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『サイコパスな幼なじみギャルが俺を好きすぎて、GPSを持たせようとしてくる。義妹も先輩も倫理観がバグっているので、俺の青春が毎日修羅場です』  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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10/20

第10話 休日、GPSなしで待ち合わせ

 土曜日の朝、俺はスマホの画面を見つめていた。


 時刻は九時二十六分。


 待ち合わせは十時。


 場所は駅前の時計台。


 相手は天宮リカ。


 ここまでなら、ただの休日の待ち合わせだ。


 問題は、その待ち合わせをするにあたって、昨日の夜からリカがやけに静かだったことである。


 いつもなら、前日の夜に細かい確認が入る。


『明日、何時に起きる?』

『朝ごはん食べる?』

『服、薄すぎない?』

『駅前、混むかも』

『雨降ったらどうする?』

『位置共有はしないけど、駅着いたら連絡して』


 このくらいは平気で送ってくる。


 だが昨日のリカは、違った。


『明日、十時に時計台で』


 それだけ。


 いや、そのあとに一通だけ来た。


『位置共有なしで待つ練習をします』


 宣言だった。


 待ち合わせというより、試験前の決意表明みたいだった。


 俺はその時点で、少し不安になった。


 そして今、もっと不安になっている。


 リカが静かすぎる。


 朝の体調確認もない。睡眠時間の質問もない。朝食を食べたかどうかも聞かれない。現在地はもちろん聞かれない。


 あまりにも普通すぎて、逆に怖い。


「普通を目指してるんだから普通でいいはずなんだけどな……」


 俺は一人で呟いた。


 リカのせいで、俺の普通の基準もだいぶおかしくなっている気がする。


 支度を終えて、家を出る。


 服は無難にパーカーとジーンズ。リカと会うからといって、特別におしゃれをしたわけではない。


 していない。


 していない、はずだ。


 ただ、クローゼットの前で五分ほど迷ったのは事実だった。


 昨日の夜、リカから届いた最後のメッセージが頭に残っていたからだ。


『休日の悠真、ちょっと楽しみ』


 たったそれだけ。


 それだけなのに、妙に意識してしまった。


 俺は玄関の鍵を閉め、駅へ向かった。


 四月の土曜日は、平日の朝とは違う空気がある。制服姿の学生は少なく、家族連れや買い物に向かう人が多い。駅前に近づくにつれて、人の流れが増えていく。


 スマホを見る。


 九時五十二分。


 まだリカから連絡はない。


 俺は少しだけ足を速めた。


 別に急いでいるわけではない。


 遅刻はしていない。


 ただ、リカを待たせると面倒なことになる……いや、今日はリカが待つ練習をしているのだった。


 俺が遅れたら、それはもう練習というより試練である。


 駅前の時計台が見えてきた。


 その下に、リカはいた。


 休日のリカは、制服姿の時よりもさらに目立つ。


 淡い色のカーディガンに、短すぎないスカート。足元はスニーカー。髪はゆるく巻いていて、いつもより少し柔らかい印象だった。派手すぎないけれど、ちゃんと可愛い。いや、かなり可愛い。


 本人に言うと調子に乗るので言わない。


 リカは時計台の柱の横に立っていた。


 スマホを両手で持っている。


 だが、画面は見ていなかった。


 まるで、見たら負けだとでも思っているように、スマホを握ったまま空を見上げている。


「リカ」


 声をかけると、リカはびくっと肩を揺らした。


 そして、こちらを見た瞬間、ぱっと顔が明るくなる。


「悠真!」


「おはよう」


「おはよう。来た」


「そりゃ来るだろ」


「来た……」


「二回言うほどか?」


 リカは少しだけ目を伏せた。


「来るって分かってても、見えないと不安だった」


「まだ十時前だぞ」


「うん。今、九時五十六分」


「ちゃんと時間見てるじゃないか」


「時計台は見た。スマホの地図は見てない」


「そこは区別してるんだな」


「大事」


 リカはスマホを鞄にしまった。


 その動作が、なぜか誇らしげだった。


「位置確認、しなかった」


「えらい」


「ほんとに?」


「ああ」


「メッセージも送らなかった」


「来てないな」


「『今どこ?』って打ったけど消した」


「打ってはいたのか」


「三回」


「三回」


「でも送ってない」


「まあ、送ってないなら加点」


 リカは嬉しそうにした。


「何点?」


「待ち合わせだけなら八十五点」


「高い」


「三回打ったから少し減点」


「そこ見る?」


「見た」


 リカはむっとしたが、すぐに笑った。


「でも、悠真がちゃんと来たからいい」


「ちゃんと来るって言っただろ」


「うん」


「信用してなかったのか?」


「信用してる」


 リカは即答した。


 そして少しだけ声を落とす。


「でも、不安は別」


 その言い方に、俺は返事を探した。


 信用している。


 でも、不安はある。


 それはたぶん、リカにとっては矛盾ではないのだろう。


 俺は頷いた。


「まあ、今日来たから、次は少し不安減るだろ」


「次も来てくれる?」


「予定が合えばな」


「次がある」


「今のは普通の言い方だろ」


「でも次があるってことじゃん」


「……まあ」


 リカは、今日一番の笑顔になった。


 失敗した。


 不用意なことを言った気がする。


「じゃあ、今日はどこ行くんだ?」


 俺が話を変えると、リカは少しだけ胸を張った。


「今日は普通の休日コースです」


「また普通か」


「普通寄り」


「ならよし」


「駅ビル見て、雑貨屋行って、本屋行って、昼はフードコート。重くない。怖くない。健全な休日」


「自分で健全と言うと怪しい」


「健全だよ。今日は退避ルートもあんまり確認しない」


「あんまり」


「全部は無理」


「正直でよろしい」


 俺たちは駅ビルへ向かって歩き出した。


 休日の駅ビルは、思っていたより人が多かった。家族連れ、カップル、学生、買い物客。エスカレーターの前では、小さな子供が風船を持ってはしゃいでいる。


 リカは俺の隣を歩く。


 制服ではないせいか、いつもより少しだけ距離が近い気がする。


 いや、違う。


 俺が意識しているだけかもしれない。


「悠真」


「ん?」


「今、服見た?」


「見てない」


「嘘。今、ちらっと見た」


「……見た」


「どう?」


「どうって」


「変じゃない?」


「変ではない」


「それは褒めてる?」


「褒めてる」


「じゃあ、可愛い?」


「急に踏み込むな」


「聞いてからにした」


「そういう問題じゃない」


 リカは笑った。


 だが、その目は少しだけ真剣だった。


 俺は少し迷ったあと、言った。


「似合ってる」


 リカは、びくっとした。


「え」


「似合ってるって言った」


「もう一回」


「言わない」


「今の、録音してない」


「録音するな」


「心に録音した」


「ならいい」


「よくない。心の容量足りない」


「知らん」


 リカは両手で頬を押さえた。


 休日の駅ビルの入口で何をやっているのか。


 通り過ぎる人に見られていないか少し心配になったが、リカはそんなこと気にしていないようだった。


「悠真に服褒められた」


「大げさだな」


「大事件」


「事件にするな」


「今日の日記に書く」


「日記つけてるのか?」


「たまに。悠真関連だけ」


「それは日記じゃなくて観察記録じゃないか?」


「最近は感想文に寄せてる」


「寄せるな」


 リカは楽しそうに笑った。


 やっぱり、リカは騒がしいほうがいい。


 駅ビルの自動ドアが開く。


 休日の空気が、屋内の明るい照明と混ざる。


 俺たちの休日が始まった。


     *


 最初に入ったのは、雑貨屋だった。


 リカはこういう店が好きらしい。小物、文具、アクセサリー、ヘアピン、スマホケース。色とりどりの商品が並んでいて、俺一人なら五分で出る自信がある。


 リカは棚の前で足を止めるたびに、目を輝かせた。


「悠真、これ見て。犬の付箋」


「犬だな」


「反応うす」


「付箋に濃い反応は難しい」


「じゃあこれは?」


 リカが次に見せてきたのは、猫の形をしたクリップだった。


「猫だな」


「悠真、雑貨屋向いてない」


「分かってた」


「でも一緒に来てくれるんだ」


「誘われたからな」


「嫌じゃない?」


「嫌ではない」


「悪くない?」


「悪くない」


 リカは嬉しそうに笑う。


「悠真の悪くない、今日も出た」


「いちいち回収するな」


「好きだから」


「便利に使うな」


 リカはスマホケースの棚の前で立ち止まった。


 いろいろなデザインが並んでいる。シンプルなもの、透明なもの、キャラクターもの、カードが入るもの。


 リカはその中から、地図柄のケースを手に取った。


 俺は嫌な予感がした。


「リカ」


「まだ何も言ってない」


「その柄は何だ」


「地図」


「なぜそれを選んだ」


「可愛いかなって」


「本当に?」


「……ちょっと位置共有っぽいかなって」


「アウト」


「まだ買ってない」


「考え方がアウト」


 リカは名残惜しそうに地図柄ケースを戻した。


「じゃあこれは?」


 次に手に取ったのは、透明なケースだった。


「普通」


「普通?」


「ああ」


「じゃあ、これにしようかな」


「本当に欲しいのか?」


「うーん」


「普通を選ぶために選ぶならやめとけ」


 リカは目を丸くした。


「え?」


「リカが本当に好きなやつを選べばいいだろ」


「でも、地図柄はアウトって」


「位置共有ネタで俺を見ながら選ぶのはアウト。リカが単純に地図柄好きなら別」


「……単純には好きじゃない」


「じゃあアウト」


「はい」


 リカは素直に戻した。


 そして少し考えて、淡いピンクの小さな花柄のケースを手に取った。


「これは?」


「リカっぽい」


 リカの顔がまた赤くなった。


「悠真、今日どうしたの?」


「何が」


「褒めるじゃん」


「普通に感想言っただけだ」


「その普通の感想が強い」


「知らん」


 リカは花柄のケースをじっと見つめた。


「じゃあ、これにする」


「いいんじゃないか」


「悠真がリカっぽいって言ったから」


「俺のせいにするな」


「嬉しかったから」


 そう言って、リカはそのケースを大事そうに持った。


 俺は少しだけ視線を逸らす。


 何だ、この空気。


 普通の休日の買い物のはずなのに、妙に心臓に悪い。


 これなら位置共有のほうがまだツッコみやすい。


     *


 雑貨屋を出たあと、本屋へ向かった。


 本屋なら俺にも分かる。


 雑貨屋よりは落ち着く。


 ……と思っていたのだが、リカは本屋でもリカだった。


「悠真、これ読んでそう」


「どれ」


 リカが手に取ったのは、恋愛心理学の本だった。


「読まない」


「読んだほうがよくない?」


「なんで」


「あたしたち、恋愛倫理の補習中だし」


「翔太の言葉を採用するな」


「でも、恋愛の勉強って必要じゃん」


「その本で学ぶのは何か違う気がする」


 リカは本の帯を読む。


「『相手の心をつかむ会話術』だって」


「やめろ」


「なんで?」


「リカがそれを読むと、会話を攻略し始めそうだから」


「攻略したらだめ?」


「だめ」


「悠真の心、つかみたい」


「そういうことを本屋で言うな」


 近くにいたおじさんがちらっとこちらを見た。


 俺は目を逸らした。


 リカは気にしていない。


「じゃあ、こっちは?」


 今度は小説棚から一冊を取る。


「青春ラブコメ」


「自分たちのジャンルを確認するな」


「でも参考になりそう」


「参考にするな。現実と小説は違う」


「でも悠真、今ちょっとラブコメ主人公っぽいよ」


「どのへんが」


「可愛い幼なじみギャルと休日デートしてるところ」


「デートじゃない」


「じゃあ何?」


「休日の待ち合わせ」


「それを世間では?」


「言わせようとするな」


 リカは本を戻しながら笑った。


「デートって言ったら、悠真困る?」


「少し」


「嫌?」


「嫌ではない」


「じゃあ、可愛い寄り?」


「何でもその判定に持ち込むな」


「今日、聞いてからにしてる」


「確かに聞いてはいる」


「じゃあ、デートって言っていい?」


「……今日は言わないほうがいい」


「分かった。じゃあ、今日は休日の待ち合わせ」


「そう」


「次は?」


「次の話をするな」


「次があるって言ったの悠真」


「失言だった」


「失言じゃない。約束の芽」


「詩的に言ってもだめだ」


 リカは楽しそうだった。


 俺も、たぶん楽しかった。


 認めたくはないが。


 本屋を出る頃には、もう昼に近くなっていた。


     *


 フードコートは混んでいた。


 休日の昼時だから当然だ。家族連れや学生が席を探し、トレーを持った人たちが行き交っている。ラーメン、うどん、ハンバーガー、クレープ、たこ焼き。匂いが混ざって、空腹を刺激する。


 リカは人混みを見て、少しだけ固まった。


「混んでるね」


「別の場所にするか?」


「ううん。普通の休日っぽいから、ここで」


「普通へのこだわりが強いな」


「今日はGPSなし待ち合わせ成功記念だから」


「記念日が増えるな」


「心の中だけ」


「スマホには?」


「書かない」


「偉い」


 席を探す。


 リカは一瞬、スマホを取り出しかけた。


「何する気だ」


「フードコートの席、どのエリアが空きやすいか検索しようかなって」


「今、目の前で探せばいいだろ」


「そうだね」


 リカはスマホをしまった。


「今日、あたし頑張ってない?」


「頑張ってる」


「何点?」


「まだ昼だから途中点な」


「途中点」


「八十七点」


「高い」


「位置確認してない。聞いてから動いてる。スマホ検索もやめた」


「やった」


 リカは嬉しそうにした。


 その時、ちょうど二人席が空いた。


 俺たちはそこに座り、何を食べるか決めることにした。


「悠真、何食べる?」


「ラーメンかな」


「野菜少ない」


「昼から健康指導か」


「あ、言わないほうがよかった?」


「いや、言ってもいい。押しつけなければ」


「じゃあ、提案。野菜も食べて」


「サイドメニューで何か頼む」


「九十点」


「俺が?」


「うん」


「採点の主導権を握るな」


 リカはハンバーガーにすると言った。


「お前も野菜少ないだろ」


「レタス入ってる」


「それでいいのか」


「ギャル理論」


「便利だな、ギャル」


「悠真も使う?」


「使わない」


 注文して席に戻ると、リカはトレーの上のハンバーガーを見つめた。


「どうした」


「写真撮っていい?」


「食べ物ならいいだろ」


「悠真のラーメンも?」


「それもまあ」


「悠真は?」


「俺は撮るな」


「じゃあ、手だけ」


「なんで手を撮りたがる」


「一緒にいる感が出る」


「手でも個人情報だ」


「厳しい」


「影で我慢しろ」


「分かった。影フォルダ作る」


「作るな」


 リカは食べ物の写真だけ撮った。


 そしてちゃんとスマホをしまう。


 その動作が自然になってきた。


 最初は一つひとつ「しまったよ」と主張していたが、今は少しずつ普通にできている。


 リカがハンバーガーを一口食べる。


「おいしい」


「よかったな」


「悠真のラーメンは?」


「普通にうまい」


「普通にうまいって、悠真っぽい」


「どういう意味だ」


「ちゃんと褒めるけど、言葉が落ち着いてる」


「ラーメン相手にテンション上げても仕方ないだろ」


「あたし相手には?」


「上げない」


「でも今日、ちょっと上がってる」


「上がってない」


「服褒めたし、ケース選んでくれたし、次があるって言ったし」


「全部覚えてるのか」


「好きな人の嬉しい言葉は記録されます」


「怖い寄り」


「スマホには記録してない」


「なら可愛い寄り」


「やった」


 リカは笑った。


 その笑顔を見て、俺はふと思った。


 今日のリカは、本当に頑張っている。


 現在地を聞かない。

 不安でも待つ。

 スマホを見すぎない。

 俺の反応を確認しながら、でも近づきすぎないようにしている。


 たぶん、本人にとってはずっと緊張しているのだろう。


 そう思うと、少しだけ何かをしてやりたくなった。


 俺はラーメンを食べ終え、トレーを見ながら言った。


「リカ」


「ん?」


「今日は、わりと楽しい」


 リカの動きが止まった。


 ハンバーガーを持ったまま、固まる。


「……今、何て?」


「二回は言わない」


「お願い」


「言わない」


「じゃあ、あたしの記憶で再生する」


「好きにしろ」


「悠真が、今日は、わりと、楽しい」


「区切るな」


「やばい。今日、百点かもしれない」


「まだ昼だ」


「でも今ので百点」


「俺の発言でお前の点が上がるのか」


「上がる。悠真が楽しいなら、あたしは百点」


 その言い方は、少しだけ危うかった。


 俺が楽しいなら、リカは百点。


 それは嬉しいようで、また俺基準に寄りすぎている。


 だから俺は言った。


「リカも楽しいか?」


 リカは目を丸くした。


「え?」


「俺が楽しいかだけじゃなくて、リカも楽しいか」


 リカは少し黙った。


 それから、ゆっくり笑った。


「楽しい」


「ならいい」


「悠真、そういうとこ、ほんとずるい」


「今日何回目だよ」


「何回でも言う」


 リカはハンバーガーをもう一口食べた。


 今度の笑顔は、さっきよりも少し自然だった。


     *


 帰り道。


 駅前の時計台が見えてきた。


 朝、リカがスマホを握りしめながら待っていた場所だ。


 そこまで戻ってきた時、リカは足を止めた。


「悠真」


「うん」


「今日、待てた」


「ああ」


「位置確認しなかった」


「ああ」


「メッセージも送らなかった」


「三回打ったけどな」


「送ってない」


「そうだな」


「悠真、ちゃんと来た」


「来るって言ったからな」


「うん」


 リカは時計台を見上げた。


「次、もう少し待てる気がする」


「次がある前提か」


「あるでしょ?」


 リカがこちらを見る。


 その目が、いつもより少しだけ不安そうだった。


 俺はため息をつく。


「予定が合えばな」


 リカは笑った。


「それ、前向きなやつ」


「勝手に解釈するな」


「でも、断ってない」


「まあ、断ってない」


「じゃあ、次もGPSなしで待つ」


「えらい」


「今日、何点?」


 俺は少し考えた。


 待ち合わせ成功。

 位置共有なし。

 スマホ確認なし。

 買い物も普通寄り。

 フードコートでも、だいぶ自然だった。

 地図柄スマホケースと恋愛心理学の本は減点かもしれないが、許容範囲だ。


「九十二点」


 リカが息を呑んだ。


「九十超えた」


「ああ」


「初?」


「たぶん」


「やった……」


 リカは本当に嬉しそうに笑った。


 それから、少しだけ照れたように言う。


「ご褒美は?」


「調子に乗るな」


「聞くだけならセーフ」


「何が欲しいんだよ」


 リカは少し考えた。


 そして、意外なことを言った。


「今日の写真、一枚だけ一緒に見返して」


「写真?」


「影の写真」


「また撮ったのか?」


「うん。時計台のところで、朝こっそり撮った。悠真が来る前の影」


「俺いないじゃないか」


「うん。あたし一人の影」


 リカはスマホを取り出し、画面を見せてきた。


 そこには、時計台の下で一人立つリカの影が映っていた。


 朝の光に伸びた、一人分の影。


「これ、待ってる時のあたし」


「……」


「ちょっと寂しそうでしょ」


「そうだな」


「でも、悠真が来た」


 リカは次の写真を見せた。


 それは、俺が到着したあとに撮ったらしい。


 気づかなかった。


 時計台の下、二人分の影が並んでいた。


 微妙な距離で。


 近すぎず、遠すぎず。


「これ、今日の九十二点」


 リカはそう言った。


 俺は写真を見たまま、少し黙った。


「送る?」


 リカが聞く。


「影なら」


「うん。影だけ」


「なら、送っていい」


 リカは嬉しそうに頷いた。


「送る。家宝にして」


「家宝にするとは言ってない」


「お気に入り登録は?」


「しない」


「でも見る?」


「……一回くらいは」


 リカは笑った。


「じゃあ十分」


     *


 その夜、リカから写真が送られてきた。


 一枚目。


 一人分の影。


 二枚目。


 二人分の影。


 そのあとにメッセージ。


『今日は待てた』


 俺は返信した。


『待ててたな』


『悠真が来た』


『行くって言ったからな』


『次も信じる練習する』


『ほどほどに』


『うん』


 少し間が空いた。


『今日は楽しかった?』


 俺は画面を見つめる。


 昼に言ったのに、もう一度聞いてくるあたりがリカらしい。


 でも、今日は答えてもいい気がした。


『楽しかった』


 送信。


 すぐ既読。


 返信は、しばらく来なかった。


 数分後。


『今、ちょっと泣きそう』


 俺は驚いた。


『大丈夫か?』


『大丈夫。嬉しいだけ』


『泣くほどか?』


『泣くほど』


 次のメッセージ。


『悠真が来てくれて、楽しかったって言ってくれて、位置共有しなくても大丈夫だった』


 俺は、その文章をしばらく見ていた。


 リカにとって、今日はただの休日ではなかったのだ。


 好きな人を管理しなくても待てるか。


 見えない時間を信じられるか。


 現在地を知らなくても、相手がちゃんと来ると信じられるか。


 それは、リカなりの小さな戦いだった。


『よかったな』


 俺はそう送った。


『うん』


 リカから返ってくる。


『でも次は、悠真が遅刻したらたぶん死ぬほど不安になる』


『遅刻しないようにする』


『もし遅刻したら?』


『連絡する』


『位置共有は?』


『なし』


『じゃあ待つ』


 俺は少し笑った。


『えらい』


『今日、九十二点だから』


『調子に乗るな』


『乗る。今日は乗る』


『ほどほどに』


『はーい』


 最後に、リカから一通。


『おやすみ、悠真。今日は来てくれてありがとう』


 俺は少しだけ迷ってから、返信した。


『おやすみ。誘ってくれてありがとう』


 送信してから、少し恥ずかしくなる。


 リカからの返信はなかった。


 既読だけがついた。


 たぶん、画面の向こうで固まっているのだろう。


 俺はスマホを机に置き、送られてきた写真をもう一度見た。


 一人分の影。


 二人分の影。


 リカは一人で待っていた。


 俺はそこへ行った。


 ただそれだけのことだ。


 でも、リカにとっては大きかった。


 そして俺にとっても、思ったより大きかった。


 休日の待ち合わせ。


 GPSなし。


 位置共有なし。


 それでも、ちゃんと会えた。


 普通のことなのに、普通じゃないくらい意味があった。


 俺は写真を閉じようとして、少しだけ迷った。


 そして、二人分の影の写真をお気に入りに入れた。


 リカには言わない。


 絶対に言わない。


 言ったらたぶん、明日の朝から大変なことになる。


 でも、まあ。


 今日くらいは。


 悪くない。




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