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第5話 食べられるもの

 18人で岩場を離れてから、まだそれほど進んでいなかった。


 先頭の相良が足を止める。


「後ろ、止まってる」


 振り返ると、アミナを乗せた担架が道の中央へ下ろされていた。野上さんとパクが左右に退き、久保田さんがアミナの顔を覗き込んでいる。


 昨夜から続いていた指先の震えが、腕全体へ広がっていた。呼吸は細かく、胸が浅く上下している。


「瀬川君、来てください」


 俺は列を抜け、担架の横へ膝をついた。


 アミナの額には汗が浮かんでいる。身体は震えているのに、皮膚へ触れると熱かった。


 久保田さんが首へ指を当てる。


「脈が速い。アミナ、聞こえますか」


 言葉は通じない。エマが名前を呼び、短い言葉を何度も繰り返した。


 アミナの瞼が僅かに動く。唇も開いたが、息が漏れただけだった。


「身体を横へ向けます。肩を持って」


「はい」


 俺が上半身を支え、久保田さんが腰を動かす。


 アミナの身体を横向きにした直後、激しく咳き込んだ。口から唾液と、赤い実の欠片らしいものが落ちる。


 最初の日に食べた実。鳥に似た生き物が食べていたから、安全だと思った。


 食べた直後には、大きな異常が出なかった。それだけで、止めるのが遅れた。


「息をして」


 久保田さんが自分の胸へ手を当て、大きく息を吸う仕草を見せる。


 アミナはそれを見ていた。一度だけ、大きく息を吸った。


 喉の奥で音が鳴る。


 そのあと、胸が動かなくなった。


「アミナ?」


 エマが顔を近づける。


 久保田さんがアミナを仰向けへ戻した。


「瀬川君、頭側へ。顎を上げてください」


 言われたとおりにする。


 久保田さんは胸の中央へ両手を重ねた。身体が沈むほど強く押す。


 一度。二度。


 一定の間隔で、胸を押し続ける。アミナの身体が担架の上で揺れた。


 イサベルがルシアの顔を自分の胸へ押しつける。凛は杖代わりの枝を握り、動かなかった。新堂も、吊った右手を胸元へ抱えたまま見ている。


「代わります」


 野上さんが言った。


「まだ大丈夫です」


 久保田さんは止めなかった。


 胸を押す。気道を確保する。呼吸を確認する。再び胸を押す。


 俺の簡易止血は、何も教えてくれなかった。


 血を止める手順は分かる。傷を固定する方法も分かる。だが、身体の中へ回った毒を抜く方法も、止まった心臓を動かす方法も、俺は持っていなかった。


 森の上から、鳥に似た鳴き声が聞こえる。


 アミナが見たものと同じ種類かもしれない。その鳥は、今日もどこかで赤い実を食べているのだろう。


 アミナの胸は、自分では一度も動かなかった。


 久保田さんが首へ指を当てる。また胸を押す。もう一度、脈を確かめる。


 やがて、両腕が止まった。


 手首へ指を置いたまま、長い時間俯いている。


「……亡くなりました」


 意味が分からない者にも、久保田さんの顔で伝わった。


 エマがアミナの目を閉じる。顔へ毛布をかけようとして、手を止めた。それが誰の毛布だったのか分からなくなったのかもしれない。


 久保田さんが受け取り、顔だけを覆った。


 18人で岩場を出た。


 その数は、次の休憩場所へ着く前に17人になった。


     ◇


 道の中央へ身体を置いたままにはできなかった。


 パクと野上さんが周囲を調べ、2つの大岩に挟まれた窪みを見つけた。ダニエルも斜面へ手をつき、地面の傾きと岩の亀裂を確認する。


 3人が何度か指を差し合い、最後には同じ場所を示した。


 深い墓を掘れる道具はない。土も、太い根に覆われていた。


 俺たちは窪みへアミナを横たえた。


 エマが紙を広げる。久保田さんが、分かる範囲の経過を伝えた。


 赤い実。甘い匂い。鳥に似た生き物の食痕。舌の痺れ。吐き気。指先の震え。発汗。呼吸の異常。心停止。


 林さんが別の紙へ同じ内容を書き写した。


「死亡した時間は?」


 エマが紙を指す。


「分かりません」


 久保田さんが答える。


「時計がないので、太陽の位置と、岩場を出てからの距離だけ残してください」


 エマは地図へ新しい印をつけた。


「赤い実があった場所にも、印があります」


 大きく斜線を引いた場所を示す。


 俺は落ち葉の上に残っていた実の欠片を、枝で布へ移した。


「それも持っていくの?」


 凛が尋ねる。


「同じ実を見つけた時に、見比べられる」


「触って大丈夫?」


「素手では触らない」


 布を何重にも巻き、ほかの食料とは別の袋へ入れた。


 何が危険か分からない。だから、何を食べたのかだけでも残しておく。


 アミナの身体へ枝と葉を重ね、最後に持ち上げられる大きさの石を積んだ。獣が掘り返そうと思えば、簡単に崩せる。


 それでも何もしないよりはよかった。


 アミナが持っていた水袋と毛布は回収した。


 死者の物を取ることへの抵抗は、最初の夜より小さくなっていた。慣れたわけではない。必要だと分かってしまっただけだ。


 出発しようとした時、ルシアが母親の手を離れた。


 道の脇に咲いていた小さな白い花を一輪摘み、石の隙間へ置く。


 イサベルは急かさず、娘が戻ってくるまで待った。


 言葉は通じない。それでも、エマがアミナの名前をもう一度口にすると、イサベルも同じように繰り返した。


「アミナ・ハダド」


 少し違う発音だった。


 それでも、名前だと分かった。


     ◇


 空になった担架には、荷物を載せた。毛布の中央が、歩くたびに沈む。


 アミナがいなくなった分だけ移動は速くなるはずだった。


 誰もそのことを口にはしなかった。


 罠の持ち主が通ったと思われる痕跡を追い、森を進む。


 切られた枝。踏み固められた草。古い縄の切れ端。


 道と呼べるほど広くはないが、獣が偶然通っただけには見えない。


 相良が先頭を歩く。早川さんは列の横へ回り、前と中央を行き来していた。


 三浦さんは最後尾に近い位置で、何度も後ろを振り返る。


「17」


 時々、小さく人数を数えた。


 新しい数だった。


 凛は杖へ体重を預けながら歩いている。前へ進むこと自体はできるが、根を越えるたびに顔をしかめた。


「痛むなら言ってください」


 久保田さんが横から声をかける。


「さっきと同じ」


「さっきが、どの程度か分かりません」


「歩ける程度」


「歩けなくなる前に教えてください」


「分かってる」


 凛はそう答えた直後、少し速度を落とした。久保田さんの言葉を完全に無視するつもりではないらしい。


 しばらく進むと、パクが右手を上げた。


 道の横にある、少し高い場所を指している。平らな岩盤が斜面から突き出し、その下へ乾いた空間ができていた。


 ダニエルが岩の上を見上げ、地面へ転がっている石を拾う。石を岩壁へ当て、音を確かめた。次に斜面へ指を走らせ、水が流れた跡を示す。


「休める場所?」


 宮前さんが聞く。


 言葉の通じないパクとダニエルは、同じ場所を示して頷いた。


 野上さんも周囲を確認する。


「長く泊まるには入口が広すぎる。ただ、休憩と作業には使える」


 全員が高みへ移動した。


 入口から周囲を見渡せる。地面は乾いており、血や泥の匂いも薄い。


「ここで、あれを見ます」


 藤崎さんが、布に包まれた小動物を指した。


 罠にかかっていた、兎に似た生き物。耳は短く、後ろ脚だけが太い。


「時間が経つほど、食べられるかどうか判断しにくくなります」


「解体できますか」


 久保田さんが尋ねる。


「生前は料理人でした。店もやっていました」


 藤崎さんは小型ナイフを取り出した。


「この動物を扱ったことはありません。でも、調理と解体の技能を取りました」


「技能で分かる?」


「試します」


 パクが使えそうな枝を2本拾う。野上さんと一緒に組み、縄を結んで簡単な台を作った。


 言葉を交わしてはいない。藤崎さんが高さを手で示すと、パクが結び目を一段下へ移す。


 小動物の後ろ脚を吊り、地面から浮かせた。


 藤崎さんはナイフを握ったまま、しばらく動かなかった。


「どうしました?」


「知ってるんです」


 自分の手を見下ろす。


「どこへ刃を入れて、どちらへ向ければ内臓を傷つけないか。頭の中じゃなくて、手が知ってる」


「俺の止血も同じでした」


「自分で覚えたことじゃないのに、前からやってたみたいで」


「気持ち悪いですよね」


「かなり」


 藤崎さんは息を吐き、最初の切れ目を入れた。


 皮だけを浅く切る。指を差し込み、刃先が内側を傷つけないよう外へ向ける。


 そこからの動きは速かった。


 皮を剥がし、腹を開く。生温かい匂いが広がった。


 空腹だったはずなのに、まだ食べ物には見えない。


 久保田さんが横から内臓を確認する。


「形は違いますが、心臓と肺に近いものは分かります」


「食べていた物も見ます」


 藤崎さんが胃らしい袋を切り離した。


 中には、細かく砕かれた草と木の実が詰まっている。


「草を食べる動物か」


 相良が言った。


「だから安全とは限りません」


 久保田さんがすぐに返す。


 アミナが死んだばかりだった。


 動物が食べられる物と、人間が食べられる物は同じではない。


「これ、見てください」


 藤崎さんの手が止まる。


 肝臓に似た黒い臓器の表面が、僅かに動いた。


 白い糸のような虫が一本、切れ目から顔を出している。さらに奥にも、何本か絡まっていた。


 宮前さんが顔を逸らす。


「急に食欲なくなったんだけど」


「内臓は使いません」


 藤崎さんが即答した。


「肉も、生では絶対に食べない。火を通しても安全とは言い切れません」


 久保田さんが筋肉の切断面を調べる。


「見える範囲では、肉に虫はいません。ただ、見えないからいないとは限らない」


「瀬川」


 相良が俺を見る。


「危険察知は?」


 黒い臓器へ近づく。


 胃の奥に、強い不快感が広がった。森の中で常に残っている重さとは違う。舌の奥へ苦いものが触れたような感覚。


 臓器から離れると、少し弱くなる。


 次に、切り分けられた後ろ脚の肉へ近づいた。


 反応はある。だが、内臓ほど強くない。


「内臓の方が明らかに強いです。肉は弱い」


「じゃあ、肉は食べられる?」


 凛が尋ねる。


「そこまでは分からない」


「何に反応してるかも?」


「寄生虫なのか、毒なのか、腐り始めてるのかも分からない」


 凛は肉と俺を交互に見る。


「便利そうで、本当に微妙だね」


「知ってる」


 生存術も危険察知も、安全を保証する能力ではない。判断材料が一つ増えるだけだ。


 それでも、何もないよりはましだった。


「内臓は捨てる」


 野上さんが言う。


「肉はどうする」


「少量だけ試すのがいいと思います」


 俺は答えた。


「薄く切って、中心まで火を通す。最初に食べる人数を絞って、時間を置く」


「アミナさんみたいな遅い毒なら、すぐには分かりません」


 久保田さんが言った。


「はい。だから全員では食べない。試した人に症状が出ても、残りが動けるようにする」


「最初に食べる人は?」


「調理した私が食べます」


 藤崎さんが答えた。


「味や舌の痺れ、匂いの異常は、私が一番分かりやすいと思います」


「次は俺が」


 相良が言う。


「持って帰った側だから」


「責任を取る順番で毒見を決めるのは違う」


 俺が言う。


「なら誰が食べる?」


「俺が食べます」


 久保田さんが眉を寄せる。


「瀬川君まで食べる理由は?」


「食べる前と後で、危険察知の反応が変わるか確かめられます」


「それで毒を防げるとは限りません」


「分かってます。でも藤崎さん一人より、分かることは増えます」


 宮前さんが片手を上げた。


「俺でもいいよ。運は81あるし」


「宮前さんが無事でも、肉が安全なのか運で外れたのか分からなくなる」


「自分の能力なのに、こういう時は邪魔だな」


「邪魔ではないだろ」


 相良が言う。


「生きてる時点で役に立ってるかもしれない」


「それ、本人にも分からないやつだから、褒められても反応に困るんだよね」


 宮前さんは手を下ろした。


     ◇


 肉は薄く切り、火の上で長く焼いた。


 表面が黒くなり、脂がほとんど落ちるまで待つ。生肉を扱った石と、焼けた肉を置く石は離した。


 凛が平たい石を2枚運び、一方へ枝で大きな印をつける。


「こっちが焼いた方」


 言葉の分からないルシアにも見えるよう、何度も指を差して示した。ルシアは真剣な顔で頷く。


 新堂は左手で細い枝を持ち、火の端に座っていた。


「右手、動かそうとするなよ」


 早川さんが言う。


「動かしてない」


「今、肉を取ろうとした」


「左手で取るつもりだった」


「目は右を見てた」


「細かいな」


「見張ってるからな」


 新堂は不満そうに左手だけで肉を返した。


 藤崎さんが最初の一切れを取る。


 すぐには口へ入れず、匂いを確かめた。次に唇へ触れ、舌先へ少しだけ当てる。


 時間を置いてから、小さく噛んだ。


「どうですか」


 久保田さんが尋ねる。


「硬いです」


「それ以外は?」


「今のところ、強い苦味も痺れもありません」


 時間をかけて飲み込む。


 久保田さんが脈と瞳を確認する。すぐに異常は出なかった。


 次は俺だった。


 焦げた肉を口へ入れる。


 塩気はない。獣臭く、何度噛んでも筋が残る。


 危険察知は消えない。ただ、急に強くなることもなかった。


「どう?」


 相良が聞く。


「変化はない」


「味は?」


「食べ物の味はする」


「褒めてないだろ、それ」


「昨日からまともに食べてないから、十分褒めてる」


 藤崎さんが少しだけ笑った。


 俺たちはしばらく動かず、身体の変化を待った。


 吐き気。痺れ。震え。呼吸。


 何も起きない。


 もちろん、安全だと決まったわけではない。それでも小さな一切れを、次は野上さんと久保田さんが食べた。


 残りはすぐ全員へ配らず、薄く切って火の近くへ並べる。


「乾かして持っていけるか試します」


 藤崎さんが言った。


「今日中に症状が出なければ、少しずつ食べる人数を増やします」


「名前はどうする?」


 凛が小動物を見る。


「名前?」


「毎回、兎みたいなやつって言うの長くない?」


「現地の人間に聞くまで、それでいいでしょう」


 林さんが答える。


「同じように見えて、別の種類かもしれません」


「じゃあ、兎みたいなやつ1号」


「増やす前提にしないでください」


 藤崎さんに言われ、凛は黙った。


 少しして、ルシアが乾かしている肉を指差す。イサベルが娘の手を下げた。


 まだ食べさせないという意味は伝わったらしい。ルシアは残念そうに火を見つめた。


     ◇


 休憩を終え、人が通った痕跡を追う。


 道は少しずつはっきりしていった。地面から盛り上がった太い根が切られている。泥の深い場所には平たい石が置かれ、斜面には簡単な段差が作られていた。


 獣道ではない。


 誰かが何度も通るために、手を入れている。


 パクが石の沈み方を確かめ、危ない場所では手を上げて全員を止める。ダニエルは岩の割れ目や水の流れを見て、迂回する方向を示した。


 エマは歩いた距離と曲がった方向を紙へ残す。林さんは、切られた枝の高さや刃物の形を記録している。


「17」


 最後尾から三浦さんの声が聞こえる。


 宮前さんが振り返った。


「ちゃんといますよ」


「今いることと、次に数えなくていいことは別だ」


「毎回数えるんですか」


「減ってから気づくよりはいい」


 宮前さんは何も言い返さず、前へ向き直った。


 しばらくすると、凛の歩幅が小さくなった。


 久保田さんがすぐ気づく。


「痛み、強くなりましたね」


「少しだけ」


「さっきと同じでは?」


「さっきより少し強い」


「止まりましょう」


「まだ歩ける」


「歩けなくなるまで歩く話はしていません」


 野上さんが荷物を載せていた担架を下ろした。


「凛、乗れ」


「嫌だ」


「荷物を分ける。今乗らないと、夜に全員でお前を担ぐことになる」


「自分で歩ける」


「今はな」


 凛は野上さんを睨んだ。野上さんは視線を逸らさなかった。


「自分が歩けることと、全員が先へ進めることは別だ」


 しばらくして、凛が杖を地面へ置いた。


「少しだけだから」


「分かった」


「脚が戻ったら降りる」


「久保田さんが決める」


「私の脚なんだけど」


「だから壊す前に他人の意見を聞け」


 凛は不満そうなまま、担架へ座った。


 歩ける者が荷物を分けて持つ。藤崎さんは乾かしている肉を、火の熱が残った石ごと布へ包んだ。


 再び歩き出す。


 森の光が、少しずつ弱くなってきた。


 その時、先頭の相良が右手を上げた。


 1本の木に、長方形の板が打ちつけられている。腐食した金具。平らに削られた木の表面。


 そこへ、見たことのない文字が何行も刻まれていた。


「文字だ」


 宮前さんが言った。


「読める人いる?」


 返事はなかった。


 林さんが板へ近づき、文字の形を紙へ写し始める。エマも地図へ位置を記録した。


 俺は少し離れた場所から、板を見ていた。


 曲線と直線が組み合わさった、知らない記号。


 それなのに、目で追っているうちに、形が意味へ変わっていく。


 文字を覚えた感覚はない。読める理由も分からない。


 ただ、内容だけが頭へ入ってきた。


「……北部禁足林《ほくぶきんそくりん》」


 自分の声に、全員が振り返る。


「読めるのか?」


 相良が尋ねた。


 もう一度、板を見る。


「外縁巡回路《がいえんじゅんかいろ》」


 矢印の横に続く文字を読む。


「北部第三監視門《ほくぶだいさんかんしもん》」


 その言葉を口にした瞬間、集団の空気が変わった。


「監視門って何?」


 凛が担架から身を起こす。


「門なら、壁か施設があるんじゃないか」


 野上さんが言う。


「人がいる可能性は高い」


「どうして読めるんだよ」


 新堂が俺を見る。


「白い場所で、言語技能を取りました」


「先に言えよ」


「使えるか分からなかった。地球の外国語は分からなかったし、こっちの文字を見るのも初めてだった」


「言葉も話せるのか?」


 相良が尋ねる。


「日常会話と簡単な読み書きだけ。そう書かれてました」


「どこまでが簡単なんですか」


 林さんが板の文字を指す。


「分かりません」


「文字ごとの音は?」


「今は、意味がそのまま入ってきます。どこまで正確なのかも分からない」


 林さんは板と俺を交互に見た。何か質問したそうだったが、先に野上さんが尋ねる。


「ほかには何て書いてある」


 板の下部へ視線を移す。


「日没前に巡回を終え、監視門へ帰還せよ」


 全員が空を見上げた。


 枝葉に覆われ、太陽は見えない。それでも、森の光が夕方へ近づいていることは分かる。


「距離は?」


 新堂が聞く。


「書いてない」


「走れば間に合うかもしれない」


「怪我人と子どもがいる」


 早川さんが答える。


「暗くなってから泊まる場所を探す方が危ない」


 三浦さんが道の先を見る。


「現地の巡回員も、日没前に帰れと書いてる。夜にこの道を進む前提じゃない」


「でも、人がいるんだろ」


 新堂は矢印を見た。


「多分」


 俺が答える。


「監視門が今も使われていれば」


「また多分か」


「古い板かもしれない。放棄されてるかもしれない。絶対に人がいるとは言えない」


「それでも、今までよりましだ」


 相良が言った。


 誰も否定しなかった。


 森へ来てから初めて、目的地の名前を手に入れた。


 人が作った道。日没を警戒する文章。帰る先として書かれた監視門。


 俺たちが助かる場所とは限らない。


 それでも、森の外へつながる可能性はあった。


     ◇


 監視門へ進む前に、今夜を越す場所を探した。


 巡回路から大きく外れず、木々の間を調べる。


 パクが斜面の上にある岩を指した。


 2枚の大岩が寄りかかり、下へ浅い空間を作っている。最初の岩場より狭く、入口も一つではない。横に細い隙間がある。


 ダニエルが岩壁を叩き、上部を見上げる。野上さんは倒れた木の位置と、枝を組めそうな場所を確認した。


「完璧ではない」


 野上さんが言う。


「だが、暗くなるまでに見つかる中ではましだ」


「17人入れる?」


 宮前さんが中を覗く。


「横になれるのは怪我人と子どもだけだな」


「一晩立ってても死にはしないよ」


「眠って倒れたら邪魔になる」


「言い方が本当に現場なんだよな」


 不満を言いながらも、宮前さんは入口へ運ぶ枝を拾った。


 全員で野営の準備を始める。


 入口を枝で狭める。隙間へ石を置く。火を外から見えにくい位置に作る。生肉を扱った布と、清潔な布を分ける。乾かした肉は火の近くへ吊るす。


 最初の夜に比べれば、何をすればいいかは少し分かっていた。


 だから安全だとは、誰も言わなかった。


 久保田さんが入口の横へ座り、紙を広げる。


 名前を一人ずつ読み上げた。


 17人。


 アミナの名前は呼ばれなかった。


 代わりに、紙の別の場所へ書かれている。


 死亡。


 赤い実。


 道の途中。


 石を積んだ場所。


 俺は標識があった方向を見る。木々に隠れ、もう板は見えない。


 それでも、刻まれていた矢印の向きは覚えている。


 北部第三監視門。


 明日、そこへ着けば、人に会えるかもしれない。人に会えば、助けてもらえるかもしれない。


 そう考えてから、白い空間の女を思い出した。


 人の姿をしているものが、こちらを助けるとは限らない。


 18人で最初の岩場を出た。


 二度目の夜を迎える場所へ着いたのは、17人だった。

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