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月の柵(ませ)  作者: 伊月檸檬
祁山の郎女
PR
5/11

雲を乞う

 築地塀をいくつかするりと抜け、白い玉砂利の敷かれた小さな庭に出た。


 あれから一月ほど、玉依良の音沙汰がない。

 病にでもかかっているのだろうかと、興味が湧いたので、玉依良の気配を辿ると、御所に近い、丘の上に建つ広大な屋敷があった。見張りのような人間が、外でうろうろとしていたが、己には関係ない。張り巡らされた塀を通り、中へと進んだ。


 最奥の対屋にたどり着くと、見知った後ろ姿が見える。

 林にいる時とは違う、白小袖に緋の袴。黒髪を背に流し、膝の上で手を組んだまま、ぼんやりと空を見上げている。


(ひとまず、生きてはいるか)


 ただ、来たからといって、何かすることなど、あるわけもなく。このまま立ち去ろうかと考えていると、己の足の下で、玉砂利が音を鳴らした。


 びくりと肩が震え、勢いよく振り向いた玉依良と、目が合う。妙な空気が、己らの間に静かに流れる。


 しばしの間、目を大きく見開いて固まっていたが、玉依良は息を一つつくと、柔らかな笑みを浮かべた。


「驚いた……どうやって入ってきたの?」

「……別に」

「一応、神域なのだけど。妖は弾かれるはずなのだけど」

「結界でも、張っているのか? 己には効かなかった、ただそれだけのことだ」

「それって、だいぶおかしな事なのよ。やっぱりあなたって妖よりも、荒御魂の神に近いのかしら」


 表情を緩め笑うが、以前よりもどこか、疲れた色がある。


「随分と、窮屈そうだな」

「そう見えるかしら? そういえば……驚いていないのね」

「何を?」

「ふふっ……知っていたのね……私が祁山の者であることを」


 咎めるでもなく、驚くでもなく。ただそう呟くと、玉依良はまた、空へ視線を戻した。

 帰る時宜を失った己は、縁側の端に腰を下ろす他なくなった。


「ここ、空がとても綺麗に見えるでしょう?」


 玉依良が、ぽつりと呟いた。


「塀に切取られてしまっているから、空がとても映えるのよ」


 その言葉は、わずかに冷え始めた空気の中へ吸い込まれていき、沈黙が降り積もる。


 風が柔らかに頬を撫で、青い空には鷹が、頭上遥か遠くを飛び、過ぎていく。

 隣に小さく座る玉依良も、己も、この風に溶けて消えていってしまうような。妙な気に襲われたが、それに身を任せても、悪くはない気がした。


(何を訳が分からないことを、考えているのだ……?)



 砂利を踏む音が、静寂を破る。

 玉依良はさっと顔から色をなくし、音の方を向いた。


玉依(たまより)の巫女殿。武司(たけつかさ)でございます」


 声の主が、庭木戸を開けたのだろう。気の抜けたような木の音が、耳に入る。


 玉依良がはっとしたように、こちらを見た。急に、きょろきょろと辺りに、視線を彷徨わせる。

 何かと思ったが、どうやら己がいることを、声の主に知られれば厄介になると、焦り始めたらしい。どこかに押し込もうと考え始めているようだが、一瞬視線が向いた、縁の下に入ることだけはありえぬ。


 肩をとん、と軽く叩くと、視線が定まる。

 顎をわずかに横へ流し、「落ち着け」と目配せをすると、玉依良はゆっくりと頷いた。


 玉砂利の音が、傍まで迫るのと同時に、眼力が強い青年が角から出てきた。武人のような成りをしているそやつは、玉依良を認めると、真っ直ぐこちらへ足を向ける。


「巫女殿」


 そやつの声に、玉依良はゆっくりと振り向く。

「おや……お一人だったのですか?」

「……何か?」

「いえ。話し声が、聞こえたような気がしたので。誰かといらっしゃるのかと」

「そうですか……」


 玉依良の、唾を飲み込む音が聞こえたが、こちらに視線を寄越すことなく、平静を保っている。

 すぐ隣にいるはずの己が、武司と名乗った奴の目に映っていないことを、理解したようだ。


「今日は、どうしたのです?」

「宗主より、言伝(ことづて)をお預かりいたした。明朝、皇子(みこ)の元へ参上するとのこと。心づもりをしていただければ」

「そう……ありがとう」


 玉依良が淡々と返す。しかし、武司は立ち去ろうとしない。


「何か……?」

「いえ……」


 武司は、しばし百面相を繰り返していたが、しばらくの後に口を開いた。


「巫女殿は、あの皇子が真に、日嗣の御子(ひつぎのみこ)にふさわしいと(おぼ)すか?」


 玉依良は、首を傾げた。


「それは、どういう……」

「あの御方は、強くあらせられぬ。天の思し召し(おぼしめし)の通り、即位なされたとて、あちらの皇子に取って代わられてしまうと、私は思うのです」


 聞こえぬほどに小さく息を、玉依良はついた。しかし、武司を真っ直ぐ見据え、声を低めて言った。


「占がそうだというのだから、いずれ占の通りになる。あちらの勢力が強いからといって、それが最善ではない。皇子の世が良いと出た以上、それに従うまで。我らの迷いなど、占の前には意味がない」


 唾を飲むように、武司の喉仏が動いた。


「……我が不明にて、過言を申しました。お許しください」


 そして、奴は膝をついて頭を下げた。

 一瞬、玉依良の目の色が沈んだような気がした。


「……近頃は、随分と騒がしい様子。外との繋ぎもさぞ、気疲れすることでしょう。くれぐれも無理はせぬよう」

「お心遣い、痛み入ります。玉依の巫女殿も、ご無理なさらず」


 武司は、数歩下がって一礼する。踵を返し、元来た道を辿っていった。

 後ろ姿が見えなくなり、庭木戸の音が聞こえた。

 その途端に、玉依良はこちらを振り向く。


「どうなるかと思ったわ……あんなに気配を綺麗に消せるなんて」


 安堵したのか、ため息を吐きながら言った。


「……お前と違って、鈍かったからな。あの程度で誤魔化せる。並の人よりかは霊力もあったようだが」

「そうね……弓彦(ゆみひこ)兄さまは、外との橋渡しの役だから」

「兄さま……? あれはお前の兄なのか?」


 随分と祀り上げられている様子から、ただの武人ではなく、一族の人間だろうとは思った。が、それほど近い者とは思わなかった。気配も顔も、霊力も、似ていない。


「そうよ。兄さま、といっても歳は同じだけれど。私より、三月(みつき)早く産まれたから」


 続く言葉に、疑問が膨らむ。今しがた聞いた言葉を頭の中で反芻するが、不自然さが浮き彫りになる。


「……人間は十月十日(とおつきとおか)、母親の腹に宿るのではなかったのか?」


 玉依良は意図を測りかねているのか、まばたきを暫し繰り返していたが、ややあって、納得したように頷いた。


「ああ……祁山の本家の出の者は、皆、違う母から産まれてくるの。だから、兄弟皆、母親が違う。母という存在はいないの」

「……この家の、独自の仕組みなのか?」


 玉依良は小さく微笑むと、頷いた。


「外からの介入を防ぐ為なのよ。姻族は、祁山にとっては不利益しかない。大きな力を持っているから」

「……母親が違うことが、どうやってその介入を防ぐんだ?」


 玉依良は言葉を探すように、縁側の床板模様に視線を落とした。


「五年に一度、占に選ばれた何処(いづこ)の貴い三人の女人(にょにん)が、祁山宗主(そうしゅ)との子を産むの」


 言葉を続けながら、玉依良は木目に指を滑らせる。


「腹の中では母と子。けれど、外に腹から出れば他人になる。女人はすぐに実家へ帰り、二度と親子として会うことはない。誰が己の子なのかも、知ることはない。そう決められているのよ」


 (もく)の渦を、細い指が踊る。


「正直、恋しさや寂しさはないけれど……母というものを、知りたかったとは思う。あの子たち――市井の子を見ていたら、そう思ったの……」


 渦の上の指は次第にゆっくりとなり、止まった。

 百舌鳥の甲高い声が響く。


「……林の子たちは、元気かしら」


 百舌鳥の声が途切れる。

 しんと静まり返ったその空に、百舌鳥が蹴った(こずえ)が、バサバサと不躾な音が鳴る。


 玉依良は、その音に突き動かされるように、勢いよく縁側に立ち上がった。

 緋色の袴が、昼の光の中でわずかに揺れる。


「久しぶりに会えて嬉しかった。会いに来てくれてありがとう。霧雨」


 玉依良は微笑んだ。しかし、それは明らかに繕ったものだった。

 

「……そういうわけではない」

「ふふっ……でも、ありがとう。また来てくれたら嬉しいわ……私、そろそろ湯浴みの時間だから」


 玉依良は背を向けると、屋敷の木扉の奥へと逃げるように身を潜り込ませた。

 急に、線を引いたようなその振る舞いが、妙に映った。喉奥に小骨が刺さっているような感覚が、なぜか残った。



 *



 禿げた田畑が広がる。色のない景色が、冬の始まりを告げていた。


 あれから、林ではなく屋敷で顔を合わせるようになったが、その度、玉依良が子どもらのことを気にするので、少し覗きに来る羽目になった。寒くなったせいか、人の姿が疎らになり、あまり見当たらない。


「あれ……霧雨?」


 背後からの声に振り向くと、藁束の上から覗く目と合った。


「久しぶりだな。遊びに来てくれたのか?」

 鼻先に土をつけ、白い息を吐きながら、満面の笑みでこちらにやってくる。いつか、林で隠り遊びをしたうちの、数人だった。


「そういえば、霧雨って一体何者?」

「祁山の巫女さまと、なんでお友達なの?」


 わらわらと纏わりつき、甲高い声で口々に話す子どもに、目眩を覚える。


「祁山の巫女さまは、元気?」

「皇子さまと、祁山のお家が戦するって、ほんと?」

「知らん」


 煩わしく突き放したが、子どもはまだ食い下がる。


「だって、とと様たちが言っていたよ。祁山の御仁(ごじん)が、血まみれで御所から帰ってきたって」

「なんか、新しい大君に誰がよいか、皇子さまと祁山のお家が、喧嘩しているって。みんな言っているよ」

「あと、ちょっと前にね。皇子さまが一人、都落ちしたんだって」

「知ってる! 磐上(いわのかみ)の皇子様でしょ?」

「えっとねえ。倉持(くらもち)の皇子様の方がお力あるけど、祁山のお家は、磐上の皇子に大君になってほしかったんだって」

「霧雨は知らないの?」


息が一瞬の隙に止まった。


「それ、いつの話だ?」

「えっとねえ。いち、に、さん……だから、一昨々日(さきおととい)の夜だって!」


 最後に玉依良と会ったのは、一昨々日の昼。

 また、いつものように用があるからと、暗に「帰れ」と言われて後にした。


(御所に行ったのか? まさか……)


「噂だと、死んじゃったのは宗主さまだって」


 女の童が、腑抜けた笑みを浮かべた。


「だから、巫女さまは生きていると思うよ? 大丈夫」


 ガキのくせに、何かを知ったような口ぶりに、苛立った。

 背の低い囲いを抜け、小高い丘へ進む。ガキどもの視界から、消えてからでなければならない。


「巫女さまに元気でね、って伝えて!」

「遊べなくても、ずっと、巫女さまのお話が好きって!」

「結局、霧雨って何なの?」


 口々に騒ぐ奴らから離れようと、足を速めて陰に隠れる。

 溜め込んでいた息を吐き出す。やはり、あのうるさい声は嫌いだ。



 *



 祁山の屋敷の塀をすり抜けると、噂の通り、中は武装した人間に溢れていた。


(気配はある……)


 奥から、玉依良の霊力が流れてくる。ただ、死の臭いも確かに臭っている。


 気配の元まで一飛びすると、薬草の匂いに満たされた部屋にたどり着いた。

 中央に敷かれた布団の上に寝る人間と、一つに結わえられた、玉依良の垂れ髪があった。


「玉依良――」


 声をかけるのと同時、その背中が大きく揺れ、崩れる。咄嗟に手を伸ばし、床板に頭を打ちつけるところは、防いだ。

 顔を覗き込むと、玉依良の伏せられた目がゆっくりと開き、黒目がこちらを捉えた。

 どうやら、うたた寝でもしていたらしい。玉依良は慌てたように、己から距離をとると、胸をなで下ろした。


「来ていたのね……」


 小さく微笑んだが、なぜかいきなり顔をこわばらせ、自らの袖周りの匂いを嗅ぎ始める。


「なんだ……?」

「だ、だって……! なんでもないわ」


 なぜか顔を火照らせ、髪を撫でつける。

 妙な行動の意味はさっぱり分からない。だが、玉依良の目の下には、影が出来ていた。


「面倒ごとにでもなったようだな」


 玉依良の顔から、ゆっくり血の気が薄れていく。


「ええ……話をするなら、場所を変えましょう。弓彦兄さまが、起きないように」


 玉依良はゆっくり立ち上がると、水を張った木桶を抱えた。

 寝ているのは、宗主とやらの(むくろ)かと思っていたが、よく見ると、武司と呼ばれていたあの男だった。青い顔をしているが、息をしているので、死んではいないらしい。


 説明を急かすつもりはなかったが、結局そうなってしまったらしく、なんとも言えぬ心地が広がった。


 玉依良の後ろに続こうとしたその時、別の霊力がこちらへ、近づいてくるのが分かった。気配を消すと同時に、木戸が勢いよく開かれる。


「玉依!」


 深紺の狩衣を着た青年が、険しい顔して入ってきた。


「どうかされました?」


 一拍置いて、玉依良は静かに答えた。

 こいつは、己の気配に勘づき、慌ててやってきたのだろう。しかし、気配を潜めてしまえば、己の姿を捉えることは出来なかったのか。視線を彷徨わせると、玉依良に目を向けた。


「誰かいなかったか?」

「いいえ……」

「そうか……すまぬ。気の所為だったようだ」


 青年は、ちらりと武司に目を向けた。


「武司の熱は下がったか?」

「ええ。今は落ち着いております。煎じた薬草が、よく効きました」

「そうか……さすが、そなたの腕は確かだ」


 奴は、再び玉依良に視線を戻した。


「巫女よ。私はこれから、四門衆(しもんしゅう)(とも)に宮へ参る。(いしずえ)の皇子の元へ、後を継ぎ、宗主の任についたことを言上(ごんじょう)しに参るのだ。磐上の皇子が去られた今、幼くとも占に選ばれた礎の皇子を守らねばならない。その間、留守を頼む」


 新しい宗主は平静を装っているつもりだろうが、組んだ腕を指先で繰り返し叩いている。置かれた状況にかなり苛ついているのだろう。


「それは……あの方を、刺激することにはなりませぬか?」

「先の宗主を殺した程度で、祁山の意思が変わると思うほど、痴れ者(しれもの)ではないだろう……とは言い難いな。しかし、我らは筋を通しておることを、知らしめねばならぬ。顛末を隠そうと、やけになっている間に」

「そうですか……分家の当主の方々がご一緒であれば、以前のようなことには及ばないでしょう。くれぐれもお気をつけて」


 宗主は頷き、ついでに、再び視線を部屋に彷徨わせると、足早に部屋を出ていった。


「ひとまず……私の棟へ」


 玉依良は俯いたままそう口にすると、今しがた奴が出ていった通り口を抜けた。




「あれも、お前の兄か?」


 いつもの一郭(いっかく)に入ったので訊ねると、玉依良は小さく笑みを浮かべた。


「そう。よく分かったわね」

「気配が似ていた。あの、寝ている奴よりも」

「そうね……」


 少し考えるように、目を伏せた。


「祁山本家の人間は皆、命占(めいせん)で出た、その役割だけを渡されて育てられるの。宗主となるべく嗣子(しし)、それを補佐する副司(ふくつかさ)。一族の差配役を担うための少副司(しょうふくつかさ)。外との橋渡しと守りを担う武司。そして私は、最も天に近い者として神言を聞くことに全てを捧げる巫女」


 庭へと回ると、隅に生える小さな野草に、玉依良は木桶の水をこぼし、続けた。


「嗣子と巫女は特に、要として役目を教え込まれるから。余分なものを持たないところが、真彦(まひこ)兄さまと私は、似ているのかもしれない」


 玉依良は、空になった桶を隣に置きながら、縁側へ座った。いつの間にか、林の木から定位置に変わったそこに、己も腰掛ける。


 元より静かな場所であったが、今日はやけに静まり返っている。代わりに少し遠くから、奏楽の音が聞こえてくる。


「先の宗主の、送り儀をしているの」


 玉依良は己の内を悟ったように、そう呟いた。


「倉持の皇子と、押し問答を繰り返していて……逆上して、斬られたのですって」

「……盗賊ならともかく。なぜ、皇子に斬られるようなことが起こる?」

「分かろうとしない御方だから、かしら……?」


 玉依良は、嘲るわけでもなく、困ったように首を傾げた。


「"依代(よりしろ)成らず"の御方を、大君に推すことは出来ないというのに。しきりに祁山の後ろ盾を求めてくるのよ。祁山は、政に介入はしないけれど、神事をすべて取り仕切る。大君にとって、神事はなくてはならないから」


 空を眺めながら、玉依良は静かにため息をついた。


「倉持の皇子と比べて、母君の血筋が劣るけれど。磐上の皇子は、大君になるには申し分なかった。先の大君も、ご納得してくださっていたのだけれど……」

「ああ……都落ちしたとか、あの小童たちが話していた」

「え、あの子たちに会いに行ったの?」


 途端にこちらを振り返り、随分と嬉しそうな顔になった。


「たまたま、だが……」

「そう。元気だった?」

「うるさかった……話の腰を折るな」

「ごめんなさい。えっと……そうね。あの方が、賜姓降下を宣言されて……再占の結果、適すと出た礎の皇子を、日嗣の御子に推すことを決めたのだけど……」

「押し問答の末、お前の父親が斬られた、ということか?」


 玉依良は、静かに頷いた。


「武司がお伴していたのだけれど……傷を負って、先の宗主の骸を抱えて帰ってきたの。かすり傷だったのだけど、熱が出てしまって。送り儀の穢れに、近づけるわけにはいかないから、私の傍に……」


 鳥の声が、静かに響く。その声の近さが、奏楽の音の遠さを、余計に引き立てた。


「お前が、送り儀に行かないのはなぜだ? お前の、兄宗主も」

「……私は、穢れに近づいてはいけないのよ。宗主も私も、そういうものからは、いつも遠ざけられている。そういった……穢れに近くなるものは、代わりに副司と少副司が担うの」


 玉依良は、再び空をぼんやりと眺め始めた。

 嘆いてはいるようだが、死を嘆いているようには、あまり見えぬ。


「お前は、何に憂いている?」


 玉依良は、唇の端をわずかに持ち上げた。


「そうね……今、心が想像以上に動いていないこと、かしら……」


 俯きながら、今にも消えそうな薄く、暗い笑みを浮かべた。


「先の宗主は、私の父上なのに……悲しくないといえば嘘だけど。悲しいと言っても嘘なの。やっぱり、私は……」


 その先を、口にすることをやめたらしい。言わんとしていたことは、なんとなく分かる気がする。あまり聞きたいとは思えぬ言葉を、その先を、促す気にはならなかった。



 再びの沈黙は、場を重く押しつぶした。

 昼の月が、空の青に透けるように浮かんでいる。遠くの奏楽の音は、未だ鳴り続けていた。


 小さな砂利音が、近くで鳴った。


「玉依さま! 若松(わかまつ)でございます!」


 気の抜けたような、庭木戸を開ける音が聞こえた。


「玉依さま、おはしますか?」


先の真彦というやつと、よく似た気配が近づいてきた。


「こちらにおりますよ」


 玉依良が静かに答えると、軽い足音がこちらへと、まっすぐ向かってくる。


「……誰だ?」

「嗣子の候補……送り儀から遠ざけられていて。今は、私の近くで過ごしているの」


 角から小さな頭が覗いた。


「玉依さま!」


 顔も、あの兄宗主をそのまま縮めたようなガキが、満面の笑みでこちらに近づいてきた。が、己に目を留めるとさっと顔をこわばらせた。


「そちらの御仁は、どなたでしょうか」


 玉依良がゆっくりとこちらを振り返り、驚いたように目を見開く。


「……大事な、お客人です」


 まさか、己が当然のように、気配を消すものだと思っていたようだ。玉依良は小さく息をつくと、ガキの方に向き直った。


「……身分を隠されている方なので、決して、ここでお会いになったことを、口にしてはいけませぬ。祁山を継ぐ者として、必ず秘密を守りなさい。良いですか? 若松」

「承知いたしました、玉依さま」


 ガキは恭しく頭を下げたが、すぐ先の満面の笑みを浮かべ、玉依良にまとわりついた。


「弓彦叔父さまは、治りましたか?」

「武司は少しずつ、良くなっておりますよ」

「そっか。治ったら遊びに誘ってみようかな……ねえ、玉依さま。隠り遊びをまたやりませぬか? とても楽しくて、もう一度やりとうございます! もしよろしければ、そちらの兄君も!」


 ガキがこちらを、きらきらとした目で見て言った。いつかの、ひどく覚えのある状況に嫌な予感がした。が――


「そうね……しかし、若松。今日は出来ませぬ」


 他でもない玉依良に救われることになった。


「玉依さま。なにゆえでございますか?」

「今は、先の宗主の送り儀の最中です。穢れから遠ざけられた身であっても、お見送りは心中でせねばなりませぬ」

「でも……何もすることはないではありませんか。弥彦(やひこ)伯父さまと、悠彦(はるひこ)叔父さまはあるけれど」

「あくまでも、副司と少副司は私たちの"代わり"に送り儀に出ているのです。代わりが送り儀に出ているのであれば、私たちも送り儀に出ているのと同義なのです」


 ガキは、明らかに不服そうな顔をしたが、渋々と頷いた。


「それから、若松……弥彦伯父さまではなく、副司。悠彦叔父さまではなく、少副司とお呼びなさい。弓彦叔父さまも、武司に改めること。公の場ではそのように呼ばねばなりません。今のうちに慣れなさい」

「はい……しかし、私はどのように、旅立たれる先の宗主さまを、お見送りすればよろしいのですか?」


 玉依良は二、三度ゆっくりと瞬きをした後、再び口を開いた。


「若松。祁山の祖は、どこから来たのか。傅役(もりやく)からは既に、教わりましたか?」

「いいえ……まだです」

「良いですか。大君の祖は日より降り、祁山の祖は、月から降りてきたのです。この地でお役目を終えられた先の宗主や、(いにしえ)の祁山の者たちは皆、月へ帰っていったのです」

「では……先の宗主さまは、あそこへ帰られるのですか?」


 ガキは空を指さし、言った。


「ええ。今、あの月へお帰りになっているのです。送り儀には出ずとも、帰られる姿は見守らねばなりませぬ」


 大人しく月をじっと見つめ、ガキは呟いた。


「玉依さま。なぜ、月は欠けたり、満ちたりするのですか? 遠つ御祖(とおつみおや)の、暮らす場所がなくなってしまう日も、あるのではありませぬか?」


 玉依良は少し肩を震わせ笑った。そしてガキの顔を覗き込む。


「心配はいりませぬ。月が見えぬとも、遠つ御祖は確かにそこにいらっしゃるのです。こちらからは、欠けているように見えても、確かにそこにあるのですよ。月の満ち欠けは、遠つ御祖が、こちらへお越しになるための道を、大きく開いているか、否かで決まるのです」

「では……月が満ちている日は、遠つ御祖が地上へ降りられているのですか?」

「ええ。お役目を終えた者が、迷うことなく月へ帰られるよう、お迎えに来てくださることもあれば、道を確かめるために、こちらへ足を運んでくださることもあるのです」


 ガキは頷きはしたものの、随分としょげた顔つきになった。ちらちらと、玉依良と己をしばらく交互に見ていたが、小さく息をつくと頭を下げた。


「……私は、嗣子になるべく者として、軽々しき真似をしてしまいました」

「いいえ……自らを省みることが出来るのであれば、あとは前へと進むのですよ」

「お言葉、痛みいります。お見送りに心を入れることとしますので、今日は屋敷に帰ります。また参ります」


 ガキは頭を下げると、走って庭を抜け――その前に、こちらをくるりと振り返った。


「またの折に。お客人の兄君」


 弾けるような笑みで礼をすると、今度こそ走って抜け、庭木戸の間抜けな音を残して、遠ざかっていった。


(どの身分のガキも、一緒だな)


 玉依良が大きく息を吐き出し、こちらを訝しげに見た。


「霧雨、なぜ……?」


 姿、気配を消さなかったことが、相当不服らしい。


「あの宗主よりか、鋭い奴だったから。隠しても意味がない」

 

 建前が口をついて出る。

 正直、完全に気配を消そうと思えば、いくらでも出来るが、何度も途中割って入られるのは、良い心地がしなかった。当然のようにそれに甘える玉依良にも、わずかに腹が立った。

 あまり納得してはいないようだが、玉依良がそれ以上責めてくることはなかった。


 雀の、乾いた小枝を折るような、短く小気味よい鳴き声が聞こえた。


「……そろそろ、様子を見に行かないと」


 いつものように、「帰れ」の合図らしい。


「武司の、様子をっ――」


 玉依良はゆっくりと腰を上げたが、ぐらりと、また大きく身体が倒れた。

 地に伏せる前に引き寄せたが、ずいぶんと体が冷えているようだった。


「お前……病じゃないだろうな?」

「違うわ。最近、あまり眠れなくて……」


 玉依良はぼうっと、足元を眺めている。


「行かなきゃ……」

「別に……小間使いの一人や二人さえも、近くにいないことはないだろう。行っても、奴の隣で寝そべるくらいしか出来ないぞ」

「そう、ね……」


 淡く掠れた呟きが、静かに消え入る。玉依良の頭が己の肩口に、とんと預けられた。


「ねえ、霧雨……私、臭くない?」

「……は?」


 とうとう、頭がおかしくなったのかと思ったが、元より変わった人間だったことを思い出した。


「別に……草と香の匂いはする」

「そう……なら、しばらく、このままで居させてほしい……」

「……勝手にすればいいだろう」


 玉依良は小さく微笑むと、ゆっくりと身体の力を抜く。載せられた頭は、ゆっくりと重みを増していった。


 いつの間にか、奏楽の音は途絶えている。ただ静かに、風が鳥の音を、遠くへ運んでいく。


「この風が、運んでくれたなら……」


 玉依良がぽつりと、腕の中で呟いた。


「私を、どこか……誰も私を知らないところへ、連れて行ってくれたなら……」


 膝の上に置かれていた白い手が、引き寄せられるように、ゆっくりと、昼の月へ向かって伸びていく。

 指先が、青い空の中の白い月を、そっと掴もうとするように。


――見たくない。


 ただ、それだけだった。その手を掴み、下ろさせた。


 玉依良は食い入るように、己によって妨げられたその手を、呆然と見つめる。

 ここに居ながら、そこに居ない。哀れな娘。


 そっと、玉依良の耳元に口を寄せ、囁く。


「……連れて行ってやってもいいぞ」


 覗くと、玉依良の瞳は大きく揺れていた。己の方へ顔を振り向け、何かを口にしようとしたが――柔らかく微笑むだけで、結局口にすることはなかった。


 玉依良は、再び己の肩に頭を預け、青空の月を静かに眺め始めた。


――手放してしまえば良いものを。


 そう思えど、己もそれを、口にすることが出来なかった。

*用語解説

対屋たいのや】……「寝殿しんでん」の東・西・北に配置された独立した建物。

宗主そうしゅ】……一族の中心となる長。

嗣子しし】……宗主の後継者。

皇子みこ】……大君の血を引く男子。

日嗣ひつぎ御子みこ】……皇位を継ぐべき皇子

武司たけつかさ】……外との橋渡しと守りを担う、祁山本家の男子。宗主、巫女の護衛などを務める。

副司ふくつかさ】……宗主の補佐役を担う、祁山本家の男子。宗主や巫女に代わり、穢れを引き受ける。

少副司しょうふくつかさ】……副司の補佐役を担う、祁山本家の男子。宗主や巫女に代わり、穢れを引き受ける。

命占めいせん】……生まれた年月日や時間・場所を基にし、その人物が生まれ持った宿命や運勢、才能を占う手法。

四門衆しもんしゅう】……祁山分家(東、西、南、北家)の当主たち。

おく】……葬式

【依代成らず(よりしろならず)】……神を降ろす、すなわち大君になることに適さない人物。倉持の皇子のことを指す。

賜姓降下しせいこうか】……皇族がその身分を離れ、名字(姓)を賜って一般の臣下になること

荒御魂あらみたま】……神の霊魂が持つ「荒々しく、時に天変地異などを引き起こす荒ぶる側面」のこと。正しく祀ることで、強い守護力に変わるとされている。

とお御祖みおや】……はるか遠い先祖や一族のおおもととなる神々のこと。

傅役もりやく】……高貴な身分の子どもに付き添う教育係

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