閑話
ある平日の夜。
立華が茅のマンションに帰ると、いつものように明かりがついていて、いい匂いがした。
煮物の甘い香りと、温かいご飯の湯気が、玄関まで届いている。
茅がキッチンに立っている。
時計を見ると、まだ19時少し前。立華は荷物を置きながら、思わず口にした。
「……茅さん」
「ん? おかえり、立華さん」
「今更ですが、営業の茅さんが、私より帰るのが早いの、変じゃないですか」
茅が振り返る。
軽い笑みを浮かべたまま、菜箸を置いた。
「ばれてたか」
「ばれてます。私、終業時間は決まってるのに、茅さんは外回りもあるでしょう。なのに、ここ数日ずっと、私より先に帰ってきてる。……仕事、適当に切り上げてるんですか?」
茅は肩をすくめて、近づいてきた。
触れない距離で、彼女を見下ろす。
「適当にはしてないよ。ただ、立華さんのために、できるだけ早く終わらせてるだけだ」
「え?」
「最初の一週間くらい、新婚気分でイチャイチャしたかったんだ」
立華の顔が、一気に赤くなった。
「な、何言ってるんですか!!」
「本気だよ。立華さんが俺の家にいる貴重な期間なんだ。俺が仕事を残業して遅く帰って、立華さんが一人でご飯食べてるなんて、嫌だろ? だから無駄な残業は削って、早く帰ってきてる。迎えに行けない日は、せめて先に帰って『おかえり』って言いたくて」
茅はくすっと笑い、わざとらしく両手を上げた。
「触れないよ。恥ずかしいって言われてるから。でも、視線でイチャイチャするのは、いいだろ?」
「よくないです! 変なこと言わないでください!」
「新婚気分、だよ? 鍵も渡したし、朝『行ってきます』『いってらっしゃい』、夜『ただいま』『おかえり』。これ、完全に新婚さんだろ。
だから、最初の一週間くらいは、たっぷりイチャイチャしたかったんだ」
立華は睨みつけた。
茅は軽く受け止めて、楽しそうに笑う。
「かわいい反応。でも、好きで早く帰ってきてるんだ。立華さんと過ごす時間が、今は一番大事だから」
立華は顔を覆って、ソファに座り込んだ。
「……営業なのに、そんな理由で仕事調整しないでください」
「かわいい奥さんのためなら、するよ。次の一週間も、新婚気分でよろしくな」
茅はキッチンに戻りながら、振り返って付け加えた。
「ご飯、もうすぐできる。新婚さんの食卓、楽しみにしててくれ」
立華は耳まで赤くしたまま、小さく呟いた。
「……誰が新婚さんですか」
声に、拒絶しきれない甘さが混じっていた。
茅、和食派。続きは22時に。




