019 女神
団体戦でのヴァルディシア王国騎士団の見事な優勝により、闘技場はお祭り騒ぎの熱気に包まれていた。
そして夜を迎え、闘技場に特設された舞台での演劇が始まった。
無数の松明と蜜蝋の蝋燭が舞台を妖しく照らす中、私は天蓋によって個室になった特別席のフカフカなソファーに腰掛けながら、密かに胸を躍らせていた。
(劇っていうからには、オペラとかバレエみたいな、おしゃれな演劇が始まるのかな……?)
そんな私の優雅な妄想は、劇が始まった瞬間に木っ端微塵に打ち砕かれることになる。
――バリバリバリッ!!! ドカーン!!!
「ウオオオオオオアアアッッ!!!」
舞台の床に設置された、巨大なドラゴンの顎を模した大道具――通称『ドラゴンの口』から、魔導具による派手な火花と黒煙が噴き上がった。
そして、オークの皮で作られた禍々しい(でもどこかマヌケな)仮面を被った下級悪魔役の役者たちが、叫び声を上げながらドタバタと飛び出してきたのだ。
「ひゃああっ!?」
舞台上で始まったのは、この世界の神話をベースにした英雄譚だ。
仕立て屋ギルドや大工ギルドが総出で作ったという衣装や舞台装置は驚くほど豪華なのだが……内容がとにかくカオスだった。
何せ、この世界の神である至高の女神の役が、もの凄く色っぽいのだ。
薄布一枚のようなきわどいドレスを纏ったふくよかな女優が、舞台上でこれでもかと妖艶に腰をくねらせ、観客の男たちにウインクを飛ばしている。
「あぁ、我が愛しの勇者よ……。闇の魔王を討ち倒し、この私に極上の捧げ物を運んでおくれ、ん〜〜〜ちゅっ♡」
濃厚な投げキッスが飛ぶたびに、客席の殿方たちから「おおお……!」と地鳴りのような歓声が上がる。隣のリュシアンは真顔でブドウを食べているが、眼下の貴族達は完全に釘付けだ。
そして、その女神のお告げを受けて立ち上がったのが、伝説の勇者であり、この世界初の流れ人なのだが……。
「おお、麗しの女神様! この命に代えても――ぶふっ!?」
女神のセクシーすぎる胸元に見惚れて鼻の下を伸ばした瞬間、舞台の袖から怒り狂った魔法使いの恋人役が飛び出してきた。
「勇者! また女神様のおっぱいに見惚れて! クエストの報酬はどうしたのよ!」
と、木の杖で勇者の頭をポカポカ叩いて、生々しい痴話喧嘩を始めたのだ。
どこからか飛んできた生卵を投げつけられ、ぐちゃぐちゃになった伝説の勇者が悪魔たちと一緒に右往左往している。
「……ねえ、リュシアン。これ、一応神聖な神話の劇なんだよね?」
「ああ。民衆や貴族を退屈させずに神の教えを説くには、これくらいの下俗な笑いと、分かりやすい色気が必要なのだよ。完璧な英雄よりも、恋人に頭が上がらず、女神の誘惑に負けそうになる勇者の方が親近感が湧くだろう?」
銀の器に入ったブドウをつまみながら、リュシアンがニヤニヤと解説してくれる。
さらに劇の幕間には、完全な世俗劇である喜劇が始まった。
内容は、強欲なギルドマスターと浮気者の魔術師が、賢い新米冒険者に騙されて肥溜めに落とされるという、なかなかに下品で容赦のないドタバタコメディだ。
「おい見ろ、あの魔術師の慌てぶりを!」
「ギャハハハ! いい気味だわ!」
昼間はあんなに気取っていた貴族たちが、下ネタ満載のセリフに大爆笑して、ワインを片手に大盛り上がりしている。貴族社会、お上品なのか野蛮なのか本当に謎すぎる。
でも、ツッコミを入れる私の頭も、さっきから妙にふわふわとしていた。
お祝いにと勧められるがまま、度数の高い果実酒を調子に乗って何杯も空けてしまったせいだ。
おまけに、目の前の舞台ではセクシーな女神様がずっと悩ましい吐息を漏らしているし、周囲の熱気と松明のパチパチとはぜる音が、なんだか心地よく鼓膜を揺らす。
「……んぅ……」
気づけば、自分の座っているフカフカのソファーが、右側に大きく傾いている気がした。
いや、違う。私が自ら、隣に座るリュシアンの方へと倒れかかっているのだ。
「どうした、ナギ。劇が下品すぎて退屈したか? ……おや、ずいぶん顔が赤いな」
覗き込んでくるリュシアンの端正な顔が、火照った視界の中でふたつにブレる。
いつもはすました顔の冷徹王子のくせに、松明の炎に照らされたその瞳が、今はやけに優しく、そしてずるいくらいに格好よく見えた。
お酒の力というのは恐ろしい。普段なら絶対に言えない言葉が、するりと口から溢れ出してしまう。
「……リュシアンのばか」
「うん? なぜ私が罵られているんだ?」
「だって……舞台の女神様、すっごく胸が大きくて色っぽかったもん。リュシアンも、ああいうのが好きなんでしょ。男の人はみんなそうだもん……」
完全に酔っ払いの絡み酒である。
恨みがましく上目遣いで睨むと、リュシアンは一瞬きょとんとした後、クツクツと低く愉しげに笑った。
「なるほど、嫉妬か。それは最高のご馳走だな」
「嫉妬じゃないもん。……ちょっと、どこ触って……っ」
繋がれていた手を引かれ、気づけば私はリュシアンの膝の上に引き上げられていた。
背中に回された彼の手が、驚くほど熱い。心臓がトクンと跳ねる。
「私の目を眩ませる女神なら、最初からここにいる。……ほら、劇の女神よりも、お前の方がずっと私を惑わせているぞ」
耳元で囁かれた魅惑的な低音ボイスに、お酒とは違う熱が全身を駆け巡る。
リュシアンの長い指が私の頬をそっと撫で、そのまま顎をくいと持ち上げた。
「ん……む……っ」
私たちの唇が深く重なり合う。果実酒の甘い香りが、二人の間でとろりと溶け合っていく。
舞台の上では、勇者が恋人に尻を叩かれながらも魔王をコミカルに踏みつけ、大団円の拍手が巻き起こっていた。
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