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月の柵(ませ)  作者: 伊月檸檬
祁山の郎女
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6/12

月へ

 今宵はいつにも増して、屋敷の空気が張り詰めている。武装した人間が、敷地の外にまで溢れていた。 


 いつものように塀をすり抜け、奥へと進む。人の気が立っているせいか、玉依良の気配が常より薄く感じる。


「兄上は、目を逸らしておられる! 倉持の皇子との戦に勝てると、お思いか? 官人は皆、恐れをなしてあちら側についてしまった。我ら祁山に、勝機はありませぬ!」


 人が寝静まる刻だというのに、怒号が飛び交う部屋があった。

 中を盗み見ると、あの兄宗主を起点に囲うように、野郎たちが座っている。比較的、年を取った者が多く占めているが、その中でも最も若そうな、兄宗主よりも若そうな少年が、顔をゆがめて叫んでいるようだ。


「東殿。四門衆筆頭のあなたなら、分かるでしょう。祁山の武人衆では官軍に立ち向かうことなどできない。先の小競り合いで要の武司の首を獲られた今、どうやって士気を保つのです?」


 東殿と呼ばれた小皺のある男は、大きくため息をついた。


「少副司殿、やはり、あなたは何も分かっていない。我らも宗主殿も、もはや、そのような話をしておりませぬ。これは、あの"依代成らず"の皇子との戦ではありませぬ。巫女のお側を、穢させないため、邪を退けるものです」

「分かっていないのは、あなた方ではありませぬか!」


 少年――少副司は、激昂しながら立ち上がった。


「あの忌々しい邪を祓う力が、今の祁山にないと言っているのです! 弓彦兄上の散華を、無為に返すおつもりですか!」

「少副司!」


 兄宗主の側に控える男が、短く叫んだ。


「掛けなさい。頭に血が昇ると、目が曇る」

「弥彦兄上まで、何を悠長なことを言っておられる……!」


 男は、訝しむように首をひねった。


「私は、お前の方が甚だ不思議に思うぞ。なぜそこまで、泡を食ったように取り乱している?」


(そうか……こいつらも、玉依良の兄弟か)


 あまり玉依良には似ていないが、落ち着き払っている方――弥彦と呼ばれた男は、少し兄宗主に顔立ちが似ていなくもないような気がする。となると、こやつが副司なのだろう。

 喚いている少副司は、見た顔の中ではあまり似ている者がいない。強いて言うなら、武司と気配が似ている。


「なぜ、取り乱せずにいられるのか、私には分かりませぬ。この祁山が、愚か者どもによって権威を失おうとしているのですよ」

「何だと……?」

「何を言うか!」


 下座に座っていた男たちは、立ち上がると少副司に詰め寄る。


「祁山は神に仕える身でありますぞ! それを、権威を失おうとしている、などと口にするとは!」

「天への冒涜に他なりませぬ!」

「少副司殿。本家のご身分でありながら、外界に染まりすぎたようですな」

「それで結構。私は、先行きを見据え、申し上げているのです! 祁山を失わせることがないよう、反吐が出てもあの要求を飲む振りをすべきなのです!」


 「方々」


 荒げた声ではないがよく通る声に、皆、副司を見た。


「掛けよ。少副司、ここは公の場である。烏滸(をこ)な振る舞いは止めよ」


 少副司は歯ぎしりをしながらも、大人しく座った。副司は小さく息をこぼすと、不満げな顔のそやつに目を向けた。


「少副司。我らは神に仕える者。たとえ、明日死のうが、御言を遵守するのが務めだ。そのためにすべきことは一つ。巫女殿のご身辺をお守りすること。そこをはき違えてはならぬ」

「そうですぞ、少副司殿。"依代成らず"の皇子に屈するなど、たとえ、芝居でもあってもならぬこと」

「だいたい、飲む振りをする、とは一体どういうことですか」


 皆、呆れたように諭そうとするが、少副司は眉を寄せ、怒りで爛々とした目で続けた。


「あの皇子は、我らが姻族になれば力を削げるとでも思っているゆえに、巫女を后にする条件を突きつけてきたのです。どうせ、"依代成らず"の治世は続かないのですから、お隠れになるまで、待てば良いのです」

「どのように? 巫女殿を内に入れることなど、あり得ぬのですぞ」


 少副司は、先ほど立ち上がって攻め立ててきた一人を見た。


「西殿。その方の娘は、確か巫女殿の一つ上でしたね」


 途端に、その男の顔が強張った。


「まさか、私の娘を后に仕立てるおつもりか」

「他にも分家の娘はおりますが、年格好が最も似ているのは西家の方。そもそも、分家の娘は、巫女殿の身代わりとなるべく者では?」

「何をおっしゃるか……」


 声を震わせながらも、男は少副司を睨みつけた。


「アレは、あの"依代成らず"は、巫女殿の顔を知っているのですぞ。たとえ、我が娘を后に差し出しても、巫女殿でないと気づかれますぞ」

「はたしてそうか? 顔を知っているとはいえ、あの皇子は巫女殿を側で見たことはない。いつも、儀式を遠くから眺めていただけです。気の所為で通すことができる」

「しかし、それを許せば縁を結ばぬ掟が破られるのでは? 祁山から娘を差し出すなど、絶対にあってはなりませぬ。貴殿はそれでも、祁山の自覚があるのか?」


 副司が、再び割って入ろうという素振りをしたが、少副司は立ち上がろうと腰を浮かした方が早かった。


「ありますとも! 祁山が生き残る道を、私は――」


 ピシャンと、笏を几案に打つ音が、大きく響いた。


「少副司、頭を冷やせ」


 静観していた兄宗主が、ようやく口を開いた。


「そなたは誰か? 祁山であるならば、目前のモノに囚われるな。我らは天に仕えし者。わずかでも、天の意思を軽んじる行いは、許されぬ」


 少副司は、尚も言い募ろうと口を開いたが、兄宗主はもう一度、笏を叩いた。


 「武司を亡くしたのは惜しいことだ。しかし、元よりそういう役目なのだ。我らは、天の声を聞く巫女を守る為に生まれたのだ。巫女がいれば、祁山は揺るがぬ。巫女の側を清めるためならば、たとえ多くの命が散っても構わぬ。巫女の前では、武司の命も軽いのだ」


 ぴたりと、笏の先が少副司の鼻先を掠めた。


「それが出来ぬなら、そなたは祁山を名乗る器でない。出来ぬのであれば、出ていくがよい」

「そんな……」


 少副司はするすると体を小さくし、項垂れた。


「我らは正しいというのに、この苦境に立たされ、何も出来ぬというのですか? なにゆえ、あのような暴挙が許されているのですか?」


 しんと静まり返った。皆、何かを堪えるように目を閉じる。

 宗主はただ一人、言葉を続けた。


「これは苦境ではない。天の裁量だ。たとえ、我ら祁山が滅ぼされたのならば、天は新しき大君を見限ったということだ」


 東殿と呼ばれたあの男は、息を吐き出すと、自らの膝を大きく叩き、背を正す。


「宗主様のおっしゃる通り。我らに間違いなどないのだ。祁山の者として、堂々と構えるべきですな」

「……そうですね。私も、祁山の者として、揺るがない振る舞いをすべきでした」

「そうですぞ? 少副司殿。貴殿は、巫女殿の落ち着きようを見習うべきかもしれませぬな。同じ、十七なのですから」

「時に、件の玉依の巫女様は、何処に?」


 副司は、ああ、と頷き、答えた。


「お伝えが、まだでしたね。今宵は火占(ひせん)を行うため、人払いをとのことでしたので」

「左様で……」


 幾分か声音が落ち着き、会話が聴き取りづらくなった。

 目的の、玉依良の気配のする方へ、足を向けた。




 どうして、人はこうも馬鹿なのか。

 形も見えぬ、不確かなモノに命を賭けようとするなど。そのお蔭で潰えた先に、何も残りはしないというのに。


(早く、手放してしまえばよいものを)


 己の腕の中で、曖昧に笑う玉依良の顔がちらついた。

 役割として生き、使われる道を選び続けることを、選ぶというのか。


(それにしても、今日は具合が悪いのか?)


 玉依良の気配が、いつもに比べ、やけに薄い。気配のもとが辿りづらい。



 満月の光が、夜を煌々と照らす。今宵は、やけに月が大きく浮かんでいる。



――大君の祖は日から降り、祁山の祖は、月から降りてきたのです。この地でお役目を終えられた先の宗主や、(いにしえ)の祁山の者たちは皆、月へ帰っていったのです



 いつか、あの子どもに語っていた玉依良の口調が、蘇った。



――お役目を終えた者が、迷うことなく月へ帰られるよう、お迎えに来てくださることもあれば、道を確かめるために、こちらへ足を運んでくださることもあるのです



 嫌な想像が浮き上がった。

 足を早め、近づいているというのに。奥から流れる玉依良の気配は、少しずつ弱まっていく。


 奥間に、火が一つ灯っている。瞬きの間さえ惜しくなり、壁をすり抜け入った。


「玉依良」


 名を呼ぶと同時に、床へ倒れ込んだ姿が、目に飛び込んできた。


「っ……! 馬鹿がっ……!」


 抱き起こした身体は、軽かった。手足は冷え切り、血の気が失せている。首筋に指を当てると、脈はある――弱く、途切れそうに。

 近くに、小さな紙切れが転がっている。それを鷲掴み、鼻に近づけると、兜菊(かぶとぎく)のような匂いが、鼻をついた。


 蒼白い頬を撫で、もう一度名を呼ぶ。


「玉依良、起きろ」


 まぶたが、わずかに震えた。

 ゆっくりと、まるで重い石を押し上げるように、まぶたが開かれていく。


「……きりさめ?」


 掠れた声が返ってきた。頬に残る、涙の伝い跡を拭うも、驚くほど冷えていた。


「本当に、霧雨?」

「言っている場合か?」


 なぜか、その答えに玉依良は、頬を静かに緩めた。

 一つ息をつき、小さく口をそっと開きかけたその時、外から小さな足音が聞こえた。


 玉依良の顔が、一瞬で強張る。


「玉依さま。おはしますか?」


 無邪気なあのガキの声。玉依良の手が己の袖を、ぎゅっと掴んだ。


「今宵の月は、とても大きゅうございます! 一緒に見ませぬか?」


 その声に、わずかに緊張を緩めたが、玉依良はそれでも、戸の向こうをじっと見つめながら口を開いた。


「若松。今宵、私はここを、出られませぬ」


 玉依良の声は、穏やかだった。だが、掴む指はわずかに震えている。


「今宵の月は、遠つ御祖が大勢、足を運んでくださる。私は、そのお迎えをしなくては、なりませぬ」


 息を吸う。浅く、苦しげに。玉依良の額を、冷や汗がそっと伝った。


「迎え人ではない者が、遠つ御祖を見てしまうと、永遠(とわ)にこちらへ、降りていただけぬ」

 

 もう一度、息を吸うと、細い指が、己の袖にすがりつくように食い込む。


「故に、私は今宵、一人でなくてはなりませぬ」


 声がわずかに震えかけたが、玉依良はそれを飲み込む。


「教えてくれて、ありがとう。またいつかの誘いを、待っておりますよ」

「承知いたしました……なら、明日、必ず遊んでくださいますよう」


 小さな足音が、遠ざかっていく。廊下を駆ける音はやがて、聞こえなくなった。


 途端に、裾を掴んでいた手が、力を失った。

 玉依良の身体が、ぐったりと己の腕の中に沈む。支えを失った草花のように、四肢から力が抜け落ちた。


「なぜだ、玉依良」


 玉依良は、至極単純なその問いに、わずかに口元に笑みを浮かべた。

「捨てられぬ、から。私は、祁山に縛られ、祁山に縋っている。今の祁山は、私に縛られ、私に縋っている……だから、一人で柵を絶つしか、思いつかなかったの……」


 まばたきをする度に、その脇から涙が一雫、零れ落ちていく。


「でも、霧雨の顔が、浮かんでばかりで……」


 声が、途切れる。呼吸が、先よりも浅く乱れている。


「幻でもなんでも、あなたがいて、嬉しかった……」


 玉依良の顔が、わずかに歪んだ。苦痛を堪えるように、唇を噛む。呼吸が、さらに浅くなる。


 冷え切った頬。

 震える睫毛。

 途切れ途切れでしか吸えない息。


「……苦しいか?」


 玉依良は、まばたきを繰り返した。


「苦しいだろう」


 ややあって、頷くと息を吸った。わずかにしか息が入らないようだった。


「早く終わらせてやろう……この期に及んで、まだ、苦しい道を選び続けることはない」


 爪をかざして見せる。

 意味を悟ったのか、静かに笑った。


「ありがとう……」


 震えた白魚のような手が、己の顔に向かって伸びる。

 それを手にとるも、玉依良はもう片方の腕を伸ばし、己の頭を引き寄せる。耳打ちをしようとしているらしい。

 口元に耳を近づけると、玉依良はすっと息を吸い、小さくささやいた。


「私の真名は……あの日、地に記したその通りに、玉依良(たまよりら)


(……馬鹿が)


 鬼神に真名を――読み方までは教えなかったものの、字を教えていたなど。真名の扱いには、神事に近い者として気を配っていただろうに。


「あなたが呼んでくれる"たまいら"は、本当の私に、戻してくれる名だったの」


 そして今、真名の読みまで渡すという随分な禁忌を、この娘は犯した。

 なのに、そんなことを、露ほども構わぬと言わんばかりに、玉依良は柔らかく微笑んだ。


 だがすぐ、苦し気に顔をしかめた。先よりも更に、身体を巡る毒は蝕んでいるようだった。


――一刻も早く、終わらなければ。


 細い首筋に指を添える。

 玉依良の顔が、火の光の元であるにも関わらず、白く浮かんだ。


 柵も何もかも、受け入れるかのような目に、遣る瀬無さが湧き出た。

 知らずのうちに、添えたその指で、上下する白い首をそっと撫でていた。


「戻ってこい」


 言葉が、零れた。


「必ず」

 玉依良は、首を傾げた。しかし、分かってなのか、分からぬままなのか、小さく頷いた。


 今度こそ、すべてを己に委ねるかのように玉依良はまぶたを閉じた。


 首筋に添えた指を起こし、火を照り返す爪を立て――


――そのまま、己は一息に振りおろした。



 己の顔半分が、血に染まる。

 白い首筋に、深い傷が刻まれている。だが、その顔は穏やかだった。微笑みを浮かべたまま、静かに。


 今にも、目を開けそうで。

 今にも、声をかけてきそうで。


 だが、玉依良は動かない。顔にかかる血だけが、温かい。

 まだ命の温もりが残るその骸を抱いたまま、動くことが出来なかった。


 部屋には、火の小さく爆ぜる音だけが残されている。

 もう二度と、あの穏やかに、朗々と紡ぐ透き通る声は、聞こえないのだ。





「――宗主様! お待ちくださいませ。火占は」

「ととさま! 玉依さまは、一人でいなければなりませぬ、と言っておりました!」

「うるさい! どけ!」


 あの宗主の怒鳴るような声が聞こえる。それとともに、木床を踏む、無数の混ざり合った足音が近づいてきた。


 己は玉依良を抱き寄せ、緩慢に後ろを振り返る。常ならば、すぐさま身を隠すはずだった。しかし、今はただ、ぼんやりと扉が開くのを眺めていた。


 勢いよく開かれた扉から、宗主の険しい顔が現れ――すぐさま、意表を突かれたように見開かれたその目と、ぶつかった。


「――っ!」

「妖だ!」


 後ろに控える副司が、大声で叫んだのを皮切りに、奥間に人がなだれ込む。


「鬼神めっ! よくも、玉依を!」


 少副司が刀剣を抜き、叫んでいる。

 ようやく、己が喰ったか、殺したのかと、怒りを露わにしているのだと気がついた。

 灯火を吹き消したのは確かではあるが、自分事のように思えなかった。


 刀が振り下ろされたので、玉依良を抱えたまま、身をかわす。


――このまま連れて行ってしまおうか。


 その考えが沸いたが、玉依良の顔を目に映すと、それはやはり、出来なかった。


 眠るような、穏やかな顔。問うても、もう答えは返らないが、祁山から出ていく気はないと語っていた。


「な、なんだ?」


 急激に立ち込めた霧に、視界が奪われた人間は、うろうろと辺りを見回し始めた。


「霧……? 妖術だ! 心せよ!」


 己の起こした霧に怯え騒ぐ奴らを横目に、玉依良を柱の側に横たわらせる。


 顔にかかった髪の一房を、耳にかけなおしてやる。

 赤に塗れているが、眠っているかのよう。

 名を呼べば、またあの目で、声で応えてくれるような気が、まだ湧き起こる。


「玉依、どこだ。兄が、私が救ってやる……」


 宗主の声が近くからしたので、目をやると、すぐ傍まで、ふらふらと歩いてきていた。


 霧で何も見えていないはずだが、己の気配をたどって来たのだろう。

 己の目の光に気がついたのか、はっとしたように立ち止まり、奴は腰の剣を、抜き取った。


 玉依良の傍を、汚させる気はない。

 眠るその横顔を最後に目に焼き付け、部屋をすり抜ける他なかった。


 しばしの間を置いて、再び騒ぐ声が聞こえる。力を解いたお蔭で、よく見えるようになったのだろう。

 「鬼神を追え」との怒声とともに、あの宗主や副司とやらの、喚き叫ぶ声が聞こえる。

 

 今更湧いたのか、以前より抱えていた兄弟の情であるのか、失った悲しみであるのか。何であれ、つい先ほど整えた髪が、騒ぎで乱される羽目になっているであろうことに、顔を顰めざるを得なかった。


――捨ててしまえばよいのに。


 もう死んだというのに、未だ縛られ続ける玉依良は、いつになれば解放されるのだろうか。

 胸の内の燻りを抱えたまま、屋敷を後にした。




*用語解説

火占ひせん】……火の力を利用して、神の意志や物事の吉凶を占う。

真名まな】……隠している本名。他人に真名を知られることは「自分の命や魂の支配権を相手に握られること」を意味するため、通称を使い本名を隠す避諱ひきをしていた。



目に留めていただき、ありがとうございます。"月へ"にて、「月の柵」前半終了となります。

ご興味持ってくださった方、ブックマーク等いただけますと励みになります。

次回更新は、6/27 12:00を予定しております。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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