第8話 定め
途中、ヴァレンティーナシリーズの短編に登場する人物に関する話が少し出てきます。
ヴァレリオは至極まじめな顔で言いました。
「もうこれは抗いようがないことだと思われます」
「なぜですの?」
「それは殿下が聖女の力を使える方だからです」
ますますわかりませんが、ヴァレリオは淡々と言葉を続けます。
「殿下の治癒や浄化の力は他の者にはない圧倒的な力です。そういう圧倒的な力を持つ者には、救いを求める者がどうしたって寄ってきてしまいます。逆に自分のものにして利用してやろう、という邪な考えを持つ者も寄ってきてしまいます」
「……確かに、母はそれでずいぶん苦労することになりましたわ」
ヴァレリオは頷いて続けます。
「救いを求めるにせよ邪な考えを持って近づいて来るにせよ、それは必ずしも人の形をとってやって来るとは限りません。厄介ごとや困りごとという形でやって来ることもあるはずです」
うっすらとヴァレリオが言いたいことがわかってきました、が。
「聖女の力は悩みごとや厄介ごとを解決する力ではありませんよ」
「直接的にはそうかもしれません。でも殿下は汚染された森を浄化なさっています。浄化の力で森を蘇らせていらっしゃいます」
「ええ……まあ、そうですわね」
「六百年もの間、汚染されたままで、何とかしたくても自身ではどうにもできなかった闇を殿下の浄化の力が祓ってくれたのですから、殿下が浄化なさった森は、殿下に救われたようなものです。これは積年の悩みが解消されたのと同じことです」
「まあ……そういう見方もあるかもしれませんわね」
「厄介ごとや困りごとも汚染された森と同じように、殿下のような力を持つ方に、どうかこの絡まった糸を解きほぐしてください、と縋りつきたくなるのでしょう。ですから殿下は図らずも、悩みごとや厄介ごとを抱えている者たちに関わることになってしまうのだろう、と、私は思います」
「…………それで今日、わたくしは刃物騒ぎや不仲な子爵たちの喧嘩に遭遇してしまった、と?」
「はい」
「でも今日のわたくしは大したことは何もしていませんわ」
「いえ、殿下は被害が大きくならないように刃物男を反転結界に閉じ込め、実質的に騒ぎを止めました。取り押さえられた刃物男は処罰されるでしょうし、亭主と女房の間の厄介ごとはこれを機に動き出すかもしれません。仲が戻るか別れるかはわかりませんが」
「まあ、そう言えなくもないですわね」
「不仲な子爵たちの関係も殿下が少し関わったお陰でやはり動き出すと思います。それも両家にとって望ましい方向へと」
「確かにそれはわたくしもそう思いますし、そう願っていますわ……でもわたくしは間接的に少しばかり関わっただけで、直接厄介ごとや悩みごとに関わってはいません。ですからわたくしが少し関わったから動き出す、というのは大袈裟ではないかしら?」
でもヴァレリオは首を振って言いました。
「殿下は膠着状態にある物事を動かす原動力をお持ちなのです。たとえそれが間接的な関与であっても、殿下のお力は止まっている物事を再び動かし始める大きな原動力になるのです。殿下、思い出してみてください。某国の第一王子との夜会でのやり取りや、ルーチェ嬢の救出のことを」
これはまた懐かしい話ですわね。
ヴァレリオはその出来事の経緯を知らないソニアに簡単に説明してから話を続けました。
「某国の第一王子の件は、確かに周りの者たちやエドアルド王太子殿下がお膳立てをなさいましたが、殿下とのやり取りがあってこそ、第一王子殿下は現実に向き合い、最悪の事態は免れたのです。方向を変えさせたのは殿下のお力。他の方ではさらに拗れてしまい、第一王子殿下は破滅する方へと突き進んでしまっただろうと思います」
「……確かに大事にはならなかったと聞きましたわ」
「ルーチェ嬢の件は、ニコレッタ殿下とマスカーニ公爵夫妻、アンドレア様がお膳立てをなさり、舞台を整えましたが、殿下のお力なくしては、あそこまで事はうまく運ばなかったでしょう」
「……あの後ニコレッタお姉様には、ルーチェさんを夜会に引っ張り出し、わたくしがルーチェさんに話しかけた時点で勝利を確信した、と言っていただきましたけれど」
ヴァレリオはなぜか得意気に頷き、続けました。
「どちらも殿下が主導なさったわけではありませんが、解決には殿下が大きな役割を果たしていらっしゃいます。殿下は圧倒的な力を持つ方だからこそ、まずい方へ進んでいる物事の進行方向を変えたり、停滞している物事を動かす原動力になれるのです」
「……」
「これは聖女の力が使える殿下の定めのようなものでしょう。だからこれからも殿下は救いを求める者や物事に遭遇すると思います。それだけでなく、その力を利用したいという邪な考えを持つ者も寄ってきてしまうことは否めません」
なぜか、ヴァレリオの言うことにも一理あるように思えてきました。
でも待ってください。
わたくしは望みもしないのにそのようなことにこれからも遭遇し続けるかもしれない?
もしかすると平穏な学院生活を送りたくても、何かしら問題が持ち上がり、わたくしも関わらざるを得なくなるとか?
つまり、わたくしは平穏な学院生活すら望めないということですの?
「せめて学院生活くらいは平穏無事に過ごしたいものですけれど」
「どうでしょうか。私は何かしら起こると思っていますし、その時は全力で殿下をお支えし、お守りすると決めています。もちろんソニアさんもザネッラ卿、パーチ卿、メラート卿、ロッシ卿も、ジュリオとレジーナも同じです」
ヴァレリオの言葉にソニアも深く頷きました。
「心強い限りですわ。わたくしも入学に備えて思いつく限りの準備はしていますが、さらに力を得たように思いますよ」
実のところ、わたくしは何が起きようとも対応できるように、思いつく限りの準備をしてきましたが、実際にはまず起きないだろうと思っていました。
むしろ、備えたけれど、どれも出番はなかった、となるだろうと思っていました。
でもヴァレリオたちは完全に有事を想定し、その心構えができているようです。
なんて心強いこと。
そしてなんという幸運。
これから先、信頼する皆がいる限り、わたくしはどんな事でも乗り越えていける、という確信が深まりました。
わたくしも呑気に構えていてはいけませんね。
考えをあらため、気を引き締めていきましょう。
そのような話をしているうちに、わたくしたちは王宮へ帰り着きました。
想定外の魔法をいくつか使い、魔力もたくさん使ったので、わたくしのお腹は限界一歩手前まで空いています。
さあ、お待ちかねのおやつの時間です。
今日はわたくしの大好物、聖女様のチーズケーキを用意してもらっています。
執務室でチーズケーキがわたくしの帰りを出迎えてくれるはずです。
「グレタ。ただいま帰りました……よ?」
意気揚々と執務室に入りますと、グレタと並んで白いチーズケーキの代わりになぜか総料理長が待っていました。
総料理長はわたくしの顔を見るなり深々と頭を下げて言いました。
「殿下、誠に申し訳ございません!本日はチーズケーキをご用意できませんでした!」
あう。
わたくしのお腹の空き具合は衝撃のあまり限界に達してしまいました。
でもどうにか平静を装って聞きます。
「何か問題でもありましたか?」
「それが、本日届く予定のクリームチーズが荷馬車の荷崩れにより、氷と共に詰め込んでいた木箱ごと地面に投げ出されて使い物にならなくなってしまいまして……」
「……」
「新しいものは明日にならないと届きませんので、できますればチーズケーキは明日のご用意とさせていただきたく存じます」
空腹のあまり目が眩みそうですが、なんとか堪えて返事をしました。
「そういうことならば仕方がありませんわね。では明日、よろしくお願いしますね」
「承りました」
総料理長が何度も何度も頭を下げながら部屋を退出したとたん、わたくしは思い出しました。
「もしかして、最初の足止めの荷馬車が? すれ違いながらちらりと見た時、牛乳缶がいくつかあったような……」
今思えば、あの荷馬車は王宮方面を向いていたような気がします。
きっとあの荷馬車がクリームチーズも運んでいたのですわ。
なんてこと。
「ああ! そういうことでしたか」
ヴァレリオが急に何か思い立ったように言いました。
「ジュリオが、最初の足止めの荷馬車が荷崩れを起こした原因は、目の前に飛び出してきた子猫たちを御者が避けようとしたためでした、と先ほど教えてくれたのをすっかり忘れていました。申し訳ありません」
「かまいませんよ。それで子猫たちは無事だったのかしら?」
「はい。ジュリオはそう言っていました」
「子猫の無事と引き換えというなら納得できますわ。あきらめもつくというものです」
「……殿下。涙目になっていらっしゃいますよ?」
「まさか。わたくしはそこまで意地汚くありませんわ。これはゴミが目に入っただけです」
そう強がってみたものの、聖女様のチーズケーキはわたくしの大好物ですから、本当のところ、涙目になるほど残念に思っています。
総料理長もわたくしの大好物であることは知っているので、忙しいなかわざわざ詫びに来てくれたのでしょう。
荷馬車の荷崩れは総料理長の責任ではありませんのにね。
「さあ、チーズケーキはなくてもおいしそうなサンドイッチに焼き菓子がありますわ。さっそくいただきましょう」
わたくしは気を取り直し、ヴァレリオたちと共におやつを堪能しました。
それにしても今日は本当に盛りだくさんの一日でした。
ただ買い物を楽しむために出掛けたのに、荷馬車の荷崩れ、刃物騒ぎ、不仲な子爵たちの意地の張り合いによる馬車の横転で三度もの足止めに遭ったのですから。
今日の足止め三度は、もしかすると、わたくしの三年間の学院生活で何か大きな厄介ごとが三度起こるかもしれない、という示唆でしょうか。
でも、今日は素晴らしく楽しい初めてのお買い物体験ができましたし、思いがけずサファイア魔石を入手できました。
きっと、どのような困難がやって来ようとも面倒で苦しいことばかりで埋め尽くされた学院生活になることはなく、楽しみも思いがけぬ喜びも起きる彩り豊かな学院生活になるという示唆でもあるのでしょう。
そのようなことを思いながら眠りについたわたくしは、その夜、楽しい学院生活の夢ではなく、チーズケーキを食べる夢を見ました。
やはり食べられなかったことにとてもがっかりしていたのでしょうね。
夢の中のわたくしは、丸い大きなチーズケーキの真ん中をスプーンで豪快にたっぷりとすくい、大口を開けて食べていました。
普段はそのようなことはしませんので不可解でしたけれど、そうやって食べたチーズケーキに、夢の中のわたくしは大いに満足したのでした。
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