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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十一話「罪過」
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愛する理由1

 ニーダーは穴があくほどに、ノヂシャの白い顔をまんじりと凝視した。

 ノヂシャの指が、踝を中心にくるくると円を描き、そこから長く尾を伸ばすように、足首を這いあがる。

 虫唾が走るような愛撫を、執拗に施されているにも関わらず、ニーダーの頭には抵抗という選択肢が浮かばなかった。


 そんな余地はない。ニーダーは延々と、ノヂシャの言葉を反芻していた。


(ラプンツェルから、逃げて来た)


 ノヂシャの指摘はずばり的中している。ニーダーは逃げた。小さな命を宿した彼女を置き去りにして、尻に帆をかけ逃げだしたのだ。


 ラプンツェル。最愛の女性ひとであり、最も恐ろしい女性でもある。ラプンツェルはニーダーが求める幸福そのものであり、ニーダーを死よりも恐ろしい絶望に突き落とす引き金でもあるのだ。


 ラプンツェルが愛しい。ラプンツェルという希望がなければ、無限地獄を生き抜くことは出来なかった。


 きっと、耐えきれなかった。罪と知りながらそれを犯し、奈落の扉につながる罪悪の枷を引き摺って、血の味に茂る花道を進むことなど、臆病なニーダーには到底無理だったはずだ。


 ラプンツェルを我がものとする為ならば、意気地なしのこどもが、恐れを知らぬ狂戦士のように戦えた。堕ちるところまで堕ちてやっと、ニーダーはラプンツェルを手に入れた。


 失えない。ラプンツェルが傍にいてくれなければ、息も出来ない。


 恐ろしいのは、ラプンツェルを失うことだ。いつか罪を贖う時、この身を八つ裂きにされるだろう。しかし、ラプンツェルは失いたくない。地位を名誉を、体を命を、すべてを失くしても、ラプンツェルだけは失いたくない。


(それなのに、嗚呼、それなのに……どうして私は、愛しい彼女の背に恐ろしい獣の爪をたててしまったのだ)


 ニーダーの心の奥底には、彼自身、把握しきれていない闇がある。ニーダーがこれまでに犯した、数多の罪が降り積もって出来た底なし沼だ。ニーダーに踏み躙られ、屠られた亡者たちが足にしがみつき、光の届かない闇の底へ引き摺り込もうとしている。

 ラプンツェルを傷つけ、ノヂシャを殺すことを許さず、ニーダーの心を、持ち主の思うようにさせないのだ。


 それを自覚した途端に、呼吸が儘ならなくなった。ニーダーは喘ぐように息を吸い込んだ。息苦しさを覚える。掻き毟るように、詰まっていた襟を寛げたが、一向によくならない。

 首を絞められているような錯覚に陥る。無骨な手が、繊細な手が、競うようにしてニーダーをくびり殺そうとしている。


(……死者に何が出来る。この世を追われた死者に何が! 如何程の恨みを残そうと、晴らすすべはない筈)


 深呼吸を試みる。胸板が大きく上下するだけで、息苦しさが消えない。ニーダーは苛立ち、己の咽頭に爪をたてた。


(私の為に死んでいった者たちだ。ならば、私の幸福を支える、礎となってしかるべきではないか!)


 亡者は過去の亡霊か。亡霊は罪悪感の化身か。犯した罪の重さに潰されるなど、愚の骨頂だ。

 罪は認める。罪悪感は背負う。ただし、後悔はしない。非道に非情に、望むままに生きる今の自分を肯定する。道理に背いても、己に背いたことは、一度たりともなかった。だから、後悔のしようがない。


(そうやって、また逃げる。過ちを犯しながら、罪深く生きて来たことは、自分自身がよくわかっているじゃないか。どうして、あのことだけ、認めようとしないんだ?)


 ニーダーは瞠目した。声がする。深い闇の底から、なじみ深い声がする。警鐘のように、頭の中で反響する。


(あのひとだけは、僕を愛してくれていたのに)


 声は火花のように閃いて、白く発火する。その灯が、暗闇の底を照らし出す寸前に、目の前が真っ暗になった。


 ニーダーが決定的なものを見つけてしまうことはなかった。心のなかで重く大きな扉が閉ざされたからだ。胸騒ぎは収まらないが、それを上回る安堵感があった。恐ろしい怪物に追われて、その牙にかかる刹那、間一髪のところで、頑丈な扉の奥へ逃げ込んだ。そんな心地がする。


「……ニーダー? どうした?」


 肩を揺さぶられ、ニーダーははっと我に返った。


 ノヂシャが、表情に乏しいなりに、うまくつくりあげた心配顔で、ニーダーの顔を覗き込んでいる。ニーダーが身じろぐと、肩がノヂシャの腕に触れた。棒きれのように細いと思っていた腕には、逞しい筋肉が隆起している。


 火に触れたように、咄嗟に手を引っ込めてしまい、己の失態に眩暈がする。これではまるで、男に迫られた生娘か、そうでなければ、追い詰められた子ウサギだ。どうしようもなく、怯えきった弱者そのものだ。


 ノヂシャは左手をニーダーの耳の横につき、覆いかぶさるような姿勢をとっていた。まるで、檻に囚われた獣にでもなったようだ。閉塞感とともに、屈辱と焦燥を覚える。


「構うな」とつっけんどんに言い捨てて、無礼者を突き飛ばしてやろうと、唇を開く。それにかぶせるように、ノヂシャは言った。


「あんたを悩ませるのは、ラプンツェルか? ……似ているのは、顔だけじゃない。ラプンツェルも、あんたを愛さないバカな女だ」


 違う、とすかさず反駁しようとした。一緒にするな、ラプンツェルは違うのだ、と。ところが、ノヂシャの続けた言葉の鋭さが、ニーダーを怯ませた。


「だから、殺した?」


(殺した? 私が? 誰を? ……ラプンツェルを?)


 激情が心頭に達する前に、ニーダーは上体を起こし、つんのめるようにノヂシャに掴みかかっていた。ノヂシャの表情は彫ったように動かない。微笑みのかたちを保っている。風の無い昼下がりの、穏やかな湖の水面のように、さざなみすら立たない。


 超然とした態度が、意味もわからず、ニーダーを急きたてる。ニーダーは恥も外聞もなく、怒鳴り散らしていた。


「言葉を慎め! 斯様なことは、例え天地が逆転しても起こり得ない!」

「どうして?」

「愚問を……愛しているからに決まっている! この世界の誰よりも、ラプンツェルを愛しているからだ!」

「どうして?」


 ノヂシャはニーダーの言葉に、いちいち首を傾げて疑問を呈する。かっとして殴りつけようと振りあげた拳が、重ねられた疑問符に止められた。


「なぁ、どうして? すぐに答えられないのは……ラプンツェルのこと、本当は愛していないから?」


 ニーダーは、一度はとめた拳を力の限り振り抜いた。がくんと首を逸らし、力を失ったノヂシャの体を、襟首を掴んで引き上げる。額を合わせるように顔を近づけ、突き刺さるような鋭い目ではれ上がった顔を見据える。ニーダーはやっと絞り出した、しわがれ声で唸るように言った。


「貴様……よくも、痴れ言を抜かせたものだな……愛を解せぬ狂人の分際で、ぬけぬけと!私は間違いなく彼女を愛している。彼女は私の天使だ!」

「ラプンツェルが、天使」


 ノヂシャは口腔にたまった血を吐き出すと、投げやりな声調で言った。


「雲に届きそうなくらい高い塔の上で、幸せそうにしていた、綺麗な女の子だから? ラプンツェルが天使みたいで、きっと、可哀そうなあんたのことを、幸せにしてくれるって、そう思ったから、あんたは彼女を愛してる。そういうことで良いのか?」


 ニーダーは返答に窮した。ノヂシャはニーダーの心を、概ね正しく代弁した。


 それなのに、なぜだろうか。ノヂシャの口から聞かされると、なぜ、こんなにも陳腐に感じられるのだろう。


(……誰でも良かったように聞こえた)


 ニーダーは愕然としていた。あり得ない。あり得てはならない。ラプンツェルはニーダーの運命の女性だ。ラプンツェルだけが、ニーダーを救ってくれた。


(私は、誰でも良かったのか? 高い塔の窓辺で、楽しそうに歌っていた幸せな少女が、ラプンツェルでなくとも……私は恋い焦がれたのか?)


 断じて違う。ラプンツェルではければいけなかった。ラプンツェルでなければ、それはただの見知らぬ少女でしかない。幸せそうな笑顔を羨やむことはしたかもしれないが、だからと言って、たったそれだけのことで、はたして魅了されるだろうか。


一目みただけで、魂を悪魔に売り飛ばしても良いと渇望する程に魅了されるなんて、おかしいのではないだろうか。


(なぜ……私はこんなに、ラプンツェルを愛している?)


 ラプンツェルは男にとって、大変魅力的な女性だろう。

 少し厚みが足りないが、小柄な体は男の庇護欲を煽る。

 鋭利な美貌は見る者の目に高慢で冷酷にうつるが、心を許した者にだけ見せる愛情深い笑顔は、大輪の薔薇の花のように素晴らしい。

 少々はねっ返りの気が強く、向う見ずで、たびたび癇癪を起こすこどもっぽさは、擦れずに、素直な心を持ち続けている証だ。

 可憐さに似合わぬ強情さには、散々煮え湯を飲まされたが、逆境に屈しない強い心は尊敬に値する。

 何よりも、怨敵であるニーダーを、憎み切れずに憐れみ、慈悲の抱擁を与える彼女の優しさを、愛さずにいられる男など、この世に存在するかどうか疑わしい。


 しかしこれらは、ラプンツェルを捕えて、はじめて知ったことだ。遠くから焦がれていた頃のニーダーに、わかるはずがない。


 ニーダーはノヂシャを突き放すと、前のめりになり、苦しい胸を抑えた。


(あれは、なんだ。私を生かした、胸が焼け焦げるほどに熱く切ない、あの想いは、一体、なんだったんだ)


 ニーダーの旋毛を、鋭利な月のように、冷めた目で見下ろしていたノヂシャが、淡々と言った。


「何であれ……あんたはその天使を、地獄に引きずり落としたわけだ」



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