ペルシアンラヴ 25
別の方角を見ると、どこか中東の都市だろうか。空爆を受けて、黒煙と炎が上がっていた。こちらもレンズで拡大しているように、ひとりひとりが見えた。血まみれの幼児を抱えて号泣する母親、足を吹き飛ばされて蠢く若い女性…
驚いたのは、陽一自身が、空爆に巻き込まれて殺されていることだった。「自分」という意識だけはあったが、ある時は七人の子どもの父で、子ども五人を空爆で殺されて絶望していた。ある時は、年老いた母で、四人の息子をすべて亡くしていた。
「もう、待ってはいられないのよ。私たちの後ろにも多くの人たちを呼ばなければならない。無意味に殺される人たちを少しでも減らさなくてはいけない。そのためには…」
また至近弾だ。
麻子が爆風で飛ばされた。
慌てて駆け寄った。
麻子の目を見つめると、静かに笑顔を浮かべた。
「ねっ、誰かがしないといけないの…気づいた人が…」
「おいで…みんなおいで…」
「麻子ー!!」
…汗びっしょりで目が覚めた。時計を見ると、まだ五時過ぎだった。迷惑だろう、と少し迷ったが、電話を二回鳴らすだけなら…
「はい」
荒木がすぐに出てしまった。
「君か…おはよう。もっとも夕べは、ワシは寝なかったよ。アリとの思い出を噛みしめていた。あんなヤツには二度と会えないからな」
「どうだ、部屋へ来るか? 高子はまだ寝ているが。そもそも、あんな大いびきをかかれたら、こっちが寝られない」
「はい、行きます」
荒木はこれからどうするのかは、一切聞いてこなかった。
ドアをノックすると、
「静かに入れ」
と押し殺した声が聞こえた。
ドアを開けると、高子がまだ熟睡していた。
「…どうやら決めたようだな」
「はい」
「君はこのまま日本へ帰れ。そして勉強し、経験を積め。それからでも遅くはない」
「いいえ、このままパレスチナへ行きます」
…夢のせいじゃない。でも、自分には麻子が必要だし、麻子にも自分が必要なんだ…
荒木が目を丸くした。
「無茶だぞ」
「分かっています。…でも、勉強も経験もパレスチナへ行っても出来ます。今、行かなければダメなんです」
脳裏に麻子とアリの笑顔が浮かんだ。すっきりとした、迷いが一切ない気分になれた。
「あー困った」
荒木が頭を抱えた。
…そこで佐々木が目を覚ました。
「ん…おはよう。ごめん…またやっちゃった。ありゃ、陽一君もいたの? 恥ずかしいなあ」
「呑気でいいよ、高子は」
「え、どうしたの? 」
「陽一君が、パレスチナへ行くと言うんだ。今すぐにな…」
「いいじゃない」
「お前なあ、簡単に言うなよ」
「…だって、夕べも陽一君そう言っていたじゃない。聞こえたよ」
「まだ酔ってるな、水を飲め、水を」
「酔ってないもーん」
と言いながら、佐々木は起き上がって、荒木の持っていたミネラルウォーターをいっきに飲み干した。
「…ふう。陽一君がそうしたいなら、そうすればいい。お姉さんも、近いうちに会いに行くね」
「こら、前途有為な青年をたきつけるな」
「…荒木さん、自分でも愚かな行為だと思います。両親にも申し訳ない。本当にバカだと思います。でも、そんなバカがいなけりゃいけない、とも思うんです。このままだと、世界はもっとオカシなものになってしまう。
…もちろん、僕ひとりでは何も変わらないでしょう。でも、たくさんの人に会って思いを伝え続ければ、少しはマシになっていくかもしれない。それに…やっぱり麻子と一緒にいたい。無為に殺され続けている人たちの盾にも少しでもなりたい。みんなひとりずつを考えたら、自分と同じです。人間として生きているだけです。だけど、たまたまその地に生まれただけで、信じがたい酷い目に遭っている。そして、そんなことが起きているのに知らんふりを続けていたら、いずれ自分たちも同じ目に遭うと思います。『知ってしまった人』のそれぞれに出来ることは違うでしょう。文章や映像で伝える人もいるでしょう。…でも、僕は行動するしかない。そして、それは『今』でなければだめなんです」
「…本当にそれでよいのか? 日本へ戻って、会社に行きながらだって、出来ることはたくさんあるぞ」
陽一は黙って頷いた。
「分かった…後悔しないな? 」
もう一度、前より深く陽一は頷いた。
「…最後にひと言、言っておく。君はひとりっ子か? 」
「はい」
「ご両親には、どんなに時間がかかろうが、ちゃんと理解してもらえ。少なくとも、連絡は取り続けろ」
「はい」
会社のことより、そちらのほうがずっと後ろめたい…いつか、分かってくれるだろうか…
「よし。エルサレムに着いたら、今メモをとるから、ここへ連絡しろ。電話の掛け方は…」
「ラッキー、その前に航空便の手配をしないと。部屋に戻って、パッドで予約の変更と予約をしてくる」
酔いが覚めたか、すっきりとした顔で佐々木が言った。
「そうだな、まずテヘランからイスタンブールへ行くのがよいだろう。そして、トルコ航空に乗って、テルアビブ空港だ」
「それがいちばんね」
佐々木が急いで出て行った。
「う~ん、まずたいへんなのはテルアビブ空港での入国だな。イランを出国した後になるから、こりゃムズカシイ。よいか、入国の際になにか聞かれたら『歴史マニア』だと言え。それだけを繰り返せ。もしかしたら入国拒否になるかもしれない。それは覚悟しておけ…ビールのひと缶ぐらい飲んでおくのもいいな。原理系とは思われないだろうから。ははは」
「はい」
「入国出来たら、乗り合いタクシーみたいなものでシェルートというのがある。それに乗ってエルサレムへ行け。ベン・イェフダ通りで降ろしてもらえ。西エルサレムの中心の繁華街だ。シェルートはイスラエル人の運転手だから、パレスチナ側の東エルサレムには行きたがらない。電話するには…空港でレンタル携帯でも借りるのがよいだろう。君は、英語はある程度出来るな? 」
「はい」
「よし…現金もあるか? カードはイスラエル側では使える」
「銀行員だから、そのヘンは大丈夫ですよ。海外で口座からお金を出すくらいできます」
「そうだったな、こりゃ失礼」
…それからも、荒木は陽一にメモを取らせながら、事細かにいろいろ教えてくれた。時たま、じっと陽一の目を覗き込みながら…「止めるなら今だぞ」と目で語っていた。でも、陽一はぶれなかった。
佐々木が帰って来た。
「よーし、九時半の便がとれたわよ。イスタンブールからの乗継は一二時二〇分発。七時過ぎにはホテルを出発しないと。今何時? 六時か…こちらの今日の出発は九時だから、皆さんには会えないわね」
「じゃ、支度して。朝食は六時半からだから、食べていきなさい」
「ありがとうございます」
「急いでね」
幸いスーツケースから、あまりものを出していなかったから、支度はすぐ済んだ。
朝食のレストランへ行き、オープンと同時に手早く朝食を済ませた。今日の出発が遅いせいか、メンバーは誰もいなかった。ちょっと淋しいな、と思った。でも、麻子の笑顔が浮かんでくると、元気が出た。それから部屋へ取って返し、スーツケースを引きづってロビーへ向かった。七時十分前だった。(つづく)