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献身と愛の証明

「アマーリエ夫人……本当に来てくれたのですか」

「内緒で来てしまいました。お手紙もお導きもありがとうございます。マルグリットさま」

 朝の眩しい光がアマーリエを照らす。

 マルグリットの手紙にはどうしても愛せない子どもへの悲しみと自分の嫌悪にあふれていた。震える文字で「助けてほしい」と書かれたその綴りをアマーリエはどうしても無視することができなかった。

 アマーリエは、ひとりだけ馬車を降りると、マルグリットにカーテシーをした。

「フィリップ殿下はどちらにいらっしゃいますか?」

 アマーリエは毅然と頭を上げた。手は少し震えている。けれどその表情には一欠片の迷いもなかった。


「こちらです……」

 マルグリットは案内すると部屋の鍵を開けた。

「フィリップ殿下……?」

城の最奥、陽光すら届かぬ薄暗い一室。

部屋の隅に、フィリップは獣のようにうずくまっていた。

「……んぐ、あ、……うぅ……」

絶えず漏れる意味のなさない呟き。指先を口に運び、執拗に噛む鈍い音が静寂に響く。

 アマーリエは息を呑んだが、すぐに自身の感情を抑え込み、彼から少し離れた床に、音もなく腰を下ろした。

ぎょろりと、濁った瞳が動く。

フィリップの視線がアマーリエを捉えた。威嚇するように喉を鳴らすが、アマーリエはただ静かな優しい眼差しで彼を見つめ返した。

一分、五分……少しずつ時間が流れてゆく。

 フィリップが、アマーリエを突き飛ばした。

「……っ!」

 アマーリエは少しよろけながらも、またフィリップの側へと座る。

(……怖い。痛い。でも、ここで引いてはダメ。彼は……彼自身が一番怖いのだから)

アマーリエは震えそうになる手を膝の上で固く握りしめ、ただ静かに、幼子を見つめる眼差しで彼を見つめ返した。そっとハンカチを差し出すと、フィリップは奪い取るようにして取った。

 フィリップが時折、突発的な叫びを上げようとしても、隣に座る彼女の呼吸があまりに穏やかであるためか、彼は毒気を抜かれたようにまた自身の指を噛む動作に戻る。アマーリエは子守唄を心を込めて歌う。

(フィリップ殿下。私は魔法なんて使えない。あなたの傷を消してあげることもできない。けれど、少なくとも今だけは……あなたが誰かに拒絶される恐怖から、解放されますように)


 冷たい石の床から伝わる冷気が、二人の間の時間を凍りつかせたようだった。アマーリエは、彼が「他人の存在」を恐怖ではなく、静寂として受け入れるまで、ただひたすらに寄り添い続けた。

叫び、暴れ、やがて力尽きて指を噛み始める。その繰り返しを、アマーリエは一度も目を逸らさずに見守り続け歌い続けた。

 窓から差し込む僅かな光が移動し、部屋に昼下がりの陽光が差し込み始める。数時間が経過した頃、フィリップの荒い呼吸が、アマーリエの穏やかな呼吸に同調するように、ゆっくりと凪いだ。

 やがて日が落ちる頃、彼は糸が切れたように疲れて眠った。その手がアマーリエのドレスの裾とハンカチを握りしめている。アマーリエは静かに手を伸ばし、彼の汗でもつれた金の髪をそっと撫でたのだった。


「アマーリエ!!」

 夕闇が深まる頃にローゼンブルグ公爵家に帰ると、エルヴィスをはじめ、フェリクス、アンネやアンゼルムが駆け出してきた。

「エルヴィスさま、皆」

 アマーリエはどこも怪我しておらず、エルヴィスはとりあえずほっとする。しかしすぐに彼女の肩をつかんで揺さぶった。その手は微かに震えていた。

「どうして、勝手なことをしたんだ! 護衛もつけずにあの殿下と対峙するなんて! 君にも危害が加えられるかもしれないんだぞ! 君が傷つけられでもしたらどうするつもりだったんだ……!」

「姉さま……! その肩口のドレスの裂け目はなんですか…! なんでもないなんて言わないでくださいね。僕たちが……僕が……どれほど心配したか」

 裂けた肩口を見た彼の瞳には、涙と、そして守れなかった自分への激しい怒りが混じっていた。

「危害を加えられなかったなんて嘘だ! 身体の傷より、姉さまの心が傷つくことを、僕たちは恐れているのに……」

 フェリクスはそう言うときゆっと唇を引き結んで横を向く。

「エルヴィスさま、フェリクス。マルグリットさまから秘密裏にお手紙をいただいたのです。大丈夫です。フィリップ殿下は私に危害を加えようとはなさいませんでした。ただ不器用なだけで……」

「アマーリエ……どうか、私やクラウスの立場にもなってくれ。君にもしものことがあったら、とても生きていかれない」

「ごめんなさい……でも、フィリップ殿下を放ってはおけなかったの。マルグリットさまに教育係りをつけることを進言してきました。あと穏やかな乳母をつけることも」

 そう言うとアマーリエは、エルヴィスに抱きついた。温もりが優しい。

「心配かけてごめんなさい」

「君ってひとは……」

 エルヴィスはアマーリエを離すと、背を向けた。その拒絶の背が雄弁に怒りと心配を表していた。

「かあしゃま」

「クラウス。ごめんなさいね。寂しかったわね」

 クラウスを抱きしめると、クラウスはアマーリエの首にぎゅっとしがみついた。ぽろぽろと涙が溢れる。

「どんなに私たちが心配したか……君はまるでわかっていない」

 背を向けたままのエルヴィスの厳しい声が耳朶を打つ。アマーリエはもう一度、ごめんなさいと謝るとクラウスを抱き上げた。


 

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