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『サイコパスな幼なじみギャルが俺を好きすぎて、GPSを持たせようとしてくる。義妹も先輩も倫理観がバグっているので、俺の青春が毎日修羅場です』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第5話 放課後、ギャルと普通の寄り道をするはずだった

 その日の六時間目は、いつもより長かった。


 黒板に書かれる数式が、まるで眠気を育てる呪文みたいに見える。教室の窓からは午後の光が差し込んでいて、カーテンの端がゆるく揺れていた。どこかの席でシャーペンが机から落ちる音がして、先生が一瞬だけ話を止める。


 俺はノートに板書を写しながら、ちらっと斜め前の席を見た。


 天宮リカは、今日はやけに静かだった。


 いや、授業中に静かなのは普通だ。だがリカの場合、その普通が少し珍しい。普段なら先生に当てられた生徒が詰まった時に小声で答えを教えようとしたり、消しゴムを落とした女子にすぐ拾って渡したり、ノートの端に謎の落書きを増やしたりしている。


 今日のリカは、ちゃんと前を向いている。


 時々、ペン先が止まる。


 そして何かを考えているように、ノートの端を指でなぞる。


 俺は少しだけ気になった。


 昨日のことが、まだ引っかかっているのかもしれない。


 宮原さんの情報を把握していた件。


 俺と関わる相手を知ろうとするな、と言った件。


 リカは謝った。可愛い嫉妬の練習をするとか、相変わらず方向性が斜め上のことを言っていたが、それでも昨日の終わり方は悪くなかったと思う。


 ただ、リカはたぶん、まだ考えている。


 普通の心配。

 普通の距離感。

 普通の嫉妬。


 リカにとってその全部が、たぶん俺が思っているより難しい。


 チャイムが鳴った。


 六時間目が終わった瞬間、教室の空気が一気にほどける。椅子を引く音、ノートを閉じる音、誰かの「部活だるい」という声。翔太が後ろの席で背伸びをしながら大きなあくびをした。


「終わったー。数学、最後のほう完全に宇宙語だったわ」


「お前、最初から聞く気なかっただろ」


「聞く気はあった。理解する気が途中で帰宅した」


「帰宅が早いな」


「俺より先に帰りやがった」


 そんなくだらない会話をしていると、斜め前からリカが振り返った。


「悠真」


「ん?」


「今日、放課後空いてる?」


 俺は身構えた。


 リカは俺の反応を見て、すぐに頬をふくらませる。


「その顔やめて」


「どの顔だよ」


「また何かされると思ってる顔」


「思ってる」


「即答ひど」


「過去の実績がある」


「今日は普通。超普通」


 リカは胸を張った。


 その自信満々な顔が、逆に不安だった。


 リカが自分で「普通」と言う時ほど、たいてい普通から少し外れている。


 翔太が後ろから身を乗り出してくる。


「天宮さんの普通って、黒瀬基準で何点くらい?」


「今日は八十五点狙い」


「前回の自己評価システム、まだ続いてたのか」


「悠真が点数つけるから」


「俺のせいにするな」


「でも、分かりやすいし」


 リカは机の上の教科書を鞄にしまいながら、少しだけ目を逸らした。


「昨日、あたし、ちょっと怖かったじゃん」


「自覚はあるんだな」


「あるよ。あるから、今日は普通の寄り道をしたい」


「普通の寄り道」


「うん。コンビニとか、駅前のクレープ屋とか。何ならスーパーでアイス買って公園で食べるでもいい」


 意外だった。


 てっきり、また位置共有だの、健康管理だの、交友関係の境界線だの、そういう話を持ってくると思っていた。


 ただの寄り道。


 高校生らしい、普通の放課後。


「いいけど」


 俺が答えると、リカの顔がぱっと明るくなった。


「ほんと?」


「普通の寄り道なら」


「普通。めっちゃ普通。放課後に幼なじみとコンビニ寄って、アイス食べて、どうでもいい話して帰るやつ」


「そこまで説明されると台本っぽいな」


「予習した」


「何を?」


「普通の寄り道」


 俺は少し嫌な予感がした。


「リカ」


「ん?」


「その予習、どのレベルでやった?」


「……普通レベル」


「目を逸らすな」


「逸らしてないし」


「今、完全に逸らした」


 翔太がにやにやしながら言った。


「黒瀬、行ってこいよ。ここで断ったら天宮がたぶん夜に『普通の寄り道 失敗 原因』で検索するぞ」


「しそうだから嫌なんだよ」


「しないし」


 リカは少し間を置いた。


「……たぶん」


「今の間は何だ」


「検索候補に入れただけ」


「入れるな」


 翔太は腹を抱えて笑った。


「お前ら、放課後の寄り道一つでこんなに会話が発生するのすごいな」


「他人事だと思って」


「他人事だから面白いんだよ。まあ黒瀬、行ってやれって。天宮、今日はちゃんと聞いてから誘ってるじゃん」


 確かに。


 リカは今日、勝手に決めていない。


 放課後は一緒に帰る前提で動いてもいない。俺の予定を聞いた。誘った。返事を待っていた。


 普通なら当たり前のことかもしれない。


 でも、リカにとっては少し進歩なのだろう。


「分かった。行く」


「やった」


 リカは小さく拳を握った。


「じゃあ、十五分後に昇降口集合で」


「教室から一緒に行けばいいだろ」


「いや、待ち合わせの練習も兼ねてる」


「放課後の教室から昇降口までで?」


「小さい練習から始めたほうがいいかなって」


「リハビリみたいに言うな」


「普通リハビリ」


「新しい言葉を作るな」


 リカは楽しそうに笑った。


 その笑顔を見ると、まあいいかと思ってしまう。


 俺もだいぶ甘い。


     *


 十五分後。


 昇降口へ行くと、リカはもう待っていた。


 靴箱の横。窓から入る夕方の光が、リカの髪を金色に透かしている。鞄を肩に掛け、スマホを手に持って、しかし画面は見ていない。


 その姿を見て、俺は少し驚いた。


「早いな」


「うん」


「何分待った?」


「七分」


「それくらいなら普通だろ」


「普通なの?」


「ああ」


「そっか」


 リカは嬉しそうにした。


 それから、小さく付け加える。


「位置確認、しなかった」


「教室から昇降口だぞ」


「でも、悠真がどこ通ってくるか分かんなかったし」


「校内で迷子になると思われてるのか、俺は」


「そうじゃないけど。見えないと、ちょっと落ち着かない」


 リカはそう言ってから、すぐに慌てたように手を振った。


「あ、でも見に行ってない。階段のほうも覗いてないし、佐伯くんに聞いてもない。悠真が来るまで、ここで待ってた」


「……そうか」


「うん」


「えらい」


 俺が言うと、リカの表情が一瞬でほどけた。


「今の何点?」


「点数制から離れろ」


「でも知りたい」


「待ち合わせだけなら八十点」


「だけなら?」


「このあと次第」


「厳しい」


「採点されに来たのお前だろ」


 リカは笑いながら、靴を履き替えた。


 俺たちは校門を出て、駅前のほうへ歩き出した。


 四月の放課後は、まだ少し肌寒い。だが空は明るく、風はやわらかい。部活へ向かう生徒たちとすれ違いながら、俺とリカは並んで歩いた。


 距離は、昨日より少し遠い。


 たぶん、リカなりに気をつけている。


「リカ」


「ん?」


「そんなに離れなくてもいいぞ」


 リカは目を丸くした。


「え、いいの?」


「いや、今の距離だと逆に不自然だろ。知り合い未満みたいになってる」


「知り合い未満は嫌」


「だろ」


「じゃあ、これくらい?」


 リカは半歩近づいた。


「まあ」


「これくらい?」


 さらに半歩。


「ちょっと近い」


「難しい」


「今の間くらいだな」


「細かい」


「距離感の話をしてるからな」


 リカは俺の横で、足元をちらちら見ながら歩幅を合わせようとしている。


 まるで二人三脚の練習だ。


 その必死さがおかしくて、俺は少し笑ってしまった。


「何笑ってんの」


「いや、リカが真面目に普通をやろうとしてるの、変だなと思って」


「ひど。あたし、わりと真面目だよ?」


「知ってる」


「じゃあ褒めて」


「いま褒めた」


「変って言った」


「リカにとっては褒め言葉だろ」


「それはそうかも」


「納得するのか」


 リカは肩をすくめて笑った。


「普通のリカより、変なリカのほうが悠真の記憶に残りそうだし」


「記憶に残る方向性をもう少し選べ」


「じゃあ、可愛い変なリカ」


「自分で言うな」


「可愛くない?」


 リカが俺を覗き込んでくる。


 俺は視線を逸らした。


「答えにくいことを聞くな」


「答えにくいってことは、否定ではない」


「推理するな」


「今日の悠真、耳赤い」


「寒いからだ」


「四月の放課後って便利だね」


「何が」


「言い訳に使える」


「うるさい」


 リカは楽しそうだった。


 昨日の気まずさが、少しずつ薄れていくのを感じる。


 とはいえ、完全になくなったわけではない。


 俺の中にも、リカの中にも、昨日の会話は残っている。


 相手の交友関係をどこまで知っていいのか。

 好きな人を心配することと、相手の領域へ入り込むことの違い。


 それをリカは、たぶん今日の寄り道で取り戻そうとしている。


 普通の幼なじみとして。


 普通の放課後として。


 ……まあ、リカが普通の放課後を目指した時点で、すでに少し普通ではないのだが。


     *


 駅前の通りに出ると、学生向けの店がいくつか並んでいる。


 コンビニ、ファストフード店、クレープ屋、古本屋。平日の放課後らしく、制服姿の高校生がちらほらいた。


 リカはクレープ屋の前で足を止めた。


「クレープ」


「食べたいのか?」


「悠真は?」


「俺はどっちでも」


「その答え、困るやつ」


「そうか?」


「そう。どっちでもいいって言われると、あたしが決めていいのか、悠真が本当は興味ないのか分かんない」


「じゃあ、食べる」


「ほんと?」


「ああ。甘いやつなら」


「じゃあクレープ」


 リカは嬉しそうにメニューを見上げた。


 並んでいるのは、チョコバナナ、いちごクリーム、カスタード、ツナマヨ、照り焼きチキン。やけに種類が多い。


「悠真、何にする?」


「チョコバナナ」


「即答」


「定番が一番安全」


「安全で選んだんだ」


「クレープに冒険は求めてない」


「悠真らしい」


「リカは?」


「いちごクリーム」


「普通だな」


「今日は普通を目指してるので」


「いや、そこは普通でいい」


 リカは注文しようとして、ふと鞄からスマホを出した。


 俺は反射的に見た。


「何してる」


「え?」


「今、スマホ見た」


「メニュー決めただけだよ」


「なら何でスマホ」


 リカは一瞬だけ固まった。


 それから、ゆっくりスマホを背中に隠した。


「……写真撮ろうかなって」


「本当に?」


「本当」


「画面見せて」


「えー」


「リカ」


 リカは観念したようにスマホを差し出した。


 画面には、メモアプリが開かれていた。


 タイトル。


『普通の寄り道チェックリスト』


 俺は無言になった。


 リカは目を逸らす。


「……見る?」


「もうタイトルを見た」


「中身はそんなに変じゃない」


「その前置きがすでに不安だ」


 俺が画面をスクロールすると、箇条書きが並んでいた。


・相手の現在地を確認しない

・待ち合わせに遅れても三分までは我慢

・五分を超えたら心配してもいいが、位置共有を要求しない

・寄り道先は相手の希望も聞く

・食べ物を勝手に健康基準で選ばない

・周囲の女子を警戒しすぎない

・会話中に交友関係を尋問しない

・手を繋ぐ場合は同意を取る

・帰宅ルートを勝手に最適化しない

・緊急時の退避ルートは頭の中に留める


 俺は最後の項目で止まった。


「緊急時の退避ルート」


「頭の中に留めるって書いてあるじゃん。出してない」


「存在してる時点で怖い」


「駅前って人多いし、何かあったら困るし」


「何かって何だ」


「不審者とか、急な雨とか、悠真が具合悪くなるとか」


「最後だけ妙に現実的だな」


「大事」


「いや、確かに大事ではあるけど」


 リカは少し不安そうに俺を見た。


「怒った?」


「怒ってはない」


「引いた?」


「ちょっと」


「ちょっとかあ」


「でも、書いてある内容の半分くらいは努力してるんだなと思った」


「半分?」


「手を繋ぐ場合は同意を取る、とか」


「そこ?」


「普通、同意は大事だろ」


「じゃあ、取ればいい?」


「何を」


「手」


 リカが右手を少し出してきた。


 俺は一歩下がった。


「今じゃない」


「今じゃないんだ」


「クレープ屋の前だぞ」


「じゃあ別の場所なら?」


「そういう意味じゃない」


「難しい」


「わざとだろ」


「半分」


「半分残すな」


 リカは笑った。


 その笑い方がいつもの調子に戻っていたので、俺も少し気が抜けた。


「メモは消せとは言わないけど、頼むから俺の前で確認しながら動くな」


「なんで?」


「マニュアルで幼なじみされてる感じがする」


「あー……それは嫌?」


「嫌というか、変」


「変か」


「リカは変だけど、変の方向にも種類がある」


「哲学?」


「違う」


 リカはメモを閉じ、スマホを鞄にしまった。


「じゃあ、今からは見ない」


「できるのか?」


「できる。たぶん」


「たぶん」


「もし変なことしたら、悠真が言って」


「結局俺が採点係か」


「うん。悠真係」


「また謎の係が増えた」


 リカは店員さんに向き直り、明るい声で注文した。


「いちごクリーム一つと、チョコバナナ一つください」


「支払いは?」


 俺が財布を出そうとすると、リカが言った。


「あ、今日はあたし出す」


「なんで」


「誘ったのあたしだし」


「いや、そこまでしなくていい。自分の分は払う」


「でも」


「普通の寄り道だろ」


 リカは少し考えた。


「普通は割り勘?」


「人によるけど、高校生なら自分の分を払うのが普通じゃないか」


「なるほど」


 リカは素直に頷いた。


「じゃあ、自分の分」


「うん」


「でも、いつか奢る」


「予約しなくていい」


「悠真に何かしたい」


「気持ちは受け取った」


「現物は?」


「今日は自分のクレープを大事に食べろ」


「はーい」


 素直だ。


 素直すぎて少し怖い。


 いや、怖いというより、今日は本当にリカが普通を頑張っているのが分かる。


 クレープを受け取ると、俺たちは近くの小さな広場へ移動した。駅前の端にあるベンチは、放課後の高校生や買い物帰りの人でほどほどに埋まっている。


 リカはベンチに座る前に、一瞬だけ周囲を見た。


 俺は気づいた。


「退避ルート?」


「……見ただけ」


「今、非常階段の位置を確認しただろ」


「駅ビルだから、つい」


「ついで避難経路を確認する女子高生」


「安全意識高いギャル」


「ジャンルが狭すぎる」


 リカは笑いながら、ベンチに座った。


 俺も隣に座る。


 距離は、さっきより少し近い。


 でも、肩は触れていない。


 リカがちらっと俺を見る。


「これくらい?」


「何が」


「距離」


「……まあ、普通じゃないか」


「やった」


「毎回確認するのか」


「慣れるまでは」


「練習熱心だな」


「悠真相手だから」


 またさらっと言う。


 俺はクレープを食べるふりをして視線を逸らした。


「チョコついてる」


「え?」


「口の横」


 リカがそう言って、身を乗り出しかけた。


 そして途中で止まった。


 指が空中で止まっている。


「……取っていい?」


 俺は一瞬、何を聞かれているのか分からなかった。


 すぐに理解して、顔が熱くなる。


「いや、自分で取る」


「そっか」


「そういうのも確認するんだな」


「メモにないけど、たぶん大事かなって」


「大事だな」


「じゃあ、あたし成長してる?」


「してる」


「今の何点?」


「八十五点」


「やった。目標達成」


 リカは本当に嬉しそうに笑った。


 それだけのことで。


 俺はティッシュで口元を拭いた。


 リカは自分のクレープを一口食べる。いちごクリームが少し頬につきそうになって、慌てて舌で避けていた。


 その仕草が普通に可愛くて、俺は思わず目を逸らす。


 リカはすぐ気づいた。


「悠真、今見てた?」


「見てない」


「見てた」


「クレープを見てた」


「じゃあ、あたしのクレープ?」


「そうだ」


「あたしのクレープ見て照れたの?」


「そういう言い方をするな」


「じゃあ、あたし見て照れたんだ」


「話を追い詰めるな」


 リカは楽しそうに笑った。


「今日、普通の寄り道っぽいね」


「そうだな」


「ほんと?」


「ああ」


 リカは少しだけ静かになった。


 ベンチの前を、制服姿の女子二人が通り過ぎる。駅のほうから電車の到着を知らせる音が聞こえた。春の夕方の空気は、少し甘いクリームの匂いと混ざっていた。


 リカはクレープを両手で持ったまま、ぽつりと言った。


「昨日、ちょっと怖かったって言われたの、けっこう刺さった」


「……悪い」


「ううん。言ってくれたほうがいい」


「でも、言い方きつかったかも」


「きつかった。ちょっとだけ」


「やっぱり」


「でも、悠真が言わなかったら、あたし多分そのままだった」


 リカは自分のクレープを見つめていた。


「宮原さんのこと、ほんとに悪い子だと思ってたわけじゃないんだよ」


「分かってる」


「ただ、悠真が知らないところで誰かと仲良くなって、あたしが知らない悠真が増えるの、嫌だった」


「俺の知らないリカもあるだろ」


「あるよ」


「俺はそれを全部知ろうとはしない」


「うん」


 リカは少しだけ笑った。


「それが普通なんだよね」


「たぶん」


「でもさ、悠真が知らないあたしなら別にいいかなって思うのに、あたしが知らない悠真は嫌なんだよね」


「理不尽だな」


「うん。知ってる」


「知ってるなら直せ」


「努力はしてる」


「最近よく聞くな、それ」


「口癖になりそう」


「便利に使うなよ」


 リカは笑ったあと、少し真面目な声で言った。


「悠真は、あたしが知らないところで誰かと仲良くなっても、あたしの幼なじみでいてくれる?」


 その質問は、軽くなかった。


 クレープ屋の前でふざけていた時とは違う。


 リカは本当に、それを不安に思っている。


 俺は少し考えた。


「幼なじみって、そんな簡単に変わるものじゃないだろ」


「でも、立場って変わるじゃん」


「立場?」


「同じクラスの子とか、委員会の子とか、家が近い子とか、部活が一緒の子とか。今はあたしが一番悠真の近くにいるかもしれないけど、いつか違う子のほうが近くなるかもしれない」


「……」


「そういうの、考えると嫌」


 リカは俺を見た。


 目が少し揺れている。


「だから知りたくなる。悠真の周りに誰がいるのか。どんな子なのか。悠真がその子とどう話すのか。あたしが知らないうちに、あたしより近くならないか」


「リカ」


「分かってる。怖いよね」


 リカは先に言った。


 その声が少しだけ笑っていたから、余計に胸が痛んだ。


「でも、今は言っただけ。調べてない。宮原さんのことも、もう聞かない」


「ああ」


「だから、今のは可愛い嫉妬?」


 俺は少し困った。


 だが、今回はすぐに答えた。


「怖くはない」


「可愛い?」


「……まあ、寄り」


「可愛い寄り?」


「そう」


 リカは少しだけ笑った。


「やった」


「そんなに嬉しいか?」


「嬉しいよ。怖いより可愛いのほうがいい」


「まあ、そうだな」


「悠真に怖いって思われるの、嫌だし」


「いつも怖いわけじゃない」


「ほんと?」


「ほんと」


「じゃあ、今は?」


「今は普通」


「普通?」


 リカは目を輝かせた。


「今、あたし普通?」


「普通寄り」


「寄り」


「完全に普通ではない」


「そこは厳しい」


「でも、悪くない」


 リカはクレープを持ったまま、しばらく黙った。


 そして、小さな声で言う。


「悠真の悪くない、好き」


「俺の口癖みたいに言うな」


「だって、ちょうどいいんだもん。可愛いとか好きとか言われたらたぶん心臓止まるけど、悪くないなら生きてられる」


「俺は医療行為として褒めてるのか?」


「延命措置」


「重い」


「でも今日は可愛い寄りでしょ?」


「調子に乗ると減点するぞ」


「採点厳しい」


 リカは笑った。


 俺も少し笑った。


 普通の寄り道。


 クレープを食べて、くだらない話をして、少し真面目な話をする。


 それは、俺が思っていたより悪くなかった。


     *


 クレープを食べ終えたあと、リカはコンビニにも寄りたいと言った。


「まだ食べるのか?」


「違う。明日の朝、悠真が食べるもの買う」


「俺の朝飯を買うな」


「じゃあ見守る」


「買い物の見守りって何だよ」


「栄養バランスを心の中で祈る」


「祈るだけならいい」


「口には出さない」


「今出してる」


「あ」


 リカは口を押さえた。


 コンビニに入ると、冷房の空気が少し肌に触れた。放課後の学生が何人かいて、飲み物の棚の前で迷っている。


 俺はパンの棚へ向かった。


 リカは少し離れたところからついてくる。


 見ている。


 めちゃくちゃ見ている。


「リカ」


「喋ってない」


「視線が喋ってる」


「メロンパン見てるだけ」


「俺の手元だろ」


「メロンパンを取る悠真の手元」


「ほぼ自白だな」


 俺はあんパンを手に取った。


 リカの眉がほんの少し動く。


「何か言いたそうだな」


「言わない」


「言っていいぞ」


「本当?」


「あまりにも我慢されると逆に気になる」


 リカは一歩近づいて、小声で言った。


「それだけだと、朝ちょっと足りないかも」


「まあ、そうかもな」


「牛乳かヨーグルトも買ったほうがいい」


「なるほど」


「あと、できれば卵系」


「購買部のおばちゃんみたいになってる」


「言わないって決めてたのに」


「言ってるけど、まあこれは普通の範囲だろ」


「ほんと?」


「押しつけなければ」


「じゃあ、提案」


「提案ならいい」


 リカは嬉しそうに頷いた。


「悠真、明日の朝、ちゃんと食べて」


「分かった」


「ほんと?」


「本当」


「写真送って」


「それは違う」


「違うか」


「違う」


「じゃあ、食べたって一言」


「考えておく」


「善処?」


「善処」


「政治家」


「うるさい」


 結局、俺はあんパンと飲むヨーグルトを買った。


 リカは満足そうだった。


「点数は?」


「何の」


「朝ごはん予定」


「俺が採点される側なのか?」


「うん。七十点」


「低いな」


「卵がない」


「厳しい」


「でもヨーグルト買ったから加点」


「お前、本当に栄養管理したいんだな」


「したい」


「即答するな」


「でも、勝手にはしない。提案にする」


「……ならいい」


 そう言うと、リカは本当に嬉しそうにした。


 コンビニを出ると、もう空はだいぶ夕方の色になっていた。駅前の人通りも少し増えている。


 俺たちは並んで歩き出す。


 途中、リカがふとスマホを取り出しかけて、すぐにしまった。


「どうした?」


「何でもない」


「またメモ?」


「違う」


「じゃあ何」


「……今日のルート、記録したくなった」


「何のために」


「楽しかったから」


 予想外の答えだった。


 リカは少し照れたように笑った。


「位置情報じゃなくて、思い出として」


「……写真くらいなら撮ればいいだろ」


「え、いいの?」


「風景なら」


「悠真は?」


「俺は撮らない」


「じゃあ、影」


「影?」


「二人の影ならセーフ?」


 リカが足元を指さした。


 夕方の光で、俺たちの影が歩道に長く伸びている。微妙な距離で並んだ二つの影。


 俺は少し考えて、頷いた。


「まあ、それなら」


「やった」


 リカはスマホを取り出し、足元の影を撮った。


 カシャ、という音。


 リカは画面を確認して、小さく笑う。


「普通の寄り道っぽい」


「影だけで?」


「うん。位置共有より、こっちのほうがいいかも」


 俺はリカを見た。


 リカは写真を見つめている。


 その顔は、いつもより少し穏やかだった。


「悠真」


「ん?」


「今日は、何点?」


 結局、そこに戻るのか。


 俺は少し考えた。


 チェックリスト。

 退避ルート。

 クレープ。

 可愛い嫉妬。

 コンビニでの栄養提案。

 影の写真。


 普通ではない。


 でも、悪くなかった。


「八十八点」


 リカが目を丸くした。


「高い」


「今日はかなり普通寄りだった」


「普通寄り」


「それに、確認しただろ。いろいろ」


 リカは少し照れたように目を逸らした。


「うん」


「だから八十八点」


「あと十二点は?」


「緊急時の退避ルート」


「まだ引っ張る?」


「引っ張る」


「じゃあ次は頭の中でもあんまり考えないようにする」


「いや、安全確認くらいはいいけど」


「いいの?」


「程度による」


「程度」


「駅ビルで非常口を見るくらいは普通。俺が転んだ時の搬送ルートまで考え始めたらアウト」


「……ぎりぎり考えてない」


「今の間」


「考えてないってば」


「十点減点」


「今の点数から?」


「いや、次回への警告」


「採点制度が本格的になってきた」


 リカは笑った。


 俺も笑った。


 駅へ向かう分かれ道で、俺たちは足を止めた。


 ここから先は、リカと俺の帰り道が少しだけ分かれる。


「じゃあ、また明日」


 俺が言うと、リカはなぜか少しだけ黙った。


「リカ?」


「あ、うん。また明日」


「どうした」


「普通の寄り道って、終わるの早いなって思った」


「まあ、寄り道だからな」


「そっか」


 リカは少し寂しそうに笑った。


「悠真、帰ったら一言」


「分かってる」


「位置共有は?」


「しない」


「うん。言ってみただけ」


「言うな」


「でも、前より我慢できてるでしょ?」


「できてる」


「じゃあ、八十九点?」


「上げようとするな」


「惜しい」


 リカは笑って、手を振った。


 俺も軽く手を上げる。


 リカは何度か振り返りながら、自分の帰り道へ歩いていった。


 その背中を見ながら、俺は思う。


 今日は普通の寄り道だった。


 たぶん。


 少なくとも、リカなりには。


 普通の寄り道をするためにチェックリストを作って、緊急退避ルートを頭に入れて、手を繋ぐ時は同意を取るとメモしている幼なじみギャル。


 普通からはかなり遠い。


 でも、俺の嫌がることをしないように、必死で普通に近づこうとしていた。


 その姿が、やっぱり少し可愛かった。


     *


 家に帰って、俺はリカにメッセージを送った。


『帰った』


 すぐに既読。


『おかえり』


『今日は楽しかった』


 俺は少し迷ってから、返信した。


『俺も』


 送ってから、心臓が少し変な動きをした。


 短い二文字なのに、妙に恥ずかしい。


 リカからの返信は、しばらく来なかった。


 珍しい。


 数分後、ようやく届いた。


『スクショした』


 俺は頭を抱えた。


『するな』


『無理』


『消せ』


『家宝にする』


『重い』


『可愛い寄り?』


 俺は少し笑った。


 考えてから返信する。


『今日は可愛い寄り』


 今度は、即既読。


『やった』


 それだけだった。


 その短い返信が、なぜか一番リカらしかった。


 俺はスマホを机に置く。


 今日は、本当に普通に近かった。


 でも、普通に近づいたぶん、少しだけ気づいてしまった。


 リカと過ごす放課後は、面倒で、騒がしくて、たまに心臓に悪い。


 けれど、嫌ではない。


 むしろ、楽しかった。


 その事実に、俺は一人で少し困る。


 明日、リカはきっとまた曲がり角で待っている。


 そして今日の点数を聞いてくる。


 俺はきっと呆れながら答える。


 八十八点。


 するとリカは、九十点を目指すと言うのだろう。


 その九十点がどんな方向に暴走するのかは、分からない。


 分からないが。


 まあ、今日くらいなら。


 悪くない。


 


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