撲滅って何?
通された部屋の中を、テトラに気取られないようにそっと見渡す。
整えられた簡素なベッドに、明かりが通らぬように木の板で塞がれた窓。窓際に置かれた小さなテーブルと二脚の椅子。生活感はあまりないが、壁際に置かれた小さなたんすの上に暗夜からもらったものと同じ魔導石が置いてあり、それだけがこの部屋に持ち主がいることを表している。
これは暗夜の部屋だ。輝夜は直感的にそう思った。暗夜も、階段を登った先にある部屋が自室だと言っていた。しかし、部屋というよりは牢獄のような風体のこの空間で、暗夜はどう生活していたのだろうか。
テトラに軽く背中を押されて、輝夜はのたのたとした足取りで部屋へ入る。輝夜がドアへ向き直った頃にはもうすでに扉は閉じられていて、彼はそこにいなかった。
一人残された輝夜は、ベッドの下をそっと覗く。ほこりひとつない、きれいな床。ベッドと反対側の壁際にある、たんすに目をやる。背の低いたんすの上に、小さな布の袋がぞんざいに置かれている。たんすのそばに行って、袋を開ける。中身は着替えとタオルだった。入浴セットのようだ。城の外にある兵士用の浴場を使っていると暗夜は言っていた。
袋をたんすの上に戻して、引き出しを開ける。輝夜が今着ている、暗夜のものと同じ服が二セットと、夏用の服が三セット。それと男性ものの肌着。引き出しの角にぞんざいに置かれた小さな箱の中にはお金が入っていた。暗夜は自由に使ってくれと言っていたが、自由に使うほどの金額もないように感じる。
暗夜の下着を自分が履くのは、なんだか色々と問題があるような気がする。暗夜のお金で新しいものを買うべきか、暗夜のぱんつとにらめっこをしながら輝夜が唸っていると、不意に扉が開けられた。
「暗夜さ――えっなにやってんですか?」
「わっわあ! なんも! なんもないよ!」
慌ててぱんつをたんすにねじ込んで、勢いよく引き出しを閉める。風圧で輝夜の前髪が巻き上がる。
白けたような目で主を一瞥して、テトラは小さく息をついた。
「着替えるんなら早くしてください。壁の外に魔物が出たそうで、討伐に行くようにと命がありまして」
テトラが、低い声で輝夜の耳朶を揺らす。輝夜が彼を見るまっすぐな瞳と目が合うと、その目は逸らされた。
「帰ってきたところですけど、外に馬車を待たせているので……」
「着替えようとしてたんじゃないんだ。行けるよ、ぼく」
そう言って、輝夜は壁際に立てかけていた剣を手に取り、剣帯に取り付けながら部屋を出ようとした。それを、テトラの声が制す。
「着替えはいいんですか?」
「あ、ああ、そうだね。ありがとう」
輝夜が頭を傾げてはにかむと、テトラは怪訝な顔をした。ああ、そうだ。暗夜はきっと、こんな表情はしない。
浮かべた表情を隠すようにして、テトラが踵を返した。石造りの廊下を、彼の革靴が叩く。彼の後を追って、輝夜は小走りする。彼はこちらを振り返りもせず、どんどん歩いて行ってしまう。
人間の群れの中で彼の長身は目立つので、輝夜を城内に置いて賑わう城下の人混みに混ざっていても見失うことはない。テトラの歩いている少し先に、黒く塗られた木製の馬車がある。彼の目的地はそこらしい。開いたままの城の扉を潜る。近くを歩いていた人間と目が合うと、その目はすぐに逸らされた。
輝夜も彼から視線を外して、先ほど潜り抜けた扉の方を振り返る。開いた扉を守るようにして立っている。くすんだ緑色の制服を着た兵士たち。彼らも、輝夜と目が合いそうになると、黒目をよそに向ける仕草をした。テトラの方に顔を向ける。背後から、囁くように小さな声が聞こえた。
「今、目が合いそうだった」「こええな、あいつの機嫌損ねたら、王子みたいになるんだろ?」「それ、オレは信じてないぞ」「なんで?」「だって、処刑人形が――」
数人の兵士たちが、口々に何か言っている。暗夜はいつも、他人からのこういった視線の中を生きているのだろうか。輝夜にも少しだけ、その気持ちがわかる。輝夜は再び振り返って、彼らに向けて、笑顔を浮かべた。
「ぼくもその話、混ぜてよ」
男たちの顔が、引き攣った。――くだらない。輝夜が反応しただけで焦るのなら、耳に入らないところで言えばいいのに。男たちの方に、一歩足を踏み出す。
「暗夜様。油売ってないで行きますよ」
テトラに肩を掴まれた。
「だって、あの人たち、ぼくのこと」
「言わせておけばいい。それしか娯楽がない奴らなんです。行きますよ」
半ば引きずるようにして、輝夜は馬車の中に押し込まれた。ぶすくれた顔をして、輝夜は彼に促されるままに、黒い光沢のある革がぞんざいにかけてある座面に腰を下ろした。先ほど乗った馬車もそうだったが、この装飾には何の意味があるのだろう。よく磨かれたつるつるの表面を撫でて、輝夜の対面で腕と足を組んで俯くようにして身体を畳んでいるテトラの方に視線を向ける。
「腕、大丈夫?」
「大丈夫です。それ何回聞くんですか?」
「ごめんね」
「なんか、暗夜様が素直だと気持ち悪いですね」
「うるさいな」
「はは」
テトラが目を細めて笑った。
ガラスの窓は黒い布で覆われていて、馬車の外は見えない。薄い布地越しに入る仄かな明かりに照らされて、車内はまるで昼間に見る夢のようにぼんやりとしている。
馬車が動き出した。整備されたがたつきの少ない路面を、繋がれた馬の歩幅に合わせて揺れながら馬車が進んでいく。壁の国にも力車はあるけれど、屋根付きのものなんて輝夜ですらあまり利用しないくらい特別なものだ。
壁の国では、馬ではなく魔物自身が力車を牽くのだ。牽く物があまりにも重いと車夫の体力を無駄に削いでしまう。それに、道の整備も結構適当だ。壁の国とこことでは、全然環境が違う。向こうでは悪路のせいで力車から投げ出されそうになることが稀にある。道の整備は重要かもしれない。半ば勢いでここまで来てしまった輝夜だけれど、壁の国をよりよくするために、いいと思ったものは持ち帰って取り入れようと思った。
「ねえ、地面のレンガって、どこで作ってるの?」
問いかけると、テトラの丸く開かれた目が輝夜を見る。
「どうしたんですか急に。なんか海の向こうの国から仕入れたって話ですけど」
「海の向こう……!」
思わず目を輝かせた輝夜に、テトラが一瞬眉間を狭めた。それから、少しだけ笑った声で続ける。
「聞いた話だと、その国がある島は魔物を撲滅して、もう人間しかいないんだそうです。
――こっちはどうなるんでしょうかね。魔物がいなくなったって、人間同士でも争うし、平和になる気もしないけど、今よりはマシになるんですかね」
問いかけるわけでもなくこぼすテトラ。輝夜は首をかしげて、肩をすくめて返す。
「さあ……」
人間にとって、やはり魔物は忌むべきものなのだろうか。撲滅なんて言葉を使われて、迫害されなければならない生き物なのだろうか。魔物だって、人間とほとんど変わらない営みを続けているのに。
暗い調子の返事をした輝夜に、テトラの苦く笑った声がかかる。
「まあ、魔物退治してるおれらは別だけど、国の中で普通に暮らしてる分には、魔物なんか本当にいるのかもわからないくらいですけどね。実際おれは、あなたに会うまではそうでしたし」
「ふぅん」
「生まれた時から勇者のあなたにはわからないですよね」
「うん」
素直に首肯を返す。魔物そのものである輝夜は、当然魔物と出会わない生活など知らない。当たり前のように身近にいて、毎日自分や他者のために働いたり、娯楽を満喫したりして生きている。きっと人間だって、それは変わらないだろう。
「ああそうだ。飯まだですよね」
突然そういうと、テトラが隣に置いてあったバスケットを差し出してきた。輝夜はそれを受け取って、かけてある白い布をめくる。その中には、小さなパンとチーズが二つずつと、水の入った瓶が一つ。
「それ食ってください。おれはもう食べました」
「ありがとう」
「……一人でいる時に変なキノコでも食べたんですか?」
「そんなことしないよ!」
輝夜の反論にテトラは再び小さな声で笑って、それから口を閉じて、窓にかけられた黒い布の方に目を向けた。彼の横顔をぼんやりと視界に映しながら、輝夜はパンに齧り付いた。
食事を終えた輝夜はテトラと少しずつ他愛のない会話をしながら、結構長いこと、馬車に揺られていた。馬車が止まる。くすんだ緑色の服を着た御者が、馬車の扉を開けた。先に降りたテトラに続いて、輝夜も馬車を降りる。
眼前に広がるのは、木々。木々の合間を縫って馬車を走らせるには骨が折れるような密度で茂っている。今まで走っていたのは舗装されていない砂利道だったようで、馬の顔が向いている方にはまだ道が続いていて、その遥か先には、小さな家々が立ち並んでいるのが見えた。
顎先にたくわえたひげをもんでから、御者が輝夜の前方――木々の向こうを指さした。
「あっちの方に棄てられた家があるんですけど、魔物はそこに住み着いているそうです」
「ねえ、その魔物は、人を何人殺したの?」
「いえ、まだ一人も」
なんでそんなことを聞くのか、と言わんばかりに、彼は目を丸くして答えた。
輝夜は頷いて、先に歩き出したテトラに付いて歩く。
身軽に動くのには向いていなさそうな革靴で、テトラは木の根や落ち葉ででこぼこになった地面を悠々と歩いていく。慣れているのだろう。踵の高い輝夜の靴も自然を歩くのには向いていないけれど、輝夜もそれには慣れている。
壁の国にも森はあって、輝夜は暇になると従者のアドレインを連れて森で遊んでいた。今頃暗夜はきっと、遅い帰還を心配したアドレインに部屋に押し込まれているだろう。ときどきめんどくさくなるアドレインと短気な暗夜は、相性が悪そうだ。喧嘩にならなければいいのだけど。




