第16話 サイコパスな幼なじみギャルは、まだ隣にいる
顔合わせ当日の朝、リカはいつもの曲がり角にいた。
そこまでは、いつも通りだった。
けれど、今日は立ち方が違った。
普段のリカは、俺を待っている時でもどこか軽い。片手でスマホを触っていたり、花壇の花を眺めていたり、通りすがりの小学生に挨拶していたりする。
今日は違う。
背筋を伸ばして、両手で鞄の紐を握っている。
まるで、これから面接でも受けるみたいだった。
「おはよう、悠真」
「おはよう」
リカは笑った。
だが、その笑顔は少し硬い。
「顔色、普通よりちょっと緊張寄り」
「緊張寄りって何だ」
「いつもより目の動きが少ない。あと、口数が少なそうな顔してる」
「まだ一言しか喋ってないだろ」
「一言目で分かることもある」
「怖い才能だな」
「今日は怖いじゃなくて、観察」
「境界線が細い」
リカは少しだけ笑った。
笑ったが、すぐに視線を落とした。
「今日だよね」
「ああ」
「顔合わせ」
「ああ」
「美緒さんと会う」
「……ああ」
俺が頷くたびに、リカの手に少し力が入る。
分かりやすすぎる。
「リカ」
「ん?」
「今日は学校休みだぞ」
「知ってる」
「なのに制服なんだな」
リカは自分の服を見下ろした。
たしかに、今日は土曜日だ。
俺も私服で出ている。昼から父さんと駅前の店へ行く予定なので、さすがにいつものパーカーではなく、少しだけまともなシャツを着てきた。
一方、リカは制服だった。
ただし、平日より少し整えている。リボンもいつもよりきちんとしているし、スカートの丈も校則通りに近い。髪もゆるくまとめていて、普段のギャル感が少しだけ抑えられている。
「今日は、ちゃんとしてるリカで来た」
「どこに」
「いつもの曲がり角に」
「そこは別にちゃんとしてなくてもいいだろ」
「でも、今日は大事な日だから」
リカは真面目に言った。
「悠真が新しい家族候補に会う日」
「家族候補って言い方、面接みたいだな」
「面接じゃん」
「違う」
「違わないよ。悠真が美緒さんを見るし、美緒さんも悠真を見る。悠真のお父さんも紗枝さんも、お互いを見る。家族になれるかどうかの顔合わせ。ほぼ面接」
「重くするな」
「ごめん。もう重い」
リカは自分で言って、苦笑した。
「でも、今日は勝手に調べてない。家にも行かない。駅にも行かない。美緒さんのSNSも探してない。名前で検索もしてない」
「最後は少し考えたな」
「考えた。でもしてない」
「偉い」
「今日の偉いは、かなり頑張った偉い」
「分かってる」
俺がそう言うと、リカは少しだけ安心した顔をした。
それから、俺の服を見た。
「悠真、今日ちゃんとしてる」
「一応、顔合わせだからな」
「似合ってる」
「急に言うな」
「だって似合ってるし」
「……どうも」
「照れた?」
「照れてない」
「今日、耳が見えないから判定しにくい」
「判定するな」
リカは少し笑った。
その笑顔で、ようやくいつものリカが少し戻ってきた。
俺たちは並んで歩き出した。
今日は学校へ向かうわけではない。
近くのコンビニまで、少しだけ一緒に歩く約束をしていた。
俺の顔合わせは午後一時。
リカとは朝に少しだけ会う。
それが、昨夜の電話で決めたことだった。
リカは「家の前で待たない」「駅前で見張らない」「位置共有を要求しない」という三つの約束をした。
その代わり、朝だけ会って話す。
リカにとっては、不安を暴走させないための折衷案らしい。
俺にとっても、正直ありがたかった。
顔合わせ前にリカと少し話せるのは、思ったより落ち着く。
「悠真」
「うん」
「今日、終わったら連絡して」
「分かってる」
「すぐじゃなくていい」
「それも聞いた」
「落ち着いてからでいい」
「うん」
「でも、今日中には」
「分かってる」
「美緒さんが何て呼んだかも」
「それは必須なのか」
「必須」
「分かった」
「あと、悠真がどう思ったか」
「ああ」
「美緒さんが可愛かったかどうかは……聞きたいけど、最初は聞かない」
「偉い」
「聞いたら怖い寄り?」
「かなり」
「じゃあ、聞かない。悠真が言いたくなったら言って」
「たぶん言わない」
「それはそれで不安」
「どうしろと」
リカは少しだけ困ったように笑った。
コンビニの前まで来る。
まだ朝早い時間帯なので、人はそれほど多くない。店内から揚げ物の匂いが少し漏れてくる。
リカは立ち止まった。
「ここまで」
「ああ」
「今日はこれ以上ついていかない」
「家まで来たら逆に怖い」
「行きたいけど行かない」
「よし」
「駅にも行かない」
「よし」
「お店の前にも行かない」
「かなり偉い」
「美緒さんの顔を遠くから確認したいけど行かない」
「本音が漏れてる」
「漏らして止める作戦」
リカは胸に手を当てて、深呼吸した。
「よし。言った。止める」
「頑張れ」
「悠真も」
「ああ」
「緊張してる?」
「してる」
「何点くらい?」
「何の点数だよ」
「緊張点」
「八十点くらい」
「高い」
「高いな」
「じゃあ、あたしが少し下げる」
「どうやって」
リカは少し考えた。
それから、真面目な顔で言った。
「悠真は、ちゃんと悠真でいれば大丈夫」
「急にまともなことを言うな」
「まともなリカもいる」
「珍しい」
「減点するよ」
「俺が?」
「うん。今の失礼」
「悪かった」
リカは笑った。
その笑顔は、朝の硬さが少し抜けていた。
「美緒さんがどんな子でも、悠真は悠真でいいと思う。無理にお兄ちゃんっぽくしなくていいし、いい人ぶりすぎなくてもいいし、全部受け入れた顔しなくてもいい」
「……」
「戸惑ってるなら、戸惑ってるでいいんじゃないかな。だって、急に新しい家族候補が来るんだもん。悠真が完璧に受け止めてたら、逆に心配」
「リカ」
「ん?」
「今日、本当にまともだな」
「でしょ?」
「助かる」
そう言うと、リカは一瞬だけ止まった。
「助かる?」
「ああ」
「……そっか」
リカは少しだけ目を伏せた。
「今日、あたし、役に立ってる?」
「立ってる」
「九十点?」
「朝だけなら九十三点」
リカが息を呑んだ。
「高い」
「かなりちゃんと聞いて、かなりちゃんと止まってる」
「じゃあ、このまま維持する」
「無理するなよ」
「無理はする。でも暴走はしない」
「無理もほどほどに」
「はい」
リカは笑って、俺を見た。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「まだ昼まで時間あるけどな」
「でも、言いたかった」
「そうか」
「行ってらっしゃい、悠真」
その言葉が、妙に胸に残った。
家族じゃないリカが言う「行ってらっしゃい」。
昨日までリカが気にしていた、家族には言えて幼なじみには言いにくい言葉。
でも、今は不思議と自然だった。
「行ってくる」
俺がそう返すと、リカは目を丸くした。
それから、顔を赤くして笑った。
「今の、保存した」
「心に?」
「うん。心に。スマホにはしない」
「偉い」
「今日、絶対暴走しない。今ので少し耐えられる」
「俺の返事にそんな効果があるのか」
「ある。すごくある」
リカは小さく手を振った。
俺も手を上げる。
今日は、リカは一度しか振り返らなかった。
その一度で、俺がまだ見ているのを確認して、安心したように笑った。
*
午後一時。
駅前の和食店の個室で、俺は父さんの隣に座っていた。
店は落ち着いた雰囲気だった。木目調の壁に、柔らかい照明。窓の外には駅前の通りが見えるが、個室の中は妙に静かだった。
父さんは、俺より緊張していた。
背筋を伸ばし、メニューを何度も見ている。もう注文は決まっているのに、文字を追っていない目でページを眺めていた。
「父さん」
「何だ」
「緊張しすぎ」
「していない」
「いや、してる」
「……している」
「正直でよろしい」
「お前に言われるとは思わなかった」
そんな話をしていると、個室の引き戸の向こうで店員の声がした。
「お連れ様がお見えです」
父さんの表情が変わった。
俺の背筋も、自然に伸びる。
引き戸が開いた。
最初に入ってきたのは、紗枝さんだった。
写真で見たよりも、少し柔らかい印象の人だった。落ち着いたベージュの服を着ていて、髪は肩のあたりでまとめている。目元が穏やかで、父さんを見ると少し緊張したように微笑んだ。
「お待たせしました」
「いえ、こちらこそ」
父さんが立ち上がる。
俺も慌てて立った。
その後ろに、一人の女の子がいた。
美緒さん。
そう思った瞬間、妙に現実感があった。
写真を見ていなかったせいか、想像していた姿よりもずっと普通だった。
いや、可愛くないという意味ではない。
むしろ、整った顔立ちをしている。黒髪は肩より少し下まであり、癖のないまっすぐな髪だった。服装は白いブラウスに紺色のカーディガン。スカートも落ち着いた色で、全体的に清楚という言葉が似合う。
リカが見たら、たぶん「強い」と言う。
俺は内心でそう思ってしまい、少しだけ困った。
美緒さんは俺と目が合うと、丁寧に頭を下げた。
「三枝美緒です。今日はよろしくお願いします」
声は静かだった。
礼儀正しい。
父さんの言っていた通りだ。
「黒瀬悠真です。よろしくお願いします」
俺も頭を下げる。
その瞬間、美緒さんはほんの少しだけ俺を見た。
観察するような目だった。
リカのように露骨ではない。
でも、見ている。
俺の服装。姿勢。声。父さんとの距離。
そういうものを、一瞬で確認された気がした。
気のせいかもしれない。
でも、なぜかそう思った。
全員が席に着く。
父さんと紗枝さんが、まず簡単に挨拶を交わした。
大人同士の会話は、驚くほど丁寧だった。天気の話。店までの道の話。仕事の話を少し。それから、俺と美緒さんの学校生活の話。
「悠真くんは、高校二年生でしたね」
紗枝さんが俺に言った。
「はい」
「部活は?」
「今は特に入っていません。委員会くらいで」
「図書委員だったか?」
父さんが横から言う。
「ああ、うん」
「本が好きなの?」
紗枝さんの声は柔らかかった。
「読むのは嫌いじゃないです。でも、委員会は成り行きで」
俺がそう答えると、紗枝さんは笑った。
「成り行きで続けられるのも、ちゃんとしている証拠だと思います」
「いえ、そんな」
少し褒められて、俺は反応に困った。
その時、美緒さんが静かに口を開いた。
「黒瀬さんは、断るのが苦手な方ですか」
いきなりだった。
紗枝さんが「美緒」と少し慌てた声を出す。
美緒さんは、表情を変えずにこちらを見る。
「あ、すみません。成り行きで委員会をしていると聞いたので、少し気になって」
俺は一瞬、返事に迷った。
断るのが苦手。
リカにも、翔太にも言われたことがある。
美緒さんは、今の短いやり取りだけでそこを突いてきたのか。
「……得意ではないかもしれません」
正直に答えると、美緒さんは小さく頷いた。
「そうですか」
「美緒」
紗枝さんが少し困ったように言う。
「初対面でそういう聞き方は失礼よ」
「ごめんなさい」
美緒さんはすぐに頭を下げた。
だが、その謝罪の仕方も妙に整っていた。
「黒瀬さん、すみません。嫌な意味ではありません」
「いえ、大丈夫です」
大丈夫。
そう答えてから、俺は少しだけ自分で苦笑しそうになった。
リカに聞かれたら、「本当の大丈夫?」と確認されるやつだ。
美緒さんは、俺のその小さな変化にも気づいたようだった。
「今、少し困りましたか」
「え?」
「大丈夫です、と言う前に少し間があったので」
紗枝さんが今度こそ焦った顔になった。
「美緒」
「すみません。もう黙ります」
美緒さんは本当に口を閉じた。
俺は、何とも言えない気持ちになった。
この子は、静かだ。
礼儀正しい。
でも、かなり見ている。
リカの観察が感情で突っ込んでくるものだとしたら、美緒さんの観察はもっと冷静だった。
相手の反応を見て、言葉を選んでいる。
いや、選んでいるはずなのに、たまに鋭すぎる。
これはこれで、少し怖い。
ただ、不快ではなかった。
むしろ、自分の母親を心配しているのかもしれないと思った。
父さんが再婚相手にふさわしいか。
その息子である俺が、どんな人間か。
美緒さんは、それを確認しているのだろう。
食事が運ばれてきた。
会話は少しずつ柔らかくなった。
父さんと紗枝さんは、互いの仕事の話や、今後の暮らし方について、当たり障りのない範囲で話した。俺と美緒さんは、その合間にぽつぽつと会話をした。
「黒瀬さんは、妹ができることについて、どう思っていますか」
また直球だった。
俺は箸を止めた。
「美緒」
紗枝さんが再び止めようとする。
美緒さんは母親を見る。
「お母さん。そこは大事だと思う」
その言い方は、静かだがはっきりしていた。
紗枝さんは少しだけ黙った。
父さんも俺を見る。
逃げ場がない。
俺は少し考えてから答えた。
「戸惑っています」
美緒さんは、じっと俺を見た。
「嫌ではなく?」
「嫌ではないです。でも、急に妹ができると言われても、どう接していいか分からない」
「それは私も同じです」
美緒さんはすぐに言った。
「急に兄ができると言われても、よく分かりません」
「……そうですよね」
「はい」
そこで初めて、美緒さんの表情が少しだけ緩んだ。
「なので、無理に兄妹らしくしようとしなくていいと思っています」
「俺も、そのほうが助かります」
「では、しばらくは黒瀬さんで」
俺は少しだけ安心した。
兄さんではなかった。
リカに報告しなければならない。
そう思った自分に、少し笑いそうになった。
美緒さんはそれに気づいたらしい。
「何か安心しましたか?」
「いえ、その……」
「呼び方ですか」
「え」
「兄さんと呼ばれたら困る顔をしていたので」
俺は固まった。
父さんが小さく咳き込んだ。
紗枝さんが目を丸くする。
美緒さんは、静かに言った。
「呼びません。少なくとも、今は」
「助かります」
俺が思わずそう言うと、美緒さんはほんの少し笑った。
かなり小さな笑みだった。
「私も、急に妹扱いされるのは困ります」
「それはしません」
「なら、よかったです」
その会話で、少しだけ空気が緩んだ。
紗枝さんも安心したように笑った。
「美緒は、少し言い方がまっすぐすぎるところがあるんです」
「お母さんも、人に気を使いすぎるところがあります」
「美緒」
「本当のことです」
美緒さんは淡々と言った。
そのやり取りに、俺は少しだけ親子らしさを感じた。
美緒さんは母親が好きなのだろう。
好きというより、守ろうとしているようにも見える。
紗枝さんが気を使いすぎないか。
父さんに無理をしていないか。
俺たちが、母親を困らせる相手ではないか。
それをずっと見ている。
リカとは違う形の、近すぎる心配。
俺の周りには、どうしてこういう女子ばかり集まるのだろう。
いや、まだ集まってはいない。
美緒さんはただ、義妹候補として目の前にいるだけだ。
でも、何かが始まりそうな気配はした。
*
食事のあと、予定通りうちに少し寄ることになった。
父さんは明らかに緊張していたが、紗枝さんは「ご無理のない範囲で」と言い、美緒さんも静かに頷いた。
家に着くと、玄関の新しいスリッパが役に立った。
水色のスリッパは、美緒さんが履いた。
リカが聞いたら、「やっぱり水色が美緒さん用だった」と言いそうだ。
リビングに案内すると、紗枝さんは丁寧に頭を下げた。
「お邪魔します」
美緒さんも続いた。
「お邪魔します」
俺の家に、知らない母娘がいる。
それだけで、見慣れたリビングが少し違って見えた。
父さんがぎこちなくお茶を出す。
来客用の新しいコップ。
美緒さんはそれを両手で受け取り、小さく礼を言った。
「ありがとうございます」
リカが言っていた。
家に来るは強い。
その意味が、少し分かった。
水色のスリッパ。
来客用のコップ。
リビングに座る美緒さん。
紗枝さんと父さんが並んで話している光景。
それは確かに、俺の生活に新しいものが入ってくる瞬間だった。
美緒さんはリビングを見回した。
じろじろ見るわけではない。
でも、やはり見ている。
「落ち着いた家ですね」
「そうかな」
俺が答えると、美緒さんは頷いた。
「物が少ないです」
「片づけたから」
「普段はもう少し散らかっていますか」
「美緒」
紗枝さんがまた止める。
美緒さんは頭を下げた。
「すみません。聞き方が直接的でした」
「いや、合ってます。普段はもう少し散らかってます」
「そうですか」
美緒さんは少しだけ笑った。
「少し安心しました」
「安心?」
「今日のために整えた場所だけを見ると、生活が想像しにくいので」
その言葉に、俺は少し驚いた。
美緒さんも、見えない生活を想像しようとしている。
リカと似ているようで、違う。
リカは不安から想像する。
美緒さんは確認のために想像する。
そんな感じがした。
しばらく話したあと、紗枝さんと美緒さんは帰ることになった。
玄関で、父さんと紗枝さんが次の予定について少し話す。
美緒さんは靴を履きながら、俺を見た。
「黒瀬さん」
「はい」
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「急に兄妹らしくする必要はないと思っています」
「はい」
「ただ」
美緒さんは少しだけ声を低くした。
「お母さんは、無理をすると笑ってごまかす人です」
「……はい」
「黒瀬さんのお父さんが悪い方ではないのは、今日少し分かりました。でも、まだ全部は分かりません」
「それは、俺も同じです」
俺がそう言うと、美緒さんは一瞬だけ目を細めた。
それから、小さく頷いた。
「正直で助かります」
「俺も、まだ全部分かりません。でも、父さんが紗枝さんを大事に思っているのは分かります」
「そうですか」
「はい」
美緒さんは、少しだけ表情を緩めた。
「なら、今日のところは少し安心します」
「今日のところは」
「はい。まだ観察期間です」
観察期間。
リカが聞いたら、絶対に反応する言葉だった。
「お母さんを大事にしてくれる家かどうか、私は見ます」
美緒さんは、静かに言った。
その声には、冷たさはなかった。
ただ、真剣だった。
「分かりました」
俺が答えると、美緒さんは丁寧に頭を下げた。
「では、また」
「また」
兄さんではなかった。
黒瀬さん。
そして、観察期間。
玄関のドアが閉まると、家の中が急に静かになった。
父さんが長く息を吐いた。
「緊張した」
「父さん、何回か箸の持ち方おかしかった」
「見ていたのか」
「見えるだろ」
「お前はどうだった?」
「緊張した」
「美緒さんは?」
父さんが聞いた。
俺は少し考えた。
「かなり見てる人」
「そうか」
「でも、悪い子じゃなさそう」
「そうか」
「紗枝さんのこと、大事なんだと思う」
父さんは、静かに頷いた。
「そうだな」
その顔は、少し安心しているようだった。
俺はスマホを取り出した。
リカに連絡しなければいけない。
*
部屋に戻って、俺はベッドに座った。
リカからのメッセージは、まだ来ていなかった。
待っている。
そう思った。
リカは、ちゃんと待っている。
俺はメッセージを送った。
『終わった』
既読は一瞬だった。
本当に一瞬だった。
しかし返信は、すぐには来なかった。
たぶん、深呼吸している。
そう思ったら、少し笑ってしまった。
やがて、返信が来た。
『お疲れさま』
意外なくらい普通だった。
『ありがとう』
『聞いていい?』
『いい』
『悠真、大丈夫?』
最初にそれを聞くのか。
俺は画面を見ながら、少し胸が柔らかくなった。
『大丈夫。緊張したけど』
『そっか』
『美緒さんは?』
やっぱり来た。
俺は少し考えてから打つ。
『礼儀正しかった。静かだけど、かなり人を見てる』
『見てる』
『うん。観察するタイプ』
『あたしとどっちが?』
『種類が違う』
『どう違う?』
『リカは感情で見る。美緒さんは確認するために見る感じ』
しばらく返信が止まった。
そして。
『強い』
やっぱり来た。
『強い言うと思った』
『だって強い。静かに観察する清楚系義妹候補』
『肩書きを盛るな』
『清楚系だった?』
俺は迷った。
言わないほうがいいかもしれない。
でも、嘘をつくのも違う。
『見た目は落ち着いてた』
『清楚系?』
『たぶん』
既読。
長い沈黙。
俺は慌てて送る。
『でも、まだよく分からない』
返信。
『分かってる』
次。
『兄さんって呼んだ?』
『呼んでない』
既読。
『本当に?』
『黒瀬さんだった』
少し間。
『よかった』
素直すぎる。
俺は笑ってしまった。
『そこは報告必須だったからな』
『助かる』
『美緒さんも、急に妹扱いされるのは困るって言ってた』
『まとも』
『まともだった』
『強い』
『またか』
リカから、しばらく返信が来なかった。
少しして、長めのメッセージが届いた。
『悠真がどう思ったか聞いていい?』
俺は指を止めた。
美緒さんをどう思ったか。
礼儀正しい。
静か。
観察するタイプ。
母親を大事にしている。
少し怖い。
でも、悪い子ではなさそう。
俺はそのまま打った。
『悪い子じゃなさそう。かなり見てくるから少し怖い。でも、紗枝さんのことを大事にしてるんだと思う』
既読。
返信は少し遅れた。
『そっか』
また、短い。
でも次の文は、以前より少し違った。
『美緒さんも不安なんだね』
俺は、画面を見つめた。
リカが美緒さん側の不安に触れた。
これは、かなり大きい気がした。
『たぶん』
『お母さんを守りたいのかな』
『たぶん』
『それは、ちょっと分かる』
俺は少し驚いた。
『分かるのか』
『分かるよ。大事な人が知らない場所に入っていくの、不安だもん』
リカらしい。
美緒さんの母親への気持ちを、自分の俺への気持ちに重ねて理解したのだろう。
それでも、理解しようとしている。
『リカ』
『なに?』
『今日、ちゃんと待てたな』
既読。
かなり間が空いた。
『待てた』
『家の前にも来なかった』
『行きたかったけど行かなかった』
『駅にも?』
『行ってない』
『検索は?』
『してない』
『位置共有は?』
『言ってない』
『偉い』
返信が遅れた。
『泣きそう』
『またか』
『今日は本当に泣きそう』
俺は少し考えた。
『今日のリカは九十五点』
送信。
既読。
沈黙。
一分。
二分。
リカから電話が来た。
俺は驚きながら出る。
「もしもし」
『九十五点って言った?』
「言った」
『ほんと?』
「本当」
『今までで一番?』
「たぶん」
『なんで?』
「ちゃんと待った。調べなかった。最初に俺のことを聞いた。美緒さんの不安も考えた」
電話の向こうで、リカが息を呑む音がした。
『悠真』
「うん」
『あたし、今日、めちゃくちゃ不安だった』
「知ってる」
『家の前行きたかった。駅行きたかった。美緒さんの顔だけでも見たかった。名前で検索したかった。何なら、お店の近くで偶然を装う方法を三つくらい考えた』
「多いな」
『でも、しなかった』
「偉い」
『悠真に、待つって言ったから』
「ああ」
『あと、行ってらっしゃいって言えたから』
朝のことを思い出す。
リカが言った「行ってらっしゃい」。
俺が返した「行ってくる」。
『あれで、ちょっと待てた』
「そうか」
『家族じゃなくても、あたしも言っていいんだって思えた』
俺は返事に詰まった。
リカは続けた。
『だから待てた。悠真が帰ってくる場所は家だけど、あたしも待ってていいのかなって』
「リカ」
『重い?』
「重い」
『うん』
「でも、今日のは悪くない」
『ほんと?』
「ああ」
『可愛い寄り?』
「今日は、かなり可愛い寄り」
電話の向こうで、リカが変な声を出した。
『むり』
「何が」
『今日、九十五点で、可愛い寄りで、行ってらっしゃいも言えて、悠真が帰ってきた』
「帰ってきたというか、連絡しただけだけどな」
『でも、戻ってきた』
「……まあ」
『悠真』
「うん」
『あたし、まだ隣にいていい?』
その質問は、もう何度も聞かれている。
でも、今日のそれは少し違った。
美緒さんに会ったあと。
新しい家族候補が現実になったあと。
リカが、家の外でちゃんと待ったあと。
その上で聞いている。
俺は、少しだけ息を吐いた。
「条件つきでな」
電話の向こうで、リカが小さく笑った。
『聞く。止まる。悠真のためって言う前に悠真に聞く。怖くなりそうなら一回止まる』
「あと、家の前で偶然を装わない」
『追加条件』
「追加条件」
『分かった。守る』
「なら、隣にいていい」
『うん』
リカの声が、少し震えていた。
『悠真』
「何だ」
『明日も、いつもの場所にいていい?』
「いい」
『制服で?』
「普通にしてこい」
『普通寄りのリカ?』
「普通寄りのリカ」
『美緒さんのこと聞いていい?』
「ほどほどに」
『ほどほどに聞く』
「位置共有は?」
『言わない』
「検索は?」
『しない』
「家の前は?」
『行かない』
「よし」
『先生みたい』
「問題児だからな」
『九十五点の問題児』
「今日はな」
リカは笑った。
いつものリカの笑い方だった。
少し騒がしくて、少し重くて、でも聞いていると落ち着く声。
*
電話を切ったあと、俺は机の引き出しを開けた。
リカの謝罪文兼改善計画書が入っている。
その隣に、今日の顔合わせでもらった店の小さな紙ナプキンがあった。なぜかポケットに入れて持って帰ってきてしまったものだ。
新しい家族候補。
義妹候補。
美緒さん。
そして、幼なじみのリカ。
俺の周りの関係は、今日少しだけ変わった。
美緒さんは、思ったより静かで、思ったより鋭かった。
紗枝さんは穏やかで、父さんは緊張していて、俺も緊張していた。
そしてリカは、家の外で待っていた。
位置情報もなしに。
見張りもなしに。
ただ、俺が話すと言ったことを信じて。
それは、たぶんリカにとってかなり大きな一歩だった。
スマホが震えた。
リカからメッセージ。
『明日、曲がり角で待ってる』
俺は返信する。
『知ってる』
すぐ既読。
『サイコパスな幼なじみギャルは、まだ隣にいるので』
俺はその文章を見て、少し笑ってしまった。
『自分で言うな』
『でも合ってる』
『否定はしない』
『ひどい』
『九十五点だから許せ』
『許す』
少し間が空いて、もう一通。
『おやすみ、悠真。今日はちゃんと待てた』
俺は返信した。
『おやすみ。今日は助かった』
既読。
返事はしばらく来なかった。
やがて、一言だけ届いた。
『ずるい』
俺は笑って、スマホを伏せた。
明日もリカは、曲がり角にいる。
美緒さんという新しい存在が現れても、父さんの再婚話が進んでも、リカはたぶんいつもの場所に立っている。
少し重くて、少し怖くて、でも少しずつ待つことを覚えている幼なじみギャル。
俺の青春は、普通からはだいぶ遠い。
けれど、今日の俺は思ってしまった。
その普通じゃなさも、悪くない。




