第4話
「……だいたい、価値観の違い抜きにしても、急には無理があんだろ。見た目だけ、そんな年が近そうな奴らに、愛でるとか言われて、顎とか顔とか触られんのは」
理玖の言葉に、エンジンを切った車内が一拍、静まり返った。見た目は年が近そう、という表現に、耀の眉がぴくりと上がった。
「……年が近そう?」
「俺たちが?」
耀は一瞬だけ固まった。それから、堪えきれないように喉の奥で笑い始めた。くつくつと、やがて声を上げてお腹を抱えている。シートベルトが食い込んでいた。
「いやいやいや、ちょっと待って。まさか、この子マジで何も知らないとかいう!?」
「あはは、そうだねぇ。教えてあげないと」
遥大は口許に人差し指を立ててあてると、迎えに来た時のように穏やかな笑みで口を開いた。
「俺たちね、さっきも言ったけど吸血鬼。人間じゃないから、見た目の年なんか当てにならないよ。耀なんか君と大差ない見た目だけど、何百年生きてるか分かんないし」
「何百年は盛ってんだろ。遥大兄の方が上じゃん」
「……まぁでも、少なくとも、理玖君の何十倍は生きてる」
遥大はにっこりと微笑んだまま、理玖の顔を覗き込んだ。いたずらっ子のような声で楽しそうだ。
「つまりね、年が近そうなんていう可愛い認識は捨てて。ここにいるのは、君の何倍も生きてる化け物だよ。……それでも無理とか触んなって駄々言える?」
「そんくらい知ってる。だから見た目がっつってんだろ。中身の年なんて知らねぇよ。興味もねぇ。ビジュアルの問題だっつってんだよ。男が男にとか、わけわかんねぇって言ってんだろ、最初から!」
理玖の主張は一貫していた。ビジュアルの問題だ。若い見た目、イケメン、それが距離感ゼロで迫ってくる不可解な現象。
モノだ、餌だ、と言いながら、人権も人生も人から取り上げて、愛を囁くという横暴。
――昨今、自由恋愛だ。好きにしろ。けどな、俺はその日生きるのに必死だったんだよ。そんなことと無縁だったんだっつうの!
中身が何百年だろうと、知ったことではない。見た目が同年代のイケメンメンズに、幼子のように愛でられるという状況そのものが、理玖には摩訶不思議で受け入れがたかった。
しかも相手は、人間ですらない吸血鬼。理玖の反応が、至極まっとうな人間として正常なものだと思いたかった。
「ぶっ、あっはははは!」
耀がとうとうハンドルを叩き始めた。エンジンを切っているからこその無音。そうでなければ、クラクションの嵐だったはず。
「ビジュアルの問題って、こいつ最高すぎない!? ねぇ遥大兄、俺この子、気に入ったわ」
「うん、俺も」
遥大は満足げに頷いた。その自信満々な様子に、理玖はさらに苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
「じゃあさ、逆に聞くね。君が女の子だったら、愛でられるのは構わないの?」
遥大は小首を傾げた。上目遣いに見上げるような角度で、あの碧い瞳が理玖の目を捉えている。
「あ――、それ聞きたい聞きたい」
耀がシートベルトを外し、後部座席に身を乗り出した。面白玩具を前にした猫のような目が、理玖の返答を嬉々として待っている。
「はぁ……、女ぁ!? 俺が女だったら、とっくに食われて生きてねぇよ。男だから走って逃げ切れてきたんだろうが。……売られた時点で意味ねぇけどな、クソッ!」
理玖の返答は、キレッキレの八つ当たりだった。女だったら簡単に捕まって、吸血鬼に血を吸われ尽くし死んでいた。男だから、足の速さで走って逃げられたのだ。
「いやぁ、逞しいなぁ」
耀は運転席に持たれて後ろを向いたまま、感心したように口笛を吹いた。
「走って逃げ切った、ねぇ。でもさ、思ったんだけどぉ」
耀がすっと手を伸ばし、理玖の首にトンと指を当てた。ニッと目が愉悦に細められる。
「俺たち相手でも走れると思う?」
「あ、それいいね。試してみようか?」
遥大が楽しそうに目を輝かせた。まるで新しい遊びを提案された子供のように。
「俺たちから逃げ切れたら、自由にしてあげるってのはどうかな? ……まぁ、無理だと思うけど。でも、出来たら大学なり、好きなことしていいよ」
「言葉で散々なぶった後は、玩具扱いかよ」
遥大がすぐさま提案をする。理玖にとっては罠であることは明白だった。目の前にいる吸血鬼から走って逃げろなどと。
「玩具扱い? ひどいなぁ」
遥大は胸に手を当てて目を伏せ、傷ついたフリをしてみせた。その仕草すら完璧に絵になるのだから、余計に腹立たしい。
「違う違う。これはゲーム。楽しいゲーム。君が勝てたら自由、負けたら俺たちのモノ。フェアでしょ?」
「まぁ全っ然、フェアじゃないけどね」
耀が、にやにやしながら補足した。隠す気もないらしいことが見てるだけでも分かる。
「ルールは簡単。今日、俺たち二人の鬼から逃げ切ること。捕まらなかったら君の勝ち。今日泊まるホテルには着いたけど、好きな所へ逃げて良いよ? 電車乗ってもいいしね」
遥大は指をくるくると回しながら、理玖の顔を覗き込んだ。完全に娯楽を楽しむ目だ。
「ただし、捕まったら……、そうだなぁ」
「捕まえたらキス、とか?」
「耀、黙ってて。嫌われちゃうから、まだ早い」
「――っ!」
――はぁ!? まだってなんだ、まだって!
「えぇ……」
理玖のリアクションよりも早く、耀は遥大から止められた。車のドアロックを外し、耀は呆れつつも楽しそうに二人の様子を眺めている。
「あ、捕まったら、俺の言うことを一つ聞いてもらおうかな。なんでも」
なんでもという言葉の響きが、妙に重かった。遥大の碧い目は笑っている。完璧に、美しく、笑っていた。
――コイツ、会ってからずっと笑ってんだよ。女子は、こんなののどこが良いんだ……? ヤベェ奴だろ、どう見ても。
たった数時間前の卒業式後に現れた遥大への女子の反応を思い出して、理玖は眉間に皺を寄せる。
その遥大の笑みの裏に何があるのか、理玖にはまだ知る術がなかった。




