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リーヴェスヴィンセン家の事情

「あーあ、まったくやんなっちゃうわね」

 ガラガラと馬車は路地を走る。馬車がボロいのか、舗装が悪いのか――恐らく両方だろう。時折、がたんと勢いよく揺れる。

「アマーリエ姉さま。お気持ちはわかりますが、我がリーヴェスヴィンセン家の明日の食事は姉さまにかかってるんです」

「わかってますよー」

「我がリーヴェスヴィンセン家は没落した子爵家。まだ弟妹たちは小さい。姉さまが良縁に嫁いでいただくしか、生き残る方法がないのです」

「それはフェリクス、あなたも同じでしょ。少しでも良いお家の姫を籠絡してこいって父さまが言ってるの聞いたわよ」

 馬車の中に沈黙が落ちる。

 目指しているのはフェルゼンハント伯爵家の舞踏会だ。姉弟ふたり、家族の期待を背負っている。アマーリエもフェリクスも、やわらかな亜麻色の髪に翡翠色の瞳。儚く優しげな顔立ちもとても似通っているが、フェリクスの表情は幾分乏しい。

 アマーリエはもう19歳。このアウリスタ国の貴族としては、とっくに婚約者もいて結婚しててもおかしくない身だ。それができないのはひとえに、家が貧乏だからである。

「嫁き遅れの私なんてもらってもらえるのは、いいところやもめのおじさんよね」

「姉さま、背に腹は代えられません。僕も年上の未亡人に望まれたら果たしてみせる覚悟です」

「あなたも難儀ね……。頭は良いのにアカデミーの授業料が払えないばかりに休学になって」

「覚悟はもう決めました」

 フェリクスの翡翠色の瞳が真っ直ぐ前を向く。アマーリエはもう一度ため息をついて、馬車の窓から外を眺めた。アルバディム川は夕陽にてらされて、きらきらとした光を弾いている。

 ついでに扇を口元にやる。とても上質な扇だ。肌触りも良い。今日の装いは最先端とは行かないが落ち着いた若草色のドレス。リーヴェスヴィンセン家のなけなしのお金で誂えたドレスだ。フェリクスも、同じ若草色の襟の上質な服を着ている。

 父と母の苦労は思えど、気は進まない。けれど、残された幼い弟妹たちのためには致し方がないのだ。

 アマーリエはぼーっと川を眺める。渋滞だろうか、馬車の歩みが止まる。行き交う人はこれから家に帰るのだろうか、活気がある。羨ましいなと思っている時、橋の欄干に足をかけた男が目に飛び込んだ。手には何かを抱えている。

「ちょ、ちょっと……!」

「なんですか姉さま。観念したんじゃないんですか」

「フェリクスあなたも降りるのよ……!!」

「姉さま!?」

「フェリクス、急いで!!」

 止まった馬車の戸を開けるのももどかしく、アマーリエは馬車から急いで下りた。ひらひらしたドレスが足にまとわりついて走りづらい。思い切って裾をスリットのようにびりっと破って、アマーリエは駆け出した。

「ああ…! ドレスが…!」

 フェリクスの声が聞こえる。アマーリエは足音がちゃんとついてくるのを確かめながら一心に走った。

「なにを、しようとしてるのよ……!」

 アマーリエは橋に足をかけた男の上着の裾を思い切り引っ張った。男がはっとしたように身動ぎする。その拍子に抱いていた赤児が泣き声を上げた。見れば生後8カ月くらいだろうか。金色の髪と空色の瞳の美しい赤児だった。

 フェリクスが追いついて、男を橋のこちら側に戻す。ぜいぜいと息をついて、アマーリエとフェリクスは男を見た。

 金の髪にブルーグレイの瞳、面窶れして無精髭が生え暗い表情をしているが、着ているものは汚れてはいるものの上質だ。

「あなた……赤児もいるっていうのに、身投げしようとしていたの!?」

 アマーリエが問い詰めると、男はこくりと頷く。なんてこと、とアマーリエは男が抱いていた子どもを取り上げた。赤子にどこにも怪我もあざもなく、アマーリエはほっと安心する。赤児は火がついたように泣き出した。

 アマーリエの言葉に、男はのろのろと視線を向けた。アマーリエの翡翠色の瞳と、ブルーグレイの瞳がぶつかる。

「とにかく、馬車に乗って」

「馬車に……?」

「家まで送るわ」

 そう言うと、男はふるふると首を振った。

「もう生きていても仕方ないんです……」

 その言葉に、アマーリエの中で何かが断ち切れる音がした。赤子の尻をぽんぽんと叩きながらアマーリエはうまれて初めて人に対して大声を上げた。

「あなたに意味はなくとも、子どもにはあるのよ! 無限の可能性を一緒に潰そうとするんじゃないわよ……!!」

「ね、姉さま……あの……もしかしてなんですが」

「うるさいわね! それどころじゃないのよ!」

 フェリクスの言葉を無視して、アマーリエの翡翠色の瞳と男のブルーグレイの瞳が絡み合う。先に逸らしたのは男の方だった。

「フェリクス、その方を馬車に乗せて」

「えっ、どこに行くんですか、姉さま」

「家に帰りたくないと言ってるんだもの仕方ないじゃない。わが家に来てもらいましょう」

「ええっ……! フェルゼンハント家のパーティーはどうするのですか!?」

 その言葉にアマーリエは一瞬真面目な顔で考え込んで、はあーっとため息をついた。

「仕方ないじゃない。帰るわよ。私は赤子を見てるから、あなたは彼をよく見ておいて。馬鹿なことをしないようにね」

 スリットの入ってしまったドレスをアマーリエは見る。繕えばまた着られるわよね……と心の中で頷いて、手の中にいる赤子を見やった。赤子はどうにか泣き止み、チュパチュパと指をしゃぶりながら、うとうとしかかっている。ぽんぽんと背中を叩いてやると、やがてアマーリエの肩口にもたれるようにして眠ってしまった。



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