027 幽閉
あれから一年。
ガルガドール王国の経済は、もはや後戻りできない異形の姿へと成り果てていた。
かつて国庫を潤し、市場を回していた輝かしい金貨や銀貨は、忽然と姿を消した。その代わりに彼らが血眼になって求めているのは、依然としてヴァルディシア王国からごく少量ずつ供給される『砂糖』『スパイス』、そして『チョコレート』である。
金が尽きた貴族や大商人たちは、代金の代わりに自らの持つあらゆる権利を差し出し始めた。
『領地の徴税権』『鉱山の採掘権』、果ては『騎士団の指揮権』までもが証書にされ、一握りの甘い粉や黒い菓子と引き換えに他者の手へと渡っていく。狂乱は留まることを知らず、国中の土地や富が、甘い幻影に吸い込まれるように形を変えていた。
◆◆◆◆◆
王都の路地裏にある、薄暗く喧騒に包まれた夜の酒場。
周囲のどんちゃん騒ぎから切り離されたような部屋の片隅で、粗末な外套に身を包んだ男たちが、安酒の入った杯を静かに傾けていた。彼らはヴァルディシア王国から潜入し、市場の操作と監視を担うリュシアン直属のスパイたちである。
「……思ったよりも速かったな」
一人が低く呟くと、向かいに座る男が深く頷いた。
「ああ。ここまでくるのに三年はかかると思っていたが」
「それだけ、我々も早く帰れると言うものだ。故郷の酒のほうがよっぽど美味いからな」
彼らの瞳には、バブルに踊るガルガドール人への同情など微塵もない。ただ、主の描いた盤面通りに進む計画を、冷徹に評価しているだけだった。
「それにしても、最初は貴族だけがターゲットだったが、まさかここまで広がるとは……」
「金が尽き、砂糖を給金に使いだした証拠だ。末端の兵士や職人にまで現物支給を始めた結果、誰もが『金貨より砂糖の方が価値がある』と信じ込んでいる。……愚かなことだ」
男の言葉通り、今や市場ではパン一つ、野菜一つ買うのにも、貨幣ではなく砂糖のグラム数が基準となっていた。国家の土台である貨幣への信用は、完全に崩壊していたのである。
◆◆◆◆◆
「父上! 目を覚ましてください!!」
同じ夜。ガルガドール王城の謁見の間で、第三王子の悲痛な叫びが響き渡っていた。
「我が国の金庫は既に空です! 貴族たちは領地を切り売りし、兵士たちは砂糖の配給が遅れただけで暴動を起こしかけている。今すぐヴァルディシアとの取引を全面停止し、強権をもって『砂糖や証書』による決済を無効化しなければ、国が滅びます!!」
血を吐くような進言であった。
しかし、玉座に座る国王の目はひどく虚ろで、焦点が合っていなかった。彼の手の中には、金貨でも剣でもなく、美しい細工が施された最高級のチョコレートが握られている。
「うるさい……。ヴァルディシアとの取引を止めれば、余の口にこの甘露が入らなくなるではないか。それに、我が国にはまだ森も、湖も、民もいる。それらを担保に証書を書けば、いくらでも買えるのだ」
「父上ッ! それは国を売り渡しているのと同じ……!」
「黙れ!!」
国王の怒声が、王子の言葉を強引に遮った。甘い毒に完全に思考を奪われた王の顔には、かつての威厳ある王の面影は欠片も残っていなかった。
「余の至福の邪魔をするとは、たとえ息子であっても許さん。衛兵! この者を捕らえよ! 頭が冷えるまで部屋に閉じ込めておけ!!」
「父上……! 父上ぉぉっ!!」
両腕を屈強な衛兵に掴まれ、ずるずると引きずられていく第三王子。
狂ってしまった父。甘い毒に踊り狂う貴族たち。そして、偽りの価値にすがりつく愚かな民。自らを大国と誇っていた強国は、一滴の血も流すことなく、ただ『甘いお菓子』によって内側から完全に腐り落ちていた。
「……ああ。もうこの国は、終わりだ」
薄暗い閉ざされた部屋の中、暗雲が立ち込める空を眺めることしか出来なかった。
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