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堅物女子がどろどろに甘やかされて落とされるまで  作者: 花依はな


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11/13

しっかり落ちました

告白から数日が過ぎた。

二人は正式に付き合い始めていた。


とはいえ、劇的に何かが変わったわけではない。朝は茅が朝食を作り、つむぎを車で送り出す。夜は「ただいま」「おかえり」を交わし、並んで食事をする。スキンシップは以前より自然に、遠慮が少なくなっていた。つむぎは相変わらず「はずかしい」と言うが、拒むことはほとんどなくなっていた。


そんなある平日の夜。

つむぎが帰宅すると、茅がテーブルに書類を広げていた。管理会社からの封筒が、そこに置かれている。


「おかえり、つむぎ。ちょっと、話がある」

「代わりに行ってもらった、修繕の件ですか」

「ああ。結局、終わらなかったらしい」


茅は書類を彼女に向けた。


「水道管の老朽化が想定以上にひどくて、部分的な修繕じゃ無理だと。大家さんが『どうせならフルリフォームしよう』って判断したそうだ。そうなると、半年以上は住めなくなるらしい」


つむぎは書類に目を通した。

契約解除か、長期で待つかの二択。大家側としても、修繕が終わるまで待たせるのは申し訳ないとのことだった。


「……そう、ですか」

「つむぎとしては、どうする? 待つか、契約解除するか」


つむぎは少し考えてから、顔を上げた。


「契約、解除します。こちらとしても、都合がよかったので」


茅の目が、ぱっと明るくなった。


「都合がよかった、か」


「はい。もともと仮のつもりでしたが……茅さんの家にいるのが、もう慣れてしまって。半年間も待って、また一人の生活に戻るのは、正直、寂しくなりそうです」


茅は椅子から立ち上がり、彼女の前に立った。


「つまり、このまま家にいてくれる、ってことか」

「……はい。迷惑じゃなければ」

「迷惑なんかじゃない。むしろ、最高だ」


茅は彼女を抱きしめた。

強く、嬉しそうに。


「フルリフォーム、ありがとう。大家さんに、心の中で感謝してる」

「変な感謝しないでください」

「いいじゃん。つむぎが『都合がよかった』って言ってくれたのが、すごく嬉しい。俺も、つむぎが居なくなったら困るところだった」


茅は彼女の額にキスを落とした。


「じゃあ、正式に。つむぎは、ここに住むことになった。同棲だ」


つむぎは頰を赤くしたまま、彼の胸に顔を埋めた。


「……まだ付き合い始めたばかりなのに」

「もう三週間以上、一緒に住んでたからな。実質、延長だよな。荷物も、どんどん増やしてくれ」


茅は彼女を離すと、にこにこと笑った。


「契約解除の手続き、俺が手伝う。引っ越し業者も、俺が手配する。つむぎは荷物整理してくれれば助かる。俺に任せてくれ」


「そこまでしなくても……」

「したいんだ。二人の家なんだ。至れり尽くせりで、当然だろ」


つむぎは小さく息を吐き、諦めたように笑った。


「……わかりました。お願いします。でも、調子に乗らないでくださいね」

「乗るよ。つむぎがこの家にいてくれるなら、いくらでも」


その夜、二人は並んでソファに座り今後の話をした。

——都合がよかった、なんて。本当は、ずっとここにいたかっただけだ。

茅は彼女の髪を撫でながら、小さく囁いた。


「ようこそ、正式に」

「……もう、いるでしょ」

「ああ。でも、改めて言いたかったんだ。つむぎが、俺の隣にいてくれることが、幸せだ」


――


さらに二週間が過ぎた。


つむぎの部屋は契約を解除し、つむぎは茅のマンションに本格的に住むことになった。

荷物は少しずつ増えていき、洗面所にはつむぎの化粧品が並び、クローゼットの半分は彼女の服で埋まり始めている。


朝は茅が作る朝食を一緒に食べ、彼の車で出勤する。

夜は「ただいま」「おかえり」を交わし、並んで夕食を済ませてから、ソファで寄り添う。それが、二人の日常になっていた。


職場では、相変わらずつむぎの休日の姿はバレていなかった。


ワンピースで髪を下ろした「超美人」の噂は、茅が真剣に説明し続けたおかげで、徐々に下火になっていた。「プライベートだから」と繰り返し、誰にも詳細を話さない。その姿勢が、逆に周囲に「本気で隠すほどの関係なんだ」と勘違いされることもあったが、茅は気にしなかった。つむぎの秘密を守ることが、今の彼にとって一番大事なことだったから。


そして、もう一つ変わったことがある。

茅は社内でアピールをしてこなくなった。以前のように給湯室で肩を寄せたり、書類を渡すついでに耳元で囁いたり、視線を甘く絡めたりすることが、ピタリと止まった。仕事中の茅は、純粋に同僚として振る舞うようになった。

つむぎにとっては、それがとても助かった。


仕事の手が止まらなくなった。視線を気にせず、書類に集中できるようになった。周囲の「また茅さんがつむぎ課長のところに」というひそひそ話も、減っていった。


ある夜。

二人は食後のリビングで、並んでソファに座っていた。テレビは小さな音で流れていて、茅がつむぎの肩に自然に腕を回している。スキンシップは、もう遠慮がほとんどなくなっていた。


「つむぎ」

「ん?」

「...仕事中の俺、邪魔だった?」


突然の質問に、つむぎは手を止めた。

茅は真顔で、でもどこか楽しそうに彼女を見ている。


「……結構、邪魔でした」


本音が、思ったより素直に出た。

茅の目が、細められる。


「本当にごめん。あの時はデートしたくて必死で...」

「いいですよ、過去の事です」


つむぎは彼の胸に、軽く頭を預けた。


「……でも、家に帰ったら、ちゃんとアピールしてください。でないと、調子に乗った茅さんが恋しくなります」


茅が大きく笑った。


「了解。家では、思いっきりアピールする。今すぐでもいい?」

「今は、ダメです」

「つむぎが意地悪になった」

「茅さんに似てきました」


二人の距離は、こんな本音を語れるほど、確かなものになっていた。

「邪魔だった」と素直に言えて、「恋しくなる」と冗談めかして返せる。以前のつむぎなら、絶対に口にしなかった言葉だった。


話題は自然と、社内への周知のことに移った。


「つむぎ。俺たち、付き合い始めたこと、社内に周知するか?」


つむぎは少し考えてから、首を横に振った。


「今は、しなくていいです。現状、仕事の邪魔になるトラブルは避けたいので」

「わかった。俺も、つむぎの仕事を最優先にしたいから。言わない方向で」


茅は彼女の髪を優しく梳きながら、付け加えた。


「でも、結婚するときには、さすがに言わないとだめだよな」


つむぎの顔が、一気に真っ赤になった。


「……!何言ってるんですか、急に!」

「急じゃない。将来の話だ。つむぎと結婚する前提で考えてるから」

「……」


つむぎは何も言えなかった。


でも嫌ではなかった。正直な気持ちを言うのが、なんだかすごく恥ずかしかった。「嫌じゃない」「嬉しい」「考えてみてもいい」と認めてしまったら、負けたような気がしてしまう。だから、まだ言ってあげない。

でも、たぶん茅にはバレている。


彼はつむぎの赤い顔を見て、満足そうに微笑んだ。


「顔、出てるよ。つむぎは口が素直じゃないだけで、嫌じゃないってこと、ちゃんと伝わってる」

「伝わってません」

「伝わってる。俺、つむぎの顔と態度と行動で全部わかってるから。口では『はずかしい』しか言わないのに、俺の隣にいてくれてるし?」


―――素直になるなら今だぞ。そう耳元でささやかれたらもう駄目だった。

つむぎは彼の胸に顔を埋めて、小さく唸った。


「……す、好きです」

「愛してる」


二人はしばく、そのまま寄り添っていた。

テレビの音が遠くに聞こえる。茅の体温が、背中から優しく伝わってくる。つむぎは目を閉じながら、思った。


——本当は嬉しい。結婚なんて言葉を、こんなに自然に出されるなんて。でも、素直に言えない自分が、まだいる。茅はそれをわかった上で待っていてくれる。その事実が、たまらなく愛おしかった。


ふと、つむぎはリビングを見渡した。


広々とした空間。大きめのソファに、ゆったりしたダイニング。寝室も、浴室も、一人暮らしにしては明らかに広すぎる。


「……そういえば」

「ん?」

「この部屋、一人暮らしにしてはすごく広いですよね。茅さん、こんなに広い所にどうして住んでたんですか」


茅は少しだけ目を細めて、苦笑した。


「……実は、隠しててごめん」

「隠しててごめん?」

「俺、うちの会社の社長の息子だ」


つむぎの動きが、ぴたりと止まった。

茅は彼女の反応を見ながら、続けた。


「このマンションは、もともとは俺の両親が使用していたところなんだ。俺が独り立ちするときに譲り受けた。だから、一人暮らしにしては広い。……びっくりさせたくなかったから、黙ってた。ごめん」


つむぎは声が出なかった。

御曹司。社長の息子。自分が勤める会社の。茅が営業部で普通に働いているのが、急に別の意味を持って見えた。


茅は彼女の固まっている様子を見て、優しく髪を撫でた。


「だから、結婚しても会社辞めなくていいよ。俺の嫁が社内にいるくらい、全然問題ないから。むしろ、いてくれた方が嬉しい」


その言葉に、つむぎは完全に声を失った。

顔が熱い。頭の中が真っ白になる。結婚の話に続いて、社長息子のカミングアウト。そして「辞めなくていい」という軽すぎるフォロー。何をどう返せばいいのか、わからない。

茅はそんな彼女を見て、くすっと笑った。


「つむぎ、固まってる。可愛い。無理に今すぐ答えなくていい。俺は、つむぎが俺の隣にいてくれるだけで十分だから」


彼は固まっているつむぎをそのまま抱きしめた。


「驚かせてごめん。でも、隠す理由もなくなったから、正直に言った。つむぎは、俺の彼女だ。会社

とか関係なく、つむぎが好きだ」


つむぎはやっと、小さな声を絞り出した。


「………ハードル高すぎです。社長の息子相手に、無理です……」

「関係ないだろ」


茅は彼女の頰に唇を寄せ、優しく囁いた。


「俺はただの、つむぎの恋人だ。社長の息子とか、どうでもいい。つむぎが好きなんだから」

「でも……」

「でも、じゃない。関係ない」


茅は彼女の顎を優しく持ち上げ、目を合わせた。


「あと、一つお願いがある」

「……何ですか」

「もう、『茅さん』って呼ばないでくれ。『茅』でいい。恋人なんだから」


つむぎの顔が、さらに赤くなった。


「……急に何を」

「急じゃない。ずっと言いたかった。『茅さん』だと、まだ距離がある気がして。つむぎの口から『茅』って呼ばれたい」


つむぎは彼の胸に顔を埋め、小さく唸った。


「……む、無理です。急には……」

「さっきから無利しか言わないな、練習しよ。今から」


茅は彼女の耳元に唇を寄せ、甘く囁いた。


「つむぎ。俺の名前、呼んでみろ。『茅』って」

「……玉野さん」

「名前だよ」

「……茅」


声が、小さくて震えていた。

茅の顔が、ぱっと明るくなった。


「もう一回」

「……茅」

「もっと聞かせてくれ」


つむぎはもう、顔を上げられなかった。

茅はそんな彼女を抱きしめたまま、額に、頰に、唇の端に、と優しいキスを重ねた。


「つむぎ。俺の彼女。将来の嫁」

「…まだ結婚してない」

「言うとつむぎが赤い顔して可愛くなるからつい」


二人はソファで寄り添ったまま、夜を更けさせていった。余韻が、部屋に優しく満ちている。


秘密のままでいい。


社長の息子だという新しい秘密も、二人の間に加わった。それでも、これから先の朝は「おはよう」ではじまり、「おかえり」の声で一日が終わるのだろう。

一緒に笑い合いながら、少しずつ甘えて、少しずつ素直になっていく毎日が、窓の外の夜景の向こうに、優しく続いていた。

ハッピーエンド!お読みいただきありがとうございます!

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