008 太陽と月
大聖堂での厳かな誓いを終え、王宮の大広間に移動した。
そこで待っていたのは、ヴァルディシア王国が誇る、贅を尽くした『婚約発表の宴』だ。
「うわぁ……何、この熱気……」
広間に一歩足を踏み入れた瞬間、私はその圧倒的な光景に目を丸くした。
きらびやかな衣装を身にまとった数百人の貴族たちがひしめき合い、長テーブルの上にはこれでもかと豪華な料理が並んでいる。
だが、華やかな空気とは裏腹に、私に向ける彼らの視線はどこか冷ややかで、鋭い。
扇や酒杯で口元を隠しながら、あちこちからヒソヒソ話が聞こえてきた。
「――おい、聞いたか? 宴の最後には、あの『流れ人』殿が作られた菓子が出るそうですぞ」
「ふん、神の使いか何だか知らぬが、たかが菓子職人の小娘だろう? どれほどのものか……」
「殿下も正気か。新たにきた隣国の麗しき姫君との縁談を断ってまで選んだのが、あのような流れ人とは……。ヴァルディシアの未来が思いやられるな」
(……うわぁ、めっちゃ値踏みされてる)
緊張で身を硬くする私の手を、隣に座るリュシアンがテーブルの下で力強く握りしめた。
昏い青の瞳で周囲を一瞥し、鼻で笑う。
「放っておけ、ナギ。最後に泣きを見るのはあの愚か者どもだ。今は料理を楽しめ」
「……うん、ありがと。そうする」
彼の頼もしさにホッと息をつくと同時に、次々と運ばれてくる異世界の宮廷料理に、私のパティシエとしての、そして元現代人としての好奇心が刺激された。
まず運ばれてきたのは、宴会名物、巨大なパイだ。
給仕がナイフを入れた瞬間、パイの切れ込みから数羽の白い鳩が「バサササッ!」と勢いよく飛び出し、天井へと舞い上がった。貴族たちが「おおおっ!」と歓声を上げる。
テーブルの上は、まさに肉とスパイスの饗宴だった。
スパイスをこれでもかと擦り込んで黄金色に焼かれた『仔羊のロースト・ミントソース添え』。
サフランと高級ハーブで煮込まれた、宝石のように黄色く輝く『白身魚のスープ』。
さらには、巨体をそのまま香ばしく焼き上げられた『オークの丸焼き』。
極めつけは、口にアルコールを仕込んで火を付けた『火を噴くグリフォンの丸焼き』だ。
この世界ならではの料理のオンパレードに、私は笑顔を装いつつ、内心では「ひぇぇ」と悲鳴を上げていた。
けれど、お肉大好きな異世界の貴族たちは大興奮でナイフを入れていく。
宴が中盤に差し掛かると、広間の中央で劇が始まった。
演目は『グリフォンの討伐劇』。かつてリュシアンが騎士団を率いて猛獣を倒した時の英雄譚らしく、役者たちの迫真の演技に会場は大盛り上がりだ。
「リュシアン、すごいねー。グリフォンを倒しちゃうなんて」
「ふふふっ、そうだろう」
あれ? なんだ今の妙な笑いは?
今度エレノアさんにこっそり聞いてみよう。
劇が終わると、今度は一人の吟遊詩人が前に出た。
リュートを優しく爪弾きながら、彼が切々と歌い始めたのは――私とリュシアンのラブロマンスの歌。
だが、その内容が完全に斜め上だった。
『緑の風がそよぐ秘密の庭で、ただ一人眠り続ける美しき姫』
『世界の果てから迷い込み、記憶を失くした哀れな乙女』
『冷徹なる若き獅子は、その可憐な寝顔に心を奪われん』
(ちょっと待って!? 私、ただ寝てただけだし、記憶もバリバリあるんだけど!?)
心の中で猛烈にツッコミを入れる私を置き去りに、歌はさらに熱を帯びていく。
『貪欲なる者たちが、彼女の秘めたる力を奪わんと狙うとも』
『王子は剣を抜き、誓う。我が身を賭して、この流れ人の乙女を護り抜くと』
「まあ、なんて情熱的な愛かしら……」
「殿下がそこまで必死になられるとは」
あちこちでうっとりする貴婦人たち。どうやら、料理長やエレノアさんが面白がって流した噂に尾ヒレが付きまくったせいで、私はすっかり「儚げな悲劇のヒロイン」に仕立て上げられているらしい。
隣を見ると、リュシアンが信じられないほどニヤニヤしながら私を見ていた。
「よかったな、眠り姫。俺が命がけで護ってやったぞ」
「――コノヤロー! そんなに言うなら、一生私のこと守りなさいよね!」
やがてベロベロに酔っ払った貴族たちが、足元に群がる猟犬たちに骨を投げ与えて遊び出した頃、いよいよ宴の締めくくり――私の出番がやってきた。
――ゴン、ゴン、ゴン。
広間の最前方で、見事な白髭を蓄えた家令が、手にした金色の儀礼杖で三度、石床を高く鳴らした。
水を打ったように静まり返る大広間。家令は胸を張り、朗々とした声を響かせる。
「皆々様、静粛に! これより、第一王子リュシアン殿下が未来の妃、ナギ様特製――極上のデザートを皆様に献上いたします!」
その厳かな口上と同時に、数百人分のガラスカップを載せたトレイを持つ侍女たちが、一斉に、そして美しく統制された動きで広間へと流れ込んできた。
貴族たちの前に置かれたのは、彼らが人生で一度も目にしたことのない、息を呑むほど美しいお菓子。
新米パティシエのプライドを賭けて完成させた、『特製・虹のフルーツゼリー』だ!
透明度抜群のゼリーの中に、赤、橙、黄、緑、紫のフルーツがステンドグラスのようにきらめいている。
ゼリーの表面には贅沢に散らされた眩い金箔。
その中央では、赤い琥珀糖で太陽を表現し、その傍らには、黄色い琥珀糖で作られた小さな三日月がちょこんと寄り添っていた。
先ほどまで私を冷たい目で見ていた貴族たちが、一斉にどよめく。
「な、なんだこれは……!? 氷? いや、氷ではない……!」
「中身もだが、このガラスの器……この透明度は一体どうやって……。それに、この数を用意するとは……」
「この細工の美しさは一体……。他国のいかなる名匠の菓子も、これほど洗練されてはいないぞ」
疑心暗鬼のまま、一人の高官が恐る恐るスプーンを口に運んだ。
次の瞬間、その男は目を見開き、スプーンを持ったままガタガタと震え出した。
「……口の中で溶けた!? まるで魔法のようだ!」
「美味い……美味すぎる! なんだ、この信じられないほど上品で、脳が痺れるような濃厚な甘みはっ……!」
それもそのはず。
この世界では超高級品である砂糖を、リュシアンの「もっと砂糖を増やせ」という注文に乗って、私の理性が許す限界までマシマシにしてあるのだ。
現代の超高純度な砂糖の暴力的な甘みと、レモンの爽やかな酸味、そしてキンとした冷涼感。
肉とスパイスまみれで口の中がギトギトだった貴族たちは、その圧倒的な美味しさに完全にノックアウトされた。
「これを……あの流れ人の小娘が作ったというのか……!?」
「隣国の姫君との縁談を断ったのも当然だ……! このような天上の技を持つ者を他国に渡してなるものか!」
貴族たちはもはや私を侮るどころか、崇めるような目でゼリーを貪っている。
完璧な「ざまぁ」の成立に、私は内心でガッツポーズを決めた。
隣を見ると、リュシアンがスプーンを動かし、それはそれは満足げに瞳を細めていた。
「……よかったな、ナギ。これなら誰も文句は言えまい」
「ふふん、でしょ? 限界までお砂糖マシマシにしておいたからね」
私たちが視線を交わし合うと、先ほどの吟遊詩人が再び静かに楽器を奏で始めた。
今度は、目の前の光り輝くフルーツゼリーを題材にした、静かで、優しく、どこまでも甘い恋の歌だ。
『見よ、器の中に煌めくは、神秘の技で閉じ込められた天の虹』
『それは交わることのなかった、二つの運命の道標』
詩人の美しい歌声が大広間に染み渡る。
『天を統べる烈日のごとき、気高き太陽』
『異郷の空より現れし、優しく輝く小さき月』
『決して出会うはずのなかった太陽と月が、今、甘露の海で巡り逢う』
『ふたつの光は重なり合い、王国を永遠の祝福で満たすだろう――』
金箔がきらめくゼリーを見つめながら歌われるその詩は、あまりにも美しく、ロマンチックだった。貴族たちはうっとりとため息を漏らし、広間は完璧な幸福感に包まれる。
リュシアンが私の耳元で、誰にも聞こえないほどの低い声で囁いた。
「……どうだ。これでお前は名実ともに、俺の月だ。もう逃がさないからな」
「……ふふ。これからも頼りにしてるわよ、私の太陽」
私は照れ隠しにそう言って、悪戯っぽく笑い返す。
こうして、私とリュシアンの婚約発表の宴は、甘いゼリーの余韻と共に静かに幕を閉じたのだった。
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