021 秘薬
5日目のメインイベントは、城のバルコニーから民衆へ富を分け与える『施し(ラルジュス)』と、各職人ギルドが競い合う『山車のパレード』だ。
「――偉大なるヴァルディシア王国に栄光あれ! ラルジュス(慈悲を)! ラルジュス!」
城の最も大きなバルコニーから、従者たちの高らかな声が響き渡る。
それと同時に、私の隣に立つリュシアンが革袋から『本物の金貨と銀貨』を鷲掴みにし、眼下の広場へ向けて惜しげもなく豪快にばら撒いた。
「うおおおおっ!! 金貨だァ!!」
「退け! それは俺の銀貨だ!!」
「閣下、万歳!!」
硬貨が石畳に落ちるチャリンという音は、一瞬にして民衆の怒号と歓声にかき消された。
(うわぁ……群衆の圧が凄まじい……)
バルコニーから見下ろす私は、完全にドン引きしていた。
子供の頃、地元の神社のお祭りで、近所のお爺ちゃんやお婆ちゃんと一緒に『餅投げ』のお餅を必死になって拾った記憶はある。あの時もまあまあ激しい争奪戦だったけれど、空から降ってくるのがお餅ではなく『本物の金貨』となると、人間の目の色が完全に変わってくるのだ。
「危なっ……ちょっと、おじさん踏まれてる! あそこの子供も潰されそうだよ!?」
下に群がる人々は、文字通りラグビーのスクラム状態で折り重なり、取っ組み合いの喧嘩まで始まっている。
「ちょ、リュシアン! そんな勢いよく投げたら、下の人たち怪我するから! もう少しフワッと投げられないの!?」
「貴族の『寛大さ』を示すには、これくらい暴力的に富を見せつけねばならん。それに、彼らもこの乱闘を楽しみに生きているのだ。下手に手加減する方が失礼というものだぞ」
涼しい顔でとんでもないことを言いながら、リュシアンはさらに大量の金貨を放り投げる。
異世界のエンタメは、いくらなんでも命がけすぎる。私はバルコニーの手すりを強く握り締めながら、「誰も死にませんように」と祈るしかできなかった。
そんな狂乱の金貨撒きが一段落すると、遠くから華やかなファンファーレが鳴り響いた。
大通りをゆっくりと進んでくるのは、各ギルドが総力を挙げて作り上げた移動式舞台――『山車』のパレードだ。
鍛冶屋ギルドは山車の上で本物の炉を燃やして火花を散らし、パン屋ギルドは焼き立てのパンを民衆に投げ与えている。
「すごい……! みんなお祭りを全力で楽しんでるね」
私が身を乗り出してパレードを見物していると、ひときわ大きく、そして異質な歓声を浴びている山車が近づいてきた。
それは『冒険者ギルド』の山車だった。張りぼての巨大なドラゴンが乗せられており、その上で一人の男が、ドラゴンの首を踏みつけながら大立ち回りを演じているのだ。
赤い革鎧に身を包み、顔には物々しい鉄仮面。
そして、その男が軽々と振り回しているのは、見覚えのあるバラの紋章が入った大剣だった。
(あのバラの紋章の大剣……そして、あの派手に振り回すパフォーマンス! 間違いない、レンくんだ!)
私は思わず目を疑った。
「リュシアン、あれレンくんだよね!? 暗殺者に狙われてるんじゃなかったの!? そんな目立つ山車の上で大剣なんか振り回してて大丈夫なの!?」
「はははっ! 寝首を掻くならともかく、いったい誰が、起きている『ドラゴン殺し』を殺せるんだい? それより、身を乗り出しすぎるな。落ちるぞ」
不意に、背後からリュシアンの大きな手が私の腰に巻き付き、ぐいっと引き戻された。
リュシアンのたくましい腕、甘い香り。私の鼓動が跳ね上がる。
「まったく、あの能天気な英雄殿には呆れるな。パレードと聞いたら居ても立っても居られなくなったらしい」
「う、うん、そうだね……ふふっ、でも、あれがレンくんらしいというか……。この国の人もみんな、お祭りに命懸けだね」
私達は、華やかなパレードがすべて通り過ぎるまで、幸せな時間を過ごした。
◆◆◆◆◆
祝賀行事の6日目は、昼と夜で完全に世界が切り替わる、まさに「光と影」のような一日だった。
昼間は、他国の王族たちを招いた優雅な茶会。
色とりどりの花が咲き誇る庭園で、私は未来の王妃として、見事な笑顔と完璧な礼儀作法で外国のゲストたちをもてなした。誰もが洗練された会話を楽しみ、穏やかで高貴な時間が流れていた。
――しかし、夜。
王城の大広間は、昼間の優雅さなど微塵も残っていない、妖しくも熱狂的な空気に包まれていた。
今夜の演目は『仮面舞踏会』。
大広間は、仮面をつけ、鳥や獣、あるいは神話の登場人物の仮装をした貴族たちで、足の踏み場もないほど埋め尽くされている。
私とリュシアンは、大広間を高みから一望できる『特設バルコニー席』に腰を下ろしていた。
今日の私たちの衣装は、リュシアンが黄金の装飾を纏った『太陽神』、そして私が薄絹を重ねた神秘的な『月の女神』だ。普段の冷徹な公爵服とは違う、神々しいほどに煌びやかなリュシアンの姿は、隣にいるだけで目が眩みそうになる。
大広間のステージでは、お抱えの吟遊詩人がリュートを掻き鳴らし、艶やかな声で歌い上げていた。
『あぁ、遥か彼方の異世界より舞い降りし、漆黒の宝玉!
かの地では、男に猛々しき獅子の力を、女に開く花の淫らさを与えるという……!
さあ、甘く苦き秘薬に溺れ、今宵は理性を投げ捨てよう〜♪』
私の知識(といっても、地球の歴史においてかつて媚薬扱いされていたというだけの話なのだが)を大げさにアレンジした歌に、階下の貴族たちは「おおおっ!」と歓声を上げて熱狂している。
「さあ、月の女神よ。下界の飢えた子羊たちに、恵みを撒いてやろう」
「もう、太陽神ったらノリノリなんだから」
太陽神に促され、私たちは立ち上がった。
用意していたのは、高級な薄紅色のシルクの布に包んだ特製チョコレートだ。
「みんなー! 異世界の秘薬よー!」
私とリュシアンがバルコニーの上から、きらめくシルクの包みを大広間へとばら撒く。
空から降ってくるチョコレートを目指し、仮面をつけた貴族たちが我先にと手を伸ばす。
そして、包みを解き、初めての『ブラックチョコレート』を口にした瞬間――。
「な、なんだこの鮮烈な苦味は……! だが、その奥からとてつもなく濃厚な甘さと香りが……!」
「あああ……身体の奥底から、カッと熱いものが込み上げてくるわ……!」
初めて体験するカカオの強烈な風味と、吟遊詩人の煽り文句(プラシーボ効果)が見事に合わさり、貴族たちの興奮は最高潮に達した。
顔を真っ赤にし、熱っぽい溜息を吐きながら、仮面の下の瞳をトロンと潤ませる男女たち。
やがて――激しく見つめ合った一組の男女が大広間から消え、また一組、さらに一組と、次々にカップルが姿を消し始めたのだ。
「……みんな帰って行くわね。私たちも部屋に帰ろうか、リュシアン」
すっかり人が減り始めた大広間を見下ろし、私はバルコニーの奥にあるの扉に手をかけながら言った。
しかし――
「いや、今日はここに泊まるよ」
リュシアンが私の手をそっと握り、静かに首を横に振った。
「えっ? なんで?」
「……廊下を、少しだけ覗いてごらん」
意味ありげな笑みを浮かべるリュシアンに首を傾げつつ、私は控え室のドアノブを回し、外の廊下を数センチだけ覗き込んだ。
「――――ッ!?」
思わず、息が止まった。
ランプの火が落とされた薄暗い廊下の壁際、柱の陰、さらには窓辺のカーテンの裏。
あちこちで、大広間から消えたはずのカップルたちが、仮面も取らずに激しく、それはもう激しく愛し合って(物理的に)いるではないか。
「な、なんで部屋に帰らないで、廊下でしてるのよ!!」
私が真っ赤になって小声で叫ぶと、背後からリュシアンが私の肩を抱き寄せ、耳元で妖しく囁いた。
「ナギ……あれが貴族たちの真実の愛だよ。お前が作った媚薬のチョコレートが効いて、いつもより激しいようだな」
(いやいやいや!! チョコレートにそこまでの効果ないわよ!!)
心の中で全力のツッコミを入れながらも、中世貴族のあまりにもオープンすぎるハレンチな光景に、私はドン引きしつつ、なぜか目だけが釘付けになって離せなかった。
ダメだと分かっているのに、覗き見の背徳感と、異世界の生々しい熱気に当てられて、私の身体までじわじわと熱くなってくる。
「……ナギ」
ふいに、ドアがパタンと閉められ、視界が遮られた。
振り返ると、太陽神の装束を少しだけはだけさせたリュシアンが、琥珀色の瞳に濃厚な熱を宿して私を見下ろしていた。
「他人の覗き見はそのくらいにして……我々も、真実の愛を育もうか」
低く甘い声と共に、私の腰が強い力で引き寄せられる。
「リュシアン……っ」
外の廊下から微かに響く艶めかしい吐息をBGMに、私は抵抗することも忘れ、太陽神による深く熱い口づけに、甘く溶かされていくのだった。
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明日7:00公開予定。




