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砥石の聖女―その聖剣は命で輝く―  作者: 無屁吉


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2/6

2.

 ■

 

「でーきたっ」


 満足げな声を上げ、女神官――宿帳にはナターシャと記した女――は、手についた髪くずをはらった。


 安宿の一室。そこに置かれた椅子の上で黙っていた男、ベラルドは、伸びきった髪の毛を整えられ、随分見やすくなっていた。

 ナターシャはベラルドの首から前垂れのようにして着けていた外套を取り去ると、その上にたまっていた髪の毛を慎重に屑籠へと捨てた。


 ベラルドはナターシャに礼をいうでも無く、無言で立ち上がるとそのままベッドへ向かう。


「あ、だめですよ。寝る前に晩ご飯を食べないと」


 窓の外では夕日が沈みかけている。夕食時にはちょうどいい頃合だろう。ベラルドはナターシャの言葉に足を止め、緩慢にきびすを返し部屋を出た。あわててナターシャも後を追う。


 この宿は多くのそれに共通するように、一階が酒場をかねた食堂、二階が宿泊部屋となっている。

 二人は軋む階段を降り、酒と飯を求めてごった返している一階へと向かった。

 ナターシャは目ざとくあいているテーブルを見つけ、ベラルドをまず座らせた。こうでもしなければ、この男はいつまででも立ち尽していることを、ナターシャは知っていた。


「すいませーん」


 ナターシャが声を張り上げ、いささか年を食った女給仕を呼ぶと、適当に二人分の食べ物を注文した。

 しばらくして運ばれてきたのは、この地方でよく取れる野菜と鶏肉をあわせて焼いたものと、いもの入ったスープ、それと豆パンだった。


「あ、おいしいですねー、このお肉」


 ナターシャが一口運ぶや、舌鼓を打った。

 部屋数もさほど多くない安宿の割に酒場がにぎわっているのは、料理が美味いせいなのかもしれない。あるいは、宿こそが副業なのか。

 正直味に期待などしていなかったのだが、予想外の収穫と言える。ナターシャの食べるスピードが速まった。


 ベラルドと言えば、やはりと言おうか、機械的に食べ物を口に運ぶだけで、味わっているのかすらわからない。栄養の補給以外、食事に何の意味があるというのか。言外にそう言っているようにさえ思えた。


 そうして、二人が食事を終え、部屋に戻りましょうかとナターシャが言ったそのとき、


「てめえ、ふざけるなよ!」


 怒鳴り声とともに、テーブルをひっくり返す音が食堂に響き渡った。

 はっとそちらを見やれば、顔を真っ赤にし、すっかり出来上がっている男が二人、剣呑な雰囲気で向かい合っている。


 酔っ払い同士の喧嘩。こうした場末の酒場ではよく見られる光景だ。しかし、このときばかりは少し違っていた。

 片方の禿げ上がった男が、腰に下げていた小剣を抜いたのだ。応じるように、対峙する小男も短剣を抜く。


「げ、やば……」


 ナターシャはつぶやき、ちらとベラルドを見やった。彼の目はやはり死人のまま。が、今まで何者にもほとんど興味を示さなかったはずの視線は、喧嘩する二人をしっかり捉えていた。


 まずい。ナターシャの中に焦りが浮かび、あわてて立ち上がりながら「ちょっと、待って!」と男たちに向かって叫んだ。


 だが、時すでに遅し。一瞬のにらみ合いの後、ナターシャの叫びを合図に、禿げ上がった男が切りかかった。小男は上から降りてくる刃を受けようなどとはせず、ただ避け、すぐさま短剣を走らせた。


「う、うぎゃあっ」


 禿げ男の苦痛のうめきが上がり、小剣が床に落ちる。小剣だけではない。その柄を持っていた人差し指から薬指までの三本も一緒に床へ転がった。

 恐るべきは小男の技量。彼は禿げ男の隙をつき、正確に指を狙い、切り落としたのだ。


「ふん……」小男はつまらなそうに鼻を鳴らし、短剣を収める。瞬間、酒場には歓声やら悲鳴やらが一緒くたになって上がった。

 小男を賞賛するものもあれば、憲兵を呼べと叫ぶものもある。


 なんにせよ、小男にとってこの場所が居づらくなったことは間違いないだろう。

 焦ったように懐から多めに銅貨を払うと、酒場を後にしようとし、


「痛っ」


 小さな苦鳴を上げた。


 小男の先をふさぐようにして、いつの間にかベラルドが立っていた。ナターシャは思わずさっきまで彼が居たはずの隣を見たが、当然、ベラルドが居るわけもない。

 いつの間にか、ベラルドの手には長い剣が握られていて、目の前の小男をぼんやりと捉えていた。ベラルドは、帯剣などしていなかったはずなのに。

 小男は突如として現れた死人のような男の雰囲気に気圧されながらも、「何のつもりだ」と再び短剣を抜こうとした。


「ん……あ、あれ?」


 そこで、ようやく気づいたのだろう。自分の指が三本、無くなっていることに。


「う、うぎゃあっ」


 奇しくも先に倒した男と同じうめきをあげ、小男は床にうずくまった。彼が気づいているかどうかはわからないが、ちょうどその目の前に、切り落とされた人差し指から薬指までの三本が転がっていた。

 ベラルドは小男をいつもと同じまなざしで見下ろしながら、


「罪には、罰を」


 そう、死んだ声で宣告した。

 食堂は、水を打ったように静まり返っていた。聞こえるのは二人の男の苦悶だけ。ほかの人々は誰も、何も言葉を発しなかった。いや、違う。発しなかったのではない。発せなかったのだ。

 彼らの目はベラルドの持つ剣へと吸い込まれていた。

 形だけ見れば、何の変哲もない両刃の長剣。けれど、その柄と鍔はどこまでも白く、わずかな欠けひとつない刃はランプ程度の光などに照らされる必要はないとばかりに自ずと輝き、超常なる神性を見せ付けていた。


「勇者、さま……?」


 長い沈黙のはて、誰かがつぶやいた。

 その言葉に彼らは知ったのだ。気づいたのだ。眼前に居る死人のような男が、世界を救った勇者なのだと。聖剣の神々しいばかりの輝きに、彼らは気づかされてしまったのだ。


 堰を切ったように、歓声が上がる。先刻の男たちの喧嘩など比べ物にもならないくらい凄まじい歓喜と熱狂。

 それに包まれながらも、ベラルドはただ立ち尽くしていた。周りに人々が押し寄せ、勇者を称える言葉を次々投げかける。

 ナターシャはそれを見ながら、適当なテーブルに頬杖をついてつまらなそうにつぶやいた。


「あーあ、また寿命が縮んじゃいましたね。もうちょっと早く止めれてたらなあ……」


 そして観衆に押しのけられたのだろう、いつの間にやら足元に転がっていた、騒ぎの元凶二人に気づく。

 すがりつくような視線。光の神に仕える神官の中には、癒しの魔法を使えるものもいる。もしかすると、ナターシャにそれを期待しているのかもしれない。だが、


「……ああ、まだ居たんだ。早く消えてください、目障りだから」


 ナターシャは冷たい目で、けれども貼り付けた笑顔はそのまま、神官にあるまじき台詞をはいた。

 男たちは涙を浮かべ、ほうほうの体で裏口から酒場を去っていった。ナターシャはそれを横目で見送ると、再び群衆に囲まれたままのベラルドへと視線を移した。解放されるにはまだもう少し時間がかかりそうだ。


「……狂ってる」


 ナターシャは侮蔑の言葉を口にし、それをゆすぐように誰かが飲み残したエールをあおった。ひどく、苦かった。

お読みいただきありがとうございます。

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