第2話
乗せられた後部座席から理玖が前を向けば、淡い金髪をゆるくオールバックにし、黒手袋の片手でハンドルを握るスーツ姿の人物が居た。
遥大よりも淡い色をした瞳が、好奇心を隠さずに向けられて、理玖と目が合う。
「お、遥大兄、その子が?」
「そ。奈鬼羅家が買い取った日辻理玖君。……理玖君、運転席に居るのが俺の弟、耀ね」
「…………」
理玖はその紹介に応えず、スモークのかかった窓の外を眺めるように視線を向けた。
恐怖というよりも、状況の理不尽さに脳が追いつかない。
「……怖い?」
「……なにが? 金で売られたんだろ。俺が、今さら怖がったところで意味なくね?」
理玖の口から投げやりに漏れた一言は、絶望も悲嘆もなく、ただ事実を述べただけという平坦さがあった。
相手が喜ぶだけのリアクションもする気はないという態度の表れでもある。
「ぷっ、ふふ。面白いね。泣かないんだ? 普通は金で売られたって聞かされたら、信じないか、泣くか、怯えるか、怒るかだと思うんだけど」
「男が泣くかよ。しかも、吸血鬼相手に暴れて勝てるわけねぇじゃん。それに、卒業式にも来ねぇ、ろくでもねぇ親だったからな。あり得るんだよ……。別れの挨拶も無しだぜ? 要らねぇけどさ。ま、ボンボンのオニーサンには、分かんねぇって……」
「――っはは、そのろくでもねぇ親から、君を買ったのは俺なんだけどね?」
遥大は心底おかしそうに笑った。その笑みはあまりにも美しく、だからこそ余計に質が悪かった。
「遥大兄が、お兄さん――か。ヤベェ、今何歳だっけ、人間の爺より生きてんのに」
「耀、早く車出して、用は済んだ。……理玖君、大丈夫。すぐ慣れる。俺たちは、君に絶対無体なことをしないよ。大切にする。……よっぽどのことがない限り、ね」
耀の茶化しを遥大がすっぱりと一刀両断し、理玖を見る笑みがほんの少しだけ深くなった。
面白がっているのか、哀れんでいるのか、あるいはその両方か。判別のつかぬ微笑ほど恐ろしいものはないと、窓の反射で映る遥大の姿を理玖は眺めていた。
「……そうかよ。どうせ俺にもう人権なんてねぇだろ」
理玖は耳半分も受け取らず、全て聞き流した。吸血鬼を始めとした人外の彼らが、人間社会に根をはりながら、独自の統治と生活を築いていることを知っているからだ。
「……へぇ」
「あはは。人権がない、か。 うん、正解。君に人権なんかないよ。君は今日から俺のモノだから」
しかし、その言葉を聞いた耀の表情が、ミラー越しにぴくりと変わった。
遥大は笑った。実に楽しそうに、心底愉快そうに。だが目だけ笑っていない。
「でもね、モノにはモノの扱い方があるの。大事に大事に扱って、可愛がって、壊れないように、逃がさないように。人権がないってことは、何を言っても何をされても文句言えないってことだよ?……分かってる?」
「分かってるから、大人しく車に乗っただろうが」
隣に座った男が、男を愛でると平気な顔をして言っている。その異常さに、理玖は居心地の悪さを感じながら、逃げることも出来ない。
――吸血鬼の年齢は、外見に依存しねぇし。さっきの言い方からして、百は……年
越えてんだろ。
親に売られた時点で、相手が大財閥の人間の時点で、高校を卒業したばかりの子どもに勝ち目はなかった。
黒みがかったスモーク越しの景色、通り過ぎる制服姿はかつての同級生だった者たち。
――なんで、今日なんだよ……。
ピリッとした車内の長い沈黙の空気を壊したのは、運転をしていた耀だった。
「あ――、悪い。理玖、冷房かけて良いか。窓もほんの少しだけ開けたい」
「ああ。耀は、やっぱりキツい?」
「遥大兄は、これ平気なのかよ。……クソッ、運転に集中出来ねぇ……」
三月上旬、天気が良いと言っても冷房は少し肌寒く感じるのだが、理玖が不思議そうに前を見れば、正面を見て運転し始めた耀は舌打ちしながら耳が真っ赤だった。
「理玖。気にしないで。耀のアレは、匂いにあてられただけだから」
「…………はっ? 俺、臭い?」
いくら貧乏と言っても、制服は定期的にクリーニングに出し、理玖は風呂も毎日入っていた。臭いがヤバいと言われれば、年頃の青少年としてはダメージがくる。
「いやいや、臭くないよ。君の香りは、俺たち吸血鬼からすれば、とっても甘美なの。麻薬みたいに、ね」
「……なんだ、それで……」
「……ふぅん? 大人しくついてきたから不思議だったけど、理由には見当がついてたのか。自覚ありなんだ?」
遥大の指が理玖の顎先をすい、と持ち上げた。理玖の瞳をじぃと覗き込みながら、品定めするように目を細めた。
「おい、触んなよ」
「どうして? 俺は、君の飼い主だよ? 愛でてなにが悪いの? ――ん、良い匂い」
「ちっ、……ほらな。吸血鬼の目当てなんか、俺の血だけじゃねぇか、昔から。こちとら何回追いかけられたと思ってんだよ」
理玖は遥大の手を払い、うげぇっと顔に出すと窓にはりつくように距離をとり吐き捨てる。何度も血を吸われかけてきた苦い過去が首をもたげた。
――俺の人生めちゃくちゃにしといて、わけわかんねぇ。
吸血鬼への恐怖というよりも、例えるなら街中でやたらと犬に追いかけられる、鳥の糞に遭遇する不運な人間特有の面倒くささに近いものが浮かんでいた。




