お酒の力を借りた
修繕の終わりが近づく中、二人の距離は確実に縮まっていた。
噂の件で茅が自分の秘密を守ってくれたこと。「居心地いい」とつい口走ってしまったこと。スキンシップが少しずつ自然になってきたこと。つむぎの中で、恋心はもう隠しきれないところまで来ていた。
でも、素直に「好き」と言えない。
社内恋愛への抵抗と、自分の弱さを見せることへの恐れが、まだ彼女を縛っていた。
そんなある金曜日の夜。
茅が「今日は宅呑みしないか。つむぎの好きなお酒、買ってきた」と提案した。つむぎは少し迷った後、頷いた。
「……いいです。少しだけ」
食後、リビングの低いテーブルに酒が並ぶ。
つむぎはいつもより多めに、ワインを飲んだ。仕事の疲れと、胸のざわつきを誤魔化すように。茅は隣に座り、彼女のペースを見守りながら、自分は控えめにビールを傾ける。
最初は普通の世間話だった。
仕事の話、修繕の進捗、週末の予定。しかし、グラスが三杯を超えたあたりから、つむぎの頰が赤くなり、目がとろんとしてきた。
「茅さん……」
「ん? どうした」
「私ね、好きなんだと思うんです。茅さんのこと」
つむぎはテーブルに肘をついて、彼をじっと見た。
焦点が少し合っていない。
「でも、素直になれないんです。どうしよう。どうしたらいいんですかね」
茅の手が、グラスの上で止まった。
「……つむぎ、酔ってるな」
「酔ってません。本気です。好きなんだと思う。でも、言えない。社内恋愛とか、面倒くさいとか、思っちゃう。噂された時に約束守ってくれて、嬉しかった。どうしよう。素直になれない」
つむぎは自分から体を寄せてきた。
茅の腕に顔を埋め、腕に自分の腕を絡ませる。スキンシップを、自らしてくる。熱い吐息が、鎖骨にかかった。
「つむぎ……」
「呼んで。つむぎって。茅さんの声で」
茅は深く息を吸った。
理性が、大きく軋む。つむぎの柔らかい体が密着し、甘い匂いがする。髪を梳きたい。抱き締めたい。唇を塞ぎたい。でも、彼女は酔っている。このまま進めたら、朝になって後悔させるかもしれない。
「つむぎ。お酒、もうやめよう。水、飲むか」
「やです。茅さんと話したい。好きなんだと思うんですよ?でも素直になれない私、嫌ですよね。茅さん、私のこと、どう思ってますか」
つむぎは顔を上げ、彼の唇に自分の唇を重ねようとした。
距離が、極端に近い。茅は咄嗟に彼女の肩を優しく抑え、顔を背けた。
「……やめよう。酔ってるときは」
その瞬間、つむぎの目に、大粒の涙が溢れた。
「……私の事、嫌いですか?」
「違う」
「茅さん、スキンシップ許可したのに触ってくれない。拒まれた。やっぱり、私なんか……」
つむぎはソファに座ったまま、めそめそと泣き始めた。
声を荒げるでもなく、暴れるでもなく、ただ小さく肩を震わせて、涙をこぼす。
「どうしよう……好きなのに素直になれない。茅さんに嫌われて、どうしよう……」
同じ言葉を、何度も何度も繰り返す。
茅の胸が、きゅっと締めつけられた。理性を保とうとしていた気持ちが、彼女の涙であっさりと崩れていく。
「嫌ってない。絶対に」
茅は彼女を優しく抱き寄せ、頭を自分の胸に預けさせた。
大きな手で、ゆっくりと髪を撫でる。
「つむぎ。俺はつむぎが好きだ。酔ってるから言ってるわけじゃない。本気だ」
「嘘……さっき、拒んだ……」
「酔ってるつむぎを、大事にしたいからだ。朝になって『キスしたの覚えてないのか』なんて言ったらつむぎが傷つくだろ? だから、我慢してるんだ」
茅は彼女の涙を親指で優しく拭い、額に軽いキスを落とした。
「泣くなよ…胸が痛くなる。つむぎは、俺に嫌われるような子じゃない。素直になれなくても気にしない」
つむぎはめそめそと泣きながら、彼のシャツに顔を埋めた。
「どうしよう……好きなんだと思う。でも、言えない。茅さんに甘えたいのに……」
「甘えていい。今夜は全部、俺が受け止める」
茅は彼女を膝の上に乗せ、両腕でしっかりと抱きしめた。
頭を撫で、背中をさすり、時折頰や髪に優しいキスを落とす。
「いい子。つむぎはいい子だ。好きって言ってくれて、嬉しい。素直になれなくても、俺はつむぎが大好きだ」
つむぎは彼の胸で、小さくしゃくり上げた。
「……頭、撫でて……」
「撫でてるよ。ずっと」
「抱きしめて……」
「抱きしめてる。離さない」
茅は彼女の要望に、すべて応えた。
頭を優しく何度も撫で、抱きしめる腕に力を込め、耳元で「好きだ」「可愛い」「大丈夫」と甘い言葉を繰り返す。つむぎはめそめそしながらも、徐々に彼の体温に包まれて落ち着いていく。
「もっと一緒にいてもいい……?」
「いいよ。今夜は、思いっきり甘えてくれ」
しばらくの間、リビングにはつむぎの小さな泣き声と、茅の優しい囁きだけが響いていた。
つむぎは彼の胸で、何度も「好きなんだと思う」「素直になれない」「どうしよう」と繰り返した。茅はそれをすべて受け止め、頭を撫で、抱きしめて、甘やかした。
理性が溶かされそうになるたび、彼女の涙が彼を引き戻す。
この子を、酔いを借りてやっと聞き出せた本音を、今はただ、自分の弱さを出すことを良しとしないこの子を支えたかった。
やがて、つむぎの声が徐々に小さくなり、規則正しい寝息に変わった。
めそめそと泣いていた顔が、彼の胸の中で、すっかり穏やかになっている。
茅は深く息を吐き、彼女を優しく抱き上げてベッドへ運んだ。
服を整え、布団をかけ、額に手を当てる。熱はない。ただの可愛い酔っ払いだった。
「……つむぎ。俺も、好きだ。本気で。朝になっても、この気持ちは消えない」
誰も聞いていない夜に、茅は静かに告白した。
彼女の髪を梳き、頰に軽く唇を寄せる。我慢した自分が、少しだけ偉いと思った。でも、この甘やかした時間は、自分にとっても宝物だった。
茅はソファに戻り、一人で残りの酒を飲み干した。
理性を保ちながら、つむぎをひたすら甘やかした夜は、甘くて、優しくて、長かった。
――
翌朝。
つむぎは頭の重い痛みで目を覚ました。
リビングから朝食の匂いがした。
「……おはようございます」
茅が顔を出した。
いつもの軽い笑み。
「よく眠れたか。水と、胃薬、置いてあるよ」
「……すみません。昨日、飲みすぎました」
「大丈夫だ。つむぎは可愛かったよ」
つむぎは頰を赤くした。
「何か……変なこと、言ってませんでしたか。泣いたりとか……」
茅は少しだけ目を細めて、首を横に振った。
「特に何も。眠そうだったから早めに布団に入らせただけだよ」
つむぎは胸を撫で下ろした。
覚えていない。でも、茅の優しさが、今朝はいつもより沁みた。頭を撫でられたような感触が、なぜか残っている気がした。
「……ありがとうございます。迷惑かけました」
「迷惑なんかじゃない。また、酔ってもいいよ。俺がちゃんと介抱するから。つむぎが甘えたいときは、いつでも言ってくれ」
茅は彼女の前に、温かいお茶を置いた。
つむぎはそれを両手で包み、小さな声で言った。
「……茅さんって、本当に」
「え?なあに?」
朝の光が、二人の間を優しく照らしていた。
つむぎは覚えていない夜の本音と、茅の甘やかな時間を、彼だけが知っている。その秘密が、また一つ、二人の距離を近づけていた。
会話の違和感を修正しました!流れに変更はありません!




