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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十一話「罪過」
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愛する理由2

 ニーダーは絶句した。唇をこじ開けられ、喉奥まで氷塊を押し込まれたようだった。言葉は喉に閊えて出てこないのに、間抜けにも開いた口が塞がらない。凍えた体の震えがおさまらない。


「……知ったような口を利くな。高い塔こそが、天を衝く地獄だった。ラプンツェル……彼女は奇跡の天使だ。彼女さえいれば、ここはもう、地獄ではない」


 掠れた声で素早く言いきると、ニーダーはノヂシャを突き飛ばした。膝の上で拳を握りしめるが、うまく震えを抑え込めない。あまりにも震えるので、今にも爆ぜてしまいそうに見える。


 震える拳に、ノヂシャは躊躇いなく手を重ねてきた。撥ね退けようとしたが、上から押さえつけるノヂシャの力が想像していたより強い。非難をこめて見上げて、はっとした。

 月明かりを背負ったノヂシャの表情は見えにくい。それでも、目を凝らせば見えてくる。口元は柔らかく綻んでいるけれど、刺さりそうな、鋭い目つきをしていた。


「ニーダー。あんたは綺麗だ。特に綺麗な目をしてる。ああ、でも可哀そうに。あのひとと同じ目だ。この目には、目の前にある真実が、霧の中にいるみたいに霞んで、見えてない。狂ってる俺にだって、はっきり見えるのにな。ラプンツェルが、地獄のどん底でもがき苦しんでるのが」


 ノヂシャは羽で触れるようにそっと、ニーダーの目元に触れた。目玉を抉られるかもしれない。それ程までに脅威を感じたのに、釘づけにされたように動けなかった。


 ノヂシャの唇がとっておきの弧を描く。血に飢えた獣のような舌なめずりをして、ノヂシャが言った。


「可哀そうなラプンツェル。あんたのことを愛せない。だから彼女は地獄にいるんだ。あんたの傍は、永遠に彼女の地獄なんだよ。ニーダー」


 ノヂシャは沈黙した。息遣いすら聞こえない。


 とても静かな夜だ。すべてが死に絶えてしまったかのように。暗雲の奥に隠れた、白い月の溜息さえ、聞こえてきそうだった。


 ここが地獄だから、だろうか。地獄とはつまり、凄まじい孤独のことなのだろう。


(ラプンツェルさえ傍にいてくれれば、ここは私の地獄ではない。しかし……ラプンツェルはどうだ?)


 ニーダーはラプンツェルを手に入れる為に、その身も心も深く傷つけた。そんなことは、わかりきっている。ノヂシャに指摘されるまでもない。


 ニーダーはただ、ラプンツェルが欲しかった。傍にいて欲しかっただけだった。出来ることなら、ラプンツェルを傷つけたくなかった。ニーダーの求愛を、ラプンツェルが微笑みで受け入れてくれたなら、あんなことにはならなかった。


 否、せめて。求婚の言葉に頷いてくれなくても、せめて、ラプンツェルがニーダーを迷惑がり、邪険にしたりしなければ。ニーダーはもっと根気強く、待つことが出来ただろう。もっと、穏やかになれただろう。


 ラプンツェルは初めから、ニーダーを疎んでいた。ニーダーは、ラプンツェルの素っ気ない横顔ばかり見ていた。


 高い塔の狂人たちに惑わされていたのかもしれない。想い人がいる一途で潔癖な少女にとってはぽっと出の求婚者など、邪魔者でしかなかったのかもしれない。


 だから、ラプンツェルが拒絶するのは無理もないことだ。頭では理解し、納得できても、しかし心は違った。

 どれほど足しげく通い、愛を乞うても、ラプンツェルはニーダーに見向きもしない。彼女の無関心は最も鋭い刃となって、ニーダーの心をずたずたに切り裂く。


 ラプンツェルは高い塔の家族たちを愛していた。優しさと思いやりを惜しげもなく振る舞っていた。しかしニーダーには、その欠片すら与えてくれなかった。ラプンツェルは狂人たちが紡ぎ出すお伽噺の世界に引きこもり、そこから出ようとはしなかった。


 だからと言って、諦められる筈もない。何度、けんもほろろに撥ねつけられ、無碍にあしらわれ、追い返されたことだろう。それでも、ニーダーはラプンツェルを訪ね続けた。何度でも、何度でも。


 とぼとぼと来た道を引き返す、ニーダーの惨めな背中に、狂人たちは無遠慮な嘲笑を投げつけていた事だろう。


 狂人たちは礼儀正しく、彼らを守護するブレンネン王家に敬意を払っていた。しかし、それは悪魔で容だけのものだ。あの恩知らずの痴れ者どもに、ラプンツェルを手放すつもりはさらさらなかった。ラプンツェルを欺き、狂人の子を産ませるつもりだったのだろう。


 そんな事とは露知らず、ラプンツェルは無邪気に高い塔の家族を信じ、心を預けきっている。惜しみなく与えられるラプンツェルの愛情という恩恵、当然の如く享受する狂人ども。ニーダーは気も狂わんばかりに嫉妬した。


 高い塔の狂人たちを脅かし、ラプンツェルを妃として王城へ迎えた。連中は我が身かわいさに、ラプンツェルを差し出したのだ。

 ニーダーは高い塔の狂人たちを、心の底から侮蔑した。しかし、彼らの愚かさはありがたくもあった。これでラプンツェルを、我がものと出来る。


 しかし、理想と現実はだいぶ違った。


 ラプンツェルはニーダーを愛していない。殊勝に振る舞いこそするが、それはすべて拒絶の裏返しに過ぎない。純粋無垢なラプンツェルは嘘がつけないのだ。


 拒絶の固い殻に閉じこもってしまったラプンツェル。露骨にニーダーを避け、言葉をかわそうともしない。

 ベッドの隅っこで縮こまる、頑なな背を見詰めて、ニーダーは思った。


(このままでは嫌だ。無視されるのは、もうたくさんだ)


 ラプンツェルの虚ろな横顔に、ニーダーは亡き母を見た。美しく儚い、守るべき愛しい母。最期まで、ニーダーを愛してくれなかった。

 母といると、ニーダーはいつも不安になった。知らない間に肉体を失い、魂だけの存在になってしまったのではないだろうかと。そうでなければ、透明になってしまったのかもしれない、とも。


 ここにいるのに、どこにもいない。愛しい人の目に、自分がうつらない。


 とても辛く悲しいことだ。しかし、それでも構わない。ラプンツェルがニーダーの傍にいてくれるなら、それ以上は望むまい。ニーダーは必死に己を宥めすかし、妥協しようとした。

 そのかわり、ラプンツェルにも譲歩を求めた。ラプンツェルはニーダーの傍を離れてはいけない。例え、何があろうとも。


 しかし、ラプンツェルはニーダーをあっさりと裏切った。ニーダーを悪魔と謗り、憎悪を剥きだしにした。


 花の蕾のごとき可憐な唇から、殺意を迸らせるラプンツェル。その凍えた青い瞳は、ニーダーをまっすぐにとらえていた。


 ラプンツェルの目に、自分がうつっている。絶望に苛まれるニーダーの心に、火が点いた。


(憎まれても良い。罵られても、辱められても良い。なんでもいいから、私を見てほしい)


 そこから先は、坂を転がり落ちるようだった。欲望が噴出する。凶暴な衝動に歯止めが利かない。


(憎まれるのは嫌だ。私は愛されたい。ラプンツェルは私のものだ。私の妃なのだから、私を愛するべきだ。真心と愛情が欲しい。父が母に愛されたように、私はラプンツェルに愛されたい)


 無我夢中だった。死に物狂いで父の足跡を辿った。ラプンツェルを脅迫と暴力の両方で苛むことで、愛を引き出そうと躍起になった。偽りの誓いも悲鳴も要らない。欲しいのは彼女の真心だ。


 しかし、駄目だった。酷く消耗したラプンツェルが、愛らしい顔を無残に歪ませて、泣きながら縋りついてきた夜のことは、忘れられない。


『おしえて。どうしたら、あなたのことを愛せるの? おしえてよ。なんでも、言うとおりにするから。こんな辛い日々が、あと一秒でも長引くなんて、たえられないの。ねぇ、おしえて……あなたを愛することが出来るなら、私……悪魔に魂を売り飛ばしてもいいんだからっ……!』


 ラプンツェルは途方に暮れていた。心の強い彼女が、憎い仇に泣いてすがるほどに、弱っていた。

 ラプンツェルは泣いていた。ニーダーも泣きたかった。


 教えて欲しい。どうしたら、愛してもらえるのだろう。最も愛に溢れている筈の、実の母にすら愛されなかった。この世界に歓迎されなかった。ニーダーは、愛するに値しない人間なのか。


(魂など、とうの昔に悪魔に売り飛ばした。それでも私は愛されない。そもそも、私の魂には、取引の材料にする程度の価値もなかったのか?)


 暴虐の嵐が心を過ぎ去れば、残るのは迷いと恐れしかない。致命的な間違いを犯してしまったのではないか。犯し続けているのではないか。ニーダーは懊悩の炎にじりじりと焼かれながら、それでもまだ諦めきれずに、愛される術を探していた。広大な砂漠で、一本の針を探すような、気の遠くなる探しものだ。望みは限りなく薄い。


 結局、すべてが無駄な足掻きに終わった。極限まで追い詰められたラプンツェルは、達観したように冷めた目でニーダーを見据えて、言い放った。


『私、ここのところ、ずっと死にたかったの。あなたといることに、もう、耐えられそうにないし』


 地獄の底に亀裂がはしり、さらなる地獄が口を開けた。ニーダーは真っ逆さまに落ちていった。


 幸せなラプンツェルを、死を渇望する程に、不幸にしてしまった。もう、認めなければならない。ニーダーは悪魔に魂を売り飛ばしたのではない。ニーダー自身が悪魔だったのだ。


 だから愛されない。神にすら見放され、天使にすら憎まれる。


(私ほど、地獄にふさわしい輩はいないだろう)


 それでもニーダーは、愛されたかった。この地獄を抜け出して、幸せになりたかった。


 ラプンツェルが、憎みながらも傍にいると約束してくれた時、ニーダーは歓喜した。ラプンツェルは怯えながらもニーダーを受け入れ、戸惑いながらもニーダーの子供を身ごもってくれた。

 ニーダーの愛を、受け入れようとしてくれていると、思う。


 ニーダーの思った通り、ラプンツェルは奇跡の天使だ。ラプンツェルを愛している。ラプンツェルに愛されたい。


 望みは、ただそれだけなのに。

 ラプンツェルを地獄に引き摺り落とすつもりなんて、なかったのに。


「ニーダー」


 ノヂシャが沈黙を破った。細い指先が、ニーダーの頬に触れているのが見える。しかし、実感がない。嫌悪に肌がざわめかない。何も感じられない。


「あんたが泣いてるの、初めて見た。あんたも、泣くんだな」


 ノヂシャの指が、ニーダーが流したらしい涙の一滴をすくいとる。ふるい落とさないように慎重に、ノヂシャは手を目の上に翳した。ほんのわずかにさし込んだ月明かりに、雫がきらめく。それが指を飾る宝石であるかのように、ノヂシャはうっとりと見入っていた。


 その視線が、すうっとうつろう。呆けるニーダーを見下ろして、ノヂシャは微笑んだ。目を奪われずにはいられない、魅力的な微笑だ。


「ラプンツェルはここには相応しくない。天使は天国にいるもんだ。そうだろ、ニーダー?」


 どこか遠くで、羽ばたきの音がする。鳥が大きな翼を広げ、空に飛び立つ音。地べたを這いつくばる者には、決して手の届かない、どこまでも高い、大きな空へ。


 手を伸ばしても届かない。気づいてももらえない。高い高い、塔の上で歌う天使。


 ラプンツェルはニーダーのすべてだ。ラプンツェルを失うことは、即ち、命を失うことだ。もっと悪いかもしれない。心が死んだまま、鼓動だけが止まらないのだから。


「翼ある天使ならば、翼をもぎとれば良いだけのこと」


 ニーダーは声を軋らせて言った。つよく瞬きをする。涙の一滴が頬をくだるのを、確かに感じた。


 ニーダーは不可視の鎖を引きちぎり、昂然と立ち上がる。ニーダーとノヂシャと視線が、ほぼ水平にぶつかりあった。

 ニーダーは胸の前で右の拳を握りしめると、大きく息を吸い込んだ。


「ラプンツェルは私のものだ! 誰にも渡さない。例え相手が神であろうと!」


 夜の闇が震えるほどに、ニーダーは声を張り上げた。彼の宣誓はどこまでも、地獄の底から天の国まで響きわたるように。


 例え、ニーダーが呪わしい悪魔であっても。

 ラプンツェルを不幸にすると運命に定められていても。

 ニーダーはラプンツェルを諦められない。


 ニーダーがニーダー自身である限り、魂が消えてなくなるまで、ラプンツェルを焦がれるほどに愛し続ける。


 ニーダーが突然大声を出したので、ノヂシャは驚いたらしかった。目を瞠って、ぽかんとしている。


 その表情が、瞬く間で、触れれば切れそうな、剣呑なものに変わった。


「どうして、ラプンツェルにこだわる? あんたは愛されたいんだろ? ラプンツェルには無理だ。彼女はいいひとだから、あんたを憐れむだろうけど、あんたはまともな彼女の手には負えない」


 ニーダーは僅かにたじろいだ。ノヂシャのこんな険しい声は、聞いたことがない。言葉の内容に憤るよりも、ノヂシャが苛立ちを露わにしていることが衝撃的で、ただただ驚いて、立ち尽くしていた。


 ノヂシャは肩を怒らせ、ぎらぎらと輝く瞳でニーダーを睨みつけると、すごい剣幕でまくしたてた。


「考えてもみろよ、ニーダー! まともな神経の女の子が、化け物の唇にキスが出来るか? 血でぬらぬら光る鋭い牙に、いつ、噛み裂かれるとも知れないんだぜ。出来るわけないだろ、そんな馬鹿げた真似!」


 話しているうちに、さらに感情が高ぶったノヂシャは、テーブルに拳を叩きつけることで、発散しようとした。固く輝く拳がテーブルに深々と突き刺さる。


 ニーダーは意地を忘れて、竦み上がった。ノヂシャの気迫に圧倒されてしまった。


 憤激したノヂシャは猛々しい獅子のようだ。亡き父王を彷彿とさせる覇気をまとっている。ニーダーは父王の前に突き出されて、言い訳も満足に出来ない、不束な王子に戻ってしまったようだった。


 テーブルに手をついたまま、ノヂシャは肩で息をしていた。息が上がっているのは体力を消耗しているせいではなくて、あまりにも興奮した為だろう。


 ノヂシャはしばらくそうしていたかと思うと、何の前触れもなく立ち直った。ぎくりと体を強張らせるニーダー。とるべき間合いを、長い脚で詰められてしまう。


 咄嗟に逃げを打とうとするニーダーの背に、ノヂシャは素早く左手を回した。ずいと大きく踏み込んでニーダーの懐に飛び込む。よろけるニーダーの長身を片腕で危なげもなく支え、ノヂシャはニーダーの顔を目睫の近さで見詰めた。


 糖蜜のようにどろりと蕩けた、危うい眼差しが毒の沼のようだ。ノヂシャはあやしく目を細めた。


「でも、俺は違う。俺はいかれてる。あんたと同じか、それ以上だ。あんたになら食い殺されても本望だよ」


 ノヂシャはころりと態度を変えた。ニーダーの首筋に頭を擦り寄せ、仔猫のように甘えて見せる。耳元に唇を寄せて、熱を込めてノヂシャは囁いた。


「愛してる、ニーダー」


 ニーダーはびくりと肩を跳ねあげた。恐ろしい痛みを感じたのだ。まるで鋭い牙で首筋に食らいつかれ、毒を注ぎこまれたような、そんな恐ろしい痛みを。

 ニーダーはノヂシャの髪をつかみ、引っ張ってひきはがそうとした。しかし、ノヂシャはびくともしない。ニーダーは眉を顰めた。細った喉から、やっとのことで言葉を絞り出す。


「……よせ、ノヂシャ。離れろ」

「嫌なら振りほどけばいい。あんたが本気になったら、俺なんか簡単にぶっ飛ばせるだろ?」


 ノヂシャの返事はにべもない。どことなく、面白がっているような響きはあった。


 嫌なら、振りほどけばいい。その通りだ。出来ることなら、とっくにそうしている。ニーダーはノヂシャより強い。少なくとも、今のところは。ノヂシャに遠慮はしない。


 それなのに、ノヂシャを突き放そうとすると、体から力が抜けてしまう。さっぱり意味がわからないが、今のノヂシャには逆らえない。


 ノヂシャはそれを知ってか知らずか、やりたいようにやっている。獅子が喉を鳴らして、怯えきった獲物にすり寄り、甘えてみせるように。


 ふとしも、ノヂシャの動きがぴたりと止まった。ニーダーの肩に尖った顎を乗せると、ノヂシャはやけに挑発的な声調で、こう言った。


「良い夜だな……ラプンツェル」



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