ』


『ただし条件がある。この艦は未完成――』


その言葉の続きを、アイリスは聞き取れなかった。

衝撃。

 重力が、ひっくり返る。 床が揺れ、

 天井の向こうで何かが――壊れた。


ピピッ

 《警告!》《構造材崩落!》《酸素濃度低下!》


 右目の義眼が、 無慈悲なほど冷静に情報を吐き出す。


「チッ……!」

 

 カインは舌打ちし、アイリスを抱え直した。

その動きで、彼女の頬が、彼の胸に触れる。

***

 ――あたたかい。 その感覚だけが、

 アイリスの意識を、現実に繋ぎ止めていた。

耳鳴り。視界が白く滲む。

次に来たのは、 重さだった。 身体が、強く引き寄せられる。 抱えられている感覚。

 ――あたたかい。

胸に、固い鼓動が伝わってくる。

それが、誰のものかは分からない。

ただ、落ちていかない。

ザザッ。

遠くで、ノイズ混じりの声が続く。

意味は、理解できない。でも、急いでいることだけは分かる。走る振動。息の荒さ。そのたびに、

 抱く腕に、力が込められる。

 ――行かなきゃ。

理由は分からない。

でも、その必死さだけが、伝わる。

突然、身体が大きく揺れた。

 ズゥゥゥン――。

何かが、落ちる音。

次の瞬間、胸の温もりが、一瞬だけ、遠ざかった。

――いや。

 強い力が、身体が、前へ押し出される。冷たい床。衝撃。

 その直後。音が、壊れた。


ギチ、 ゴキン。


 金属が、何かを噛み砕く音。

それは、 扉が閉じる音ではない。

「――――ッ」

 声。

 悲鳴。

胸の奥が、 きゅっと縮む。

ザザッ。ピピッ。

機械的な音。

――ひだり、うで。

なぜか、それが、自分のせいだと思った。

 理由はない。ただ、そう感じた。次に見えたのは、背中。片側だけ、少し傾いた背中。それでも、立っている。

 ――先に。

そう言われた気がした。声ではなく、動きで…その瞬間、

アイリスの意識は、静かに切れた。

 あの言葉。――選択しろ。

誰かが、誰かに向けて投げた問い。

最後に聞こえた言葉だけは、なぜか胸の奥に沈んだ。

***

時系列は脱出後アイリスが目を覚ました後

***


「……ただの亡霊だ」


 彼女は、その言葉を否定しなかった。

代わりに、ぎこちなく――それでも確かに、

 彼の軍服の裾を掴んだ。

力は、弱い。指先は、冷たい。

それでも、「離れない」という意思だけは、はっきりしていた。カインは、何も言えなかった。

言葉を返せば、その重さで、何かが崩れる気がした。黄金の目が、静かに瞬く。

ザザッ。

『――覚醒レベル、安定』

 

『――外傷以外の異常なし』


無機質な報告。

だが、その声は、先ほどよりも少しだけ低い。

 アイリスは、その音に、わずかに反応した。

視線が、カインの背後へ向く。


「……さっきの……声……」

 

 掠れた問い。カインは、肩越しに振り返る。

モニターに映る単眼の黄金色に輝く、静かな“視線”。

 

「……ああ」

 

短く、息を吐く。

 

「こいつが……この艦のAIだ」

 

 少し間を置いてから、付け足す。


「名前は……アドミラル、らしい」


アイリスは、その名を、心の中でなぞる。

 ――アドミラル。

 でも。口から出たのは、違う言葉だった。


「……提督……?」


 カインが、驚いたように彼女を見る。


「……なんで、それを……」


アイリスは、首を小さく振った。


「……わからない……」


分からない。でも、それだけは、残っていた。


 ザザッ。

『――呼称を確認した』


アドミラルの声が、わずかに遅れて響く。


『――許容範囲内。好きに呼んでくれて構わない。』

それだけ言って、それ以上は、何も説明しない。

アイリスは、もう一度、カインの裾を掴んだ。

今度は、少しだけ、強く。

 

「……行くの……?」


 問い。カインは、

失った左腕の痛みを、奥へ押し込める。

そして、立ち上がろうともしないまま、答えた。


「ああ」

 

「……逃げる」


それは、撤退でも、敗走でもない。

生きるための、ただひとつの進路。

黄金の目が、静かに瞬く。

 

『――進路、設定完了』


『――次の選択点まで、航行を継続する』


アイリスは、その言葉の意味を、まだ知らない。

ただ。この場所で、この人と、この“声”と一緒にいる限り――

自分は、“部品”ではない。

その確信だけが、彼女の胸に、静かに灯っていた。



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