ペルシアンラヴ 26
ロビーに着くと、メンバーが皆いたので驚いた。
「急なことで朝早く申し訳ありません。すいません、お呼び立てしまって」
佐々木が皆に詫びた。
「どこへ行かれるかは聞いていませんが、離団されるのですね。気をつけてください」
吉田さんが手を差し出した、
「ありがとうございます」
しっかりと握手した。
次いで小堀さん、時武さん、河原さんとも握手。
…そして、加奈子と優。
黙ってハグしあった。
村中が涙ぐんでいた。
「泣かないでくださいよ」
「たっちゃん、実はとっても涙もろいの」
そう言うみゆも涙声だった。
…いつの間にか、三人で丸く輪をつくって抱きあっていた。
「おふたりの結婚式には必ず出ます。連絡は…荒木さんにお願いします。こちらからも連絡しますね」
「絶対だぞ」
村中ががっしりと陽一の肩をつかんだ。
「お前がどこへ行くかは、荒木さんから聞いた…。あの地のことはよく知らないけれど、酷いことが何十年も続けられていることは知っている。オレは、今までいろいろなことに『気づいて』いながら、なにもしていなかった。『自分のこと』で精いっぱいでもあった。
でも、これからは違う。できることはする。声を上げるよ。『あいつら』に好き放題させるもんか。ネットでいろいろやってみようとも思う。オレはずっとお前の味方でいたい…数少ないともだちだもんな。いつかお前のところにもみゆと行くよ」
村中と見つめあいながら、陽一は大きく頷いた。
さあ…次は、
佐々木はハグと同時に、両方のほっぺたにキスしてくれた。
「あ、いいなー」と優とみゆが声を上げた。
「あたしもー」
そう言って、みゆが抱きついた。
華やかな気分に包まれた。
村中も笑顔になっていた。
「オレもー。…違うか」
そして荒木。
荒木とは長い、長いハグに思えたが、実際には一分もなかったろう。でも、時間の外の出来事となっていた。
「ワシも高子も近いうちに行くからな。また会おう、何度でも会おう」
最後に握手した。固い強い握手だった。でも、ちっとも痛くはなかった。
…フロントの係が、タクシーが来たと告げた。
陽一はスーツケースをポーターに渡した。
ポーターはタクシーの後ろにスーツケースを積んだ。
さあ、行かなきゃ。
乗り込む前に、みんなに笑顔で手を振った。
みんな一生懸命に手を振ってくれた。
ツアーに乗らなかったら、会うことはなかったな。でも、いい人たちだ、また会いたいな。
タクシーに乗ると、皆の方に手を振り続けたが、やがて見えなくなった。
「エアポート」と言うと、運転手は分かっているという顔で頷いた。
テヘランの街が後ろへ過ぎて行く。また、ここへも来たい。でも、これからもたくさんの「出愛」があるだろう。
…空港に着くと、マリヤムがいた。
驚きつつも、当然だとも思った。
マリヤムは歩み寄るとそっとハグしてくれた。
「おばあちゃんのキスはイヤ? 」
そんなことはありません、と言う前に、やはりキスしてくれた。
「アリがあなたとともに在って、あなたを助けますように。…あなたも私の息子のひとりね。素晴らしい日々があなたに続きますように」
母親のような…恋人のような…、滅多に遭えないような女性。
「…今日はチケットがとれませんでしたが、私も明日、現地へ行きます。アリを家に戻して上げないとね。魂は今も私と一緒でも、残されたのは朽ちる肉体だけであっても、それもアリだから」
ぽろぽろと涙が流れつつも、マリヤムは穏やかな笑みのままだった。
「…あなたもアリのことを思い出して上げて。いつでも、あなたと一緒にいてくれるはずです。現地で会いましょう」
夜の嵐のなかで翻弄されつつも、けして花びらを散らさない花。
そんなマリヤムの笑みは、生涯忘れられないと思った。
ふりかえると、マリヤムはずっとこちらを見てくれていた…
テヘランのメヘラバート空港では、チェックインもスムーズだった。
便は定刻に出発し、イスタンブールのアタテュルク空港に無事着いた。
麻子の両親にも「ミイラとりが…という感じですが、僕も一緒にいますから安心してください。落ち着いたら日本へ一度帰ります」と手紙を書いた。少しは安心してくれるだろうか。
再びチェックインする前に、空港の国際郵便取扱窓口で、会社への辞表と両親への手紙を出した。両親には、必ずなるたけ早く帰国して、会いに行くとしたためた。マンションの部屋の整理も頼んだ。
「もう、後戻りはできないな」とはっきり感じた。しかし不安よりは、高揚した気分のほうが優っていた。
テルアビブへの航空便のゲートに着いて、椅子に座った。成田で出発するときに、やはりゲートで座っていたときと比べると、まったく気分は違っていた。成田では不安とストレスばかりだった。
あのときは必死の思いで麻子の笑顔の残像をイメージしていたが、今は自然に麻子の笑顔が脳裏に浮かんでくる。その度に、全身にちからがみなぎってくる。アリを失ったときの麻子の絶望的な声も何度も重なって現れたが、必ず自分が麻子の笑顔をいつか取り戻してやろうと誓っていた。そのほかのことは考えなくなっていた。
「勝ち目のない絶望的な戦い」であっても、絶対にすべてを尽くして戦ってやろうと決意していた。銀行の仕事場は過去の遠い幻だった。あそこで座ったままで日々を過ごしていても、死ぬときは後悔ばかりだろう。
テルアビブ行きの便は満席のようで、ゲートの座席も満杯。ゲートでは、いちばん後ろの席に座っていたが、どうやら搭乗開始だ。
ようやく陽一の番が来て機内に入ると、通路では大柄な白人たちが荷物の出し入れ中で、おしあいへしあいしながら機内を進んだ。ところが自分の座席を見ると、右側の二席とも初老の白人夫婦が占拠している。通路側が自分の席だよなと思って、半券を夫婦に見せると懇願された。なんでも夫婦なのに別々の座席にされてしまい困っている、できればこの座席に行ってはくれまいかと半券を渡された。同じエコノミー席だし代わったとしても問題はないので快諾した。
渡された半券の座席はずっと後ろのほうだった。ちょっと面倒だったが、また大柄な白人たちの間を通っていくと、なぜか胸の辺りに妙な感覚を覚え始めた。懐かしいような、楽しいような、少しウキウキとした気分だ。なぜだろう… (つづく)




