028 10000
「なんでこんなに砂糖やスパイスを大量に買うの? 量が倍どころか10000倍もあるんだけど!?」
私はリュシアンの執務机に、渡された発注のメモをバンッと叩きつけた。
ゼロの数が明らかにおかしい。いつもはせいぜい数十箱単位だ。それが今回はトン単位を通り越して、お城の倉庫どころか街一つが埋まってしまうような異常な数字が書かれている。
「リュシアン! ガルガドール王国で何企んでるの!? ちゃんと話してくれないと、いくら銅貨で買えるっていっても絶対買わないわよ!」
私が腕を組んで抗議すると、リュシアンはふっと困ったような、それでいてどこかひどく憂いを帯びた真剣な表情を作った。
そして私の前に立つと、両手をそっと包み込むように握り、まっすぐに目を見つめてきた。
「ナギ、驚かないで聞いてほしい。……ガルガドールが、我が国への侵攻準備を進めているんだ。だから、どうしても先手を打たなければならない」
「えっ……侵略?」
「そうだ。トーナメントの金貨十万枚も少しでも侵略を遅らせようとした結果なんだ」
「でも、だからってどうしてこんな大量のお砂糖やスパイスが必要なの!? 防衛のために武器や防具を買うっていうならまだ分かるけど……」
「武器を買えば、凄惨な殺し合いになる。君はそれを見たいかい?」
「それは……絶対に嫌だけど……」
「私も同じだよ。愛するこの国も、罪なき民も……そして敵国であるガルガドールの民でさえ、誰一人として死なせたくない」
リュシアンは私の指先にそっと口付けを落とすと、ひどく切なげな、縋るような熱を帯びた瞳で私を見つめてきた。
「これは血を流さないための戦いだ。誰も傷つかず、誰も悲しまず、戦争そのものを未然に防ぐための……私に思いつく唯一の手段なんだよ」
「誰も、傷つかない……? でも、やっぱり何かがおかしいわ。いくらなんでも量が異常すぎる。こんなものが一気に流れ込んだら、ガルガドールの街のほうがおかしくなっちゃうかもしれないじゃない!」
私はなおも食い下がった。素人目に考えても度が過ぎている。私の懸念に対し、リュシアンはふっと哀しげに目を伏せた。
「ああ、その通りだ。あちらの国では一時的な混乱が起きるだろう」
彼は隠すことなくあっさりと肯定すると、今度は私の腰をぐっと引き寄せ、自分の腕の中にすっぽりと閉じ込めるように抱きしめた。
「だが、命が奪われるよりはずっといい。そうだろう? ……ナギ、私には君の力が必要なんだ。君のその慈悲深い優しさが」
耳元で囁かれる甘く切実な声が、私の冷静な思考を少しずつ溶かしていく。
「将来生まれてくる私達の子供に、血塗られた歴史を背負わせたくない。君と、君に似た愛しい子供と……ただ平和な世界で笑い合って生きていきたいんだ。どうか、私と一緒に未来を護ってくれないか?」
「っ……うぅ……」
ずるい。あまりにもずるすぎる。
『血を流さない』『戦争を回避する』『子供や国民たちの平和のため』。
平和な現代日本で育った私にとって、そのロジックはあまりにも有効打だった。
誰だって、人が死ぬような痛ましい戦争なんて嫌に決まっている。私のお買い物スキルで戦争が防げて平和が保たれるなら、こんなに安いことはない。
完全にリュシアンの言葉に絆された私は、肩の力を抜いて大きくため息をついた。
「……仕方ないわね。そこまで言われたら」
「ありがとう、ナギ。君はやはり私の慈愛の女神だ」
私は言われるがままにスキルを発動した。
銅貨をジャラジャラと消費しながら、いつもの10000倍の砂糖とスパイス、そしてチョコレートを買いまくる。王城の裏にある巨大な軍事用倉庫群が、次々と甘い香りのする純白の砂糖やスパイスの入った木箱で埋め尽くされていく。
愛妻を完璧に丸め込んだリュシアンは、私からは見えない角度で、ぞっとするほど冷酷で、ひどく美しい黒い笑みを浮かべていた。
(――悪いな、ナギ。これでガルガドールを片付けられる)
優しすぎる妻が用意した、致死量の甘い爆弾。
これを一気に市場へタダ同然で解き放ち、狂乱するバブルを大暴落させることで、ガルガドールを阿鼻叫喚の経済崩壊へと突き落とす最後の引き金が、ついに引かれようとしていた。
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