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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十一話「罪過」
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愛しのラプンツェル2

 大切なラプンツェルを、羽で包み込むように抱える。慎重に用心深く、ニーダーは寝室に戻った。


 ラプンツェルは大人しくニーダーの腕に抱かれている。ニーダーは暗い列柱廊下にひたひたと足音を響かせながら、ラプンツェルを暴力で繋ぎとめようとしていた頃を思い出していた。

 鉤の部屋で散々に打ち据え、ぼろぼろになったラプンツェルを背負い、こうやって、寝室に向かってゆっくりと歩いたのだった。


 焦燥と欲望に突き動かされていたあの頃を追想すれば、鬱屈とせずにはいられない。暗く閉ざされた世界で、もがけばもがく程に、深みに嵌っていった。


 そんな、期待と失望を振り子のように繰り返す日々のなかで、ラプンツェルを背負い寝室に向かう、あの時間だけが救いだった。体力も精神力も酷く消耗したラプンツェルには、ニーダーを拒絶する気力も残っていない。ラプンツェルはぐったりした体のすべてを、ニーダーの背に預けていた。

 体温を分かち合うことで、信頼と愛情のようなものを感じられる気がした。束の間の夢幻に酔いしれるあの時間だけは、幸せだった。


 次に顔を合わせれば、ラプンツェルの恐慌に、幻想を粉々に打ち砕かれる。それでもまた、傷ついたラプンツェルを背負い歩けば、何度でも愚かな夢を見た。


 あの頃と今では、少し違う。ラプンツェルははっきりとした意識を保ったまま、遠慮がちに、ニーダーの肩に頭を預けている。体を固くして耐えている。ニーダーの機嫌をとる為に。

 ラプンツェルの心に、手が届かないのは、あの頃も今も変わらない。けれど今は、ラプンツェルは彼女自身の意思で、ニーダーにもたれてくれているのだ。ラプンツェルが望んでしていることだ。心のない演技をしていても。本当は、望んではいないとしても。


 ニーダーの妃となって、ラプンツェルは変わった。自由を失い、家族を失い、体も心も酷く傷つけられて、絶望の淵を彷徨いながら、ラプンツェルは強くなった。ラプンツェルは立派に戦っている。憎い男の妻を演じることで、家族を守ろうとしている。


 ニーダーは変わらない。あの頃も今も、ラプンツェルの強さと優しさに付け込んでいる。


 沈思黙考の間に、寝室に到着した。あの頃は、ここが終点だった。けれど今は違う。ここはラプンツェルの寝室ではなく、夫婦の寝室だ。


 寝室の扉を押しあけ、大股で部屋を横切り、寝台の横で立ち止まる。ラプンツェルの体をそっと寝台におろした。ラプンツェルは震える花瞼を伏せている。


 ラプンツェルは不安なのだろう。ニーダーがだんまりを決め込んだから、機嫌を損ねてしまったと思ったのだ。だから、仕置きを待つこどものように、悄然としている。怯えている。

 ラプンツェルは、いつもニーダーを喜ばせようとする。明るい笑顔の裏で、本当はぎりぎりまで神経を研ぎ澄ませている。ニーダーが傍にいれば、ラプンツェルの心は休まらない。


 ニーダーは溜息を押し殺し、ラプンツェルの隣に腰かける。寝台が軋み、ラプンツェルの肩が僅かに跳ね上がる。ラプンツェルの肩に回そうとした手が、凍りついた。ラプンツェルが纏う夜着の背中部分が裂けている。純白の絹は、咲き誇る大輪の毒花のような真紅の染みを、まざまざと見せつけている。


 撃ち堕とされた鳥のように、ニーダーの手はシーツの上に落ちた。きつく眉根を寄せ、目をかたく瞑る。


 ラプンツェルの背は、前人未踏の新雪だった。誰も、彼女を蹂躙するものはいなかった。

 それを、ニーダーはめちゃくちゃに踏み荒らした。小さな背中を、傷でいっぱいに埋め尽くした。蚯蚓のようにのたうつ鞭傷は、まるでニーダーの愛そのもののように醜く、ラプンツェルの美しい肌に似合わなかった。


 ニーダーは頭を抱えたくなるのをぐっと堪える。温顔をつくって、ラプンツェルに視線の高さを合わせた。


「背は痛むかい?」


 怖がらせないように、努めて優しく訊ねる。ラプンツェルはきょとんとしてニーダーを見つめ返した。見開いていた目をゆっくりと細めて、ラプンツェルは頭を振る。


「大丈夫、たいしたことないの。ちょっと、爪が引っ掛かっちゃっただけじゃない。もうとっくに塞がっているのよ」


 ラプンツェルはニーダーを責めない。責めて、ニーダーが逆上したら、どんな仕打ちをされるものかわからないと、考えているのだろう。

 ニーダーは手許に引き寄せたベルを鳴らして、メイドを呼びつけた。

 こんな夜更けにメイドの手を煩わせたくない、とラプンツェルが難色を示すことは目に見えていたから、敢えてラプンツェルには相談しなかったのだ。


 傷が塞がったと言っても、血まみれの肌を清拭し、夜着を新しいものと取り換える必要がある。ニーダーが世話を出来れば良いのだが、適温の湯を沸かしたり、肌触りの良い布を用意したり、新しい夜着を出してきたり。生憎と、ニーダーには勝手がわからない。


 王城は眠り込んでいるが、メイドはすぐに呼び出しに応じた。いつ何時であっても、すぐに駆けつけられるようでなければ、妃付きのメイドは務まらない。


 ニーダーはメイドにラプンツェルの世話を言いつけると、寝台に背を向け、長椅子に腰をおろした。


 ラプンツェルは小声でメイドに詫びている。メイドは恐縮しつつも、てきぱきと働いた。ちらちらとニーダーを気にしているようだったが、優秀な使用人らしく、余計な詮索はしない。ラプンツェルの着替えが終わるまで、ニーダーは別のメイドに用意させた、湯と布を使って、汚れた足を清めていた。メイドはでしゃばらず、面器と布を置いてさがった。ニーダーが触れられるのを嫌う為だ。ニーダーに触れないこと。それは側仕えの者たちの間で、暗黙の了解となっている。


 メイドは迅速に処置を終えると、ニーダーの望みを正確にくみ取り、一礼して辞した。寝室には、ラプンツェルとニーダーだけが残される。


 長椅子に腰かけて凝然としていると、ラプンツェルが不自然なほど、朗らかに声をかけてきた。


「すっかり遅くなっちゃったね。そろそろ眠らなきゃ。あなた、明日も早いんだから」


 ニーダーは首を伸ばして、長椅子の背もたれから顔を出す。寝台の隅にちょこんと腰かけたラプンツェルが、にこにこして手招きしていた。


 ニーダーは眩んだ。ラプンツェルが眩しすぎて、直視できない。精一杯、媚びる姿は痛ましくも可愛いらしい。演技だとわかっているのに、騙されたふりをして、寄り添いたくなってしまう。

 ニーダーはぼそりと問いかけた。


「……私が一緒でも、大丈夫なのか?」  


 ラプンツェルはくすりと含み笑った。


「いつもそうしているじゃない。変なニーダー」


 慈母のような微笑みが、ニーダーを魅了してやまない。蜜に引き寄せられる蜜蜂のように、ニーダーはふらふらと寝台へ向かっていた。


 ラプンツェルは優しく微笑んでニーダーを待っている。ニーダーが近付けば近付くほど、柔らかい頬が固く緊張していく。


 寝台に乗り上げようとしたところで、ニーダーはぴたり動きを止める。どうしようもないジレンマが、ニーダーをその場に縛り付けた。


 ラプンツェルを愛している。愛しているから、傍にいたい。けれど愛しているのなら、くるりと踵を返して、部屋を出るべきだ。


 中途半端な体制で葛藤するニーダーの頬に、柔らかい掌がふんわりと触れた。ラプンツェルが伸びあがって、両手でニーダーの頬を挟んだのだ。


「ニーダー? どうしたの? 大丈夫?」


 ラプンツェルは、真剣な瞳でニーダーを見詰めた。


 ラプンツェルの全神経が、ニーダーに集中している。ニーダーの視線の配り方、息遣い。些細なことにまで、細心の注意を払っている。いち早く、不満や憤懣を読み取ることこそ、彼女の護身術なのだ。


 しかし、それだけではない。ラプンツェルは身を守ろうとしながら、ニーダーの身を案じている。触れる柔らかい手や、濡れる大きな瞳は、疑いようがない。


 ニーダーはたじろいだ。ラプンツェルはわからない。どうして、そんなに優しいのだろう。


 ニーダーは残酷な悪魔だ。地獄に引きずり込んだこの手をとれと、ラプンツェルに迫った。血と罪にまみれたこの手に、救うことなど出来やしない。ラプンツェルはそのことを、よく知っている。


 それなのに、ラプンツェルは悪魔の苦しみを汲み取ろうとする、悪魔のために心を痛める。傷つけるだけの手を、握っていてくれる。


 いつ、自分を食い殺すかわからない怪物を、狂気に呑まれずに愛せる訳がない、とノヂシャは言った。


 甚だ遺憾だが、ニーダーも同感だ。


 こんな怪物を愛せる女性なんか、いない。母にすら愛されなかった、歪な化け物だ。

 傷ついた過去に溺れ、傷つく以上に他人を傷つけることで辛うじて生き延びた、おぞましい悪魔だ。いったい、どこを愛すればいいのか、ニーダー自身にも皆目見当がつかない。


 誰も、悪魔の心の在り処など知ろうとしない。傷ついた心を慰めようとしない。傷に触れれば怒り狂い、牙を剥くのだから。


 危険を顧みず、悪魔のために手を差し伸べることなど、誰にも出来やしない。出来るとしたら、それはひとではなく、きっと、神の御使いなのだ。


(天使だ。地獄に堕ちた天使は……地獄でも、天使のままだ)


 ニーダーは衝動的にラプンツェルを掻き抱いた。そうしなければ、体がバラバラになってしまいそうだった。竦み上がる細い体の、震えを抑え込むように、強く抱きしめる。


(もう誰にも、君を傷つけさせない。君を守る……私自身からも!)


 心の奥底から、ニーダーは叫んだ。口には出さずとも、神はこの宣誓を聞き届けていただろう。誓いを破ったときには、魂を八つ裂きにされても構わない。この誓いだけは、決して破ってはいけない。


 もうこれ以上、ラプンツェルを……愛する女性(ひと)を、傷つけたくない。


「ニーダー……?」


 すっぽりと腕に収まったラプンツェルが、もぞもぞと身じろぎしている。窮屈そうに縮こまり、あどけない表情でニーダーを見上げている。ニーダーはラプンツェルの頭を、無骨な手で出来る限り、優しく撫でた。


 ラプンツェルを寝台に横たえる。戸惑いながらも為すがままのラプンツェルの胸まで上掛けを引き上げて、ニーダーは微笑んだ。


「もう、怯えなくて良いんだ。安心して眠りなさい」


 そう言い残して、立ち去ろうとしたニーダーの手首を、ラプンツェルが掴んだ。ぐいぐいと手を引っ張られる。困惑するニーダーをくすべ顔で見上げて、ラプンツェルは唇を尖らせた。


「あなたはまだ眠らないつもり? 休まなきゃいけないわ。毎日、忙しいんだもの」


 ニーダーは苦々しく思った。ラプンツェルに優しい言葉をかけられると、あっさりと翻意してしまいたくなる。ラプンツェルはすべてを許してくれるかもしれないと、都合の良い、甘い夢を見たくなってしまう。


 ニーダーがぐずぐずと断れないでいる内に、ラプンツェルはニーダーを上掛けの中に引っ張り込んだ。ニーダーはろくに抵抗せず、大人しく従ってしまう。ラプンツェルは満足げに微笑んだ。


 ラプンツェルの笑顔が、高い塔を見上げていた、あの頃と少しも変わっていなかったから、ニーダーの胸は張り裂けそうになる。悲喜こもごもの感情がぐるぐると渦を巻いていて、とても痛い。


 幸せだ。幸せすぎて、怖いのだ。胸が酷く痛むのは、悪魔のような自分は、この幸福にふさわしくないと、わかっているから。


 ラプンツェルはニーダーの肩に上掛けをかけると、にっこり微笑んだ。


「さぁ、眠って」

「眠れない」


 ニーダーの唇は勝手に喋っていた。ラプンツェルが目を丸くする。ニーダーも驚いた。こんなことを、言うべきではないと思うのに、言葉はひとりでに溢れだす。


「眠っている間に、君を奪われてしまいそうで、眠れない」


 ラプンツェルはぱちぱちと瞬きをする。小首を傾げた。


「おかしなこと言うのね」


 おかしなことではないだろう。ニーダーはラプンツェルを奪った。地獄に天使を閉じ込めている。いつか、腹をたてた神が、ラプンツェルを解き放ってしまいかねない。

 ラプンツェルを求めるひとは、いくらでも、それこそ、掃いて捨てるだけいるだろう。しかしニーダーには、ラプンツェルしかいない。


 珍しい生き物を観察するように、ニーダーをじっと見つめていたラプンツェルが、困ったように失笑した。小さな手がぽんぽんと、ニーダーの肩を叩く。


「仕方がないなぁ。子守唄を歌ってあげる。だから、駄々をこねないで、もう眠りなさい」


 言うや否や、ラプンツェルは歌いだした。可憐な唇が紡ぎ出す歌は、やはり、お世辞にも上手とは言えない。変なところで引っ繰り返るし、おかしなところで細くなる。それでも、否、そんなところも含めて、素晴らしい歌声だった。我が子をあやすような手が暖かい。知らない筈の温もりが、何故だろうか、とても懐かしく思われる。


 ニーダーは夢見心地で、ラプンツェルの歌に聞き入っていた。歌声が途絶えた時、ニーダーは思わず懇願していた。


「私が眠るまで、こうしていてくれるか」

「甘えん坊のこどもみたいなこと言って」


 ラプンツェルがころころと笑う。美しい微笑みを浮かべて、ニーダーの額に落ちかかった前髪を払った。


「あなたがぐっすり寝入るまで、こうしていてあげる。私の酷い歌のせいで、悪夢に魘されたって知らないんだからね」

「夢は見たくない。夢には、君がいないかもしれない。君がいる、この現実が私の全てなんだ」


 ニーダーはラプンツェルの手をとり、薬指の節に口づけた。愛を乞うよりも、切実な願いを訴える。


「過去も未来もいらない。今が、ずっと続けばいい」


 ラプンツェルが傍にいてくれる。優しくしてくれる。今が一番幸せだと、確信を持って言える。この閉じた世界にこのまま、閉じこもっていられたら良い。そう出来たら、どんなに幸せだろう。この幸せが、血まみれで強張った指の隙間から、逃げていくことに、怯えずにすんだなら。


 思いつめるニーダーの額を、ラプンツェルの人差し指がこつんとつついた。ニーダーが目を瞬かせると、ラプンツェルは悪戯が成功したこどものように笑った。


「そんなこと言わないの。この子が拗ねちゃうでしょ」


 ラプンツェルはそう言ってニーダーを軽く窘めると、ニーダーの手をとり、彼女の薄い腹部へ運んだ。小さな命が宿ったそこにニーダーの掌を押し当てて、ラプンツェルは銀色の睫を伏せる。


「この子に会える未来が、楽しみだよね? ほら、そう言ってあげて。いつもみたいに」


 ラプンツェルの優しい微笑に、ニーダーは微笑み返そうとした。けれど、出来なかった。口元を緩めたら、嗚咽が漏れてしまいそうで。


 ニーダーは唇を固く引き結んだ。ラプンツェルの優しさに、ニーダーも蕩けるような優しさを返したいのに、言葉が出てこない。


 ニーダーは応えられないかわりに、ラプンツェルを抱き寄せた。ラプンツェルの耳元に小さく囁きかける。


「ラプンツェル」

「なぁに?」

「目が醒めても、君はまだ、ここにいてくれるか?」

「大丈夫よ。なにも怯えることはないの。私は何処にも行けないから」


(怯えているのは、君の方だ。優しく触れてくれる今この瞬間も、本当は……私が恐ろしくて堪らないんだろう?)


 ニーダーは苦笑しようとして、失敗した。苦しみが強くて、うまく笑えない。ニーダーは自嘲の念をこめて、抑揚なく言った。


「そうだ。私は君をはなさないから、君は何処にも行けない」


 怖がられるだろうと思った。しかし予想に反して、ラプンツェルは怯まなかった。

 ニーダーの目をまっすぐに覗き込み、きっぱりと言い切った。


「私はあなたの傍にいるわ」


 甘い言葉を紡ぐ唇は、色を失くしている。瞳には愛情の甘さなどなく、悲壮な決意がゆるぎない炎として宿っていた。


「すまない、ラプンツェル」


 ぽろりと毀れたのは、言葉だけではなかった。頬を濡らす熱い雫を、ラプンツェルには見られたくなくて、彼女の旋毛に顔を埋める。涙も、懺悔もとめられない。


「本当にすまない。すべて私が悪いんだ。私が愚かなばかりに、君に辛い思いをさせてしまっているのは、わかっている。……変わるから。もっとずっと、良くなるから。だからどうか、お願いだから、私を」


 堰を切ったように溢れだす。押し殺していた感情が、とめられない。


「私を、見捨てないでくれ……!」


 聞くに堪えない嗚咽が耳障りだ。頬を濡らす涙が厭わしい。けれど、止められない。

 何もかも、ニーダーが悪かった。ラプンツェルに落ち度はない。気の毒な被害者だ。

 だから、ニーダーはラプンツェルに、これ以上何も求めてはいけない。傍にいてくれるだけで、これ以上を望むべくもない。


 涙なんて、見せてはいけない。ニーダーの涙は自己憐憫の汚物だ。心に溜まった黒々としたものを垂れ流しているだけだ。

 しかし、そんなものでもラプンツェルは、憐れまずにいられない。


 ラプンツェルの両手が、ニーダーの背に回る。細い腕は、しっかりと力強くニーダーを抱きしめた。


「あなたはそうやって、自分を歪め続けて、これまで生きてきたのね」


 ラプンツェルは優しくニーダーの背を叩く。泣き縋る我が子を受け入れ、慰める、母親のように。


「何も変わらないで良い。ありのままの、あなたでいて」


 ニーダーはラプンツェルと向かい合った。涙がとめどなく頬を流れる情けない顔を、ラプンツェルに晒す。ラプンツェルは、ニーダーにそれを恥と思わせなかった。ラプンツェルは海のように大きい。子を宿したラプンツェルは、奇跡の天使であり、母親と言う、強く大きな海でもあったのだ。


「君を愛している」


 ニーダーは泣きながら言った。


「君なんだ。君じゃなきゃダメなんだ。君だけなんだ。僕の愛が、君を不幸にしてしまって、すまない。どうしても、君が愛しくて……」


 そこで言葉に詰まった。愛の言葉は溢れかえり、一つきりの唇から、たがいを押しのけ合いながら、外に飛び出そうと騒いでいる。

 言葉に出来ないから、ニーダーはラプンツェルを抱きしめた。縋りつくように抱きしめた。


 ラプンツェルを愛している。それ以外に、確かな想いがない。


「謝らないでよ」


 ラプンツェルが、涙まじりに言う。いつのまにか、彼女も泣いていた。


「謝らないで」


 ラプンツェルがニーダーの背に爪を立てる。鋭い爪が薄い夜着ごと皮膚を引き裂き、血を流す。その痛みは、恐ろしいほどに甘美だった。


(ごめんよ、ラプンツェル。心臓が鼓動を止めても、きっと、君への愛を止めることは出来ないんだ)


 ニーダーはラプンツェルを抱きしめていた。ラプンツェルもいつの間にか、ニーダーを抱きしめていた。血と涙に塗れた、二人だけの夜だった。

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