エイプリルフール番外編
本編とは関係無しのギャグ回です。
エーテルガイスト艦内、居住区画。
自由港へ向かう準備が少しずつ進み、艦の中にも慌ただしさが満ち始めていた頃のことだった。
カインは自室の椅子に腰掛け、左の義手の動作確認をしていた。拳を握る。開く。指を一本ずつ曲げる。問題ない。
右目――機械式多機能義眼の表示も正常。体温、艦内気圧、簡易脈拍、視界補助。どれも異常なし。
「……よし」
小さく呟いた、その時だった。
左義手の指が、カインの意思と無関係にぴくりと動いた。カインの眉がわずかに寄る。
「……?」
もう一度、左手を見る。次の瞬間。
義手の人差し指が、すっと立った。
そして。ふるふると左右に振れた。
「……は?」
カインの口から、極めて珍しく間の抜けた声が出た。その瞬間、右目の視界端に文字が走る。
ピピッ!
《警告!》
《左手部より不審挙動を検知!》
《犯人は左手です!》
「お前も何だ」
カインが低く言った瞬間、今度は視界中央に文字が出る。
《訂正》
《私は“お前”ではありません》
《誇り高き多機能義眼ブラッドハウンドです》
さらに左義手が、親指と人差し指を打ち合わせてぱち、ぱちと小気味よい音を立てた。
そして。
「やあ」
喋った。
「…………」
カインは数秒、完全に停止した。
「今、喋ったか」
「喋ったとも」
左義手が陽気な声で答える。
「せっかくなので挨拶くらいはしておこうと思ってね」
「誰の許可を取った」
「勢いで」
《補足》
《非常に堂々としています》
「補足するな」
次の瞬間だった。義手の手首側から、小さな駆動音が鳴る。カシュン。接続部が、自分から外れた。
「………………」
カインの左腕から、義手がぽろっと落ちる。
だが床に転がることはなかった。手首側の装甲が四枚ほど開き、その内側から細い補助フレームが展開する。がしゃ、がしゃっ。掌と指を支点にして、義手は床へ着地した。手のひらを胴体に、五指を脚にした奇妙な小型生物めいた何かが、そこで胸を張るように指を広げる。
「よし。歩ける」
「何で歩ける」
「独立機動のロマンというやつだ」
《補足》
《左手は今、とても満足しています》
「聞いてない」
だが、異常はそれで終わらなかった。
左手がその場でぴたりと静止し、何かを決意したように親指を立てる。
「では」
「第二形態へ移行する」
「待て」
待たなかった。カシャ、カシャカシャ、キィン。
小さな機械音とともに、義手全体の構造が再配置される。指が分割し、掌が開き、フレームが折り畳まれ、装甲が滑るように組み替わる。
そして数秒後。そこに立っていたのは――手のひらサイズの美少女ロボットだった。
「…………」
「どうだ」
小さな美少女ロボットは、腰に手を当てて言った。
「驚いたか」
サイズは変わっていない。
全高は、せいぜい義手を立てた程度。
なのに、頭、胴、腕、脚がやたら整っている。
しかも妙に自信満々だ。髪のように見える装甲。
目元らしき発光スリット。スカートめいた外装。
そして、なぜか無駄に決まっている立ちポーズ。
カインはしばらく何も言わなかった。
それから、ようやく言う。
「……何だそれは」
「見て分からんか」
小型美少女ロボットと化した左手は得意げに胸を張る。
「美少女形態だ」
《正式名称は未定です》
《ですが左手はかなり満足しています》
「お前もそれを受け入れるな」
「いいだろう。男の子はこういうのが好きだ」
「誰目線だ」
「私目線だ」
カインは額を押さえた。
こういう時は、一人で抱え込むとろくなことにならない。その経験はある。
ラウンジ区画では、アイリスとミラがいた。
アイリスは飲み物を持ち、ミラは端末を見ている。二人とも、入ってきたカインを見て顔を上げた。
「…カイン?」
「どうしましたか」
カインは一拍置いて言った。
「……義手と義眼が喋る」
アイリスが数秒固まる。
「……うん?」
その直後。カインの足元から、小さな金属音が響く。
とて、とて、とて。
美少女ロボット形態の左手が、自分で歩いて入ってきた。
「失礼する」
アイリスの飲み物が危うくこぼれかけた。
「えっ!?」
ブラッドハウンドが視界に文字を出す。
《補足します》
《左手は現在、美少女形態です》
「補足で済ますな!」
アイリスが目を見開く。
「何それ!? 何でそうなったの!?」
「進化だ」
小型美少女ロボがきっぱり言う。
「より親しみやすく、より洗練された」
ミラは数秒、完全に無言だった。
それから静かに言う。
「……形状評価に困ります」
「困るな」
カインも即答する。
ブラッドハウンドが文字を躍らせる。
《私は評価します》
《造形完成度は高いです》
《左手、無駄に気合いが入っています》
「無駄に言うな」
アイリスはもう笑うしかなかった。
「だ、だめ……サイズ変わってないのに、ちゃんと美少女なのがずるい……!」
「当然だ」
左手は小さな胸を張る。
「本気でやるなら徹底する」
「何に本気出してるんだ…」
その騒ぎを拾ったのか、スピーカーからアドミラルの声が落ちてきた。
『状況を確認する』
「提督、義手が外れて歩いてる」
「それだけではありません」
ミラが淡々と補足する。
「現在、美少女形態へ変形済みです」
数秒の沈黙。
『……確認した』
『左義手、独立挙動、発話、簡易変形、ならびに不要な高完成度外装再構成を確認』
「不要とは失礼だ」
左手が抗議する。
「これは浪漫だぞ」
『浪漫は認める』
『必要性は認めない』
アイリスがとうとう吹き出した。
「…提督、そこは認めるんだ……!」
ブラッドハウンドが補足する。
《提督は意外と柔軟です》
《でも厳しいです》
『ブラッドハウンド』
《はい》
『お前も診断対象だ』
《了解しました》
ミラが静かに尋ねる。
「提督、停止可能ですか」
『試行中』
『ただし、局所的な制御干渉が発生している』
『左義手単体の故障ではない可能性が高い』
カインが眉を寄せる。
「何が起きてる」
『簡潔に言えば、余計なことが起きている』
《非常に分かりやすい説明です》
「お前は黙ってろ」
左手美少女ロボが小さな手でぱち、ぱちと拍手を鳴らした。
「提督、言い方が辛辣だな」
『正確なだけだ』
「美少女形態を一刀両断か。手厳しい」
『そういう問題ではない』
その後、状況はさらに悪化した。
ブラッドハウンドが突然、視界中央に大きな文字を出す。
《提案》
《必要なら合体できます》
「何と?」
《左手とです》
ラウンジが一瞬静まり返る。
アイリスが、ゆっくりと聞いた。
「……合体?」
「できるぞ」
左手が平然と言う。
「私が主機、ブラッドハウンドが頭脳を担う」
「嫌な予感しかしない」
カインが即答すると、ブラッドハウンドは文字をさらに出した。
《統合名称案》
《スーパーレフトハウンド》
《ハンドハウンドMk-II》
《美少女戦術支援融合体》
「全部だめだろうが」
『待て』
アドミラルが低く割り込む。
『合体は許可しない』
「なぜだ」
『嫌な予感しかしないからだ』
カインとアドミラルの声が、ほぼ同時に重なった。アイリスが耐えきれず笑い出す。
「…そこは息ぴったりなんだ……!」
左手は肩をすくめるように小さな手を広げた。
「残念だ」
《私は少し残念です》
《でも理解はします》
ミラが静かに頷く。
「妥当です」
「現状でも十分に過積載です」
しばらくして、ブラッドハウンドが視界へ勝手に文字を躍らせ始める。
《艦内特別ミッション発生!》
《目的:コーヒーを手に入れよ!》
《報酬:気分が少し良くなる!》
カインは眉間を押さえた。
「……そう来るのか」
「いい案だ」
左手が頷く。
「君は、少し張り詰めすぎている」
ミラが続ける。
「提案自体は合理性があります」
「少なくとも、ラウンジの緊張は先ほどより下がっています」
アイリスが笑いを堪えながら言う。
「ミラまでそっちに行くの……?」
「私は観測結果を述べています」
アドミラルが短く言った。
『一定の効果は見込める』
『ただし、命令系統の乗っ取りは容認しない』
《提督は厳格です》
《でも完全否定ではありません》
結局、カインはラウンジ区画で半ば強制的にコーヒーを飲まされることになった。小型美少女ロボ化した左手は満足げにカップの縁へ腰掛け、
ブラッドハウンドは空中投影で星マークを出した。
《ミッション達成!》
《本日の気分:ちょっとマシ!》
「うむ」
左手が満足げに言う。
「やはりコーヒーは偉大だ」
アイリスは笑い疲れた顔のまま小さく息をついた。
「……もう十分だよ……」
ミラは静かに頷く。
「ラウンジの雰囲気は改善しています」
アドミラルは一拍置いてから言った。
『一定の効果は認める』
『ただし、左義手の独立挙動および不要変形は後で精査対象だ』
「そこは変わらないんだな……」
『当然だ』
左手が肩をすくめるように言う。
「厳しい男だ」
『管理者として正常だ』
カインがコーヒーを一口飲み、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「……好きに言え」
しばらくして、左手は机の上からぴょんと飛び降りる。
「さて、そろそろ帰るか」
「帰るって何処に」
「君の腕だよ」
そう言うと、手のひらサイズの美少女ロボット形態が再びカシャ、カシャ、キィンと再構成され、元の義手の形へ戻っていく。
「戻るのか……」
「当然だ」
元の義手形態へ戻った左手は、接続部を自分から上へ向けた。カインが無言で拾い上げる。
カシュン。ぴたりと左腕へ戻る。
ブラッドハウンドの文字も静かに通常モードへ戻った。
《本日の特別運用を終了します》
《私は満足です》
「聞いてない」
翌朝。
義手は何事もなかったように沈黙していた。
ブラッドハウンドも、いつもの義眼として静かに視界補助だけをしていた。ただしラウンジのテーブルには、いつの間にか小さな紙片が一枚だけ残されていた。
『少しくらい笑え』
筆跡は妙に達筆だった。カインはそれを無言で見つめ、数秒後、静かに握り潰した。




