016 金貨十万枚
――そして迎えた決勝戦。
意気揚々と闘技場の中央に立つガルガドール王国の代表騎士。その前に立ち塞がったのは、ひときわ異彩を放つ人物だった。
赤い革鎧に身を包み、顔には鉄仮面。そして背中には、身の丈ほどもある派手な飾りを付けた大剣を背負っている謎の冒険者だ。
冒険者でありながら、これまでの試合で勝者の権利である『相手装備の没収』を一切せず、ひたすら対戦相手を称えるその紳士的な姿勢から、観衆からの人気はうなぎのぼりであった。
「全権特使殿。彼は最近ヴァルディシア王国に現れた、『赤い巨星』の異名を持つ冒険者。私は彼に『金貨十万枚』を賭けましょう」
リュシアンの言葉に、特別席の空気は一変した。
「……ほう。ヴァルディシア王国が誇る、冒険者にございますか。実に、実に痛ましい。まるで屠殺場へ引かれていく、哀れな子羊のようだ」
ガルガドール王国の全権特使は、扇で口元を隠しながら、これ見よがしに勝ち誇った笑みを浮かべた。
「リュシアン殿下、先の敗北で少々お心が乱れておいでか? 狂戦士を身代わりに立てるとは……。大国の真なる武の前に、恐怖で理性を失われたのではないかと、我が王もさぞや案じることでしょう。身の程を知らぬ新興国のあがきを見るのは実に見苦しい……おっと、失礼。胸が痛みますな。国庫が空になっては、せっかくの可愛いお嫁さんにも逃げられてしまいますぞ?」
あからさまに私まで引き合いに出した侮辱。しかし、リュシアンはピクリとも表情を崩さず、むしろ青い瞳に愉悦の色を浮かべてワイングラスを傾けた。
「ふふっ……。大国の全権特使ともあろうお方が、たかが金貨十万枚ぽっちでそこまでお顔を強張らせるとは。もしやガルガドールは、見かけ倒しの張り子の虎で、台所は火の車なのですか? 怖気づいたなら今すぐ私の足元にひざまずき、準決勝の勝ち分を置いてお国へお帰りになっても構いませんよ。老人をいじめる趣味は、私にはありませんから」
「き、貴様……っ!」
特使の額に青筋が浮かぶ。このドロドロとしたやり取りを見て、周囲に座る他国の王族や貴族たちが、扇で口元を隠してクスクスと笑いながら、ここぞとばかりに煽り始めた。
「おやおや、特使殿。若き殿下は、どうやら貴国のような偉大なる先達から真の騎士の矜持を学びたくて、少々熱血に逸っておられるご様子。まさか、大国ガルガドールの重鎮たる御身が、うら若き獅子のじゃれつきに恐れをなして背を向けるなどという、歴史書を汚すような真似はなさいませんよね?」
「いかにも。ここで投げられた手袋を拾い上げねば、ガルガドール王国の輝かしき紋章の盾に、未来永劫拭えぬ泥が塗られることとなりましょう。さあ特使殿、ここはぜひとも、貴国に代々伝わる不退転の勇気の証明として、慈悲深くその挑戦をお受けなさいませ!」
「左様でございますとも。もしこの誉れ高き勝負を辞退なされば、明日の朝には吟遊詩人たちが『若獅子に怯えて尻尾を巻いた、哀れな老いぼれ獅子』の滑稽歌をこぞって歌い回ることになりましょう。特使殿がそのような不名誉な俗謡の主役になられるなど、我らとしても胸が痛みますゆえ、なにとぞご英断を」
周囲からの慇懃無礼な煽りラッシュに、もはや引くに引けなくなった特使は、ワナワナと全身を震わせながら叫んだ。
「……いいでしょう! その身の程知らずな減らず口、金貨十万枚と共に叩き潰して差し上げよう!!」
「それでこそ、ガルガドール王国の全権特使殿。お互い、いい試合になるといいですな」
チンッ――。
リュシアンは、全権特使が震える手で握るワイングラスに、自らのグラスを軽く当てた。その表情は、既に勝ち誇っているかのように見えた。
(い、胃が痛い……それにしても、なんて悪い笑顔……かわいそうに……)
◆◆◆◆◆
観客がざわめく中、試合開始の銅鑼が鳴り響いた。
ガルガドール王国の騎士が雄叫びを上げて突進する。しかし――鉄仮面の冒険者は、大剣を片手で軽く振り抜いた。
――ドゴォォォンッ!!
「ぐはあっ!?」
大剣の腹で打たれた大国の騎士は、数十メートルほど派手に宙を吹き飛び、闘技場の壁に激突して白目を剥いた。
文字通り、一撃である。
静まり返る会場。その中央で、鉄仮面の冒険者はおもむろに仮面を外した。
「おおおっ……! あれは!」
「第三の公示の時に乱入してきた、『ドラゴン殺しの英雄』だ!!」
正体を明かしたレンくんに、会場のボルテージは一瞬にして最高潮に達した。
「な、何……だと……!? なぜ、我が国の姫と結婚したはずの男が、あんなところに立っているのだ……!?」
全権特使がガタタッと椅子を鳴らして立ち上がった。顔面は蒼白となり、手にした高級な扇を「バキッ……!」と無惨にへし折っている。
そう、レンくんはガルガドール王国の姫様と結婚し、本来ならガルガドール側の身内になるはずの存在だったのだ。
それがなぜか、ヴァルディシア王国のトーナメントに謎の冒険者として参戦し、自国の代表騎士を粉砕してしまった。
全権特使からすれば、大損どころの騒ぎではない。国家の威信も、賭けていた巨額の資金も、すべてが一瞬にして消し飛んだのだ。
そのタイミングを見計らったかのように、リュシアンがゆったりと立ち上がり、闘技場へ降りていった。
そして何万もの観衆が見守る中で、レンくんと親しげに肩を叩き合い、がっちりと握手を交わした。
「見よ! この偉大なるドラゴン殺しの英雄レンは、我がヴァルディシアの真の友である!!」
リュシアンが高らかに宣言すると、闘技場が物理的に揺れるほどの地鳴りのような歓声が巻き起こった。
ヴァルディシア王家の紋章である『赤いバラ』が刻まれた大剣をレンくんに贈るリュシアン。それを何の疑いもなく、嬉しそうに頭上に掲げるレンくん。
ガルガドール王国の超ド級の戦力を手懐け、『我が国の味方である』と国際舞台のど真ん中でアピールしてみせたのだ。
(……うん。見ようによっては、完全にリュシアンの配下だね、あれ)
特別席に戻ってきたリュシアンは、目論見がすべて成功し、満面の笑みを浮かべていた。
「いやはや、特使殿。貴国自慢の『洗練された高度な文化』とやらは、我が真の友の一撃で、木っ端微塵に砕け散りましたね」
リュシアンはへし折れた特使の扇をチラリと見下ろす。
「ああ、そういえば彼は貴国の大事な婿殿でしたか。我が国のトーナメントで、自国の代表を嬉々として叩き潰すとは……。余程ガルガドール宮廷の居心地が悪かったのか、あるいは、貴国の文化が彼の肌に合わなかったのでしょうね。お気の毒に」
「リュシアン、貴様ァァァ!! ハメたな!! 我が国の戦力を、どのような汚い手で寝返らせた!!」
特使が血涙を流さんばかりの形相で怒り狂う。
(汚い手って……多分、レンくん本人は寝返ったなんて全く思ってないよ……多分……)
狂乱する特使に対し、ガルガドール王国の横暴さを内心面白く思っていなかった王族や他国の特使たちが、ここぞとばかりに容赦ない嘲笑の嵐を浴びせかけた。
「神よ、お許しを。あまりに見事な施しを拝見し、不敬ながら落涙を禁じ得ません。金貨十万枚と国家の名誉のみならず、至高のドラゴン殺しまでもヴァルディシアへお授けになるとは。ガルガドール王の寛大さは、まさに聖人。我ら一同、その大いなる慈悲深さに深く打たれておりますよ」
「特使殿、感服いたしました。我ら新興の粗野な者どもに宮廷の洗練を教えるため、自ら道化の役を買って出て、これほど極上の余興を見せてくださるとは。これぞ大国の深遠なる教養。我が国の若輩者どもにも、ぜひその無私なる献身を見習わせたいものですな」
「まあ……特使殿のお顔をご覧になって。まるで祭の翌朝に市場の隅に転がっている、熟れ腐ったカブのようですわ。さあ特使殿、騎士の誓約たる十万枚をお支払いになりませ。誉れ高きガルガドールが、一介の守銭奴のごとく財布が空だなどという不名誉な言い訳で、神聖なる決闘を汚されるはずがございませんものね?」
「ああ、ガルガドール特使殿。お気を落としなさるな。貴国の騎士が無様に転がるお姿、まるで収穫期のふくよかな豚のようで、実に見事な見応えでございました。これほど我らを楽しませてくださったのです、金貨十万枚などという端金、我が国の王が免除して差し上げてもよろしいのですが……おっと、それでは大国ガルガドールの誇りを傷つけてしまいますわね? ほほほ、失礼いたしました」
「う、ぐ……ああ……っ!!」
四方八方からの罵声、嘲笑、そして冷ややかな視線の銃弾を浴び、特使のプライドは跡形もなくズタズタに引き裂かれた。
「さて、特使殿」
リュシアンはトドメとばかりに、極上の作り笑いで言い放った。
「金貨十万枚は、ナギとの新しい新婚生活の資金として、有効に、贅沢に使わせていただきます。ガルガドール王国の涙ぐましいご配慮に……心より、感謝いたしますよ」
(……エレノアさん、私何も聞いていないんだけど、これ台本でもあるの?)
(ふふっ、ナギ様は本当に面白いお方ですね)
地鳴りのような大歓声の中で美しく微笑む夫と、異様にアドリブが強い各国の王族たちに囲まれて、私はただただ小さくため息をつくことしかできなかった。
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