006 スパイスクッキー
「ナギ。お待ちかねのオーブンが完成したぞ」
「あああーーーっ!」
厨房に備え付けられた、鈍い銀色に光る魔導オーブン。
その前で、私はこの世の終わりのように頭を抱えて嘆いていた。
「まったく……急に『一定の温度を保つ鉄の箱』を作れと言われたときは、何事かと思いましたぞ」
オーブンの隣で、ローブを着たボサボサ頭のおじさんがひどく疲れた顔をしている。
この男が、私の平和なニート生活に終止符を打った張本人かーーー!!!
「こら、オーブンを作ってくれた魔道具技師のバルザード伯爵に失礼だろ」
私の視線に気づいたリュシアンが、ニヤニヤと意地悪く笑う。
くそっ、ムカつく! 絶対にわざと私の反応を楽しんでる!
◆◆◆◆◆
「で、早速何か作るの?」
「当たり前だ。骨を折ってくれた、バルザード殿にもごちそうする。粗相のないようにな」
「ほう、噂の神の使いが作る極上の菓子ですか、楽しみですな」
「ぐっ……」
逃げ道は完全に塞がれていた。
しぶしぶエプロンを引き締めながら、私はエレノアさんに目配せをする。
「エレノアさん、ちょっと奥の倉庫へ……」
「はい、承知いたしました」
バルザードさんに『お買い物スキル』がバレるわけにはいかない。
私たちは急いで厨房の奥にある、窓のない食料庫へと身を隠した。
「ええと、今日は……せっかくだし、スパイスがたっぷり効いたクッキーにしようかな」
「スパイスのクッキーですか?」
「うん。オーブンの試し焼きにはぴったりかな?」
私はスマホをタップするような感覚で、銅貨を使って材料をポチポチと買っていく。
小麦粉、バター、お砂糖。そしてシナモン、ジンジャー、ナツメグ、カルダモン。
そしてクッキーにはやっぱり紅茶かなと思って、ちょっといいお茶っ葉を購入。
ビニール袋に入った最高品質のパウダースパイスを、ガラスの器に移しながらエレノアさんが、小さく息を呑む。
「……いつ見てもナギ様のスキルは、規格外ですね……」
「私が前いたところじゃ全部お店で気軽に買えるんだけどね。……あっ、常温のバターが買えるじゃん」
苦笑しつつ、材料を抱えて厨房へ戻る。
◆◆◆◆◆
ボウルにバターとたっぷりの砂糖を入れて、白っぽくなるまでふんわりと混ぜる。
そこへ卵を加え、ふるっておいた小麦粉と、たっぷりのスパイスをドーンと投入!
ゴムベラでさっくり混ぜ合わせると、もうこの時点でエキゾチックで甘い香りがふわりと漂ってきた。
「バルザード伯爵さん、このオーブンの使い方は?」
「このダイヤルを回して火力を調整する。中の熱が均等に回るように、風の魔石も組み込みましたぞ」
「なにそれ、完璧なコンベクションオーブンじゃないですか!」
やだ、このおじさん、魔道具づくりの天才だ。
私は生地をめん棒で平らに伸ばし、手早く型抜きをしていく。
天板に並べて、魔導オーブンへイン!
――十数分後。
厨房いっぱいに、焼けたバターと芳醇なスパイスの香りが弾けた。
「おお……なんと香ばしい……!」
「うむ。いい匂いだな」
男二人が、そわそわしながらオーブンを見つめている。
私は焼き立てのスパイスクッキーを綺麗なお皿に盛り付け、エレノアさんが淹れてくれた温かい紅茶と一緒に、テーブルへと並べた。
「はい、お待たせ! スパイスクッキーでティーパーティーだよ!」
◆◆◆◆◆
「では、さっそく……」
バルザードさんが、少し分厚いクッキーを一口かじる。
サクッ。
心地よい音が響いた直後、バルザードさんの目がこぼれ落ちそうなくらい見開かれた。
「この食感は!? サクサクと崩れていくのに、口の中の水分を持っていかれない! そしてこの複雑で高貴なスパイスの香り……っ! 素晴らしい!」
「ふっ、だろう? ……この紅茶という飲み物、色はキレイだが味が……砂糖をたっぷり入れるか」
リュシアンが紅茶にたっぷり砂糖を入れて飲んでいる。おいおいおい。
まぁでも、オーブンの出来は最高だった。
私もクッキーに手を伸ばそうとした、その時。
――バァンッ!!
勢いよく厨房のドアが開き、きらびやかなドレスを纏った女性が飛び込んできた。
「あらあら〜! あなたが噂の流れ人さんのナギさんね!」
「えっ!? は、はい!?」
突然の乱入者に目を白黒させる私。
その女性は、リュシアンにそっくりなプラチナブロンドの髪を揺らしながら、ものすごい勢いで私の両手をとった。
「こんにちは! リュシアンちゃんをよろしくね! もー、リュシアンちゃんったら、いつまでたってもあなたを連れてこないんだから、私から会いに来ちゃったわ! 」
「母上! 急に押しかけてくるなど、みっともない真似はおやめください!」
「あら、いいじゃない。だって、神の使いの可愛いお嬢さんに早くご挨拶したかったんですもの! それにしても……本当に噂通り、とっても可愛らしい子ね! ねえナギさん、うちのリュシアンちゃん、普段から意地悪ばかり言って困らせてない? あの子、昔から不器用で、好きな子にはつい意地悪しちゃう困ったちゃんなのよ〜!」
「は、はあ……」
「母上! 一体何歳の頃の話をしているのですか。余計なことを口にしないでください!」
「あらあら、怒っちゃって。図星だからってそんなに怖い顔をしないの。それにしても、本当に驚いたわ」
お母様は私の顔をまじまじと見つめると、ぱぁっと花が咲いたように微笑んだ。
「リュシアンちゃんったら、前の婚約者が別の『流れ人』の男に取られちゃってねぇ。すっかり心がバキバキにへし折れて、しばらく寝込んじゃうくらいがっかりしていると思ったら……今度は突然、別の『流れ人』のあなたと結婚するって言い出すんだもの! お母さん、もうびっくりして心臓が止まるかと思ったわよ!」
「……ぶっっ!!」
私は飲んでいた紅茶を盛大に吹き出しそうになった。
ええええ!? 前の婚約者が、別の流れ人に寝取られてたの!?
しかも、ショックで寝込むくらいガチで凹んでたの!?
いや待って、情報量が多すぎる!
「母上……顔も合わせたことも無い婚約者のことで寝込んでいませんよ。例の『流れ人』の対策で忙しかったのです」
「そうだったの? でも、こんなに愛嬌があって素敵な子なら、もう一安心ね! あら!? バルザード伯爵もいらっしゃったのね。前に頂いた『まっさーじき』とてもよかったわ。婚約の宴と結婚式のお土産で配るからたくさん作っておいて頂戴」
「畏まりました、王妃陛下」
「それにしても、とってもいい香りね。こちらが噂のナギさんのお菓子ね? 私も一つ、頂いていいかしら? ちょうど小腹が空いていたのよ」
「あ、はい……どうぞ、一つと言わず全部……」
私が混乱した頭で反射的にそう答えた、次の瞬間。
「それじゃあ、遠慮なく頂いていこうかしら! ちょうど今ね、大事なお客様をお迎えしているところだったのよ。お出しする極上のお茶菓子を探していたから、本当にグッドタイミングだわ!」
すると後ろに控えていた侍女が、ものすごい手際でテーブルの上にあった残りのクッキーを、お皿ごとかっさらっていった。
「それじゃ、お客様をお待たせしているからお邪魔するわね。これで最高のティータイムになるわ! リュシアンちゃん、ナギさん、またね〜!」
嵐のようなおしゃべりとともに、ドレスの裾を翻して去っていくお母様。
厨房には、静寂だけが残された。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
四人はただ呆然と、嵐が去った後のドアを見つめることしかできなかった。
ちなみに後日、リュシアンに『まっさーじき』を見せてもらったのだが……それは、どう見てもお子様にはお見せできないヤツだった。
わかっている。開発した人は真面目にマッサージ機として開発したのだ……ただイメージが……
「プリンの流れ人に便利な道具がないか聞き出したのだ。なかなかに気持ちいいぞ」
金と銀で装飾されたマッサージ機を、目を閉じて気持ちよさそうに肩に当てるリュシアンを、私は直視できなかった。
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