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陽だまりの約束と鏡の中の毒

 昼間の静謐な空気が心地よい。アマーリエとフェリクスとクラウスは、アマーリエの部屋で談笑していた。

「フェリクスにいしゃま、どうぞ」

 クラウスがクッキーをフェリクスの皿に載せた。フェリクスの相好がくずれる。アマーリエはそんなクラウスを愛おしそうに頭を撫でた。やわらかな癖っ毛が相変わらず心地よい。

「ありがとうございます。クラウスさま」

 フェリクスは礼を言ってクッキーを口に運んだ。

「おかーしゃまもどうぞ」

「ありがとうクラウス。クラウスにも取りましょうか?」

「僕、自分でとれるよ」

 クラウスはそう言うと自分の皿にクッキーを取る。その様子を微笑んで見ていた姉弟だが、フェリクスが手帳を開き名前を読み上げた。

「ベルナデット・フォン・ライヘンベルク伯爵令嬢には特に注意をしてください

「どうして?」

「なんでもエルヴィスさまの再婚相手の筆頭だったとか……。黒髪、紫紺の瞳の美しい令嬢です。貴族図鑑で言うと……この方ですね」

 分厚い貴族図鑑を広げて、フェリクスはある一点を指さした。

「それは……要注意ね」

「ライヘンベルク家は王室の会計に関わる役職に就いているのですが黒い噂がありますね……最近、ライヘンベルク家が無理な投資で困窮しているらしい……まぁ、これは姉さまは気になさらなくて良いです」

「ライヘンベルク伯爵家といえば由緒ある家柄よね。そう、エルヴィスさまの再婚相手の筆頭だったの……」

 アマーリエの胸がちくりと痛む。

 本来なら、その光り輝くような令嬢こそが、エルヴィスの隣に座るべき「正解」だったのではないか。そんな思いが、澱のように心の底に沈んでいく。

 (私のような、持参金すら用意できなかった子爵家の娘ではなく……)

「今は姉さまが奥方で、エルヴィスさまもベタ惚れなんですから、そこは気にすることありませんよ」

「そうかしら……」

「おかーしゃま、大丈夫?」

 アマーリエは慌てて笑顔を作る。クラウスにこんな姿は見せられない。

「大丈夫よ、ありがとうクラウス」

「クラウスさま、お母さまは大丈夫ですよ。お強いですからね」

「ちょっとフェリクス。どういう意味よ」

「おかーしゃま、強いの?」

 えっと、クラウスを見るときらきらと輝く瞳でアマーリエを見ていた。

 その純粋な眼差しに、アマーリエとフェリクスは思わず微笑む。

「ええ。お母さまは強いから大丈夫。心配しないで」

「僕も強くなるから。そしておかーしゃまと結婚する」

 フェリクスがその言葉を聞いて吹き出す。

「あはは、そしたら、お父さまが泣いちゃうかもしれませんね! これは強力なライバルですね」

「もう……フェリクスったら。クラウスありがとう」

「おかーしゃま、だいしゅき」

 午後のやわらかな日差しが差し込んで3人を照らす。それは心から、幸せそうな光景だった。


 一方その頃、ライヘンベルク伯爵家ではひとりの女性が鏡を見ていた。かつて「薔薇の宮」と謳われた屋敷も、今や廊下の隅に薄く埃が積もっている。

 漆黒の髪は結い上げられ、ワインレッドのドレスに身を包んでいる。紫紺の瞳は厳しく、鏡に映った自分を凝視していた。

 口紅を手に取り、震える手で紅をひく。少し歪になったそれを、急いで拭いてもう一度紅をひいた。

「わたくしは、美しい」

 そう声に出して確かめるようにつぶやく。だん、と鏡を拳で叩いた。父の声がよみがえる。

 ――かたかたと、指先が震える。

 先ほど、父である伯爵に呼び出された際、投げつけられた言葉が鼓膜にこびりついて離れない。

「この役立たずめ。ローゼンブルグ公爵を逃した代償をどう払うつもりだ?  借金の利子すら払えん。来月には、隣領の老伯爵へ後妻に出す手はずを整えた。せいぜい、肌の手入れでもしておくんだな」

「わたくしは、役立たずではない……」

 エルヴィスさま。金の髪にブルーグレイの瞳、怜悧で端正な容姿の美しい方。初めての舞踏会で一瞬で恋に落ちた。

 初恋だった。

 この方こそがわたくしの求めている方だと悟った。冷徹なまでに端正なエルヴィスの瞳に、自分だけが映る日を夢見て、ダンス、音楽、詩、そして冷徹な政治の裏側まで。あらゆる教養を叩き込んだ。彼に相応しい唯一の「宝石」になるために。

(この方ならわたくしの努力を認めてくださる)

 由緒ある伯爵家令嬢との婚姻で想いは叶わなかったが、喜ぶべきことに恋敵はすぐに死んだ。

 次こそは、と思った。次こそはわたくしの番だと。お父さまにせっつくように縁談を打診してもらったときの胸の高揚感をまだ覚えている。

 なのにいつの間にか再婚なさっていた。しかも相手は落ちぶれた子爵家の令嬢だと言う。

 漆黒の髪。知性を湛えた紫紺の瞳。血の滲むような思いで磨き上げた容姿と教養。そのすべてが、何の価値もないと突きつけられた気がした。

「わたくしが、どれほど……どれほど我慢して、この家の誇りを守ってきたと思っているの?」

 憎い。心の底から憎らしい。引き裂いてやりたいほどに。

 「アマーリエ」という人間に、自分の尊厳も努力も踏みにじられるようで我慢ができないのだ。

 許せない、とベルナデットは思う。

 どうせ、公爵家の財産狙いに違いない。下賤な落ちぶれた子爵家令嬢などと、高貴な自分は比較になどならない。わたくしの魅力をエルヴィスさまに知っていただけたら、そうしたらきっと。

「ローゼンブルグの名に相応しいのはわたくしよ」

 もう一度紅を拭い、震える手で深紅の紅をひく。

 ベルナデットの心が、だんだん深くなる夕暮れのように暗く染まり落ちて行った。



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