第6話
「そこの坊や、こんばんはぁ」
「……っ、おい。放せよ」
「やっばい匂いにつられてきたら、なになにぃ。坊や、ツンツンしてて、可愛いわねぇ」
ホテルから離れるように、理玖は街を走り続けた。制服姿では、夜中になればいずれ補導されると考え、その前にもっと遠くへ行こうと駅に向かった。
スマホがあれば電車に乗れる。けれど人が減った駅の改札前で、女に絡まれた。
――ちっ、最悪。
するりと理玖の腕に絡みつき、耳をつく高い声を出した女が身体を密着させてくる。
走って軽く汗をかき火照っているはずなのに、鼻につく香水の臭さも混ざり、理玖は寒気を感じていた。
「……オバサン、放せって。マジでうぜぇよ?」
「ひっどぉい。そこはぁ、お姉さん、でしょぉ? ね。お姉さんと楽しいことしない? すこぉしだけで良いの、可哀想と思ってさ、ちょぉっと付き合ってよぉ?」
見た目だけは、確かに若い。セミロングのふんわりとした茶髪に、豊満な胸。ラインがスッキリとした小顔で、大きな瞳。ぷっくりとした小さく赤い唇。
――迫られれば顔を赤らめる男は、きっと居るだろうな。まず間違いなく、それは俺じゃねぇけど。
女がキャッチをしてるようにも、見えなくもない。まぁそれも、理玖が制服姿でなければの話だ。
「無下にされたら、泣いちゃおうかなぁ。大事になるかもよぉ? 坊や、パパとママに迎えに来てもらうぅ? それって恥ずかしいよねぇ?」
「…………痴漢の冤罪でっち上げってか? それとも暴行で? だから、なに? そっちはクッセェ香水振り撒いてさ。俺の鼻、曲がりそうなんだけど、吸血鬼のバアサン」
上目遣いで見上げてくる女に、理玖はジト目で冷たく返した。強く振り払えば、この手の輩は無駄に騒ぐのが目に見えている。だから理玖は、わざと煽るように笑ってみせた。
「……こんのガキ、アタシがせっかく下手に出て、ゴマすってやったのに調子に乗ってぇ。中身が可愛くないわねぇ……っ!」
「頼んでねぇよ。血、やらねぇし?」
「あ、そぉ。……吸血鬼って分かってるなら話早いわ。なら路地までついてきてもらうから。拒否権も無しでね」
女の長く鋭い爪が、理玖の制服越しの腕にグッと食い込んだ。いつでも刺せるという力加減で、脅しだろう。
――どうする?
人は少ないが無人ではない。冤罪で騒がれるくらいなら、かなり面倒……だけで、済む話だが、吸血鬼として暴れた場合は厄介だった。人間は吸血鬼には数をもってしても勝てない。
理玖の挑発に乗る時点で、女は短絡的なタイプだとすぐ分かる。
――爪が食い込めば血が出て、他のも、もっと寄ってきかねないが……。ここで逃げれば、腹いせに他人を襲う可能性もあるしなぁ。
力を抜くように、理玖はため息を吐いた。女はそれを見て、気を良くしたようにケラケラと笑う。
「……はぁ、本当に、吸血鬼ってろくでもねぇ」
「あら? 当然よ、人間とは違うもの。アタシたちはねぇ、偉いのよ?」
理玖の手を掴んだまま半ば強引に引っ張り、そのまま改札口の外へ向かおうとする。
「ああ、偉いよなぁ……。いっつも上からだし、腹立つわ」
理玖は初めて女の目を、まっすぐ見下ろした。掴まれた二の腕の部分を、トントンと反対の指で叩く。
白々しく仕入れたばかりの知識をもって、理玖は意味ありげに口を開いた。
「今日知ったんだけどさぁ。吸血鬼にも色々あるらしいな。多種族間での調和ってやつで、特に人間相手には制約が多いそうだぞ?」
「――はぁ? 坊や、急になによ?」
人間は他種族よりも圧倒的に弱い。種族が絡む出来事は、もはや自然災害の扱いだ。
だが、車内で遥大と耀から聞いた吸血鬼視点の話では、意外にも人間を尊重するらしい。
――そりゃあ、そうだよな。餌がなくても死にはしないと言っても、人間が死滅したら吸血鬼にとっての嗜好品が無くなっちまう。
車内では耳半分だったが、内容はそれなりに興味深かった。なんでも、他の種族と違って、人間とは切っても切れない関係上、吸血鬼は共生の為、無差別に吸血することを、本来は禁じられているそうだ。
――まぁ、人間の法律と同じで、吸血鬼も罪を犯す奴はいるから、ニュースになってんだが……。
問題は、その吸血鬼側が主導する治安維持活動に対して、人間側がほとんど内容を知らないこと。
知ったかぶりをする理玖に、女が怪訝に眉をひそめ食いつき足を止めていた。
「何って、人間でいうところの警察? が、吸血鬼にもあるらしいじゃん。長ったらしい法律は無いみたいだけど、その分、雑で極端な刑罰がさぁ」
「ふぅん……、坊や、ずいぶんと博識じゃなぁい? 何々、誰か親切な吸血鬼が入れ知恵してくれたのぉ?」
「ハッ、親切な? 吸血鬼に親切な奴とか居るの? 居ねぇだろ。バアサンみてぇに、食糧としてしか見てない奴が多いじゃねぇか」
小馬鹿にしたように笑い女は距離を詰めて、理玖の顎に指をつぅと這わせた。
理玖は不快感を隠さず、眉間に深く皺を寄せて睨んだ。
「あははっ、なんだぁ。坊や、分かってるじゃない。そうよぉ、人間はねぇ、弱っちぃクセに数だけは多いの。だからぁ、ちょぉっと数が減ったくらいじゃ、誰も動かないのよぉ」
そう、吸血鬼にとっての長い人生の中では、被害の発生頻度と野良の総数だけだと、印象が薄く埋もれやすいらしい。
要するに人間からすれば、初速まで腰が重いのだ。そのせいで人の記憶には残らない。
――理解出来ねぇ。価値観と体感時間の考え方が違いすぎるわ。すんげぇムカつく。
ただ、人間側が食用の豚や牛が感染症によって、大量に殺処分されてからようやくニュースになるのと同じだろう。
「坊や、残念ねぇ。時間稼ぎしたって、人間のお巡りさんみたいに、誰かが助けに駆けつけてはくれないわよぉ?」
「そうかよ。じゃあ、今この街に奈鬼羅のご子息サマたちが来てるっつったら、バアサンはどうするんだ?」
吸血鬼側にとっては一人、二人、一般人が吸血によって死んだところで、きっと歯牙にもかけない。それは狙われたのが、ただの人間の場合。
――俺、絶賛逃亡中の身の上なんだよね。
大変不本意だが、理玖は奈鬼羅の長男遥大に買われた人間だった。
「…………なんですって? ハッタリよ。奈鬼羅なんて老害が、こんなところに……」
「うっわ。老害かよ、あのオニーサンが老害? ウケる」
理玖は思わず、吹き出して笑った。楽し気に鬼ごっこのゲームを切り出した、あの若い見た目の二人が女に老害と呼ばれている。
――つまりこの女の中身は、オニーサンたちよりも、かなりガキってことじゃねぇか。




