月冴ゆる
昨日こそ 秋は暮れしか いつのまに 岩間の水の 薄氷るらむ(藤原公実)
近頃、時の流れが奇妙に感じる。
枯れ葉が木から落ちていくのを眺めていたはずが、いつの間にやら、新緑の芽を出している。
つい先までは日が照っていたというのに、今、目の前に映るのは、冴え冴えとした月一つ。
あの話を、声を、思い返しているその間は、瞬きの間しか経っていない。
長いようで短く、短いようで長い。これは、何をするでもなく、時を貪っているせいなのだろう。
知らぬ間に隣を陣取る焔嵐が、酒を片手に顔を顰めた。
「霧雨さんよお、あんた……本当に正気かよ? せっかくの妖の世というのに。こんな。隠れ暮らしているなんてよお……」
喚く声を聞き流しながら欠伸をすると、やつがのぞき込んでくる。鬱陶しい顔を押しやりながら、やはり合わないと思った。
焔嵐は、とうとう鬼の頭領に登りつめたらしい。
酒と香、そしてわずかに残る血の匂い。随分と楽しく派手に過ごしているらしい。
それだけ好きに立ち回っているというのに、また己を誘いにやって来たのだ。
「ちぇっ、つまんねえなあ……よし、つまらねえ時を過ごすあんたに、面白い話をしてやろう。霧雨さん、"祁山の話"は知っているか?」
思わず視線を向けると、焔嵐は歯をにやりと見せて笑った。
「ちょっと前――七十年くらい前になるか? 大君に取り潰された、祁山という家があったんだが……覚えているか?」
「……取り潰した?」
胸の内を悟られぬよう、塗り替えた言葉を口にする。
玉依良が死んだ後のことは知らないが、あの時の状況を考えれば、一族がなくなっていることは、特段驚くことでもない。
ただ――七十年前と流されたことへ、意識が向いたことを隠したいと、なぜか思ったのだ。
「占いで"依代成らず"、つまり大君の素質なしって言われた皇子が、その当時いたんだと。まあ、誰かにごちゃごちゃ言われる腹立たしさは分かるよなあ……」
酒筒をゆるく回す、ちゃぷちゃぷとした水音が響く。
「それで、頭に血が上ったその皇子は、祁山に喧嘩をふっかけたのさ。で、どっちが勝ったと思う?」
妙に勘に触る語り口だ。
どっちが勝ったかなど、「取り潰した」と言っているのだから、決まっているだろう。
「結果はなんと、豪族を脅して従わせた皇子の勝ち。祁山の巫女が、殺されたのが決め手だったのさ。宗主だっけな……? とりあえず、祁山の頭は、要を失ったから自害しちまって。他は、敵討ちに暴れたらしいが、まあ官軍様を率いている皇子が普通に勝つよなあ。結構な数、祁山の人間は討死したんだと」
酒を一口煽ると、焔嵐は嬉々とした顔で続ける。
「ただ、祁山を単に逆賊扱いすんのは、皇子も出来なかったのさ。なんて言ったって、『大君に神の御言を聞く祁山』だからな。したくてもできなかったんだとよ」
焔嵐は筒を脇に置くと、大げさに手振りをつけて喋り始めた。
「それで、皇子は名案を思いついた。祁山の分家に目をつけたそいつは、連中が『政に本家を利用しようとした。そのせいで本家は自害に追い込まれた』って……まあ、これも無理はあるが、筋書きを書き換えたのさ」
目を伏せ、苛立ちをやり過ごす。元より腹立つやつだが、これほど癪に障ったことはない。
「罪をなすりつけて邪魔を始末できるし、天譴もまあ、盾にできたわけよ。可哀想な分家の奴らは、『神の御言に背けば祟りが降る』とか言って喚いたそうだが、仲良くみんな晒し首。晴れてめでたく、大君になったのだとさ」
(……だから、手放せばよかったのだ)
玉依良がどう足掻こうが、結局、遅かれ早かれ、あの家は潰れたのだ。玉依良が捨てられぬと苦しんだものは、そのすぐ後に、あっけなく壊れて消えたということだ。
「おや、つまらねえか? まあまあ、ここからが山場なんだ」
焔嵐は脚を組み替えると、身を乗り出した。
「大君になった"依代成らず"の時代が来ると思いきや……なんとすぐにダメになっちまった!」
焔嵐は勿体ぶるように一拍置くと、口を三日月形に歪ませながら、先を促せとでも言うようにこちらをじっと見る。不快なその顔をただ見つめる己に焦れたのか、やつは手を打って声を張り上げた。
「世継ぎはできねえ、天災は続く、自分も病にかかる。即位して、たったの三年でぽっくりよ。つまり! 占いも、濡れ衣着せられた分家どもの言葉も、全部本当になっちまったわけさ! その次の大君も、病にかかっちまって、血が途絶えそうと焦った奴らが、祁山が最初に推してた皇子を呼び戻したら、天災はぴたっと止んだんだと!」
「……お前、話下手だな」
分かりにくい話し方に思わず、そう口に出た。ただ、その言葉さえも、なぜか塗り替えたもののような気がして奇妙な感覚だった。
「はあ? 話なんて、筋だけ分かりゃいいだろ。妙なとこ気にするなあ、あんた……まあ、いいや。とにかく祁山は、"依代成らず"に、皆殺されたわけだ……あ、いや、違うな。なんか、最後の自害した宗主に、ガキが一人いたらしいんだが。逃げて生き延びているとか、なんとか。まあ、噂だがな」
焔嵐は、なんてことないように肩をすくめた。
「ところで霧雨さんよお。殺された祁山の巫女だけどよお……」
にやりと笑うと、焔嵐はもったいぶるように続けた。
「大君の命を受けた、ある鬼に喰われて死んだらしいぜ」
焔嵐の金色の目が、ずいと、目の前に迫る。
「『巫女喰らいの鬼神』って呼ばれてるそいつは――夜に紛れるみてえな黒い角に、金色に光る目の鬼だったとさ。俺の目も金色だが、暗けりゃ分からねえんだよなあ……角も黒くねえし。血まみれで巫女を喰ったその鬼は、霧みてえに消えたって話だよ」
にやつきながら話をしていた意味が、ようやく分かった。つくづく、こやつとは合わない。
「……そうか」
「……は? それだけ? ちっ……なんだよ、つまらんなあ……」
焔嵐は、わざとらしくため息をつくと立ち上がった。
「まあいいか。とにかく、気が変わったら、いつでも俺のところに来てくだせえ。いつでも大歓迎だから」
あれだけ己を挑発してきておきながら、勧誘を忘れない。この調子の良さには、毎度呆れる。
「これ以上、目立つ真似はやめておけ」
焔嵐は驚いたかのように、目を見開き己を見た。
「は? 何を言ってんだ?」
「そのうち、人間に殺されるぞ」
「はあ、何だそれ……」
焔嵐はしばらく呆然としていたが、大きく噴き出し、肩を震わせて笑い始めた。
「それこそ、面白えじゃねえか! 悪いが、俺は今を生きているんでね。万が一、そんなことが起こるとしても、俺は好きに楽しませてもらうだけさ。じゃ、そういうわけで」
片手を振り、焔嵐は背を向け去っていった。
その自信に満ちた背中に、清々しさと危うさが見えた。
月光は、いつの間にか雲に呑まれていた。
*
長い金髪の鬼――満岳と名乗る焔嵐の忠臣が、やつの訃報を持って訪れたのは、おおよそ三百年の後のことだった。派手に立ち回りすぎたのか、大がかりな戦の末に人間に討たれたらしい。
初めの頃の満岳は、感情の起伏が激しい奴だった。
「『すげえ古の鬼神がいる。俺たちと似て非なるモノで、根本からただの鬼とは違う』って、兄貴は言っていた。あんたがいれば。あんたみたいな力があれば、兄貴は……兄貴を……」
焔嵐のことを思い出す度に、怒りをぶつけてはしょげるのが鬱陶しかった。
焔嵐のことだ。どうせ、あっけらかんと笑って、死を受け入れただろうに。
己の忠告の意味が分からないような馬鹿ではなかった。だが、あれはその道を進んだだけなのだ。
己とは違う、清々しい生き方をしていたのだろう。ぐだぐだと泣くようなことでもないだろうに。
――あなたみたいに、好きに生きられたらいいな……
脳裏に浮かぶ憂いの声に、静かに首を振った。
玉依良は見誤っている。己はただ、動かないだけなのだ。
満岳は、時折やってきた。
人の中に紛れて暮らすようになったらしく、女の格好をした上に、随分と奇抜な装いをしていることもあった。それで気が紛れたのか、焔嵐の死を嘆くことは減った。
「いいでしょう? 最近、人間は海の向こうと商売始めたようで。面白いものがいっぱいあるんですよ」
そう声を弾ませながら、見慣れぬものを詰め込んだ風呂敷を、意気揚々と広げた。人間というのは、飽きずに奇妙なものを作り続けているらしい。
「それ、煙管というんですよ。煙草というものを詰めて、火をつけて吸うんです。人間の間で、随分と流行っているようで。私も試してみましたが、なかなか悪くない」
目に止まった、細長い管のようなものを差し出す満岳は、商いの喜びのようなものを、隠そうともしていない。
黒く塗られた羅宇に、小さな雁首が据えられたそれは、己の手にやけに馴染んだ。なぜ、と問うのも面倒だった。ただ、手の中にあることが——当然のような気がした。
「……もらっておく」
「お気に召したようで、良かった。霧雨さんが何かを欲しがるとは。こちら、妖の間で流行る、煙草代わりの葉です。己の好みの葉を見つけて、混ぜ合わせて吸うのが、よろしいかと」
袋の中の小さな葉を移し、火をつけて口に含むと、煙がゆっくりと広がった。細く立ち昇るそれを眺めるのは悪くなかった。
満岳は、訪ねてくる度に少しずつ小さくなっていった。
人間の、妖への恐れが薄れるにつれ、輪郭も薄れていったのだろう。最後に訪れた時は、初めて会った頃より、半分ほどの大きさになっていた。
「焔嵐の兄貴が言っていたことが、最近になってようやく分かった気がするんですよね」
山並みへと沈もうとする半月を見つめ、そう呟いた満岳は、ひどく穏やかな顔をしていた。
「今を生きる、というのが何を見て言っていたことなのか。兄貴はどこかで、分かっていたのかもしれない。いつか、妖の時代が終わる時が来ることを……」
満岳は抱えていた風呂敷を解く。いつかより、中身は随分と少なくなっていた。
いつもより幾重にも大きな包みを、己の傍らへそっと置く。
「煙草の葉、たんと置いていきます。霧雨さんは、出不精でしょう」
軽口のはずのその声は、わずかに掠れていた。
満岳の背中は、闇に溶けるように夜の中へ薄くなっていき――それきり、奴が訪ねてくることはなかった。
葉をひとつまみ、煙管に詰める。火をつければ、煙はいつもと変わらず、細く立ち昇った。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
今回は少し静かな回になりました。
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次回は【6/28 12:00頃】に更新予定です。
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初投稿で、ここまで多くの方に目を通していただけるとは……驚きと感謝でいっぱいです。
さらに、素晴らしい作品レビューまでいただき、ありがとうございます。作品に込めたこだわりや世界観を、これ以上ないほど深く読み取っていただけて、大変嬉しく思います。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




