026 オークション
ガルガドール王国の夜会は、かつてない奇妙な熱気に包まれていた。
かつては武勲や力自慢、領地拡大の密談ばかりが語られていた絢爛豪華な大広間で、今、貴族たちが血眼になって競い合っているのは、全く異なる「力」の証明だった。
「見てくれ、我が家が今月ようやく手に入れたヴァルディシアの『紅き宝石』だ。この美しい輝きを見よ」
「ほう、素晴らしいな。だが我が家は今朝、最高級のシナモンを隠し味に使った仔羊のローストをいただいたばかりだ。……おや、侯爵殿。まさか貴殿のところは、今月はまだあの『黒い媚薬』すら手に入れておられないのですか?」
「な、何だと……っ!?」
煽られた侯爵の顔が、屈辱で赤く染まる。
今やガルガドールにおいて、ヴァルディシアの砂糖やスパイスを所有していないことは、貴族としての「死」を意味していた。流行の遅れ、財力のなさ、家格の低さを証明する恥辱そのものだったのである。
この異常な熱狂は、単なる一時的な流行に留まらなかった。
実体のある金貨や銀貨よりも、ヴァルディシアの『砂糖』や『スパイス』の方が、確実に価値が上がり続ける——その事実に大商人や貴族たちが気づくのに、そう時間はかからなかった。
いつしか市場では、恐るべき経済の変質が始まっていた。
金貨による決済ではなく、砂糖・スパイスでの支払いが成立し。
価値が暴騰し続けるスパイスの小袋が、そのまま大金と同等に扱われる。
貴族に雇われる職人や兵士たちが、「給与は金貨ではなく、現物の砂糖かスパイスで欲しい」と要求し始める。
価値が落ちない、どころか明日には跳ね上がっている砂糖とスパイスは、ガルガドール国内における事実上の新貨幣へと変貌を遂げつつあった。
◆◆◆◆◆
だが、その異様な光景を、ただ一人、冷徹な目で見つめる男がいた。
ガルガドール王国の第三王子である。
彼は執務室で、国内の流通通貨量と、急激な物価上昇を示す膨大な報告書を突き合わせ、深い眉間にしわを寄せていた。
「……おかしい。何かが致命的におかしい」
兵士たちの俸給が金貨で支払われても、彼らはそれをすぐに砂糖へ換えようとする。穀物や鉄などの重要な軍需物資の価格すら、砂糖を基準に変動し始めていた。国中の富が、たかが『甘い粉』と『香りのする植物』に吸い寄せられ、実体経済が完全に歪んでいる。
「ヴァルディシア王国……。奴らはただ、闘技場での腹いせに高値で菓子を売りつけているだけではない。このままでは、我が国の経済そのものが奴らの手の中に落ちる!」
危機感を募らせた第三王子は、すぐさま国王の元へと向かい、謁見の間で膝を突いた。
「父上! 今すぐ国内において、砂糖およびスパイスを貨幣代わりに使うことを法律で禁止すべきです! 同時に、ヴァルディシアからの輸入に高い関税をかけるか、一時的に取引を停止せねば、我が国の通貨価値が崩壊します!」
しかし、玉座に座る国王の口元には、すでにチョコレートの黒い残滓が付着していた。国王はだらしなく目を細め、息子の必死の訴えを鼻で笑った。
「何を馬鹿なことを言うか。あの甘美な結晶が、金貨などより価値があるのは厳然たる事実だ。現に、近隣の領主たちも喜んで砂糖で税を納めておる。禁止などすれば、貴族たちの反発を招くだけだ。下がれ。余のティータイムの邪魔をするな」
「父上……っ!」
甘い毒に脳まで侵された父や重臣たちに、王子の警告が届くことはなかった。
◆◆◆◆◆
数日後。
毎月恒例となった、迎賓館での限定オークション。
会場の二階、一般の目に触れない特別席のカーテンの隙間から、第三王子は階下の熱狂を冷ややかな目で見下ろしていた。
「金貨三百枚!」
「いや、三百五十枚だ!」
一瓶の砂糖を巡り、まるで戦場のように吠え、互いを罵り合う貴族たち。その姿は、高貴な戦士の国の末裔などではなく、餌に群がる哀れな野犬のようだった。
(ヴァルディシアは、いったい何を企んでいる……?)
背筋にゾッと冷たいものが走るのを覚えながらも、第三王子はただ、制御不能となった自国の破滅へのカウントダウンを、拳を固く握りしめて見つめることしかできなかった。
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