023 チューリップ・バブル
ふわふわの羽毛布団に包まれて、リュシアンの腕の中にすっぽりと収まるこの時間が、私の一日で一番好きな時間だ。
心地よい体温に包まれて、ウトウトと意識がまどろみ始めたその時。私の髪を優しく梳いていたリュシアンの手が止まり、耳元で低く心地よい声が響いた。
「ナギ、前に話してくれた、『ちゅーりっぷ・ばぶる』の話をもう一度話してくれないか?」
「ん……? 気になるの? いいけどそんなに詳しくないよ」
私は薄目をあけて、彼の綺麗な顔を見上げた。相変わらず真面目というか、たまに私の知識(主に経済とか歴史の失敗談)をすごく真剣に聞いてくることがある。
私は記憶の引き出しを引っかき回しながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ええとね、私のいた世界で、大昔に本当にあったお話なんだけど……。チューリップっていう、とっても可愛いお花があるのね。そのお花が咲く前の『球根』、つまりただの植物の根っこが、あるとき信じられないようなお値段になっちゃったの」
「ただの植物の根っこが、かい?」
「そう。最初は、珍しい色の花が咲く球根が、お金持ちの間でステータスとして高値で取引されてたんだって。『これを持ってるのは一流の証』みたいに……」
リュシアンは、眠りに落ちそうな私をあやすようにの背中を優しくトントンと叩く。
「ん、ん……それでね、どんどん値段が上がっていくのを見た普通の人たちが、『今これを買っておけば、明日にはもっと高く売れるぞ』って気づいちゃったの。そこからはもうお祭り騒ぎ。誰も花そのものの美しさなんて見てなくて、ただ『値上がりする商品』として球根を奪い合うようになったんだよ」
「ふむ……実体ではなく、未来の利益を買い漁り始めたわけだね」
「そうそう、それ。そのうち現物の球根が足りなくなって、まだ土の中に埋まっている球根を引き換えるための『手形』とか『証書』だけで、何倍ものお金が動くようになっちゃったの。一番ひどいときは、たった一つの球根の権利のために、家一軒とか、職人の何十年分の給料と同じだけの価値がついたんだって」
リュシアンは私の話を一言も聞き漏らすまいとするように、静かに、そしてどこか冷徹な光を瞳に宿して聞いていた。
しかし、リュシアンの腕の中で夢現の私は、気付くことは無かった……
「だけどね、お祭りはいつか終わるの。ある日突然、誰かが冷静になっちゃったんだよ。『これ、よく考えたらただの草の根っこじゃない?』って。その一言で、みんながハッと正気に戻って、一瞬で買い手がいなくなっちゃった」
「……売りだけが残り、価格は暴落した、というわけだね」
「うん。昨日まで家一軒分の価値があった紙切れが、次の日にはただのゴミ。全財産を突っ込んだり、借金してまで球根の証書を買ってた人たちは、みんな一晩で破産しちゃったんだって。これが、チューリップ・バブル……ふわぁ……」
喋っているうちに、温かい布団の誘惑に勝てなくなってきた。
大きなあくびが一つ、口から漏れ出してしまう。
「眠たくなっちゃった。もういい?」
「ありがとう、おやすみ。とてもためになる、素晴らしいお伽話だったよ、私の可愛い眠り姫」
リュシアンは愛おしそうに私の額にキスをして、ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。その腕の中で、私は完全に限界を迎える。
「おやすみー……スヤー」
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7:00と12:00に公開予定。
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