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『サイコパスな幼なじみギャルが俺を好きすぎて、GPSを持たせようとしてくる。義妹も先輩も倫理観がバグっているので、俺の青春が毎日修羅場です』  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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16/20

第16話 サイコパスな幼なじみギャルは、まだ隣にいる

顔合わせ当日の朝、リカはいつもの曲がり角にいた。


 そこまでは、いつも通りだった。


 けれど、今日は立ち方が違った。


 普段のリカは、俺を待っている時でもどこか軽い。片手でスマホを触っていたり、花壇の花を眺めていたり、通りすがりの小学生に挨拶していたりする。


 今日は違う。


 背筋を伸ばして、両手で鞄の紐を握っている。


 まるで、これから面接でも受けるみたいだった。


「おはよう、悠真」


「おはよう」


 リカは笑った。


 だが、その笑顔は少し硬い。


「顔色、普通よりちょっと緊張寄り」


「緊張寄りって何だ」


「いつもより目の動きが少ない。あと、口数が少なそうな顔してる」


「まだ一言しか喋ってないだろ」


「一言目で分かることもある」


「怖い才能だな」


「今日は怖いじゃなくて、観察」


「境界線が細い」


 リカは少しだけ笑った。


 笑ったが、すぐに視線を落とした。


「今日だよね」


「ああ」


「顔合わせ」


「ああ」


「美緒さんと会う」


「……ああ」


 俺が頷くたびに、リカの手に少し力が入る。


 分かりやすすぎる。


「リカ」


「ん?」


「今日は学校休みだぞ」


「知ってる」


「なのに制服なんだな」


 リカは自分の服を見下ろした。


 たしかに、今日は土曜日だ。


 俺も私服で出ている。昼から父さんと駅前の店へ行く予定なので、さすがにいつものパーカーではなく、少しだけまともなシャツを着てきた。


 一方、リカは制服だった。


 ただし、平日より少し整えている。リボンもいつもよりきちんとしているし、スカートの丈も校則通りに近い。髪もゆるくまとめていて、普段のギャル感が少しだけ抑えられている。


「今日は、ちゃんとしてるリカで来た」


「どこに」


「いつもの曲がり角に」


「そこは別にちゃんとしてなくてもいいだろ」


「でも、今日は大事な日だから」


 リカは真面目に言った。


「悠真が新しい家族候補に会う日」


「家族候補って言い方、面接みたいだな」


「面接じゃん」


「違う」


「違わないよ。悠真が美緒さんを見るし、美緒さんも悠真を見る。悠真のお父さんも紗枝さんも、お互いを見る。家族になれるかどうかの顔合わせ。ほぼ面接」


「重くするな」


「ごめん。もう重い」


 リカは自分で言って、苦笑した。


「でも、今日は勝手に調べてない。家にも行かない。駅にも行かない。美緒さんのSNSも探してない。名前で検索もしてない」


「最後は少し考えたな」


「考えた。でもしてない」


「偉い」


「今日の偉いは、かなり頑張った偉い」


「分かってる」


 俺がそう言うと、リカは少しだけ安心した顔をした。


 それから、俺の服を見た。


「悠真、今日ちゃんとしてる」


「一応、顔合わせだからな」


「似合ってる」


「急に言うな」


「だって似合ってるし」


「……どうも」


「照れた?」


「照れてない」


「今日、耳が見えないから判定しにくい」


「判定するな」


 リカは少し笑った。


 その笑顔で、ようやくいつものリカが少し戻ってきた。


 俺たちは並んで歩き出した。


 今日は学校へ向かうわけではない。


 近くのコンビニまで、少しだけ一緒に歩く約束をしていた。


 俺の顔合わせは午後一時。


 リカとは朝に少しだけ会う。


 それが、昨夜の電話で決めたことだった。


 リカは「家の前で待たない」「駅前で見張らない」「位置共有を要求しない」という三つの約束をした。


 その代わり、朝だけ会って話す。


 リカにとっては、不安を暴走させないための折衷案らしい。


 俺にとっても、正直ありがたかった。


 顔合わせ前にリカと少し話せるのは、思ったより落ち着く。


「悠真」


「うん」


「今日、終わったら連絡して」


「分かってる」


「すぐじゃなくていい」


「それも聞いた」


「落ち着いてからでいい」


「うん」


「でも、今日中には」


「分かってる」


「美緒さんが何て呼んだかも」


「それは必須なのか」


「必須」


「分かった」


「あと、悠真がどう思ったか」


「ああ」


「美緒さんが可愛かったかどうかは……聞きたいけど、最初は聞かない」


「偉い」


「聞いたら怖い寄り?」


「かなり」


「じゃあ、聞かない。悠真が言いたくなったら言って」


「たぶん言わない」


「それはそれで不安」


「どうしろと」


 リカは少しだけ困ったように笑った。


 コンビニの前まで来る。


 まだ朝早い時間帯なので、人はそれほど多くない。店内から揚げ物の匂いが少し漏れてくる。


 リカは立ち止まった。


「ここまで」


「ああ」


「今日はこれ以上ついていかない」


「家まで来たら逆に怖い」


「行きたいけど行かない」


「よし」


「駅にも行かない」


「よし」


「お店の前にも行かない」


「かなり偉い」


「美緒さんの顔を遠くから確認したいけど行かない」


「本音が漏れてる」


「漏らして止める作戦」


 リカは胸に手を当てて、深呼吸した。


「よし。言った。止める」


「頑張れ」


「悠真も」


「ああ」


「緊張してる?」


「してる」


「何点くらい?」


「何の点数だよ」


「緊張点」


「八十点くらい」


「高い」


「高いな」


「じゃあ、あたしが少し下げる」


「どうやって」


 リカは少し考えた。


 それから、真面目な顔で言った。


「悠真は、ちゃんと悠真でいれば大丈夫」


「急にまともなことを言うな」


「まともなリカもいる」


「珍しい」


「減点するよ」


「俺が?」


「うん。今の失礼」


「悪かった」


 リカは笑った。


 その笑顔は、朝の硬さが少し抜けていた。


「美緒さんがどんな子でも、悠真は悠真でいいと思う。無理にお兄ちゃんっぽくしなくていいし、いい人ぶりすぎなくてもいいし、全部受け入れた顔しなくてもいい」


「……」


「戸惑ってるなら、戸惑ってるでいいんじゃないかな。だって、急に新しい家族候補が来るんだもん。悠真が完璧に受け止めてたら、逆に心配」


「リカ」


「ん?」


「今日、本当にまともだな」


「でしょ?」


「助かる」


 そう言うと、リカは一瞬だけ止まった。


「助かる?」


「ああ」


「……そっか」


 リカは少しだけ目を伏せた。


「今日、あたし、役に立ってる?」


「立ってる」


「九十点?」


「朝だけなら九十三点」


 リカが息を呑んだ。


「高い」


「かなりちゃんと聞いて、かなりちゃんと止まってる」


「じゃあ、このまま維持する」


「無理するなよ」


「無理はする。でも暴走はしない」


「無理もほどほどに」


「はい」


 リカは笑って、俺を見た。


「じゃあ、行ってらっしゃい」


「まだ昼まで時間あるけどな」


「でも、言いたかった」


「そうか」


「行ってらっしゃい、悠真」


 その言葉が、妙に胸に残った。


 家族じゃないリカが言う「行ってらっしゃい」。


 昨日までリカが気にしていた、家族には言えて幼なじみには言いにくい言葉。


 でも、今は不思議と自然だった。


「行ってくる」


 俺がそう返すと、リカは目を丸くした。


 それから、顔を赤くして笑った。


「今の、保存した」


「心に?」


「うん。心に。スマホにはしない」


「偉い」


「今日、絶対暴走しない。今ので少し耐えられる」


「俺の返事にそんな効果があるのか」


「ある。すごくある」


 リカは小さく手を振った。


 俺も手を上げる。


 今日は、リカは一度しか振り返らなかった。


 その一度で、俺がまだ見ているのを確認して、安心したように笑った。


     *


 午後一時。


 駅前の和食店の個室で、俺は父さんの隣に座っていた。


 店は落ち着いた雰囲気だった。木目調の壁に、柔らかい照明。窓の外には駅前の通りが見えるが、個室の中は妙に静かだった。


 父さんは、俺より緊張していた。


 背筋を伸ばし、メニューを何度も見ている。もう注文は決まっているのに、文字を追っていない目でページを眺めていた。


「父さん」


「何だ」


「緊張しすぎ」


「していない」


「いや、してる」


「……している」


「正直でよろしい」


「お前に言われるとは思わなかった」


 そんな話をしていると、個室の引き戸の向こうで店員の声がした。


「お連れ様がお見えです」


 父さんの表情が変わった。


 俺の背筋も、自然に伸びる。


 引き戸が開いた。


 最初に入ってきたのは、紗枝さんだった。


 写真で見たよりも、少し柔らかい印象の人だった。落ち着いたベージュの服を着ていて、髪は肩のあたりでまとめている。目元が穏やかで、父さんを見ると少し緊張したように微笑んだ。


「お待たせしました」


「いえ、こちらこそ」


 父さんが立ち上がる。


 俺も慌てて立った。


 その後ろに、一人の女の子がいた。


 美緒さん。


 そう思った瞬間、妙に現実感があった。


 写真を見ていなかったせいか、想像していた姿よりもずっと普通だった。


 いや、可愛くないという意味ではない。


 むしろ、整った顔立ちをしている。黒髪は肩より少し下まであり、癖のないまっすぐな髪だった。服装は白いブラウスに紺色のカーディガン。スカートも落ち着いた色で、全体的に清楚という言葉が似合う。


 リカが見たら、たぶん「強い」と言う。


 俺は内心でそう思ってしまい、少しだけ困った。


 美緒さんは俺と目が合うと、丁寧に頭を下げた。


「三枝美緒です。今日はよろしくお願いします」


 声は静かだった。


 礼儀正しい。


 父さんの言っていた通りだ。


「黒瀬悠真です。よろしくお願いします」


 俺も頭を下げる。


 その瞬間、美緒さんはほんの少しだけ俺を見た。


 観察するような目だった。


 リカのように露骨ではない。


 でも、見ている。


 俺の服装。姿勢。声。父さんとの距離。


 そういうものを、一瞬で確認された気がした。


 気のせいかもしれない。


 でも、なぜかそう思った。


 全員が席に着く。


 父さんと紗枝さんが、まず簡単に挨拶を交わした。


 大人同士の会話は、驚くほど丁寧だった。天気の話。店までの道の話。仕事の話を少し。それから、俺と美緒さんの学校生活の話。


「悠真くんは、高校二年生でしたね」


 紗枝さんが俺に言った。


「はい」


「部活は?」


「今は特に入っていません。委員会くらいで」


「図書委員だったか?」


 父さんが横から言う。


「ああ、うん」


「本が好きなの?」


 紗枝さんの声は柔らかかった。


「読むのは嫌いじゃないです。でも、委員会は成り行きで」


 俺がそう答えると、紗枝さんは笑った。


「成り行きで続けられるのも、ちゃんとしている証拠だと思います」


「いえ、そんな」


 少し褒められて、俺は反応に困った。


 その時、美緒さんが静かに口を開いた。


「黒瀬さんは、断るのが苦手な方ですか」


 いきなりだった。


 紗枝さんが「美緒」と少し慌てた声を出す。


 美緒さんは、表情を変えずにこちらを見る。


「あ、すみません。成り行きで委員会をしていると聞いたので、少し気になって」


 俺は一瞬、返事に迷った。


 断るのが苦手。


 リカにも、翔太にも言われたことがある。


 美緒さんは、今の短いやり取りだけでそこを突いてきたのか。


「……得意ではないかもしれません」


 正直に答えると、美緒さんは小さく頷いた。


「そうですか」


「美緒」


 紗枝さんが少し困ったように言う。


「初対面でそういう聞き方は失礼よ」


「ごめんなさい」


 美緒さんはすぐに頭を下げた。


 だが、その謝罪の仕方も妙に整っていた。


「黒瀬さん、すみません。嫌な意味ではありません」


「いえ、大丈夫です」


 大丈夫。


 そう答えてから、俺は少しだけ自分で苦笑しそうになった。


 リカに聞かれたら、「本当の大丈夫?」と確認されるやつだ。


 美緒さんは、俺のその小さな変化にも気づいたようだった。


「今、少し困りましたか」


「え?」


「大丈夫です、と言う前に少し間があったので」


 紗枝さんが今度こそ焦った顔になった。


「美緒」


「すみません。もう黙ります」


 美緒さんは本当に口を閉じた。


 俺は、何とも言えない気持ちになった。


 この子は、静かだ。


 礼儀正しい。


 でも、かなり見ている。


 リカの観察が感情で突っ込んでくるものだとしたら、美緒さんの観察はもっと冷静だった。


 相手の反応を見て、言葉を選んでいる。


 いや、選んでいるはずなのに、たまに鋭すぎる。


 これはこれで、少し怖い。


 ただ、不快ではなかった。


 むしろ、自分の母親を心配しているのかもしれないと思った。


 父さんが再婚相手にふさわしいか。


 その息子である俺が、どんな人間か。


 美緒さんは、それを確認しているのだろう。


 食事が運ばれてきた。


 会話は少しずつ柔らかくなった。


 父さんと紗枝さんは、互いの仕事の話や、今後の暮らし方について、当たり障りのない範囲で話した。俺と美緒さんは、その合間にぽつぽつと会話をした。


「黒瀬さんは、妹ができることについて、どう思っていますか」


 また直球だった。


 俺は箸を止めた。


「美緒」


 紗枝さんが再び止めようとする。


 美緒さんは母親を見る。


「お母さん。そこは大事だと思う」


 その言い方は、静かだがはっきりしていた。


 紗枝さんは少しだけ黙った。


 父さんも俺を見る。


 逃げ場がない。


 俺は少し考えてから答えた。


「戸惑っています」


 美緒さんは、じっと俺を見た。


「嫌ではなく?」


「嫌ではないです。でも、急に妹ができると言われても、どう接していいか分からない」


「それは私も同じです」


 美緒さんはすぐに言った。


「急に兄ができると言われても、よく分かりません」


「……そうですよね」


「はい」


 そこで初めて、美緒さんの表情が少しだけ緩んだ。


「なので、無理に兄妹らしくしようとしなくていいと思っています」


「俺も、そのほうが助かります」


「では、しばらくは黒瀬さんで」


 俺は少しだけ安心した。


 兄さんではなかった。


 リカに報告しなければならない。


 そう思った自分に、少し笑いそうになった。


 美緒さんはそれに気づいたらしい。


「何か安心しましたか?」


「いえ、その……」


「呼び方ですか」


「え」


「兄さんと呼ばれたら困る顔をしていたので」


 俺は固まった。


 父さんが小さく咳き込んだ。


 紗枝さんが目を丸くする。


 美緒さんは、静かに言った。


「呼びません。少なくとも、今は」


「助かります」


 俺が思わずそう言うと、美緒さんはほんの少し笑った。


 かなり小さな笑みだった。


「私も、急に妹扱いされるのは困ります」


「それはしません」


「なら、よかったです」


 その会話で、少しだけ空気が緩んだ。


 紗枝さんも安心したように笑った。


「美緒は、少し言い方がまっすぐすぎるところがあるんです」


「お母さんも、人に気を使いすぎるところがあります」


「美緒」


「本当のことです」


 美緒さんは淡々と言った。


 そのやり取りに、俺は少しだけ親子らしさを感じた。


 美緒さんは母親が好きなのだろう。


 好きというより、守ろうとしているようにも見える。


 紗枝さんが気を使いすぎないか。

 父さんに無理をしていないか。

 俺たちが、母親を困らせる相手ではないか。


 それをずっと見ている。


 リカとは違う形の、近すぎる心配。


 俺の周りには、どうしてこういう女子ばかり集まるのだろう。


 いや、まだ集まってはいない。


 美緒さんはただ、義妹候補として目の前にいるだけだ。


 でも、何かが始まりそうな気配はした。


     *


 食事のあと、予定通りうちに少し寄ることになった。


 父さんは明らかに緊張していたが、紗枝さんは「ご無理のない範囲で」と言い、美緒さんも静かに頷いた。


 家に着くと、玄関の新しいスリッパが役に立った。


 水色のスリッパは、美緒さんが履いた。


 リカが聞いたら、「やっぱり水色が美緒さん用だった」と言いそうだ。


 リビングに案内すると、紗枝さんは丁寧に頭を下げた。


「お邪魔します」


 美緒さんも続いた。


「お邪魔します」


 俺の家に、知らない母娘がいる。


 それだけで、見慣れたリビングが少し違って見えた。


 父さんがぎこちなくお茶を出す。


 来客用の新しいコップ。


 美緒さんはそれを両手で受け取り、小さく礼を言った。


「ありがとうございます」


 リカが言っていた。


 家に来るは強い。


 その意味が、少し分かった。


 水色のスリッパ。

 来客用のコップ。

 リビングに座る美緒さん。

 紗枝さんと父さんが並んで話している光景。


 それは確かに、俺の生活に新しいものが入ってくる瞬間だった。


 美緒さんはリビングを見回した。


 じろじろ見るわけではない。


 でも、やはり見ている。


「落ち着いた家ですね」


「そうかな」


 俺が答えると、美緒さんは頷いた。


「物が少ないです」


「片づけたから」


「普段はもう少し散らかっていますか」


「美緒」


 紗枝さんがまた止める。


 美緒さんは頭を下げた。


「すみません。聞き方が直接的でした」


「いや、合ってます。普段はもう少し散らかってます」


「そうですか」


 美緒さんは少しだけ笑った。


「少し安心しました」


「安心?」


「今日のために整えた場所だけを見ると、生活が想像しにくいので」


 その言葉に、俺は少し驚いた。


 美緒さんも、見えない生活を想像しようとしている。


 リカと似ているようで、違う。


 リカは不安から想像する。


 美緒さんは確認のために想像する。


 そんな感じがした。


 しばらく話したあと、紗枝さんと美緒さんは帰ることになった。


 玄関で、父さんと紗枝さんが次の予定について少し話す。


 美緒さんは靴を履きながら、俺を見た。


「黒瀬さん」


「はい」


「今日はありがとうございました」


「こちらこそ」


「急に兄妹らしくする必要はないと思っています」


「はい」


「ただ」


 美緒さんは少しだけ声を低くした。


「お母さんは、無理をすると笑ってごまかす人です」


「……はい」


「黒瀬さんのお父さんが悪い方ではないのは、今日少し分かりました。でも、まだ全部は分かりません」


「それは、俺も同じです」


 俺がそう言うと、美緒さんは一瞬だけ目を細めた。


 それから、小さく頷いた。


「正直で助かります」


「俺も、まだ全部分かりません。でも、父さんが紗枝さんを大事に思っているのは分かります」


「そうですか」


「はい」


 美緒さんは、少しだけ表情を緩めた。


「なら、今日のところは少し安心します」


「今日のところは」


「はい。まだ観察期間です」


 観察期間。


 リカが聞いたら、絶対に反応する言葉だった。


「お母さんを大事にしてくれる家かどうか、私は見ます」


 美緒さんは、静かに言った。


 その声には、冷たさはなかった。


 ただ、真剣だった。


「分かりました」


 俺が答えると、美緒さんは丁寧に頭を下げた。


「では、また」


「また」


 兄さんではなかった。


 黒瀬さん。


 そして、観察期間。


 玄関のドアが閉まると、家の中が急に静かになった。


 父さんが長く息を吐いた。


「緊張した」


「父さん、何回か箸の持ち方おかしかった」


「見ていたのか」


「見えるだろ」


「お前はどうだった?」


「緊張した」


「美緒さんは?」


 父さんが聞いた。


 俺は少し考えた。


「かなり見てる人」


「そうか」


「でも、悪い子じゃなさそう」


「そうか」


「紗枝さんのこと、大事なんだと思う」


 父さんは、静かに頷いた。


「そうだな」


 その顔は、少し安心しているようだった。


 俺はスマホを取り出した。


 リカに連絡しなければいけない。


     *


 部屋に戻って、俺はベッドに座った。


 リカからのメッセージは、まだ来ていなかった。


 待っている。


 そう思った。


 リカは、ちゃんと待っている。


 俺はメッセージを送った。


『終わった』


 既読は一瞬だった。


 本当に一瞬だった。


 しかし返信は、すぐには来なかった。


 たぶん、深呼吸している。


 そう思ったら、少し笑ってしまった。


 やがて、返信が来た。


『お疲れさま』


 意外なくらい普通だった。


『ありがとう』


『聞いていい?』


『いい』


『悠真、大丈夫?』


 最初にそれを聞くのか。


 俺は画面を見ながら、少し胸が柔らかくなった。


『大丈夫。緊張したけど』


『そっか』


『美緒さんは?』


 やっぱり来た。


 俺は少し考えてから打つ。


『礼儀正しかった。静かだけど、かなり人を見てる』


『見てる』


『うん。観察するタイプ』


『あたしとどっちが?』


『種類が違う』


『どう違う?』


『リカは感情で見る。美緒さんは確認するために見る感じ』


 しばらく返信が止まった。


 そして。


『強い』


 やっぱり来た。


『強い言うと思った』


『だって強い。静かに観察する清楚系義妹候補』


『肩書きを盛るな』


『清楚系だった?』


 俺は迷った。


 言わないほうがいいかもしれない。


 でも、嘘をつくのも違う。


『見た目は落ち着いてた』


『清楚系?』


『たぶん』


 既読。


 長い沈黙。


 俺は慌てて送る。


『でも、まだよく分からない』


 返信。


『分かってる』


 次。


『兄さんって呼んだ?』


『呼んでない』


 既読。


『本当に?』


『黒瀬さんだった』


 少し間。


『よかった』


 素直すぎる。


 俺は笑ってしまった。


『そこは報告必須だったからな』


『助かる』


『美緒さんも、急に妹扱いされるのは困るって言ってた』


『まとも』


『まともだった』


『強い』


『またか』


 リカから、しばらく返信が来なかった。


 少しして、長めのメッセージが届いた。


『悠真がどう思ったか聞いていい?』


 俺は指を止めた。


 美緒さんをどう思ったか。


 礼儀正しい。

 静か。

 観察するタイプ。

 母親を大事にしている。

 少し怖い。

 でも、悪い子ではなさそう。


 俺はそのまま打った。


『悪い子じゃなさそう。かなり見てくるから少し怖い。でも、紗枝さんのことを大事にしてるんだと思う』


 既読。


 返信は少し遅れた。


『そっか』


 また、短い。


 でも次の文は、以前より少し違った。


『美緒さんも不安なんだね』


 俺は、画面を見つめた。


 リカが美緒さん側の不安に触れた。


 これは、かなり大きい気がした。


『たぶん』


『お母さんを守りたいのかな』


『たぶん』


『それは、ちょっと分かる』


 俺は少し驚いた。


『分かるのか』


『分かるよ。大事な人が知らない場所に入っていくの、不安だもん』


 リカらしい。


 美緒さんの母親への気持ちを、自分の俺への気持ちに重ねて理解したのだろう。


 それでも、理解しようとしている。


『リカ』


『なに?』


『今日、ちゃんと待てたな』


 既読。


 かなり間が空いた。


『待てた』


『家の前にも来なかった』


『行きたかったけど行かなかった』


『駅にも?』


『行ってない』


『検索は?』


『してない』


『位置共有は?』


『言ってない』


『偉い』


 返信が遅れた。


『泣きそう』


『またか』


『今日は本当に泣きそう』


 俺は少し考えた。


『今日のリカは九十五点』


 送信。


 既読。


 沈黙。


 一分。


 二分。


 リカから電話が来た。


 俺は驚きながら出る。


「もしもし」


『九十五点って言った?』


「言った」


『ほんと?』


「本当」


『今までで一番?』


「たぶん」


『なんで?』


「ちゃんと待った。調べなかった。最初に俺のことを聞いた。美緒さんの不安も考えた」


 電話の向こうで、リカが息を呑む音がした。


『悠真』


「うん」


『あたし、今日、めちゃくちゃ不安だった』


「知ってる」


『家の前行きたかった。駅行きたかった。美緒さんの顔だけでも見たかった。名前で検索したかった。何なら、お店の近くで偶然を装う方法を三つくらい考えた』


「多いな」


『でも、しなかった』


「偉い」


『悠真に、待つって言ったから』


「ああ」


『あと、行ってらっしゃいって言えたから』


 朝のことを思い出す。


 リカが言った「行ってらっしゃい」。


 俺が返した「行ってくる」。


『あれで、ちょっと待てた』


「そうか」


『家族じゃなくても、あたしも言っていいんだって思えた』


 俺は返事に詰まった。


 リカは続けた。


『だから待てた。悠真が帰ってくる場所は家だけど、あたしも待ってていいのかなって』


「リカ」


『重い?』


「重い」


『うん』


「でも、今日のは悪くない」


『ほんと?』


「ああ」


『可愛い寄り?』


「今日は、かなり可愛い寄り」


 電話の向こうで、リカが変な声を出した。


『むり』


「何が」


『今日、九十五点で、可愛い寄りで、行ってらっしゃいも言えて、悠真が帰ってきた』


「帰ってきたというか、連絡しただけだけどな」


『でも、戻ってきた』


「……まあ」


『悠真』


「うん」


『あたし、まだ隣にいていい?』


 その質問は、もう何度も聞かれている。


 でも、今日のそれは少し違った。


 美緒さんに会ったあと。


 新しい家族候補が現実になったあと。


 リカが、家の外でちゃんと待ったあと。


 その上で聞いている。


 俺は、少しだけ息を吐いた。


「条件つきでな」


 電話の向こうで、リカが小さく笑った。


『聞く。止まる。悠真のためって言う前に悠真に聞く。怖くなりそうなら一回止まる』


「あと、家の前で偶然を装わない」


『追加条件』


「追加条件」


『分かった。守る』


「なら、隣にいていい」


『うん』


 リカの声が、少し震えていた。


『悠真』


「何だ」


『明日も、いつもの場所にいていい?』


「いい」


『制服で?』


「普通にしてこい」


『普通寄りのリカ?』


「普通寄りのリカ」


『美緒さんのこと聞いていい?』


「ほどほどに」


『ほどほどに聞く』


「位置共有は?」


『言わない』


「検索は?」


『しない』


「家の前は?」


『行かない』


「よし」


『先生みたい』


「問題児だからな」


『九十五点の問題児』


「今日はな」


 リカは笑った。


 いつものリカの笑い方だった。


 少し騒がしくて、少し重くて、でも聞いていると落ち着く声。


     *


 電話を切ったあと、俺は机の引き出しを開けた。


 リカの謝罪文兼改善計画書が入っている。


 その隣に、今日の顔合わせでもらった店の小さな紙ナプキンがあった。なぜかポケットに入れて持って帰ってきてしまったものだ。


 新しい家族候補。


 義妹候補。


 美緒さん。


 そして、幼なじみのリカ。


 俺の周りの関係は、今日少しだけ変わった。


 美緒さんは、思ったより静かで、思ったより鋭かった。


 紗枝さんは穏やかで、父さんは緊張していて、俺も緊張していた。


 そしてリカは、家の外で待っていた。


 位置情報もなしに。


 見張りもなしに。


 ただ、俺が話すと言ったことを信じて。


 それは、たぶんリカにとってかなり大きな一歩だった。


 スマホが震えた。


 リカからメッセージ。


『明日、曲がり角で待ってる』


 俺は返信する。


『知ってる』


 すぐ既読。


『サイコパスな幼なじみギャルは、まだ隣にいるので』


 俺はその文章を見て、少し笑ってしまった。


『自分で言うな』


『でも合ってる』


『否定はしない』


『ひどい』


『九十五点だから許せ』


『許す』


 少し間が空いて、もう一通。


『おやすみ、悠真。今日はちゃんと待てた』


 俺は返信した。


『おやすみ。今日は助かった』


 既読。


 返事はしばらく来なかった。


 やがて、一言だけ届いた。


『ずるい』


 俺は笑って、スマホを伏せた。


 明日もリカは、曲がり角にいる。


 美緒さんという新しい存在が現れても、父さんの再婚話が進んでも、リカはたぶんいつもの場所に立っている。


 少し重くて、少し怖くて、でも少しずつ待つことを覚えている幼なじみギャル。


 俺の青春は、普通からはだいぶ遠い。


 けれど、今日の俺は思ってしまった。


 その普通じゃなさも、悪くない。

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