テトラくん
勇者になった魔王――輝夜は、盾の国を守る、壁の国のそれと比べるとだいぶと貧弱な壁の前に立っていた。
目の前には門があるが、この門を開けてもらうにはどうすればいいのか、輝夜は暗夜から聞かなかった。というか、聞き忘れた。それに、輝夜も暗夜に教えなかった。ふたりにとって当たり前の事すぎて、思いつきもしなかったのだ。
暗夜が連れていたグレーの馬をなでながら、閉じられた門扉を前に立ち尽くす。夜明けの手前の風が寒い。
空の色は薄暗いすみれ色。夜通し暗夜と語って、眠たい目で門の上に設けられた通路を見る。門番の姿は見当たらなかったが、これが門番たちのサボりによるものなのか、それともそういうものなのか、輝夜にはよくわからない。
五分ほど立ち尽くして、そろそろなにか大きな音でも立てて人を呼ぼうかと思ったところで、不意に門扉がきしんだうめき声を上げた。門の向こうから、なにか不機嫌そうな声が聞こえる。
「なんで外に立っていないんですか? 勇者様、締め出されてるかも――」
無骨な甲冑姿に向けて声を降らせている彼が、開かれた門の外にぽつりと立つ輝夜に気がついて声を止めた。彼の茶色い虹彩が収められたまぶたが見開かれる。弾かれるように飛びつかれて、激しい勢いで両肩を掴まれた輝夜は間の抜けた悲鳴をあげた。
「わっあわっ」
「あっ暗夜様、大丈夫ですか!? 怪我は!?」
そう言って無遠慮に服の裾をめくろうとしてきたので、「ぎゃー、やめて」と輝夜は叫んで彼の手を叩き落とした。ちなみに、服に開いた穴は暗夜が器用な手付きで繕ってくれたのですでに塞がっている。
「いってぇ!」
腕を叩かれた彼が上げた悲鳴の声量に圧されて、輝夜は目を丸くして一歩後ろに下がった。よく見ると、眼前の茶髪の彼は右腕の袖を切った服を着ており、露出した腕には血の滲んだ包帯が巻かれていた。
「ああ、腕大丈夫? 痛そう」
輝夜がそう言うと、彼は怪訝な顔をして、眉間にしわを寄せて輝夜の目を見た。輝夜がもう一歩、後ろへ退く。
「そのうち塞がるんで、大丈夫ですよ。縫ったし、深くなかったし。気にしないでください。あんまり痛くなかったです」
彼がした不思議な言い回し。輝夜は一拍置いてから昨夜の暗夜の様子との合点がいって、うろたえた。
「あ、ああ、ごめんね、それ、ぼくが……」
「いいですって。――いてて」
彼――テトラのごつごつとした大きな手に腕を掴まれて引かれる。あんまり痛くなかったとか言いながらしっかり痛がっている彼に強い力で牽かれて、輝夜はよたよたとしながら促されるままに彼について歩く。輝夜の眼前には質素な黒い馬車があって、輝夜が連れていた馬は御者に預けられて馬車に繋がれた。
「帰りましょ」
彼が馬車の扉を開けて、輝夜に促す。輝夜が馬車に乗り込むと彼も輝夜の向かいに座り、咎めるような視線でこちらを見つめてくる。
「……ごめんね」
「何がですか?」
大仰な身振りで伸びなんかしながらそう答える彼。怒っているのだろうか。輝夜は俯いた。
数秒、沈黙。馬車が動き出した。
「腕のことはいいです。触るなって言われて触ったおれが悪い。様子おかしいのも気づいてたし」
彼がおもむろに口を開く。輝夜が顔を上げた。
「ただ、急に飛び出してこんな時間まで帰ってこないなんて、何かあったらどうするんですか? おれ、めちゃくちゃ探しましたよ」
「……うん。ごめんなさい」
うつむく輝夜。その小さな頭に、テトラの穏やかな低い声が降ってくる。
「――おれ、あのときどうすれば良かったですか?」
おそらく、あのときとは暗夜が彼にけがを負わせたときのことを言っているのだろう。状況も理由も輝夜は知らないけれど、暗夜は「傷口に触れる」という内容のことをずっと言っていた。テトラの言葉からも、きっとそうなのだろうと輝夜は思った。
「……ぼく、傷を人に触られるのが駄目なんだ。だから、ぼくが怪我したら触らないでほしい。それだけでいいよ」
「難しいな……でも気をつけます」
再び俯いた輝夜の頬を、彼の骨ばった指先がつまみ上げた。急に触れられて驚いた輝夜が彼の目を見ると、彼は弾かれるように手を引いた。
「あっ、すいません。弟なだめてるときみたいでつい反射で」
照れたように頭を触りながら言って、それから何かに気づいたように怪訝な顔をした。
「――怒らないんですか? いつもこれやるとキレるのに」
そういえば、暗夜も輝夜の頬をつまんできた。テトラの行動がうつったのだろうか。やっぱり仲がいいんじゃないかと、輝夜は少し口元を緩めた。
「別にいいよ」
暗夜の態度を意識してそっけなく返して、馬車の窓からそっと街並みを見る。あまり見るとテトラに怪しまれそうな気がして、横目でそっと見る。店や家が雑多に立ち並んだ壁の国と違って、盾の国は真っ直ぐに引かれた道に、きれいに建物が並べられている。地面は鮮やかな朱色のレンガと明るい灰色のレンガが敷き詰められていて、早朝の日差しの中で輝いている。
ひとの少ない壁の国と違って、まだ薄暗いこんな時間帯でも城下は行き交う人々で満たされていた。人々は馬車を見るとそっと避けて、窓から覗く暗夜に気がつくと、鋭い目つきをこちらに向けてくるものもいたが、ささやかに手を振って来るものもいた。
輝夜も彼らに、控えめに手を振りかえす。いちいち手を振り返すのがなんだか恥ずかしくなった輝夜が窓から顔を離して背もたれに頭を着けると、こちらをずっと見ていたらしいテトラと目が合った。
「少し太りました……?」
「は……?」
「あぁ、いえ、気のせいかな。なんか顔丸くなったかなと思ったんですけど」
「……もともとこうだよ」
「そのくらいがちょうどいいですね。痩せすぎてなくて、筋肉もついてて」
「……」
「なんで睨むんですか?」
なんとなく、服の中を覗かれたような気だった。輝夜の視線の意味を理解できないテトラは短く息を吐いて、途切れた会話をごまかすためか、窓の外に視線をやった。それきり黙ってしまったテトラにじとっとした視線を向ける輝夜。
ぼんやりとテトラの横顔としっかりとした顎のラインを眺めていた輝夜は、いつの間にか眠っていたようだ。テトラのでかい手にゆすり起こされて目を開いた輝夜は、テトラが自分の身体の上から取った何かを反射的に掴んで引いた。テトラは丸くした目を半眼にして、輝夜に冷めた視線を送る。
「おれのです」
そう言って輝夜の手から抜き取った黒い外套を羽織りながら馬車を降りる。寝起きの輝夜がもたつきながら馬車を降りようとするのをエスコートして、彼は体の向きを変えた。輝夜も彼に倣って同じ方を見る。
「でっか……」
思わず漏れた輝夜の声。テトラが向けてきた怪訝な顔を涼しい顔で流して、改めて眼前にそびえる巨城を見る。
壁の国の城と比べても見劣りしない大きさのその城は、身体の大きさに個体差がありすぎる魔物達と比較して全体的に小さな人間たちが暮らすにはあまりにも大きく感じた。
――ちなみに、テトラのことを暗夜は「デカいやつ」と評していたが、輝夜の「デカいやつ」の基準は彼よりも頭二つ分ほど背が高いので、輝夜は彼を思ったよりも小さいなと思った。もっとも、輝夜のように人間とほとんど変わらない見た目のものの中では、彼はたしかにデカいのだけれど。
黙って歩き始めたテトラの背を追って、早足で歩く。大きな扉をくぐる。彼の履いた底の扁平な靴のかかとが、軽やかな音で石の床を叩く。
テトラとの身長差の通りに歩幅の狭い輝夜はあくせくしながら階段を登り、悠々と歩く彼の後を必死に追う。突然彼が足を止めたので、輝夜はその背中に鼻っ柱をぶつけて悲鳴を上げた。
「わっぶ」
なんだかよくわからない表情で睥睨されて、輝夜は半笑いを浮かべながら一歩後ろへ下がる。テトラが立ち止まった先にあるドアを開けると、輝夜に手で促した。
「部屋で待っててください。すぐ戻ります」




