9 消火活動
思い出すやいなや、私はもう走りだしていました。体育を苦手としている私にとって、このようなつづけざまのダッシュは、中々にハードでしんどい作業ですが、今は自分の体力を気にしている場合じゃありません。急いでそちらに向かいます。
ざらつく淵に手をかけて、ばっと勢いよく井戸の中をのぞいてみれば、底のほうで淡い光が反射しています。よく見ようと顔を近づければ、こけの青臭さをたしかに感じられました。幸いなことに、中には水が溜まっていたんです。泥が溜まっているようにも見えません。
(よかった……。これは普通の水……だよね?)
何か水をすくうための道具はないのかと見回せば、私のすぐ近くに、ずいぶんと形の変わってしまった、ひしゃげた金属のバケツがありました。板金は片側だけが大きくへこんでいて、それに伴って口の部分も醜くゆがんでしまっています。持ち手となる、少し太めの針金は赤茶けており、触れると手のひらに細かい砂がついたときのような、ざらざらとした感触が残りました。淵は愉快なくらいに波打っています。
「……」
なんともいえない気持ちになりましたが、背に腹はかえられません。それに、私が見る限りでは、バケツの底に目立った穴はありませんでした。どうにか使えそうです。
スカートが汚れることも気にせず、私はその場にしゃがみこみました。制服のブレザーはすでに脱いでいます。気合いは十分。袖もまくっています。
バケツの端を持って井戸の中に腕を入れ、慎重に中の水をすくっていきます。バケツがみしりと軋んだ音を立てます。まさか、久しぶりの役目に、喜びの声を上げたわけじゃないんでしょう。
内側にひしゃげてしまったバケツでは、大した水量にはなりません。こんなんじゃ、水をすくいにいっている間に、火が周りに燃え広がってしまうんじゃないでしょうか。
頭によぎった不吉な雑念を追い払うようにして、私は首を横にぶんぶんと振りました。ためらっている暇はありません。
立ちあがって、今来た道を引き返します。乱れた呼吸で燃えている麦のところにまで来れば、そこにはさっきとおんなじ光景が広がっていました。辺りの麦に、燃え移ってはいなさそうです。
麦の穂が風に揺れてお互いに接触しているのに、延焼しないのはなんとも不思議でしたが、考えるのはあとまわしです。そして、たぶんきっとこの先もずっと考えません。
私は腕を大きく振りかぶって、バケツの中の水を全部麦畑にあげてしまいました。じゅっという音とともに、視界が一瞬、白みを帯びた黄金色の煙に包まれます。顔の前を手で闇雲に払ってから、火の様子を見てみます。気のせいでしょうか、少しは勢いが弱まったようにも思えます。それを確かめた私は、すぐに反転して、井戸まで戻ります。
再びバケツを井戸の中へ。
力を込めた指先は、初めての重労働に悲鳴を上げていました。水を含んだバケツを引き上げて、麦畑へと急ぎます。そうして、燃える麦の穂に水をかけると、一瞬だけ炎がしおれました。しびれはじめた腕の痛みに顔をしかめながらも、私はまたまた井戸へと向かいます。
いったい何往復したでしょうか。
汗ばんでべとついたほほに髪が張りついて、ちょっぴり気持ちが悪いです。
「これで……おしまいよ!」
残りわずかになった火に向かって、私はやつあたりでもするように水を投げつけます。辺りにくすぶっている火の手は見られません。どうにか、麦畑の火災を無事に鎮火することができたんです。
何度も水をかけたせいで、付近の畑は少々水浸しになってしまいましたが、これは仕方のないことなんだと許してほしいです。
額からしたたりそうになっている大粒の汗を手で拭って、私はひと仕事おえた畑を見渡します。相当な時間を格闘したので、時刻はすっかりと夜になっているはずですが、いまだ地平線には3つの太陽が、私がここへ来たときおんなじ状態で、世界を黄金色に染めあげていました。
まるで太陽に動く気配はありません。
「現実……じゃないのね」
まだまだ仕組みは分からないことだらけですが、そのことだけは自然と腑に落ちていました。
それは私に、ここが心の中の風景だという確信を与えていたんです。
お手数ですが、ブックマークと評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




