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第6話 二度目の夜

 二度目の夜を迎える場所は、最初の岩場より狭かった。


 2枚の大岩が斜めに寄りかかり、その下に浅い空間を作っている。奥行きはあるが、17人全員が横になることはできない。


 凛や新堂、三浦さん、ダニエルといった負傷者を奥へ入れ、ルシアも母親と一緒にその近くへ座らせた。残りは交代で眠るしかない。


「入口は完全に塞がない」


 野上さんが岩場の前へ太い枝を運びながら言った。


「逃げ道をなくす方が危ない。一人ずつ通れる幅を残す」


 パクが枝の端を持ち上げ、別の位置へ移す。


 言葉は通じていない。それでも野上さんが入口を指し、肩幅ほど両手を開くと、パクは意図を理解したらしい。枝を斜めに組み、縄を岩へ回した。


 ダニエルは奥の岩壁へ手を当てている。小石を拾い、壁の何か所かを軽く叩いた。音の違う場所を見つけると、そこを避けるよう全員へ示す。


「崩れるのか?」


 宮前さんが尋ねた。


 ダニエルには通じない。


 宮前さんが両手を上から落とし、岩が崩れる動作をすると、ダニエルは顔をしかめて首を横に振った。次に、壁の一部を指してから、自分の耳へ手を当てる。


「空洞がある?」


 俺が言う。


 ダニエルは言葉の意味を理解していないはずだが、指差した場所へ近づこうとした俺を手で止めた。


「少なくとも、そこには寄らない方がよさそうだね」


 宮前さんが言った。


 入口へ積む枝の本数、火を置く位置、負傷者が横になる場所、捨てる物と残す物。誰か一人が命令したわけではない。それぞれが気づいたことを示し、ほかの人間が手を貸した。


 昨日までは、声の大きい者が何かを決めるたび、ほかの誰かが反発していた。今は全員、言い争っている時間にも日が沈むことを知っていた。


     ◇


 火は、入口から直接見えない場所へ作った。


 平たい石を三方へ積み、その隙間で小さく燃やす。熱は岩場へ残るが、外から見える光は少ない。


 藤崎さんが乾かしていた肉を火の近くへ吊るした。生肉へ使った布と道具は、寝床から離れた入口側へまとめてある。


「これは明日の朝まで誰も触らないでください」


 藤崎さんが肉を示した。


「最初に食べた人たちへ異常が出ないか確認してからです」


「腹減ったんだけど」


 新堂が壁へ背を預けたまま言う。


「私もです」


「料理人なら、食えるかどうか分かる技能とかないの?」


「解体と調理です。毒を消す魔法ではありません」


「焼けば大抵いけるだろ」


「アミナさんが食べた実も、煮れば安全だったかもしれません」


 藤崎さんは肉から目を離さなかった。


「安全ではなかったかもしれません。試した人が死なない限り、答えは出ません」


 新堂が黙る。


 アミナを埋めてから、まだ数時間も経っていない。


 久保田さんは火の近くを回り、一人ずつ身体の状態を確認していた。三浦さんの目を覆う布を替え、ダニエルの左脚へ巻かれた布を締め直す。


 新堂の右手を見ようとすると、本人が腕を引いた。


「変わってない」


「確認してから判断します」


「動かないだけだって」


「感覚は?」


「ある」


「指先は」


「少し痺れてる」


「変わっていますね」


 新堂は嫌そうな顔をしたが、布を外した。


 右手の皮膚は赤黒く変色している。指は完全には曲がらず、本人が力を入れると細かく震えた。


 久保田さんが手首へ触れる。


「今夜は魔法を使わないでください」


「襲われても?」


「最初から使う前提にしないでください」


「ほかに倒せる奴がいるのかよ」


「いる」


 早川さんが折れた槍の柄を削りながら答えた。


「全員で入口を守る。お前が一人で倒す必要はない」


「昨日は俺がいなかったら何人か死んでた」


「お前が撃ったせいで、蛾も集まった」


「あれは火を使った連中も同じだろ」


「だから、撃つ前に周りを見る」


 早川さんは削った木屑を火へ落とした。


「撃てるかどうかは、お前だけで決めるな」


 新堂は反論しなかった。納得したというより、今は言い返す力が残っていないように見えた。


     ◇


「見張りは2人ずつにしましょう」


 宮前さんが地面へ枝を並べた。


 何人かが意外そうに彼を見る。


「何で宮前さんが決めるの?」


 凛が尋ねた。


「こういう順番を組む仕事をしてたから」


「結婚式?」


「結婚式も。舞台も催し物も」


「魔物の見張りと同じ?」


「急に来なくなる人がいる点では似てる」


「それ、仕事の人に怒られるよ」


 宮前さんは枝を7組に分けた。


「怪我人同士を同じ組にしない。入口を見る人と、中を見る人を分ける。連続で起きる人も作らない」


「7組では一人余ります」


 林さんが言った。


「久保田さんは組へ入れない。誰かに異常が出た時に起きてもらう」


「それでは久保田さんが休めません」


「最初に寝てもらう。必要になったら起こす」


 久保田さんは反対しようとしたが、野上さんが先に頷いた。


「それがいい。治療できる人間を見張りで潰すな」


「でも、皆さんも負傷しています」


「寝られる奴が寝るのも仕事だ」


 凛がその言葉を聞き、僅かに顔を上げた。自分も見張りに入るつもりだったらしい。


「私は入口を見られるよ。座ってるだけなら膝も使わないし」


「何か来たら動くだろ」


 野上さんが言った。


「動かない」


「昨日、動くなと言われて動いた」


「ルシアが外へ出たからでしょ」


「今夜も誰かが出たら動く」


 凛は返事をしなかった。


「今夜は寝ろ」


「何もできないみたいで嫌なんだけど」


「明日歩くのが、お前の仕事だ」


「歩けなかったら?」


「担ぐ」


「それが嫌だって言ってる」


「なら治せ」


 野上さんは入口の枝を引き、縄の緩みを確かめた。


「気合いで治らないなら、寝ろ」


 凛はしばらく野上さんを睨んでいた。やがて毛布を引き寄せ、乱暴に横になった。


「起きた時、全員いるよね」


 野上さんの手が一瞬止まる。


「いるようにする」


「そうじゃなくて」


「約束できることだけ言ってる」


 凛はそれ以上尋ねなかった。


     ◇


 日が沈む前に、エマと林さんが1枚の紙を火の近くへ広げた。


 簡単な絵が並んでいる。


 止まる。進む。水。火。怪我。危険。人数。


 エマが一つずつ指し、イサベルやパク、ダニエルへ身振りで意味を伝えていく。


 イサベルはすぐに理解し、ルシアにも教えた。


 パクは「止まる」の印と「危険」の印を指し、自分の目を示してから道の先を指した。


「危険を見つけたら止まれ、かな」


 俺が言う。


 林さんが紙へ新しい印を加える。


「絵だけなら、同じ言葉を話せなくても使えます」


「全員の名前も書けない?」


 宮前さんが尋ねた。


「地球の文字が違います」


「文字じゃなくて、印で」


「17人分?」


「一人一個なら覚えられるでしょ。離れた時にも使える」


 離れた時。


 その言葉に、何人かが顔を上げた。


 宮前さんは空気の変化に気づいたらしい。


「迷子になった時。念のためだよ」


 エマは少し考え、紙の端へ簡単な印を描いた。


 直人。相良。凛。久保田。


 本人の特徴と結びつく、小さな記号。林さんが似た印にならないよう修正する。


「宮前さんはこれ」


 林さんが円の周りへ点を描いた。


「何これ?」


「運がいい」


「もっと格好よくできない?」


「簡単に描けることが優先です」


「幸運なら星とかあるでしょ」


「星は夜、光、方角にも使います」


「俺の扱い、雑じゃない?」


 ルシアが紙を覗き込み、宮前さんの印を指して笑った。


 宮前さんは言葉の意味が分からないまま、傷ついた顔を作ってみせる。ルシアがもう一度笑った。


 イサベルも僅かに口元を緩めた。


 アミナがいなくなってから、初めて聞いた笑い声だった。


     ◇


 夜になった。


 枝葉の隙間から差していた光が消え、入口の外は黒く塗り潰された。


 最初の見張りは野上さんとパク。次が林さんとイサベル。3組目が俺と相良だった。


 火の脇へ置いた薪の束が一つなくなったら交代する。時間として正確ではない。それでも、順番があるだけで昨日よりはましだった。


 横になると、身体のあちこちが痛んだ。掌の火傷、肩、腰。泥へ叩きつけられた時の痛みまで、今になって戻ってきたようだった。


 眠れるはずがないと思った。


 目を閉じた次の瞬間、肩を揺すられた。


「瀬川」


 相良がしゃがんでいる。


「交代だ」


 自分がどこにいるのか理解するまで、数秒かかった。


 白い空間。森。アミナの止まった胸。


 記憶が戻るにつれ、眠気が消えた。


 入口へ移動する。相良は欠けた剣を膝へ置いた。


 外からは、虫の鳴き声さえ聞こえない。


「静かだな」


「静かな方が怖い」


「同じこと考えてた」


 2人とも声を落とす。


 岩場の中では、人間が重なり合うように眠っている。ルシアは母親の腕へ顔を埋めていた。凛は眠りながらも眉を寄せ、右膝を庇うように身体を丸めている。


 新堂の近くには早川さんが座っていた。見張りの順番ではないはずだが、完全には眠っていないらしい。


「言葉の技能、便利だな」


 相良が囁いた。


「まだ文字を読んだだけだよ」


「現地人に会ったら、お前しか話せない」


「正しく通じるか分からない」


「でも、俺たちよりは分かる」


 相良が暗闇を見る。


「何か隠してる能力、ほかにもある?」


「危険察知、生存術、簡易止血、環境適応、痛覚とショックへの耐性。短槍術」


「地味だな」


「知ってる」


「悪い意味じゃない」


「白い場所でも、自分でそう思った」


「俺は剣術と身体ばっかり上げた」


 相良が剣の柄を撫でる。


「最初の夜は、一人でもいけると思ってた」


「実際、ここまで来た」


「6人で来たんだよ」


 相良はすぐに訂正した。


「俺が前で斬ってる間、三浦さんが人数を見て、藤崎さんが荷物を集めて、宮前さんが進む方向を決めてた。林さんも、ダニエルもいた」


 少し間を置く。


「剣術を取ったら、俺が守る側になると思ってた。でも、俺が見てないところで何人も動いてた」


 最初の夜の相良が、どんな戦い方をしたのか俺は知らない。刃の欠け方を見れば、ほとんど休まず剣を振っていたことは分かる。


「次は全員を守れる?」


「無理だな」


 答えは早かった。


「だから、見えるところを守る。見えないところは、誰かに頼む」


 それを認めるのに、一晩かかったのだろう。


 森の外で、枯れ葉を踏む音がした。


 相良の手が剣へ伸びる。俺の胃の奥にも、冷たい不快感が広がった。


「前?」


 相良が聞く。


「分からない」


「だったな」


 岩場の奥から、湊が身体を起こした。眠っていたはずなのに、音へ反応したらしい。


「右です」


 小さな声で言う。


「一匹。ゆっくり歩いてます」


 相良が右側の枝の隙間へ剣先を向ける。


 足音が止まった。


「ルシア」


 暗闇から、女性の声が聞こえた。


 岩場の中でイサベルが目を開ける。


「ルシア」


 同じ声。


 イサベル本人が、最初の夜に娘を呼んだ時の声だった。腕の中には、本物のルシアがいる。


 イサベルは娘を抱き寄せ、外を見た。


「反応しないで」


 俺は口元へ指を当てる。


 意味が伝わったのか、イサベルが頷く。


「ルシア」


 外の声が近づく。


 続いて、俺の声がした。


「全員いる」


 三浦さんの声。


「17」


 新堂の声。


「俺が一番火力ある」


 聞いた言葉を、順番も意味もなく繰り返している。


 岩場の中にいた全員が起きた。


 誰も返事をしない。


 入口の枝へ、細長い指が一本かかった。


 野上さんが斧を握る。早川さんは槍を構えた。


 新堂が左手を上げる。青白い光が指先へ集まりかけた。


 早川さんがその手首を掴んだ。


「まだだ」


「入ってくる」


「枝は壊れてない」


「壊されてからじゃ遅いだろ」


「お前が撃てば、光と音が森中へ届く」


 新堂は外を睨んでいる。


 枝が軋んだ。


 一本目の縄が張る。


 パクがすぐに結び目を押さえた。野上さんも反対側の枝へ肩を当てる。


 相良が枝の隙間から伸びた指へ剣を振った。


 指が落ちる。


 外で、子どもの笑い声が上がった。


 だが、相良は外へ出なかった。剣を戻し、同じ場所を守る。


「追わないの?」


 新堂が言う。


「追ったら入口が空く」


「倒せるだろ」


「一匹倒して、残りが何匹いる?」


 新堂は答えなかった。


 外の足音が遠ざかっていく。危険察知の不快感も、少しずつ弱くなった。


 その後、岩場の裏側を何かが通った。湊が位置を伝え、パクと野上さんが枝を補強する。


 火の光へ小さな蛾が数匹寄ってきたが、濡れた布を石の上へかけると、それ以上は増えなかった。


 入口から離れた森の一角で、葉の擦れる音が長く続いた。血や内臓を捨てた方向だった。


「向こうへ行ってる」


 湊が言う。


 昨日なら、血の匂いは岩場の中に残っていた。今夜は捨てる場所を離した。


 正解だったのかもしれない。確認する方法はない。


 それでも、葉の群れは俺たちの足元へ来なかった。


     ◇


 二度目の夜は、初夜より静かに過ぎた。


 魔物がいなかったわけではない。声は聞こえた。枝も引かれた。蛾も飛んできた。


 だが、誰も声だけを信じなかった。火を大きくしなかった。入口から追いかけなかった。血のついた物を寝床へ置かなかった。新堂も雷を撃たなかった。


 一晩で森を理解したわけではない。


 ただ、昨日死んだ者たちが教えたことを、少しだけ繰り返さずに済んだ。


 空が僅かに白み始めた頃、久保田さんが全員の名前を読み上げた。


 一人ずつ返事をする。


 瀬川直人。


 久保田真理。


 野上宗一。


 佐伯凛。


 新堂圭介。


 エマ・クラーク。


 吉岡湊。


 イサベル・ロメロ。


 ルシア・ロメロ。


 パク・ジュノ。


 藤崎千秋。


 相良蓮。


 宮前航平。


 林美玲。


 三浦誠。


 早川沙耶。


 ダニエル・オコナー。


 17人。


 増えてはいない。


 減ってもいない。


「全員いる」


 凛が小さく言った。


 野上さんは入口の枝を外しながら答えた。


「今はな」


「そういう言い方しかできないの?」


「朝になったら朝の確認をする。歩き出したら、また数える」


「三浦さんみたい」


 三浦さんが残った右目を向ける。


「数える奴は何人いてもいい」


 宮前さんが欠伸をしながら起き上がる。


「じゃあ次から、俺も数えようかな」


「お前は飛ばしそうだ」


「運で合うかもしれない」


「人数確認に運を使うな」


 短いやり取りの途中で、足元が揺れた。


 最初は、誰かが岩へぶつかったのだと思った。


 火の横に積んでいた小石が、一つ転がる。


 次に、地面の奥から低い音が響いた。


 遠くで雷が鳴ったような音。ただし、空ではない。


 俺たちの足元より、さらに深い場所から聞こえてくる。


 ダニエルが急に立ち上がった。負傷した脚を忘れたように岩壁へ手を当てる。


「何?」


 エマが尋ねる。


 ダニエルは何かを早口で言い、地面を指した。


 岩壁の細い亀裂から、砂が落ちる。


「外へ出ろ」


 野上さんの声が変わった。


「全員、荷物は後だ。まず岩から離れろ!」


 パクも同じことを察したらしい。入口の枝を投げるように外し、ルシアとイサベルへ手招きする。


 17人が岩場から出た。


 朝の森は、薄い霧に覆われている。風はなかった。


 それなのに、遠くの木々が揺れていた。


 一方向ではない。


 森の奥から外縁へ向かうように、何本もの大木が順番に傾いていく。


 地面がもう一度鳴った。


 太い根が土を押し上げ、巡回路の石を持ち上げる。地面に細い亀裂が走る。


 その向こうから、獣の鳴き声が響いた。


 一頭ではない。


 大小の声が幾重にも重なり、森全体へ広がっていく。


 枝の上から鳥の群れが飛び立った。地面近くの茂みから、小さな獣が何匹も飛び出す。


 俺たちには目も向けず、同じ方向へ走っていった。


「何が起きてるんだ」


 相良が剣を抜く。


 湊が森の奥を見たまま言った。


「来ます」


「何が?」


「分かりません」


 湊の顔から血の気が引いていた。


「多すぎる。全部、こっちへ動いてます」


 俺の危険察知が反応した。


 これまでで最も強く。


 方向も距離も分からないまま、胃の中身をすべて吐き出したくなるほどの不快感が押し寄せる。


 森の奥で、何か巨大なものが地面を突き破った。


 木々の隙間から、土と根が高く噴き上がる。


 次の瞬間、霧の向こうを無数の影が横切った。


 昨日まで俺たちを狩っていた魔物たちが、こちらを見ようともせず走っている。


 追っているのではない。


 逃げていた。


 森全体が、こちらへ向かって動き始めていた。

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