選んだ道
その日は朝から騒がしかった。魔王がいきなりふたりに増えていたし、なぜかその片方が大変な負傷をしていたのだ。壁の国を揺るがす大変な事件だった。
急いで医務室に担ぎ込まれて治療を受けた輝夜と暗夜。怪我の手当を受けて一息つく間もなく、廊下が急に騒がしくなった。
「うおー! 医務室には近づけるなよ!」
「バカおまえ言うなって!」
例に漏れず、ファーグともうひとりの声だ。ベッドの上で微睡み始めていた暗夜が背筋を伸ばして目を丸くして、隣で同じ顔をした輝夜と目を見合わせた。
そばに控えていたアドレインがため息をつく。呆れたような仕草で髪を触って扉を開き――「暗夜!」飛び込んできた長身の男にはね飛ばされて、手当用の器具が並んだ金属製の台車に背中を打ち付けた。凄まじい音がして台車が崩れる。それからもう一人長身の男が入ってきて、その後に駆け込んできたファーグとアドレインと長身の二人が揉め始めて、あとはもう、朝の地獄絵図の再演だ。
続々と集まってきた者たちで医務室が人工過密になり始めた頃、輝夜のしなやかな声が周囲をばちんとひっぱたいた。
「ちょっと! 落ち着いて! みんな帰って! オクリさん呼んできて!」
そうして祭りは散開。急に静まり返った部屋に残ったのは、輝夜と暗夜。それとアドレインと、レーデとテトラの五人だけ。
騒ぎのせいで気まずそうにむくれた表情をしているテトラと、その横に立ってうつむいているレーデ。ふたりのそばまで歩み寄った輝夜が、レーデを見上げて目を細めた。
「来てくれたんだね、父さん。テトラくんも」
「え、……父……えっ?」
輝夜の後ろで、アドレインが頭を揺らしてうろたえる。レーデはちらりとアドレインに視線をやって、それから床に目を落とした。
「ああ。……その、テトラに引きずられて……」
「だって、これを逃したらもう一生こっちに来れないじゃないですか。もう今しかないと思って」
「テトラ、おまえ風邪引いてたんだろ? 大丈夫なの?」
暗夜の声。室内にいる四人の視線が暗夜に集まる。
「休みながら来たんでおれは別に……それより」「暗夜、腕はどうした?」
テトラの声を、レーデが遮る。暗夜は何も答えずに、輝夜を一瞥した。輝夜が代わりに口を開く。
「ぼくがやった。食べちゃった」
輝夜の言葉の意味を理解したテトラはうっと息をつまらせて、理解出来なかったレーデは神妙な顔を返した。
「――まあ、とにかく、ふたりとも生きててよかったです」
具合の悪い声でテトラが言った。
*
あとに彼らから聞いた話だと、盾の国からの脱出は結構簡単だったそうだ。体調が悪いテトラと軟禁生活で運動不足のレーデでも、いともあっけなく抜け出せた。囲いの外へは門番に賄賂をやるとあっさりと通してくれて、重たい足を引きずって休みながら進んで、――あとはこの通り、だそうだ。
存在が隠されていた輝夜の双子の兄弟とその父親が急に現れたことに対しては、もちろんそれなりに悶着もあったにはあったけれど、案外すんなりと受け入れられた。当時魔王になったばかりだった彼らの母親――セイカが急に行方が知れなくなり、その後に生まれたての輝夜を連れてきたときもそうだった。このあたりに暮らす魔物たちは大体がおおらかというか適当で、細かいことは気にしないし、大きなことにもあまり揺らがないのだ。
暗夜がパートナーを盾の国にやった人間に謝罪したときには輝夜も立ち会った。決して気持ちのいいやり取りではなかったけれど、最終的にはみんな、形式上だけでも暗夜の謝罪を受け入れてくれた。暗夜は深い理由を語らなかったけれど、もしかしたら、何かを察して情をかけてくれたのかもしれない。
暗夜が壁の国に来てから、もう半年になる。城には盾の国から来た男三人と、郊外の小さな家から戻ってきたセイカが増えて、輝夜の毎日は結構やかましくなった。
湿気を帯び始めた初夏の空気が、砂原に置かれたベンチに座るふたりの髪をくすぐる。あくびをこぼした暗夜が天を仰いでのけぞると、その後ろに控えていたオクリの腹に頭頂がぶつかる。
「暗夜、明日はぼくたちの番だね」
「うん。輝夜、次は負かすからな」
あの日、暗夜は輝夜の手によって利き腕を失った。それからしばらくは慣れない右腕一本での生活にいらいらしたりふてくされたりしていたけれど、時間の経過とともに徐々に慣れた。最近では一人で何でもこなせるようになって、剣の稽古を再開している。
膝に挟んだ練習用の剣を弄りながら鼻息を荒くしている暗夜に、隣に座った輝夜は何も言わずに目を細めてから、砂原の中央に視線を戻した。
輝夜の視線の先には、アドレインとテトラ。テトラが振り下ろす剣をアドレインが片手で受ける。きん、きんと軽い音が絶えず鳴る。アドレインが眉間にしわを寄せた。片足を上げて、靴の甲でテトラの腰を叩く。
「腰が引けてるぞ、コゲ頭」
「うるせえ金ピカ頭。引けてねえ」
「言われてから腰を入れただろう」
「目ぇ悪いのか? ちゃんと見てろよお師匠さん」
アドレインとテトラは仲が悪い――というよりは、何故かアドレインがテトラに喧嘩を売って、それを買ったテトラと程度の低い言い合いをしている姿をよく見かけるようになった。
輝夜に対しているときはともかくとして、それ以外でアドレインが感情を大きく見せることはあまりない。最初は周囲に驚かれたけれど、本気の言い合いというよりはじゃれ合いのようなので、最近ではお決まりの漫才のようになっている。
ふたりの気の抜けるやり取りから視線を外して、輝夜が隣に座る暗夜に目を移した。
「ねえ暗夜。いまからいつもの集まりがあるんだけどさ」
「王様たちのやつ?」
「うん。暗夜も一緒に出ない?」
「はぁ? 嫌だよめんどくさい」
片手をひらひらと振って、眉間をきゅっと縮める暗夜。頭上から、オクリの殺した笑い声が降ってくる。
輝夜の小さな手が、暗夜の手を掴む。
「……きみはぼくより勇敢で、強気だし、いろんなことを経験してきて――」
「何急に。気持ち悪いな」
「きみが王になればいいのに」
「は? 僕が? 僕には無理だよ。たくさん手を汚した僕は器じゃない」
「ぼくだってたくさん汚したよ。これからもきっと、たくさん汚すと思う」
「――壁の国に僕みたいなのは合わないよ。おまえみたいにのんびりした甘ちゃんの綺麗事のほうが合ってるだろ。おまえの方が僕よりずっと王に向いてるよ」
「ねえそれ、褒めてる?」
「さあねえ。とにかく僕はめんどくさい王たちの集まりなんか絶対に出ないからな」
しっかりと掴んでくる輝夜の手をするりとほどいて、暗夜が輝夜から顔をそらす。そのうなじに掛かる、輝夜の苦い声。
「いじわるぅ」
輝夜はわざとらしく唇をへの字に曲げて見せて、ベンチからすっと立ち上がった。
輝夜が動いたのに反応して、アドレインがテトラの剣をぞんざいに流してこちらへ身体を向けた。
「おい、急にやめんな」
テトラの非難を背に浴びながら、零れんばかりの笑顔で駆け寄ってくる。
暗夜は薄い膝の上に置いた手でぎゅっと拳を作った。その手を輝夜の手が掴んで、立ち上がることを促すように引く。しかし暗夜がどっしりと構えて動かなかったので、輝夜は暗夜に後ろ手を引かれる形になってつんのめった。
「輝夜様!?」
駆け寄ってきたアドレインの胸に頭突きをかまして、暗夜を振り返った輝夜の顔は、笑っていた。
「無理やり連れてこうと思ったけど、残念。行ってくるね」
「誰が行くかよ。じゃあね」
暗夜は輝夜にぞんざいに手を振って、去っていくふたりの背を見送る。先程までテトラがいた方に視線をやろうとして、テトラが思いの外近くに寄ってきていたことに驚いてのけぞる。
「うわっ」
どすっ。大雑把な動きで肩に手を置かれる。頭上から、ため息。
「あの金ピカ頭、今度寝てる間にえげつない蛍光ピンクに染めてやる」
「なんでそんな仲悪いの」
「知りません。向こうでおれが輝夜様の近くにいたのが気に食わないんじゃないですかね。小せえヤツ」
ふたりが消えていった方に憎らしげに細い目を向けるテトラ。暗夜が小さな声で笑うと、テトラの表情が少しこわばった。暗夜の後ろに控えたオクリにちらりと視線を向けて、それから暗夜に目を落とす。
「――それより、まだ慣れないんだったらアイツに髪染めてもらったほうがいいんじゃないですか? それか服だけでも」
テトラに言われて、暗夜は無意識に胸を抑えていた両手をほどいて、その手のひらを蝶でも舞わせるようにひらひらと振った。
「大丈夫だよ。こう見えてもうだいぶ慣れたんだ」
「こう見えてだからおれは心配してるんですよ」
「僕はおまえの方が心配だよ」
「は? 何でですか」
「家が恋しくならないの? 勢いで来ちゃって、もう帰れないだろ」
「――家に帰っても毎日弟どもが大喧嘩しててうるさいんでね、もともと従者になってから一回も帰ってないし、おれは別に」
そう言ってから、テトラが目元を緩めて暗夜を見た。
「それに、そのうち帰れそうな気がするし」
「まあ、確かに。でもあいつそのうち暴走しそうだよね」
「今度はあんたが止める番ですね」
「……僕には無理だよ。おまえが止めてやれ」
「暗夜様に無理ならおれにも無理ですね」
「頑張れよ」
「なんでおれが」
無愛想に突っぱねたテトラに、暗夜はただ笑って、何も答えなかった。
それから半年後、暗夜が壁の国に来てから一年が経った頃の早朝。城門を守っているファーグににこやかに挨拶をして城を出た暗夜の行方は、それきり誰も知らない。
誰も彼を探さなかった。誰もが彼の選択を予見していた。だからこそ、誰も彼を探さなかった。
暗夜がよく訪れていた城から少し離れた森の中にある小さな家は、いつの間にか空っぽになっていて、今ではそこに誰かが暮らしていたあとだけが残っている。




